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 クリス・ブラッケ?しまった。彼が下った事は知っていたが、まさか、ここに来ているとは思わなかった。
 リサだと気付かれたら、まずい。逆恨みで何をされるかは分からない。

「良い度胸ですね。喧嘩の売買にいらしたのかな?」

 くっとヒューホは笑ったけれど、相手は名乗りでない。まぁいい、と言った彼は私を引き寄せた。

「私側のツレです。分かって喧嘩を売るならそのつもりで」
「まぁ、顔って言っても魔力は多少は変えられるものですからねぇ。そんな事ぐらい分かるでしょー?」

 赤毛の子、アリーも牽制に加わわってくれる。緑の目はそのまま力の色のようで、彼の言葉で場の空気が緩む。
 フォンスはさり気なく私から距離を置いていて、何故かヒューホが連れてきた、という雰囲気が出来上がっていた。

 会合は会議というより、最近の街の様子を皆がそれぞれに話ている様子だった。アリーとヒューホに手助けされながら、セレネの様子を話したり外の街の話を聞いたりする。しばらくすると、ヒューホが現状と新たな動きをまとめて皆の前で話している。
 場の緊張感は賭事のそれに似ていた。親はヒューホだけど、駆け引きを見る限りフォンスやヒューホ、アリーのグループともう一つ大きなグループがあり、それから、ちらほらとどちらにもつかない人達がいるようだ。
 敵対はしていないが、同和もしていない。情報の共有に利があるから緩く繋がっている。そんな空気がする。
 ヒューホは力を持っているようだ。学院内の権力や財力とは違い、ヒューホ自身に商いの才や人望があるのだろう。フォンスもそれないに発言力はありそうだが、貴族というのはこの場ではマイナスらしい。あくまで、ヒューホの重要な客分といったところだ。だからこそ、リサはフォンスのツレでなく、ヒューホのツレとされたのだろう。
 クリスがいるならその方が良い。フォンスの顔自体は学院内でもそこまで知れ渡っている訳ではない。王族の顔をジロジロ見るわけにはいかないし、雰囲気も違う今の姿を見てもすぐには第二王子と繋がらないだろうけれど、用心に越したことはない。

 さて、そのクリスはどれだろう?リサは目に魔力を集めた。それはリサにとってすでに自由に扱える能力となっていた。
 大きく姿が変化した人は二人きりだった。クリスの容姿は大きく衰えていた。クリスは元々整った顔にライムグリーン髪が美しい背の高い容姿だった。それが今は大きな鷲鼻に垂れた目、歯並びも悪く、酷い猫背の男になっていた。容姿を変化させ続けるには強い魔力が必要で、クリスにそれがあったとは思えない。もし仮にあっても、なんらかのトラブルがあった際に防御魔法も使えない状態でここに来るのは致命的だ。

 『館』で金と容姿を交換したんだ。
 王都の城壁の外にある『館』。命や魔力、大切なものを差し出せば何でも願いを叶えてくれるというその『館』。リサは一度だけ訪れた事があった。
 破産するほどの借金をチャラにする代償は安くなかったという事だろう。

 もう一人の人物に目を移して、リサは息を飲んだ。限りなく気配を消してリサのすぐそばに座っていたのは体の大きな男性。リサは彼を知っている。

 リサの初恋の相手。

 何故ここにいるの?
 震えそうになる体を両手で抑えて、ヒューホの話に聞き入っている風を装う。目に集めた魔力を霧散させると、普通の、ごく普通で特徴の無い青年がいた。容貌変化をしたその姿は、カルスのハウスでは見かけていない顔だ。けれど、ヒューホ側に属している……

「リー、風邪ですか?顔色が良く無い。フォンス君、君が帰るついでにリーも送ってもらえますか?」

 いつの間にかヒューホの話は終わっていて、フォンスは帰り支度をしていた。

「これからは飲み会だ。ガキ一人じゃ帰れねぇだろ」
「……お願いします」

 奥で危ないハーブを出し始めたのを目の端で確認して、リサはフォンスについて店を出た。
 来た時とは違う馬車が店の前に止まっていて、それで街中まで出る、それから来た時に乗った馬車に乗り換える。

「フォンス様は説明が足りなさ過ぎます」
「不便は無かったろう?」
「大有りでした」

 ヒューホの集まりは、最近は野心溢れる者達が急激に集まりには参加してきていたらしい。

「悩ましいだろう?一枚岩では無いことは承知していたが、ヒューホの冷静さを理解できない者が増え過ぎている。短期の利益は長期的には己の滅するというのに……」
「それを見せていただいたのは有難いですが不用心すぎませんか?」
「安心しろ。凄腕の護衛を紛れさせていた。この後の様子も後から報告を受ける予定だ」

