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112 サタナの罪
しおりを挟む「それで、Dが二人きりにさせようと思うような話って何?」
彼女の問い方はいつも優しい。涼しげなその目元は柔らかくなり、かと言って笑む訳でもないから真剣味は消えない。声もゆったりとしていて安心感があり、問い詰めたり、茶化したりは絶対にしない。自分が子供であった時に、このような聞き方をして貰えていれば、もう少しマシな大人になれたかもれない、と思う。
それでも、自分が今から話すことを聞けば、彼女の顔に侮蔑の色が浮かぶ事は想像に難くない。怖がられるか、落胆されるか、そうでなくても心証が悪くなるのは確実だ。
自分が彼女に嫌われるのと、彼女の仕事が成功する事。例えその笑顔がこちらを向いていなくとも、彼女の顔が曇らない事の方が大事に思える自分は滑稽に思える。けれど、
不思議そうに、俺の答えを静かに彼女は待っている。
彼女の前では余裕のある大人の男でいたかった。いつからこんなに不器用になったのか、そう自問しながら彼女から視線を逸らした。
「俺な、魔人飼うとるねん。使令、四人。」
「魔人を、飼う?それは、魔人を使令にしているってこと、ですか?」
「ああ。」
忠誠を誓わせるより強い隷属の契約。人の尊厳を叩き潰すに等しい行為。しかも、自分は彼女のように自由を許したりしていない。
元より彼女と彼女の使令との契約も通常と異なる事情がある。だからか、彼女にも使令本人にも下僕であるという意識はないように思える。
「それって、もしかしてボツワの祠で馬の見張りしたりしてました?あと、初めて荒地で私を保護してくださった時とか。」
「せや、やっぱり見とったんか。」
「すみません。」
「いや。見てたんなら早い。…、見た目、人やなかったやろ。せやけど、命じれば人型に戻れる。制限きつくしとるから、絶対裏切ることはあらへん。」
そうですか、と答えて彼女は目を伏せた。ただ、何か考えているようにも、哀しんでいるようにも見えた。
「えいこサンがそういうん好きやないのは分かっとんねんけど、あいつら使わへんかってもあいつらが俺の使令やゆうんは変わらへん。使こても使わんでも境遇は変わらへんねん。あいつら使こてええんやったら、俺やフユが修行する時間とれる。正直、もうちょい強なりたい。」
置いていかれるほど弱かった事実より、弱いから置いていかれた事の方がショックだった。これではまるで子供のようだ。
「そうですか。ではそのようにお願いします。」
ほぼ即答されて、自分が逆に困惑した。彼女を見やると、特段何か憂いているようでも無かった。
「ですけど、やっぱり私がお願いする立場なので、その方々の事は知りたいと思います。触りがなければ、ですけど。」
彼女が、そっと手に触れて手が開かされた。彼女が暖かくて、自分の手が冷えていて、手のひらにかすかに血が滲んでいることに気がついた。
「爪はちゃんと切らなきゃですね。」
固く握っていた手が緩められて、ほんの少し力が抜けた。そして、使令の名前や境遇を話す。あいつらは自分の暗殺対象だったから、生まれた時から使令にした瞬間まで細部にまで調べてあったし、忘れた事などなかった。
彼女は時々質問を挟んで、結構長く彼らの話をした。話す度に、それらの人生を刈り取ったという実感が蘇る。けれど、手に力が入る度に手を開かされて、その度に深呼吸をしながら続けた。
決して彼らは悪辣な魔人ではなかった。悪事は働いているが、それとて運が悪かったとしか思っていない。自分と彼らの違い、それはモートン様やひー様に出会ったかどうかでしか無い。それは善や悪というものでは無くて、ただ立場が違っただけ。悪事という点では、人の道に悖っている自分の方が遥かに悪人だ。
正義かどうか、善か悪か、そんな事を考えて仕事をした事は無い。初めて人を殺めた時から、自分自身にさえ言い訳をした事はない。殺す事に理由を探して、仕方なくやっているという逃げより、自分が汚らわしい存在でいることを認める方が仕事はやりやすかった。
時折感じる暗澹たる気持ちだけが、辛うじてまだまともな部分がある事を教えてくれていた。それで良かった。
良かったはず、なのに。
一通り、彼らの人となりを話した。けれど、彼女は黙ったままだ。彼女は俺の良心を無言で責めているのか。
触りがなければ、と言われながらも、俺がそれを話す事で罰を受けている気がした。自分で話す事を決断したのに、彼女の白さに、罪が俺を苛む。
「これで、ええか?」
「まだです。まだ、何故暗殺対象だった彼らを殺さずに使令にしたかを聞いていません。」
「あかんわ。それは言えへん。言い訳になる。」
殺さなかったのは殺したく無かったから。そうなのだけれど、それは言えない。その響きは自分のした事を正当化しようとしてしまう。
不意に下を向いていた自分の顔がを暖かい手が挟んで、顔を上げさせられた。
「言い訳でいいです。聞きたいです。」
正面にある彼女の目が潤んでいた。
「えいこサン…?」
何故その瞳は俺を責めていない?
彼らを不憫に思って泣くとか、俺の行為に嫌悪を感じて泣くなら、分かる。それ以外はダメだ。泣かせたくない。嫌われてもいい。けれど、何故俺を見て泣く?
