上 下
20 / 63

20

しおりを挟む
 怨嗟の広がっている範囲は1キロ程だ。サンダーランド領、特にこの領の都は恐ろしく訓練が行き届いているため、魔力が一定以上あり、怨嗟耐性を持つ強い自我を保っている者は自主避難している。そして怨嗟を範囲を取り囲む様に聖職者達が白魔法で浄化しているが……

「流石に多すぎねぇか?」

 いつもの人口密度を考えても、予想より発露している者が多すぎる。耐性のある衛兵は白魔道士の近くで防御しか出来ず、積極的に発露した者の意識を失わせる程の手が足りない。この街には黒魔道士は少なく配置されているから、そちらもあまり期待できない。

「これは……」

 ようやく城主のナルニッサと使令の索冥が現れた。直ぐに陣形通り背中合わせで三点に位置を取る。
 ナルニッサはその特殊な血筋から、人型を取れる程の使令を持っているので、こういう時は流石に羨ましく思う。

「おせぇよ」
「すまない」

 手刀で怨嗟に罹った民の意識を落としていきながら、リオンはまだかと少し焦った。この場所に自領で開発した魔具を用いた浄化装置が今日届く手筈になっていた。浄化と銘打ってるが、その装置を中心に怨嗟が起きるのを弾く装置だ。他都市にはすでに配置されており、弾かれた怨嗟は確かにここに集まりやすくはなっていたが、リオンの計算ではまだ起きない、もしくは起きても小規模だとは言っていた。

「これも計算内か?」
「恐らくな」

 民衆から一旦距離を取って、ナルニッサと背中同士が触れ、その距離でナルニッサが聞いてくる。知らねえよ、と返すより気持ち的にはナルニッサの読みの方が正しく思える。
 索冥は民の足を掬うように風を操っている。そこに突撃する者の襟首を掴みながら、リオンの考えを読み解く。

 『今回の実験が上手くいけば、怨嗟が王都の貴族街で発生するように配置しましょうか』

 リオンは嬉しそうに地形と装置の配置を考えていた。
 貴族街はお抱え白魔道士がいるだけでなく、諸侯も魔力は平民より高い。王都の兵や白魔道士も期待できる上、最悪女王陛下の力で浄化も出来る。辺鄙な街で騒動が起きるより、ずっと民のためにはなる。

 もちろん、サンダーランド以外の諸侯や女王陛下には浄化装置としてしか知らせておらず、怨嗟がどこかに集まる事になるのかは漏らしてはいない。そんな状況なら尚更リオンが集まった怨嗟の発露を見たいと思う方が自然だろう。
 そもそも、実験とか口にしていたしな。

 来るとしたら上空からか?まぁ、ゆっくりと見渡す時間はねぇし、どうせ……

「お待たせしました。なかなか壮観ですね」

 折り重なるように倒れて積み重なってる民。それを踏みつけるようにしながら怨嗟で自我を失い襲ってくる民達、どう見ても地獄だろうが。

「どうかしましたか?こちらの装置があれば一度発露した者も範囲内では再度発露する事はないので、手遅れだと非難される程では無いかと思ったのですが?」

 って初めから遅れてこの惨状を見る気まんまんじゃねーか。

「……とりあえず、カリンを連れてこなかったのは正解だ」

 カリンには耐性が色々付いているはずだが、今の状態は流血ごとでは無い。リオンが飄々としているのがその証左で、加護が働かない可能性がある。そうなると彼女は病むかもしれない。どんなにしたたかだと思っていても、ナルニッサやリオンや女王陛下の様な特殊な人間以外は、いつ心が侵されても不思議では無い。
 浄化魔法を使うための場所をナルニッサと作る。ずっと無表情で淡々とこなしていたナルニッサは、何故か切なげな悲しげな表情になっている?

「いえ、連れて来ましたよ」
「はぁ?」

 どこだ?と見回す前に、足下の異変に気がついた。見渡す民達よりずっと外側から水が流れ込んできて、10センチほど水没し始めていた。
 しかしそれは、俺やナルニッサやリオンの半径1メートルまでしか来なかった。しかも、地形関係なしに所々水没していない穴もある。なんらかの黒魔法である事は明白だった。

「これは?」

 呟くナルニッサは目を見開いた。こいつがここまで興味のある顔をするのは、俺が初めて剣で打ちまかした時と己の姿を鏡で見てる時位なのに。

 ピシッという音がして、一気にその水が凍った。靴ごと凍った者が多く、そうでないものも次々と転ぶ。氷は自然に凍った時のように滑らかで、表面は少し濡れたままだった。この上を滑らずに歩こうと思えば魔法を使うしか無い。怨嗟にやられたレベルの民達には回避不可能だ。

