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132 セレスの記憶

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「day and night,day and day.どっちでもいいね。」
「何の話だ。」
「会社の名前!『会社』って言う一般名詞の社名は辞めましょう。一日中、毎日毎日研究ばっかやってる君にぴったり『day an』なんて如何かな?ついでに君の仮名もここから取っちゃう?名前呼んじゃダメって、結構不便だし。」
「つまり、邪魔をしに来たわけだな。」

研究室の端に専用のソファを勝手に置いて、下僕は主人であるはずの自分より寛いでいた。

「だってみんな会社の営業に出ちゃってて暇なんだもん。何かお仕事くださいな、ご主人様。」

アキホとの付き合いは長い。この世界は何度も繰り返されていて、毎回記憶が抜き去られる。しかしここ数回は慣れたもので記憶のコピーを保存していた。後は自分の行動パターンを予測してダウンロードできるようにしている。アキホは記録が紙ベースだった時から何度も行動を共にしているビジネスパートナーだった。
もっとも、彼女自身にその記憶は無い。

何度やり直しても彼女をパートナーに据えるのには、それなりに理由がある。彼女から聞く彼女が来た世界は興味深く、何度話を聞いても新鮮な発見がある。聖女月子も興味深い観察対象だが、面白みという点ではアキホの方が手放しがたいものがあった。論理的で冷めているように見えて、仲間思いで道徳心に厚い。常は表情が乏しいがコツを掴めば何を考えているか手に取るように分かるほど感情が豊かだ。

聖女の国へと行くための捨て駒として拾ったつもりだったが、余りにも弱い存在であるはずの彼女に気づけば使われている。最悪なことに、それを悪くないと思う自分がいる。

しかしいい加減この無限ループには飽きた。今回こそは異世界に行く方法を探すつもりだ。ゲーム終了の条件も揃いつつある。

今回、アキホには魔人と聖人を一人ずつ使令に与えている。彼女は人権なるくだらなものに拘る節があり、過去に拒否されてそのまま死なせた事があった。だから今回は騙し討ちの形で契約させた。魔法を使えるようになる事は彼女を守る事で必須だ。未だに気がついていないようで、その辺りは記憶が無いことも悪いばかりでは無いと思う。

「おい、今度は何をしている?」
「あんまり暇だから写生。」

この所のアキホは暇があれば絵を描いていた。なんでも絵が上手くなるとフラッシュカードという記憶法のスキルが上がるとか言っていた。それは幼子に施すものらしいが、だからと言って子供が欲しいという願望がある訳ではないらしい。単純に昔を思い出したり、頭の整理に役立たせているのだそうだ。

アキホの絵はだんだんと上達している。けれど、それを見るのは居心地が悪い。アキホは俺を被写体に絵を描いた。

色素の薄い体。髪も白い。けれど目だけが墨よりも深い黒という自分のビジュアルは他人に嫌悪感を催させるものだったと記憶している。顔の造形が整っているからこそ恐ろしいのよ、と嫌悪感を隠さずに言ったのは実母だったはずだ。闇の国の研究所では見た目に拘る阿呆は少なく、あちらを出てからは人との関わりを減らして生きていた。けれど、アキホは違った。毎回初めて会うときは、まるで宝物を見つけたようなポカンとした顔をする。アキホにとってこの容姿はかなり美しく好ましいものだそうだ。
「うむ、我ながら上手くなったわ。」

出来上がると頼んでいなくても見せられる。少々うんざりしながら見ると、優しい眼差しの男が描かれていた。

「これは誰だ?色合いは俺と言えなくもないが。」
「君の絵に決まってるでしょ。ここで描いたんだから。」
「俺の目はこんなに柔ではない。」
「それは、君が鏡を見るときに思いっきり眉間に皺を寄せるからでしょ。私と話してる時はいつもこんな感じだよ。」

のほほんとその絵を渡されて扱いに困った。こんなもの、アキホと話している時にこんな表情をしているなんて事をナツ達に知られるわけにはいかない。けれども捨てるわけにもいかなかった。



研究は順調に進み、いつしか保存していない記憶すら思い出させる薬を作ることに成功した。今回で無限ループを終わらせるなら、不要かもしれないが自らに試す。自分が一時期聖女に懸想していたという笑えない冗談以外は概ね予想通りであった。

これを、アキホが飲めばどのように思うだろうか。自分との思い出は取り止めのないものも多いが、親密さは増すだろうか。
馬鹿馬鹿しい。上手く行っている時に試すものではないと机に放置した。





