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帰還

第118話

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 考え疲れ、一人、ベッドに腰かけながら、脱力する俺。
 寝ている子が発する光だけが、締め切った暗い部屋を、優しく照らしていた。

 コンコン。
 俺の耳に、扉のノック音が響いてくる。
 
 「…………」
 きっと、コグモだろうが、出る気にはならない。
 そもそも、今日はもう来ないはずではなかったのだろうか?
 ……どうでも良いか……。
 
 「開けますよ?」
 そう言って、彼女には珍しく、返事もないのに、部屋の扉を開けて来た。
 
 「……今日は来ないんじゃなかったのか?」
 俺は顔も上げずに声を掛ける。
 
 「えぇ、そのつもりだったのですが、ちょっと、夜這いに……」
 彼女が俺の横に腰を下ろすのを感じる。
 
 今は、少しでも、彼女から距離を取りたかった。
 しかし、動く気力が湧かなかった俺は、俯いたまま、彼女の座った逆側へと、視線を移すだけで終わる。
 
 「……何を考えているんですか?」
 彼女が優しく話しかけて来るが、今の俺は、何も考えちゃいない。
 もう、それすらも億劫になってしまったのだ。
 
 「ふふふっ……。私ったら、好きな相手が夜這いに来たら、男の人が考える事なんて、一つですよね?」
 そう言って、彼女が、俺の膝の上に、手を乗せて来る。
 やめてくれ、触らないでくれ、疲れているんだ。イライラする。
 
 「どうです?このまま全部忘れて……」
 彼女が体を寄せて来る。手が、ゆっくりと俺を侵食していく。
 ……やめろ。やめてくれ。構っている余裕はないんだ……。何なんだよ。何なんだよもう!!
 
 「ふざけっ!」
 コグモは振り向いた俺の口を塞ぐと、「シー」と、唇に人差し指を当て、眠る子の安らかな寝顔に視線をやった。
 ……そうだ。この子が寝ていたんだ……。
 
 「……何をそんなにイライラしているんですか?」
 手を引っ込めたコグモは、また静かに聞いて来る。
 完全に、彼女のペースだった。
 
 「……馬鹿な俺にだ」
 一度大声を出そうとしたせいか、思考が戻って来た。
 戻ってきて欲しくなんて、無かったのに。
 
 「その様子だと、私の予想は正しかったようですね……」
 予想とは、どの事だろうか?

 糸にリミアの記憶が含まれていると言う事だろうか?
 それとも、俺が項垂れていると言う事だろう?
 リミアが、俺に恋心を抱いていたと言う事だろうか?
 
 ……彼女の事だ、きっと、全てを予想していたのだろう。

 「なぁ……。俺は、俺はどうすれば良いんだ?」
 俺は全知全能にも思える彼女へ、すがる様に訊ねる。
 
 「そんなの……。私に分かる訳、ないじゃないですか」
 優しく、諭す様に答える彼女。
 その余裕が、羨ましかった。
 
 「……でも、私は、貴方が、ルリ様が、したい様にすれば、良いと思います」
 俺のしたい様に?
 俺のしたい様にって、なんだ?
 俺が全ての元凶なのだから、俺のしたい様になって……。
 
 「お嬢様の事です。いつもの我儘に、ルリ様を付き合わせているだけなのでしょう?」
 そう言うコグモは、苦い笑いをしていた。
 リミアと長く一緒に居た彼女も、同じような経験をしているらしい。
 
 「確かに、それに付き合ってあげる事も、親の義務なのかもしれません」
 「まぁ、私は虫なので、良く分かりませんが」と、苦笑しながら付け加えるコグモ。
 
 「でも、間違ったら、叱ってあげるのも、義務なんじゃないですか?そんな事は駄目だって。逃げるのは駄目だって」
 逃げる……。そうだ。コグモの言う通り、リミアのしている事は、現実から逃げる事だ。辛いのは嫌だから、私には耐えられないからって……自殺するようなものだ。
 
 そんな事は許されない。少なくとも俺なら許さない。
 俺の子である以上、俺が幸せにすると誓った以上、俺の自尊心の為にも許さない。
 
 ……そうだ。あいつは、あいつの我儘で死んだんだ。
 だから、俺は、俺の我儘で、あいつを、リミアをこの地獄に引き戻しても良いじゃないか。

 勿論、その責任は、俺の一生を持って、全力で償う。
 それで、お相子ではないだろうか?
 
 「……どうやら、心は決まったようですね」
 淡い光に照らされながら、優しく微笑むコグモ。
 
 「あぁ……。それと、悪いんだが……」
 その先を言おうとした俺の唇を、彼女は人差し指で、優しく止める。
 
 「ルリ様の求婚。私の方からお断りさせて頂きます」
 彼女は、俺の言葉を先回りすると、その小さな胸を張って、威張る様に、俺の告白を断った。
 
 「……なんか、すまん」
 本来は俺が言うべきはずだった言葉。
 彼女が気を遣ってくれたのは、明白だった。
 
 「何を謝っているんですか。断ったのは私ですよ?」
 幼い元気な笑顔で、俺を励ましてくれるコグモ。
 俺は、一生、彼女に頭を上げる事は出来ないだろう。
 
 「それじゃあ。これだけは言わせてくれ……。ありがとう。コグモ」
 頭を下げる俺に、彼女は静かに、元気な声で「はい!」と、答えてくれた。

 良い笑顔だ。逃した魚は大きかったに違いない。
 でも、俺の家族を、ひいてはこの笑顔を守るためになら、それも、惜しくは無いように思える。
 
 「これからも宜しくな」
 「こちらこそ、よろしくお願いしますね」
 改めて行う挨拶に、少しにやけてしまう俺達。

 こうして、俺の二度目の恋は、終わりを告げた。
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