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ハズレ

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「本当に心配性なんだから」

 ゼインを見送り家の中に戻ると、小さな違和感に気が付いた。

 あれ?なんだろう。

 違和感の元凶は、神父を背負ったゼインが出たあとに閉めたはずの扉だった。さっき確かに閉めた筈の扉、それは拾ってきたポチを寝かせている寝室。

 違和感に踏み入れた足を退こうとした次の瞬間、強い力で腕を捕まれ家の中に引きずり込まれた。

「痛っ・・・!?」

 引きずり込まれた勢いそのままに壁に叩きつけるように押さえ込まれる。両手首を頭上高く掴まれ、口を塞がれてしまった。

「騒ぐな、いいな?」

 目の前で自分を壁に張り付けている相手の声に小さく頷く。逃げろとさんざん念を押されていたのに、こうも容易く壁に押さえ込まれてしまっては怒られても仕方ないか。

 口を塞がれたまま溜め息を吐くと目の前の男の顔を確認する。黒い髪も顔色の悪い顔も間違いなく拾ってきた男のものだ。閉じられていてわからなかった瞳が緑翠に輝き鋭くナタリアを睨み付けている。

「おい、普通抵抗か抗議くらいしたらどうだ」

 壁に押さえつけられてから 、僅かに頷きはしたものの口から手を外しても無抵抗で無反応なナタリアに業を煮やしたのか、沈黙に耐えられなくなったのか、先に口を開いたのは男の方だった。

「抵抗か抗議をしたら解放してもらえるの?」

「いや・・・」

「じゃあ無駄じゃない」

 ナタリアは今度は分かりやすく大きな溜め息を吐いてみせる。

「ここはどこだ」

「あたしの家」

「なぜ俺はこんなところに居る?」

「あたしが拾ってきたの」

 ナタリアは家の脇に広がる森に視線を送る。

「森の中で倒れた貴方を見つけたから拾ってきた。怪我をしていたから手当した。他にご質問は?」

「俺の剣を何処に隠した」

「そんなもの落ちてなかったわよ」

 男は思案するようにナタリアから視線を外して黙りこんでしまった。

「他に質問は?・・・ないなら放して、痛い」

 声が震えないよう淡々と聞こえるようにナタリアが声を掛けると少しして手首が自由になった。強く押さえられていたため、手首には紫色に男の指の痕が残っている。

「すまなかった、どうやら助けられたようだ」

 手首を擦りうつむいたナタリアに男が謝罪する。顔を上げると先程までの殺気は陰を潜め、緑翠の瞳が申し訳なさそうに揺れている。

「分かっていただけてよかったわ、あたしはナタリア。名前を聞いても?」

「カイル」

「んじゃカイルさん、神父様から絶対安静って言われてるので寝て下さい」

 打ち付けられた時にほどけて床に落ちた麻縄を拾い上げ、手早く結い直すとナタリアは動かないカイルの手を掴みそのまま部屋へと引っ張る。

「見つけた」

「へ?」

 見つけた?何を?微動だにしないカイルに問い返す前にいきなり背中から抱きすくめられてしまう。張り付けの次は抱擁、あまりの状況変化についていけない。

「ナターシャ」

 ナターシャとはなんのことだ、益々混乱が酷くなる。ナタリアの混乱を知ってか知らずか、カイルは益々腕に力を込めてナタリアを抱き締める。壊れ物でも扱うように優しく、逃がさないとばかりに力強い意志が感じ取れる抱擁。