「だって、サタナさんっ、そんな辛そうな顔でっ。」
彼女の頰に涙が一雫つたって、ああ綺麗だなと目が追った。地面に落ちるところまで追って、自分も突然涙が溢れた。
「悪い。俺、今なんかおかしい…」
「おかしくないです。こんなに自分で自分を追い詰める人知らない。どうか、話してください。」
席を外そうとしたけれど抱きしめられてしまい、それは叶わなかった。
「俺は泣く資格なんて無い。言い訳なんて…」
彼女の手にぎゅっと力が込められて、自分の中で留めていたものが、ぷつりという音がして溢れた。
目の前に過去の出来事が蘇る。
「…殺したく…無かった。いや、誰一人殺したい奴なんて、本当は居なかった。」
明らかな凶悪犯は暗殺対象ではない。ヒーローが粛清してこそだ。だから、俺の獲物はあえて暗殺にしなければなら無い程度の相手。消えてくれるとインパクトは大きいが、彼らの罪は必ずしも大きくはない。ひー様と出会うまでは問題はなかった。けれど出会ってしまった。愛という感情を知り、死を理解した。そして、一旦死の意味を理解してしまうと殺す行為は役割以外の意味を自分に突きつけた。
以降の暗殺対象のほとんどは、違う方法で舞台から退場してもらい、モートン様の下僕の役割を全うした。それでも、時勢を見れば死以外の方法が彼ら四人には無かった。
「だけど、必要な事だとは分かっていた。だから、」
相手を調べ上げ、最も苦痛の無い眠りを与えようとした。
「あいつらには、俺なんかより死にたくない理由があったっ。」
幼い子供、愛する伴侶。彼ら四人は、自分なんかよりよっぽど立派な生きる意味を持っていた。
死を覚悟した彼らはそれでも死にたくないと願った。どんな姿でも、愛する相手を見守りたいと懇願した。
「だから、サタナさんは願いを叶えてあげたんですね?」
「違う。エゴだ。使令になんてなったって、俺が死ぬまで、名乗り出る事すら出来ない。知らないだろう?!人を使令にするには、殺してくれと願う以上に相手を痛めつけて、精神的に完全に挫く必要がある!拷問だぞ?!なのに、あんな目に合わせておいて、俺はあいつらを家族に合わせてやる事すら許可してやれないっ!」
八つ当たりだ。そう自覚はあるけれど、止まらない。
「それでも、殺したく無かったのでしょう?」
「殺せなかった。殺してやった方が、あいつらもまだマシだった。…自殺は使令を道連れにする。だから、俺は戦いで散らなければならないのに。あいつらの家族が穏やかに暮らせるように世界を導くサンサ様やモートン様に従えば従うほど俺は強くなってしまった。今も強くなろうとしている。あいつらを家族には返せない。最低だ。」
彼らの家族は未だ息災だ。息災であるように、している。
「世界が終わるにしても分かたれるにしても、それまでに解放してやりたいのにっ…。」
自分が二度と手に入れられないと思っていた想いを彼らは持っていた。そんな彼らを解放する日のために、手は尽くしていた。彼らが解放されても、もうモートン様等にとって邪魔にはならない。後は仕事を全うして、散るだけだったのに。
予定外に再び手に入れてしまった想いは、更に自分の非道をあらわにして、なのに彼女の役に立ちたくて。
「大丈夫です。全て解決しますから。」
ゆっくりとした彼女の声は、先程気持ちを高ぶらせていた時と違い、とても落ち着いていた。
体が離れてなお残る熱量と香り。それから強い意志の灯る目と、なぜか少し悲しげな表情に、俺は言葉を失った。
「…あなたが、そんな優しい人だった事を忘れていてごめんなさい。けれど、あなたのその願いは叶います。叶えます。」
彼女が何を言おうとしているかの検討はつかない。ただ、その声が頭の中に響いていく。
「私は聖女が世界を救う準備のためだけに、ここに来ました。彼女は破壊神をこの世界の神に変えることができます。その時、サタナさんは彼女と共に戦うのです。大地くんやカナトや皆んなと一緒に。生まれたばかりの世界の神は、その時の恩人等に祝福を与える、とされています。一つだけ。たった一つだけ、それぞれの願いが叶います。新しく生まれる、平和な世界に貴方の使令を解放してあげてください。彼らの愛する人達と一緒に。」
言われた事を数度噛み砕いて、ようやく飲み込んだ。
「なん、や、その言い方やと、えいこサンいいひんようなるみたいやな?」
俺の反応を見て、彼女は困ったように笑った。
「そうなんですよ。私、世界が救えるお膳立てが終わったら、帰されちゃうんです。でも、世界が救われる条件は揃えていきますからご心配無く。」
「あほいいなや。えいこサンおらんかったら、俺ら、そんなんでけへんで。第一、えいこサン消えたら、カナト様は捜索の旅から帰ってこおへん。」
彼女が消えて、呑気に世界なんて救える訳がない。それは自分も同様だ。
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伸ばしそうになる手を自制した。この想いのまま、自分の腕の中に抱きとめて、どこにも行けないように閉じ込めてしまいたい。けれど、万が一傷ついた彼女がそれに応えてしまうことがあれば、俺は神に最低の願いを叶えさせてしまうだろうから。
彼女と一緒に生きていきたい、と。
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