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 王都は隔壁に囲われていた。攻めるものもいないのに、ここ数年はより頑丈により堅牢に改築されている。
 その王都の外に『館』はあった。存在は皆が知っているが、特に国から指導が入る訳でもなく当然のように立つ。『館』と言われるほどに大きく立派な外観に手入れの行き届いた庭。しかし、誰も館の主人以外の人間を館の外で見た事は無かった。代わりに、金属とガラス、それから陶器を合わせたような人型を模した機械が一体、様々な仕事をしている。

 客は少ないながらも途絶えずにやって来ていた。十二になったばかりのリサもその客の列に並んだ。
 当時、カルスのハウスは危機に晒されていた。

 カルスはドール達の体は売らなかった。純潔の乙女に金をつぎ込む者は多かったが、それでもなお、色を売るハウスには敵わない。通常の接待の収入は良くても、落籍時の実入りは少なかった。カルスは、ドールを愛し大切にし、そしてドール自身が好いた相手に嫁がせていた。相手は若く、色を売るドール達を落とす程の者達より金は無い。そして、ドールの未来を考えても金をむしるわけにはいかない。
 先日、カルスのハウス一のドールの縁談がまとまった。残りは年若い者しかいない。最早常の収入も危うく、最悪はハウスを譲り渡すしか無かった。
 売ればリサ達は新しく商売を始める程度の金は残るだろう。けれど、ドール達全員を養う事は出来ない。それは、リサが共に育った妹達が本当の意味でドールになるという事だった。

 リサは今までも裏方としてハウスを支えてきた。舞もお茶も、年上のドール達について習い、自身が教える免状を得る事で稽古事の費用を激減させたりした。魔力を使って掃除婦に化けて、ハウス中を綺麗にもした。後一年彼女の結婚が先ならば、ギリギリローズが稼ぎ頭に成り得たのだけれど、彼女の相手の父親が亡くなって、彼には今、妻が必要だった。

 一年分のお金が必要で、館ではそれを与えてもらえるかもしれない。対価は命か魔力か。寿命十年ほどならば喜んで差し出す。

 館にはまず一度相談に行く。そして、対価を聞いて一度悩んで後、二度目に訪れた際に支払うという話だった。並ぶ客のほとんどは深刻そうな顔をしている。それでも、相談に来たほとんどの者は対価支払えず二度目に訪れる事は無いのだそうだ。

 リサは自分より少し前に並んでいる男の人に目が止まった。がっしりとした体に浅黒い皮膚、硬そうな髪で、まるで物語の英雄や騎士様の様だと思った。強そうな体に反して気配は丸く、それでいて他の人の様な悲壮感は無い。
 あんな人も来るんだ、とぼーっと見ていたら、ふとこちらの方向を見た。目があった訳でも無いのに、ドキッと心臓が高鳴った。
 すごい、カッコいい……。
 自分の家の事情も一瞬忘れて、リサは見惚れてしまった。涼しげなキリッと締まった目元は赤い瞳がのぞいて、情の厚そうな分厚い唇と相まってなんとも言えない魅力があった。大きな鼻にしっかりした顎からエラにかけての輪郭、太い首、全てが頼り甲斐のある理想の男性そのものであった。ジロジロ見るなんてはしたない。意識を反らせていると、門は開いて待合に通された。リサの心は彼を見ないようにする事でいっぱいになった。

「すみませーん。主人は今からちょっと出かけまーす。お帰りになる日時は不明でーす」

 待合室につるっとした人形が現れて、アナウンスを行った。これが噂の機械人形か。
 待合にいたほとんどの人は席を立った。漏れ聞こえる話では、この主人のお出かけは長い時は数日、短い時でも十時間単位で帰ってこないそうだ。
 それでも、戻って来たときに直ぐに相談ができる!とリサは残る事に決めた。他に席を立たなかったのは、さっきの彼だけ。

「あんた、なんでこんな場所にいる?その格好、いいとこのお嬢さんだろ」

 不意に声をかけられて、リサはその深くて暖かい声にビクッと身を震わせてしまった。想像より素敵なバリトン。

「ああ、悪い。咎めてるんじゃない。ただ、ちょっと気になっちまった。若くて、その、まあ、女の子に似つかわしい場所じゃねぇからな」
「いえ、少し緊張していただけですから、大丈夫です。あ、ありがとうございます……」

 こんな事態なのに舞い上がって赤くなるリサに、彼はふっと笑いかけた。

「俺はシオンだ。ちょいと離れた町の孤児院育ちだから、粗暴で悪い。だが、もし良ければあんたの願いとやらを聞かせちゃくれないか?」

 粗暴?見た目は確かに強そうだが、シオンはどこか品の良さがあった。とりあえず、その笑顔にリサはぼうっとなってしまった。

「お金が、欲しいんです」
「金?」
「はい」

 自分でなんとかしなくてはと思い込んでいたリサは、優しく声をかけられて自分の境遇を話した。シオンはしっかりとけれど優しく見守ってくれていて、リサは話しながらポロポロと泣いてしまった。

