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 用があって早めに店に行く予定だという月夜、メノウと別れ、高原邸へと帰る冬耶の足取りは、少しだけ軽くなっていた。
 あの二人が、『真冬』のことをあんな風に思ってくれていたなんて。
 職場で会えば気軽に声を掛け合うけれど、個人的な話をするほどの仲ではなかった。
 同じ店で雇用されている仲間ではあるものの、状況と相手の認識によっては、敵視されている可能性もあったと思う。
 もちろん、冬耶には年収一千万を目指すなどの高い目標もなく、店の決めた最低時給がもらえればいいという程度の労働意欲なので、自分を指名してくれていた客が他のキャストを指名してもなんとも思わない。
 だが、これまで見てきた中で、客の取った取られたで嬢同士が険悪になるケースはそれなりにあった。
 だから、同期の二人とはなるべく住み分けできるように気を遣ってきたし、そもそもそんな気を遣うまでもなく、あの二人は人気のキャストだ。
 だから、キャストとしての真冬をそれなりに評価していてくれたことに驚いたし、好意的な言葉も、嬉しい、有難いと思った。

 『真冬』の存在を、肯定してもらえた気がして。

 『真冬』でいる時、冬耶はものすごく無理をして女性を演じているわけではない。
 それなりに長い時間接客をしなければならないため、キャラを作るのは無理だと最初から諦めていた。
 国広も、客がつけば何でもいいというスタンスなので、『真冬』と『冬耶』のキャラに差を作らずに済んだのは、有難いことだ。
 しかしどこかで「自分は完全な女性ではない」という引け目のようなものは存在していて、そもそも自分はきちんと女性に見えているのだろうかとか、そうした不安をずっと払拭できずにいた。

 キャストとしての『真冬』を肯定してもらえたら、現金なもので、目の前が前より明るくなったように感じる。

 一方、御薙には『真冬』ではなく『冬耶』を見て欲しいと思ってしまうのだから、心というのは複雑だ。
 そこには二人に対するものとは全く違う感情が存在しているらしい。

 ともあれ、嫌な目に遭った二人には悪いが、この間、自分の体の変化の原因について忘れていられたのは有り難かった。


 ふわふわとした気持ちのまま家に戻り、少し休んだ後、身支度を整えて出勤した。
 『JULIET』はいつも通りに開店したが、冬耶が他のキャストと並んで指名待ちをしていると、受付で何やら揉めているような声がして、ボーイが小走りにバックヤードへと向かっていくのが見える。
 不穏な雰囲気がフロアに伝わり、客も他のキャストも入り口付近の様子を窺い始めた。
 すぐに悪鬼の様な形相の国広が飛んできて、数歩ごとに悪態を撒き散らしながら、受付の方へと向かう。

「恐れ入りますが、当店は暴力団の方には入店をご遠慮いただいております」

 それほど広くない店内で、客が静かになってしまったため、国広の声が聞こえてきた。
 丁寧な口調とは裏腹に、一言一言に尋常ではない棘が感じられる。
 御薙は普通に出入りしているのに白々しいなと思っていると、何かが破壊されるような大きな音がして、「てめえ、口のきき方に気をつけろよ」という低い脅しが響いた。
 さっと店内に緊張が走る。
 暴力の気配に、警察、という言葉が脳裏を過った。
 しかし、『JULIET』はこういう時のために仁々木組にみかじめ料を払っているのである。
 この場合、警察ではなく組事務所に通報するのだろうかと悩んでいると。

「おい、やめろ。国広、お前は相変わらず跳ねっ返りだな。今日はうちの若いのが迷惑かけたみたいだから、謝りに来たんじゃないか。そんな態度はないだろう」

 表面上は穏やかな、しかしどこか人を馬鹿にしたような響きを含んだ声が場を諫めた。
「それはどうも」
 しかし国広は、全く態度を軟化させない。
「何があったか知りませんが、個人への謝罪なら勤務時間外に本人に直接お願いしますよ。あんたらみたいな人相の悪いのがここに雁首揃えてたら、商売上がったりだ。さっさと事務所に帰って……、おい、ちょっと。入るなっつってんだろ」
 警察は呼ばなくて大丈夫かもしれないとほっとしたのも束の間、国広の制止を無視して、招かれざる客はフロアの方へとやってきた。

 入ってきた四人の中に 先程メノウと月夜に絡んでいた男がいて、冬耶は驚いた。
 なるほど。バカ様派だから、国広に強固に拒否されていたのかと納得する。
 柄の悪い男達の中心にいる五十代くらいの男性が、先程謝りに来たとか言っていた人だろうか。
 ダークスーツに派手な開襟シャツ、緩くウェーブのかかった髪は半端な長さで、ゴルフなどスポーツで焼けたものか、肌は浅黒い。
 男は、顎をしゃくるようにしてフロアに首を巡らせると、近くに立っているボーイに声をかけた。

「『真冬』ってのはどの女だ?」

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