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 シャワーを浴びてベッドにもぐりこむと、心身ともに疲れきっていたせいか、すぐに意識がなくなった。
 長く眠り込んでいたらしい。目が覚めると、もう既に日が高く昇っている。
 よく眠ったせいか、昨日よりはすっきりとした気分だ。
 恐らくそれが覚醒のきっかけになったのだろう、階下から物音がしており、冬耶ははっとして部屋を飛び出した。

 そう広くもない家の中を駆け、キッチンに立つ姿勢のいい背中を目にすると、安堵感に座り込みそうになる。

「おや、おはようございます。どうしました、そんなに慌てて」

 低く、安定感のある穏やかな声音。
 高原晴十郎は、この家の主であり、路頭に迷っていた冬耶に居場所を作ってくれた恩人である。
 年は今年で七十になるが、引き締まった体つきには加齢による衰えは一切窺えない。
 綺麗に撫でつけた髪は白くなりきってはおらず、柔和な笑みを浮かべながらも、隙のないその表情。顔に刻まれた皺すらも彼の魅力の一つのようだ。
 御薙も昨夜「この界隈で仕事してる奴で、あの人を知らない奴はいないだろ」と言っていたが、全くその通りで、バー『NATIVE STRANGER』のバーテンダーとしてもたくさんの人から慕われていて、その周辺で商売をしている人たちからも、何かと頼りにされているようだった。

「ま、マスタぁー……」
「どうしたんです。……またあの愚孫が何か?」
 つい泣きが入ってしまったせいか、晴十郎の眉間に皺が寄る。
 誰にでも穏やかな態度で接する晴十郎だが、国広にはやけに厳しい。
 不穏な空気を感じて、慌てて首を横に振った。
「い、いえ、違います。昨日……」
 寝起きに勢いだけでやってきてしまったため、何から説明すればいいのか考えがまとまらない。
 言葉に詰まった冬耶を見て、晴十郎は急かさずに、別のことを口にした。
「これからブランチにしようと思っていたのですが、ご一緒にいかがですか?」
「はっ……い、いただきます!」
「では、のんびり作りながら聞きましょう。飲み物は?」
「あっ、それは自分でやります」

 冷蔵庫から、作り置きしている冷茶を出して、コップに注いだ。
 何か手伝おうかと思ったが、そう広いキッチンでもないため、下手にうろつくと邪魔になる。
 料理については甘えて、事情の説明に集中することにした。

「実は昨日、一時的に男に戻ったんです」
「……ほう」
 晴十郎は、肩越しにチラリとこちらを見る。
「体が変化する前、何かいつもと違ったことをしたり、変わったことはありましたか?」

 とても違うことがとてもあった。

「(いやでも、だからって、ものすごく話しづらいんですけど!?)」

 だが、冷静になって考えれば、三年間ずっと何の変化もなかった体が突然男に戻ったというのは、御薙との再会からの一連の出来事がなんらかのトリガーになった可能性が高いように思える。
 その他に思い当たるようなことは一切ないため、冬耶は、恥や色々な感情を忍んで話すことにした。

「実は……」

 接待だったということは伏せ、昔の知り合いと会い、知り合いだったことを隠して飲んでいるうちに、泥酔して関係を持ってしまったようだ、と説明する。
「次の日、目が覚めたら、男に戻っていたんです。夜にはまた、女になってしまったんですけど」
「……なるほど。大変でしたね」
 しみじみと、だがそれほど大変ではないようにいわれてなんだか安心した。
 こんな、普通ではありえない話を、適当にあしらうでもなく、大仰に驚愕するでもなくきちんと聞いてくれる、晴十郎はやはりすごい人だと思う。
「はい…すごく驚きました」
「それで、再び女性になった時は、特にきっかけになるようなことはなかったのですか?」

 あの時は、別に何があったというわけではなかった。
 国広と御薙の話を聞いていて、悲しい気持ちになって。

「なんだか突然具合が悪くなって意識がなくなって、次に目が覚めた時にはもう性別が変わってました」
「ふむ……不思議ですね」
 本当に、不思議しかない。
「その具合が悪いのは、今は大丈夫ですか?」
「はい。よく寝たら、よくなったみたいです」
「それはよかった。今日は少しゆっくりするといいでしょう」

 目の前にオムライスが置かれた。
 ほかほか、ふっくらと優しいカーブを描く黄色。
 現金なもので、美味しそうなものを目の前にすると、途端に空腹を感じ始める。

「難しい問題なので、とりあえず、空腹を満たしてから考えましょうか」

 にっこり笑う老紳士の優しい提案に、冬耶は深く深く頷いた。
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