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 パンっという音がして、ハッとした。
 反射的に、私は雨情の頬を叩いていた。

「ごめん」
「いや、おうとる。……その反応でおうとんねん」

 頭が、パンクしそう。雨情が私を好き?

 目の前の雨情の、私が叩いた頬は赤い。

「……俺はカリンを好きやけど、それは友達としての好きやから安心せえ。こんな事して悪かった。せやけど、アイツの立場に一瞬は立てたやろ。どう思うか、考えてみ」
「雨情」
「悪い。……ちょお、冷やしてくるわ」

 かなり強かに打ってしまっていたのか、雨情は痛みを堪えた笑顔で部屋を出て行った。私は自分の事でいっぱいで、それを見送る事しかできなかった。

 どこかで分かっていた。

 自分が狡くて、アッシャーのスキルを言い訳にしてるとか、仮面の私も結局私なのに、カリンを見て欲しいのは私のわがままだとか、それで悩んでる方が楽だから。

 本当に仮面の私が好きなら、カリンのキスは受け入れない。
 誠実にカリンの事を思うなら、それでもキスは受け入れない。

 結局、アッシャーはどっちの私の事も好きじゃない。

 だから、モヤモヤして苦しかったんだ。


 ………………。待てよ?

 加護か何かのお陰で、アッシャーの油断で振り切っていた私の感情が、次第に凪いでいく。

 アッシャーはそんな人だったか?
 1回目にキスをしてしまった時とさっきの反応も違いすぎる。
 アッシャーもリオネット様の魔法で感情抑制を受けていて、前回も帰宅した時にはリオネット様に見られていた事に対して反応が薄かった。それと同じ位に、今回はキスしてしまった瞬間から彼は冷静だった。

 アッシャーはより強い感情抑制を受けてる?

 そうでなければ、……自我を保ったまま怨嗟が発露して、性格に異変を来しているのかも知れない。

 時計を見ると、もう少しで訓練の時間になる。

「雨情!」
「うわっ!なんでこんなとこにおるてバレた?!」

 部屋に居なかった雨情は館の屋根の上にいた。太陽の位置的に丁度日陰になり、ただ青空しか見えない場所。

「え?ここはアンズと遊んでた時に見つけた私のお気に入りの場所だし、雨情も好きそうだなーって思ってたから」
「お、おお」
「あ、でも、他の人には言わないでね。多分怒られる」

 そう言いながら、雨情に回復魔法をかける。この程度なら、アンズの魔力が流れてくる私でも容易い。

「さっきはごめんね。ちょっとパニックになっちゃって、手当できなかった」
「つか、切り替え早すぎひん?」
「あー、これ加護の抑制のせいらしいよ。抑制が取れて素の私になるのは、アッシャーの油断のスキルの影響受けてる時だけだから、それ以外は割と冷静」
「そう、なんか」
「後は寝込んでた直後みたいに、魔力が無くて加護が発動してない時ぐらいかな」

 雨情は何かしら強いショックを受けた様で、返答ができないでいるっぽい。でも、こちらはあまり時間が無く、待ってもいられない。

「雨情を見込んでお願いがあるの」

 中途半端に巻き込むと、また酷い迷惑をかける。それなら、この方がマシ。

「アッシャーが怨嗟を発露してるから調べて!」
「はぁ?!」

 雨情は屋根から落ちかけて、私は慌てて引き上げた。

 引き上げながら、アッシャーの思い人の仮面の娘が私である事はもちろん、アッシャーが怨嗟を受けている事など、私の知ってる事は全て雨情に話した。

「でね、魔王征伐も含めて、雨情、巻き込まれて!」
「……俺はかまへんで。元々そう言う話したん俺やし。けど、お貴族様的にはあかんのとちゃうん?平民が勝手に魔王討伐チームに入るんって」
「それは無いと思う」
「なんでや?」
「リオネット様が雨情の義眼を凝って作ってる。巻き込むつもり満々だよ、あの人絶対。スキャンって魔力関係でしょ?」
「スキルや魔力測定できるな。録画もできる。あー、あの人そのデータ狙いか。優しいっぽい顔してるけど、裏あるとは思ってたんよなー」
「こんなの頼める友達、雨情しかいないの!お願い」
「……任しとき。俺は天才やで?」

 やはり少し困って様に眉毛は下がっていたが、雨情はいつもの八重歯を見せる笑顔で快諾してくれた。

 私とアッシャーの訓練の様子を、雨情には魔力のデータ方面で録画してもらう。普通の映像は、盗撮魔本人が撮っている筈。付き合わせれば分かる事は多い。
 もしアッシャーが、私をコントロールしたいなら、油断をし掛けてきた上で色香を使う可能性もある。精神的侵食を狙ってるなら、とりあえず油断は必須だ。
 取り込まれてはいけない。アッシャーが油断を作戦として使っている可能性がある事を頭に入れて、いざ!

 ………………。あれ?

 びっくりするほど普通に訓練は終わった。特に何も無い。普通。いつもの、ごく普通のトレーニング。

「おつかれ、じゃ、次アンズな」
「やだやだやだー。たすけてぇ」

 続いて子狐型のアンズが引きずられながら、訓練場に連れて行かれた。

「今って、中どうなってる?」
「えっと、ほな、これで」

 雨情が中の様子を壁に映し出した。投影もできる義眼って最早、目じゃ無い。

 中では少年がアッシャーにビシビシしごかれている。とは言え、それも私が試合前に受けていた訓練と似たり寄ったり。

「あれ、カリンの使令やんな。人型にもなれるん?」
「その訓練を受けるために、切り離されてたんだよ。未だにアンズの人型見せてもらってないんだけど、クタクタだからなんだと思う」

『おうちかえるぅうぅ』
『家はここだぞ、諦めろ』

 雨情の義眼は音も拾えてるらしい。無茶苦茶だ。

「……、カリンのさっきのデータ、俺からリオネット様に見せてええか?ちょっと、俺の方で調べてみたいんやけど」
「調べてもらえるなら助かるよ、調査能力は雨情の方が上だから」

 魔石ハンターに必要な能力のうち、実地調査と情報収集の能力は私はほぼ学んでいなかった。時間も少なく、一人でやる予定も無かったため後回しにしたからだ。
 アシェリーさんは魔石ハンターの登録をしていたが、主にそちらをメインにした仕事をしていると、酒場で何度目かに会った時に聞いていた。だから、その師匠である雨情の方が調査能力が高いのはお墨付き。

「撮ってる間、なるべく普通にアッサム様には接して欲しい。俺の予想やと怨嗟とは違うんやけど、万一怨嗟でもカリンがピンチにならん様に見張っといてやるし」
「ありがとう、助かるよ。雨情のために私が出来る事あったら、何でも言ってね」
「……せやな、考えとく」

 雨情はこちらを見ずに私の頭をぐしゃぐしゃと撫でた。
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