「リオネット様!ご準備は?」
「カリンに、アンズ?!」

 アンズに乗ったカリンが凄い速さでこちらに飛んできた。凄い速さで。

「ええ、時間を稼いでくれたおかげで浄化を始められます」

 興味深げに民達を観察していたリオンは、深刻な表情に切り替わる。いや、時間稼ぎは不要だろう。リオンの浄化はほぼ無詠唱並のスピードなんだから。

「リオネット様、ご気分は大丈夫なんですか?こんな人が倒れている様な」

 そこかしこの惨状を空中から見ていたせいか、彼女は少なからずショックは受けている様だ。けれど、それより目の前のリオンに全く不要な心配をしている。

「ええ。ありがたい事に血は流れていない。すぐに全力で救って差し上げられる。アッサム達のおかげです」

 うぉい。

「……それに、カリンのおかげですね。流石カリン」
「いいえ!そんな!リオネット様の指示が的確だったので!ところで、アッサム様も顔色悪そうですが、お怪我を?」

 心なしか儚げに微笑むリオンの演技力に反応すらできん。

「いや、なんでもねぇよ。ちなみにリオンの指示とやらを聞いてもいいか?」
「?あ、はい。まず怨嗟の範囲をぐるっとアンズに乗って確認して、白魔道士達を巻き込まない様に水で満たして凍らせる。隙間を開けて膨張しても滑らかにするのと、表面は濡らす事。これで動きは止められる。その5分の時間で付近の浄化の準備をされるって聞きました」

 それは、わざわざカリンの印象をこの街の者に印象づけるためとしか思えない。何故だ?しかも、圧倒的な黒魔術の力を見せつける事になる。最近この街では珍しく英雄譚、それもカリンの物が流行っていたが、あれも関係あるのか?

「あの?」
「あー、大丈夫だ。リオン、頼む」

 言うまでもなく、神々しい光にリオンは包まれた。美しさすら感じる光景は、神か救世主の様な清廉さを感じる。

 光は全体に広がり、それはすぐに収束した。そして、リオンは手早く事前に開けておいた石畳の下に浄化装置を設置し、保護魔法をかけた。これで、理論上、発露した者も再びかかる事はほとんどなくなる。
 民達の目に光が灯り、怨嗟が抜けきったことが分かった。己のしでかした事を覚えている者もいるらしく、ガタガタと震えている。

「流石に寒いよ、ね」

 カリンは片手で水を全て消し去り、温風で柔らかく民達をそれぞれに温めた。全員を一度に、だ。その行為がどれだけ凄いかを理解はしていないが、リオンは満足そうに頷いている。

 何が目的だ?

 民達は少しざわつきながら、集まってきた。兵士や白魔道士達も驚きの顔で集まってきて……。

「っ我が主人あるじ様!」

 完全に存在を忘れてたナルニッサがハラハラと涙を流しながら、カリンに叩頭した。

 え?

「卑しくもこの下僕は、主人の力を見誤り、畏れ多くも城にお控え遊ばす様進言申し上げました。この無礼、なんとお詫びすれば良いのかっ!」

 は?

「えっと、詫びたいならまず立ってくれる?泣かない泣かない。気にしてない。と言うか、この作戦をリオネット様に教えてもらわなきゃナルさんの予想通りだったと思うよ」

 ナルさん?

 敬愛の念の塊みたいな視線でナルニッサはカリン手を取り、膝をついた。

「我が君は、本当に美しい。眼福で私は天にも昇る心地です」

 状態を飲み込んで、そのまま卒倒しそうになった。

「ナルニッサ、まさか、お前の言ってたあの、主人の選定って……」
「いかにも、我が主人はカリン様に定まった」

 まじか。まじなのか。どんな訳でそうなった?試合の時は……、まだ初対面だったはずだ。
 というか、カリンが女だってこいつ知ってるのか?知ってて選んだのか?100年前のあれをなぞるつもりでも無けりゃ、避けるよな?

 おいおいおい。

 ちょっと待て。なら、カリンに似たあのお姫様を連れ出したのは、カリンに似てたからか?魔力が低く軟禁されてた深窓の風変わりな姫だったから、匿ったとか?

 つまり……と考えて、ピシッと痛みが走った。頭痛がして、これ以上の思考は諦めた。

 
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

愛することをやめたら、怒る必要もなくなりました。今さら私を愛する振りなんて、していただかなくても大丈夫です。

石河 翠
恋愛
貴族令嬢でありながら、家族に虐げられて育ったアイビー。彼女は社交界でも人気者の恋多き侯爵エリックに望まれて、彼の妻となった。 ひとなみに愛される生活を夢見たものの、彼が欲していたのは、夫に従順で、家の中を取り仕切る女主人のみ。先妻の子どもと仲良くできない彼女をエリックは疎み、なじる。 それでもエリックを愛し、結婚生活にしがみついていたアイビーだが、彼の子どもに言われたたった一言で心が折れてしまう。ところが、愛することを止めてしまえばその生活は以前よりも穏やかで心地いいものになっていて……。 愛することをやめた途端に愛を囁くようになったヒーローと、その愛をやんわりと拒むヒロインのお話。 この作品は他サイトにも投稿しております。 扉絵は、写真ACよりチョコラテさまの作品(写真ID 179331)をお借りしております。