「ハルとフユが捕まった。ナツは逃げてるけど捕まるのは時間の問題かも知れないって。」

アキホが下僕達からの報告を俺に伝えた。
会社の製品のデモンストレーションのためにフユは自分の使令を使って客を襲わせ、失敗したらしい。ナツはその計画に協力するといっていたが、ハルはそれを止めたがっていたはずだ。自分は知っていたが、アキホには伝えていない。恐らく止めたい側のハルすらアキホには報告していないだろう。この手の事はアキホが忌むことだ。アキホを守り、彼女の願い叶えるのが下僕達の仕事だ。その手段は時として主人の意に沿わない。

ハル、つまりキュラスは光の国の上に立つ者だ。短期間の契約でアキホに忠誠を誓ったが、彼女は自分の下僕に自由意志での行動を許している。だからこそ、ハルは非道を見逃せなかったのだろう。

「君は彼らの行動、気が付いてたの?」
「ああ。」
「そんなら、教えてよね。」

そうは言いつつもアキホには自分が自由を許した結果だという自覚がありそうだった。真剣な顔でこの先を読もうと思案している。その彼女に記憶の薬を見せた。

「過去に、似た例があるかもしれない。試すか?」

彼女の過去の全てを知っているわけではない。ヒントは確かにあったのかもしれない。しかし彼女がそれを飲むのを、俺は止めるべきだった。

飲んだ直後、彼女の顔色は真白くなった。己で試したが、副作用はない筈だ。

「アキホ?」
「……ごめん、しばらく一人にして?」

いつになく静かな語調の彼女に従い、一度台所に行く。思った以上に重い過去だったのだろうか。
ハル達は処刑はされまい。奴らは光の国で確固たる地位を持っていて、更に耳朶にはあがらえない忠誠の証がある。誰かに操られていた、と判じられる算段が高い。
姿をくらますか。その間に奴らの耳朶の証さえ消す方法が見つかれば何とでもなる。
気持ちを落ち着かせる茶を淹れて部屋に戻ると、消えて無くなりそうだった先程と違い、彼女は強い意志を持った目で真っ直ぐに前を見つめていた。

「話が、あるの。」

静かに話し始めた彼女は冷静に、この世界のことについて話し始めた。驚きはあったが、やはりと思うこともあった。繰り返すたびに異なる動きをするの彼女は、明らかに特別だったからだ。

この世界に生じる歪みは全てアキホを攻撃するようになっている。そう説明してから、「起きた全てを語れるほど私は強くないし、もう一度経験する勇気も無い。」と彼女は言った。

そう言った時に微かに彼女は笑った。自嘲かと思ったが、違う。何故か安堵している笑みだ。

「もしかしたら、月子ちゃん達のレベルが足りないかもしれない。でも、代わりに君が強くなってくれた。だから、きっと今回でこのゲームは終わりなんだよ。」
「で、今の状況の解決策は見つかったのか。」
「うん。」

アキホが自身の手に力を集めた。

「ねぇ、セレス。今まで、ずっと、ずっとありがとう。」

充分な力を集めた手は彼女の胸に当てられて、思考が追いつく間も無くそこに小さな空洞が開いた。

反射的に止血と再生の魔法を錬成する。抜け行く魂を全霊でそこに留めさせる。けれど、これは間違いなく必死だ。

「セレス……私もう、みんなの前で処刑されたく……無かったの。ごめんね。研究室、汚しちゃって。彼らの耳朶を確認すれば、私が死んだって、もう操られてないって分かる……はずだ、から、大丈夫。」

彼女の声は分かるが、内容を理解することを脳が拒否する。あらゆる知っている魔法の錬成構築で口が塞がれて、返事すら出来ない。

「約束……だよ。セレス。月子ちゃんを守って。月子ちゃんを守ってくれたら、……このゲームは終わる。私もうあんな目に遭わなくて……済む。君ならきっと、外の世界へ行ける、から。」

「アキホ、ダメだ。逝くな。」

死にゆく魂を留めるため手は尽くして、魂は、魂だけはここに留めておくことに成功した。

「やだな。私死ぬのは、……慣れっこだよ。知ってるでしょ?」
「ダメだ。次が無い。逝かせたくない。」

アキホの手が自分の耳朶のあった辺りに伸びる。

「…痛かったね。寂しかったね。でも、大団円、成功した、ら、もう、独り、じゃ、な…」

口をパクパクとさせる彼女の顔が苦痛に歪む。無理に魂を留めておくこと、それは身体的な苦痛からも逃れられない。身体機能はもう戻らない。意思疎通もできずに拷問を与えたまま留めておくことになってしまう。

『セレス。お願い。』

と閉じることもできなくなった瞳が訴えていた。

「こんな事がしたかった、訳じゃないっ。」

自らの手に再び力を込めて、彼女の魂を優しく刈り取った。
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