 凄腕の護衛……。リサは心当たりがあった。

 馬車の中でクリス・ブラッケの声がした事、それから知りうる彼の事をフォンスに伝えた。クリスの事自体はフォンスも知っている。そして、地位にこだわる者がそれを失った故の危うさをフォンスも理解していた。

 家に送ってもらい、お風呂に入る。ゆっくりと湯船に浸かりながら、今日の事、それから彼の事を考えた。
 もし自分の予想が正しければ、そういう運命だったのかもしれない。
 そう覚悟して、リサは自分が彼を見た時の感覚を受け入れた。

 自分は彼に今も恋慕の情を抱いている。
 例え叶わなくても、彼を想っている。
 それから、自分は彼の邪魔は、しない。

 決めてしまって、リサはふっと軽くなった。自分の願いと彼の願い、それを両方とも叶えるには確かにブロの提案を受け入れるのもアリかもしれない。
 決断はまだ先で良くて、自分の気持ちを整理する時間はある。

 就寝のためだけでなく、綺麗に身を整えて自分の予感を信じた。やはり、ヨンゴが知らせてくれる。
 そして、部屋の窓を開ける。やはり窓の外の、木の上にはレフィが座っていた。

「プティサレ?久しぶりだね」
「レフィ……」

 部屋の中に促すと、レフィはやはり軽く中まで飛んできた。

「小鳥か蝶みたい」
「そんなに可愛くは無いよ。……僕が来るの、分かってた?」
「うん。あそこにもいたんでしょ?フォンス様の護衛として」
「フォンス様に聞いたの?まさか、見られた訳無いと思うんだけど」
「レフィの姿は見てない。ただ、フォンス様が凄腕の護衛がいるって……」

 レフィは窓の側を離れなかった。少し、リサとの間に距離があく。

「君は、僕の願いをいつも聞いてくれないね。フォンス様の集まりには行かないよう魔法までかけたつもりだったんだけど」
「レフィの魔法にはかからなかったの。黙っててごめん。それから……集まりに行ってごめんなさい」

 悲しそうに微笑むレフィの赤い目をリサはじっと見つめた。

「マイプティ、何故泣きそうなの?」

 リサの目からは堪らず一粒だけ涙が落ちた。

「彼を、前に話していた初恋の人を見たの。さっき。シオンさんを見つけたの」
「まさか、そんなはず無い。見間違えたんじゃ?」
「そうかもしれない。そうじゃ無いかもしれない。レフィ、私……今でもやっぱり彼が好き……」

 レフィの目が開き、口から声が漏れた。

「そんな……」
「うん、馬鹿みたいね。何年も前に、ほんの少し出会っただけの人、こんなに好きになるなんて」
「……馬鹿じゃない。そんなプティも、僕は好きだよ」

 困った顔でレフィはリサの頭をぽんぽんと二回叩いた。離れていた距離が縮まって、リサは少しホッとした。

「……彼に会いたい?」
「うん。会えたら、嬉しい。ちゃんと告白して、区切りをつけて前に進みたい」
「わかった」

 叶えるつもりが無い恋を終わらせなければ進めない程度には、リサは若かった、レフィはまたリサの頭をぽんぽんとしてから、窓から音もなく去って行った。そして、レフィが完全にいなくなった事を確認してからリサはベッドで一人で泣いた。

――――――――――――――――――――――――――

 ガーデンに行くと、花達が喜ぶ。余った魔力が巡って色が鮮やかになる。

「ようやく、きてくださいましたか」
「久しぶり。寂しかった?」
「もちろん」

 ブロが王太子でも、相変わらずお茶は入れてもらう。ブロもそのつもりのようだった。

「幾分か成長されたように見えます。私との事以外に何が?」
「遠回しだねぇ」
「では、レフィと何が?」
「今度は直球すぎ」

 あははと笑うとブロはお茶とお菓子を用意してくれた。

「私は妃に相応しい方を迎えたいと思います。けれど、その一人だけを私は大切にしたい。貴女が他に好いている人がいるのを無理矢理諦めさせる事は、できません」

 いつもと少し香りの違う焼き菓子を口に運ぶ。軽いハーブの香りと優しい塩味。旨味が広がって、お茶に合う。

「ところでレフィは甘い菓子が苦手で、この様な菓子が好きだそうですよ。プティサレ?」
「ブロは何でも知っていて、ちょっと困る」

 あんたは私とくっつきたかったんじゃ無いのか、と突っ込みたい。

 好きな人と結ばれたい。好きな人に幸せになってもらいたい。
 けれどそれぞれに役割があって、それは決して投げ出すことはできない。
 何をすべきで何をすべきでないかは明白で、だからこそ親しい相手にだけ叶わない気持ちを打ち明ける事ができる。

「ねぇ、ブロ。好きな人と同士が結婚できる世の中が作りたい」
「では、作りましょうか。一緒に」
「うん」

 ブロはリサの手を取り薬指にキスをした。
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