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 中尾が入って行ったのは、店ではなくスタッフオンリーの札の下がったドアだった。
 店ならば客に扮して接近することもできるが、ここに入って行っては飛んで火にいるなんとやらだろう。
 ここは戻るのが得策だと、踵を返しかけた時。

「おいお前」

 声をかけられ、驚いて手に持ったままだったスマホを落とした。
 中尾と一緒に部屋の中に入ったと思っていた仲間らしき男の一人が、退路を塞ぐようにして後ろに立っている。
「ここで何してる」
「すみません、トイレに行こうとして間違えたみたいです」
「そのスマホで誰に何を報告しようとしてた?」
「これは、」
 手に持ったまま歩いていただけだと言っても信じてもらえそうもない。
 逃げられないかと男の背後に視線を走らせたのを気取られて、腕を掴まれて後ろ手に捻られた。
「っ………」
「来い」
 観念して、従うしかなかった。


 連行されてきた湊を見て、中尾は眉を寄せた。
「てめえ……、」
「こいつ、俺たちを尾けてやがった」
 湊にここにいる男達をどうにかする力などないことは一目瞭然なのだろう。拘束もせずに部屋の中央に放られて、痛む肩をさすりながら恐々と周囲を窺った。
 
 高級な調度で統一された部屋だ。地下でもないのに窓はなく、入口から見て左右に扉がついているのが見える。
 関係者用なのだろうか。ではここは中尾のシマなのか?
 応接用らしきソファに中尾が座り、他にはスーツの男が二人、中尾の仲間らしき男が二人。

「そいつは、あれか、竜次郎の女とかいうガキか」

 そしてもう一人、中尾の対面に座る男が、嘲りを含んだ口調と眼差しをこちらに向けた。
 掠れて、ドスの効いた声だ。
 男の年齢は、五十代くらいだろうか。黒いスーツに開襟のシャツ。胸元には太いゴールドのチェーンが光る。短く刈りそろえた髪には白いものが混じり、背は高くないががっしりとした体格だ。加齢による緩みは見受けられず、眼光も鋭い。

 湊のことは既にデータとして流れているのだろうが、向けられた感情に何故か憎しみのようなものを感じて、まったくの初対面だというのに、違和感を覚えた。

 年齢的にも雰囲気的にも、この人物が、オルカのメンバーだとは考えにくい。
 …と、なると、例の中国の組織の人間なのか。
 言葉遣いといい、日本人のように見えるので確信は持てないが、その可能性は高そうだ。

「何のつもりでこんなことをした?自分の男の旗色が悪いから鞍替えしようって算段か?」
 質問しているようでいて、こちらの答えがどうでもいいことが透けて見えている。
 どちらでも同じかもしれないが、黙っているよりは何か言ったほうがいいような気がして、口を開いた。
「たまたま……このビルの店に知り合いと飲みに来て、トイレを探してたらあそこに出てしまっただけです」
「たまたま、ここに?それはまた、奇遇だな」
 下らない言い訳だと肩をすくめて揶揄されたが、居合わせたのは本当に偶然だ。

 立ち上がり、近寄ってきた男にぐっと顎を掴まれた。
 憎しみを宿した鋭い双眸が、湊の瞳を至近距離で覗き込む。
「まあ、どんなつもりかはどうでもいい。お前は奴らを苦しめるのに使えそうだ。高級クラブで男娼をやってるらしいな。俺には何がいいのかわからんが、需要があるってんなら金にもなるだろう。ことが済んだらもっと金を持ってる変態に売り飛ばしてやるよ」

 別室で拘束しておけと男が指示を出すと、それまで険しい表情で黙っていた中尾が口を開いた。
「長崎さん、ここは俺のシマでもねえし、こいつも今は他の奴のツレだって言ってる。いきなりいなくなったら面倒なことになるんじゃねえか」
 長崎、と呼ばれた男は、中尾に鋭い視線を走らせ、「なるほど?」と含みのある声で応じた。
 経緯を見守っていると、男は芝居がかった溜息をついて、

「お前の言うことも一理あるな。おい、解放してやれ」

 唐突にそんなことを言い出す。
 え?と疑問符を浮かべている間に、湊は腕を引っ張られて部屋の外へと放り出された。
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