【完結】どうやら時戻りをしました。

まるねこ
恋愛
ウルダード伯爵家は借金地獄に陥り、借金返済のため泣く泣く嫁いだ先は王家の闇を担う家。 辛い日々に耐えきれずモアは自らの命を断つ。 時戻りをした彼女は同じ轍を踏まないと心に誓う。 ※前半激重です。ご注意下さい Copyright©︎2023-まるねこ

異世界で狼に捕まりました。〜シングルマザーになったけど、子供たちが可愛いので幸せです〜

雪成
恋愛
そういえば、昔から男運が悪かった。 モラハラ彼氏から精神的に痛めつけられて、ちょっとだけ現実逃避したかっただけなんだ。現実逃避……のはずなのに、気付けばそこは獣人ありのファンタジーな異世界。 よくわからないけどモラハラ男からの解放万歳!むしろ戻るもんかと新たな世界で生き直すことを決めた私は、美形の狼獣人と恋に落ちた。 ーーなのに、信じていた相手の男が消えた‼︎ 身元も仕事も全部嘘⁉︎ しかもちょっと待って、私、彼の子を妊娠したかもしれない……。 まさか異世界転移した先で、また男で痛い目を見るとは思わなかった。 ※不快に思う描写があるかもしれませんので、閲覧は自己責任でお願いします。 ※『小説家になろう』にも掲載しています。

いずれ最強の錬金術師?

小狐丸
ファンタジー
 テンプレのごとく勇者召喚に巻き込まれたアラフォーサラリーマン入間 巧。何の因果か、女神様に勇者とは別口で異世界へと送られる事になる。  女神様の過保護なサポートで若返り、外見も日本人とはかけ離れたイケメンとなって異世界へと降り立つ。  けれど男の希望は生産職を営みながらのスローライフ。それを許さない女神特性の身体と能力。  はたして巧は異世界で平穏な生活を送れるのか。 **************  本編終了しました。  只今、暇つぶしに蛇足をツラツラ書き殴っています。  お暇でしたらどうぞ。  書籍版一巻〜七巻発売中です。  コミック版一巻〜二巻発売中です。  よろしくお願いします。 **************

死にかけ令嬢は二度と戻らない

水空 葵
恋愛
使用人未満の扱いに、日々の暴力。 食事すら満足に口に出来ない毎日を送っていた伯爵令嬢のエリシアは、ついに腕も動かせないほどに衰弱していた。 味方になっていた侍女は全員クビになり、すぐに助けてくれる人はいない状況。 それでもエリシアは諦めなくて、ついに助けを知らせる声が響いた。 けれど、虐めの発覚を恐れた義母によって川に捨てられ、意識を失ってしまうエリシア。 次に目を覚ました時、そこはふかふかのベッドの上で……。 一度は死にかけた令嬢が、家族との縁を切って幸せになるお話。 ※他サイト様でも連載しています

せっかく転生したのにモブにすらなれない……はずが溺愛ルートなんて信じられません

嘉月
恋愛
隣国の貴族令嬢である主人公は交換留学生としてやってきた学園でイケメン達と恋に落ちていく。 人気の乙女ゲーム「秘密のエルドラド」のメイン攻略キャラは王立学園の生徒会長にして王弟、氷の殿下こと、クライブ・フォン・ガウンデール。 転生したのはそのゲームの世界なのに……私はモブですらないらしい。 せめて学園の生徒1くらいにはなりたかったけど、どうしようもないので地に足つけてしっかり生きていくつもりです。 少しだけ改題しました。ご迷惑をお掛けしますがよろしくお願いします。

神の子扱いされている優しい義兄に気を遣ってたら、なんか執着されていました

下菊みこと
恋愛
突然通り魔に殺されたと思ったら望んでもないのに記憶を持ったまま転生してしまう主人公。転生したは良いが見目が怪しいと実親に捨てられて、代わりにその怪しい見た目から宗教の教徒を名乗る人たちに拾ってもらう。 そこには自分と同い年で、神の子と崇められる兄がいた。 自分ははっきりと神の子なんかじゃないと拒否したので助かったが、兄は大人たちの期待に応えようと頑張っている。 そんな兄に気を遣っていたら、いつのまにやらかなり溺愛、執着されていたお話。 小説家になろう様でも投稿しています。 勝手ながら、タイトルとあらすじなんか違うなと思ってちょっと変えました。

【完結】試される愛の果て

野村にれ
恋愛
一つの爵位の差も大きいとされるデュラート王国。 スノー・レリリス伯爵令嬢は、恵まれた家庭環境とは言えず、 8歳の頃から家族と離れて、祖父母と暮らしていた。 8年後、学園に入学しなくてはならず、生家に戻ることになった。 その後、思いがけない相手から婚約を申し込まれることになるが、 それは喜ぶべき縁談ではなかった。 断ることなったはずが、相手と関わることによって、 知りたくもない思惑が明らかになっていく。

処理中です...