「す、すみません」
「いや、あんた頑張ったんだな」

 頑張った、んだろうか?必死ではあった。けれどまだ何かやれる気がしていた。
 シオンが目を伏せて何か考えていると、機械人形がお菓子とお茶を運んで来た。落ち着くために一口飲むと、とても美味しい。見慣れないお菓子も、美味しかった。このありふれたお茶を邪魔せず際立たせるものを創作するなんて、よほどお茶にも詳しいのだろう。お菓子は風味自体に大きな特徴は無いように思うから、多分素材は食べ慣れた物。けれど歯当たりは良く、次々と食べたくなるような……この技はうちのハウスに、欲しい。

「これを淹れたのは貴方ですか?」

 思わず聞いたリサに人形はその目をパチクリさせた。

「わたくしめにお話ですか?」
「はい、そうです。宜しければコツを教えてください!」

 土下座しかねない勢いのリサを人形は必死で止める。サンゴと名乗った人形は、人間扱いしてもらったと喜んで、お茶や菓子の作り方を話し始めた。リサは頷きながら、手帳で速記していく。
 上げて褒めて共感して、サンゴの主人がものすごく甘いものが好きですごい量を作らされてる事や、この地に既に百年以上いる事などまでリサはサンゴから聞き出していた。

「では、主人が戻られるまでまだかかるでしょうし、また何か作って持ってきますね!」

 るんるんと戻るサンゴを見送って、はっとリサはシオンを見た。彼はにやっと笑った。

「やるなぁ」
「盛り上がってしまってごめんなさい」
「いや、あんたの問題は解決しそうだ」
「え?」

 シオンから提案されたのは、リサがドールとして働く事。

「あんたは教えられるくらい芸事がうまいんだろ?それにさっきのやり取りも、接客向いてるとしか思えねぇな。掃除婦に化けられるなら、多少年齢も誤魔化せるだろ」
「年齢を誤魔化せても、見目がイマイチなので……」
「そうか?俺はあんた凄くイイと思うが……、まぁ、そこの判断はあんたらプロに任せるさ。化粧もするんだろし、先ずはやってみな。一年どころじゃなく金稼げると思うぞ」

 自分がドールとして働く……全く考えもつかなかった提案は、けれど一番妥当な対策のように思えた。ダメ元でやってみて、それから館に相談に来ても遅くはない。魔力で変化出来る時間は今は一時間ほどだけれど、掃除婦に化けるようになってからその時間は徐々に伸びている。できなくは無いはずだ。

「すごい、先が見えました」
「ああ、良かった」
「帰って早速やってみなくちゃ」

 興奮して席を立って、リサはシオンが眩しそうにこちらを見ているのに気がついた。

「あの、ありがとうございます。私も貴方の役にはたてませんか?」
「あんた、こんな時までいい奴だなぁ。時と場所が違えば食事でも誘ってた。気をつけな」

 顔を赤くしながらも、立ち去らないリサを見てシオンは諦めた。せめて、微笑みは崩さない。

「でも、ちょっと頑固かな。聞かなきゃ帰らなさそうだ」
「その通りです」
「あんな、俺の事情も金だ。孤児院が潰れそうでな。俺の家だ。兄弟もいる。だから、あんたに助けてもらうのはちょっと難しい。……それから、それの相談でここに来たのは二度目なんだよ」
「二度目」

 覚悟は決まっている、という事だった。

「さっきあんたの話を聞いたのも、何にも無くなる俺だから、命以外のもんなら譲れるからなぁと思ったまでだ。最後の時に、あんたみたいなべっぴんさんに会えたのはラッキーだ」
「死んで、しまうのですか?」
「詳しくは言えん。でも、また会うこたぁねぇよ。あんたも忘れっちまう」
「そんな!」
「忘れるんだ」

 リサはシオンの言う意味が分かった。対価は恐らくシオンの命そのものでは無いらしい。ただその記憶や、存在やそう言うものであるという事だ。
 死なないなら、その方が良い。自分の記憶が無くなっても、彼の記憶が無くなっても、生きていて欲しい。けれど、それは今一瞬出会っただけのリサが口に出してはいけない自己満足だった。

「貴方の、幸せを願っています」
「俺の幸せはあんたの幸せさ。あんたなら出来る。成功を祈るよ」

 部屋の空気が動いて、リサは出口に押し出された。扉は閉まって、館には入れなくなった。館はリサを客では無い、と判断した。

 やらなくてはならない。
 ハウスに戻ると、緊急的に必要な分のお金はカルスが用立てていた。既に嫁いだ娘達から借りられるだけ借りたそうだ。それはギリギリ一年運営できるかどうか。

「後は調度品を売って、その間にドール達を養子に出すか」

 力なく、けれど、娘達になんとか道を用意した父親にリサはシオンからの提案を話した。
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