「ひ、人違いです!と、とにかく放して」

 慣れない抱擁に声が裏返り動揺のあまり声が震える。

「ねぇちゃん!?」

 大きな音を立てて開かれた扉からゼインが家の中に駆け込んできた。

「ねぇちゃんを放しやがれ!変態野郎!」

 すっかり頭に血が上ったゼインは勢いそのままにナタリアを抱き締めたカイルに向かって、見事な飛び蹴りを背中に決める。

「ぎゃ!?」

 ゼインの全体重を掛けた飛び蹴りにバランスを崩したカイルは、器用に捻りを加えて体勢を変えると、ナタリアを抱き締めたまま背中から床に転がった。

カイルの腕に反射的にしがみついてしまうとまるでナタリアがカイルを押し倒した、もとい布団がわりに敷いている様にも見える。
 
 カイルが緩衝材となったおかげでどこも打ち付けることは無かったが、とにかく動悸が凄い。

「ねぇちゃんしがみつく相手間違ってる!」

 カイルの腕から引き離そうとゼインは躍起になってナタリアの腕を引っ張ると、それでも放さないカイルの腹部を勢い良く踏みつける。そこはナタリアたちで手当した一番大きな傷口がある場所だ。

 小さく呻いた声に、ゼインの一撃が確実に効いているのは間違いないだろう。

「あのぅ、お取り込み中にもうしわけないのですがお邪魔しても宜しいでしょうか」

 ゼインが開け放ったままだった扉から中を覗き込んで見知らぬ男が顔を出した。二十代後半、落ち着いた色合いの動きやすさを重視した意匠の服を身に付けている。
 
 一見質素にも見えるが、同系色の糸で施された刺繍はとても緻密で、彼もまたそれなりの身分の者だと分かる。

「あぁ、ロデリック遅かったな」

「えぇ、誰かさんが供も連れずに一人で賊を引き連れて姿を眩まさなければ、私も部下も徹夜で近隣の村や街を駆けずり回る必要すらなかったはずなんですがね。時間外手当はきっちりたっぷり頂きます。よろしいですね殿下」

 でんか・・・でんかってなんだ?耳馴れない単語にナタリアの反応が一瞬遅れる。でんか・・・殿下?!思い当たった敬称、それはこのマーシャル皇国において二人だけに許されたものだ。

 今は亡き正妃が産んだ皇太子と、異母弟の第二皇子。
 
 しかし第二皇子は数年前に国を挙げて盛大に誕生をお祝いした ばかりだ。

 皇帝から国民へ白い布地に新しく産まれた第二皇子の名が縫い付けられた手拭いと、一人銀貨五枚ずつ配られ、その恩恵は国境沿いのこの村にも届けられた。

 銀貨が五枚あればこの村なら無駄に使わなければひと月は暮らせる額。額が額だけに皇帝陛下の喜びの深さが伺えると、届けられた金貨を握りしめた国民はそれぞれが第二皇子の誕生を祝福したものだ。

 まだ幼い第二皇子でなければ、ナタリアが敷布のように乗っている殿下は、マーシャル皇国皇太子と言うことにならないか。

「あのぅ、すいません助けて下さい」

 ナタリアを間に挟んで話し込み始めたロデリックと呼ばれた青年に助けを乞う。

「ところで殿下はいつから変態になったんですかね、全く女っ毛の無かった方がどういった風の吹き回しですか?」

 ロデリックはカイルの腕からナタリアを引き上げてゼインの側へ解放すると、床に転がったカイルの手を掴みそのまま引き起こした。

「隣国との縁談も諸侯の姫君との縁談も即座に断って、もしや皇太子殿下は男色ではとの噂まで流れまくっていることを考えれば、女性に興味を抱いていただけるのであれば変態でも歓迎いたしますが」

「あんたが探してた奴がそいつならさっさと連れて帰ってくれよ」

 ナタリアを背中に庇い、ロデリックの男色発言にすっかり鳥肌を立てたゼインは、カイルを指差してロデリックに催促しながら威嚇を続けている。

「そうだ、ロデリック。なんなら結婚しても良いぞ」

「本当にさっさと結婚・・・していただけるんですか!?」

「あぁ」

「幻聴ではありませんよね?」

「結婚しても良いぞ、ただし相手はナターシャだ。ナターシャ以外の女を娶るつもりはない」

 先程も聞いたナターシャと言う名前にロデリックは渋い顔をして半ば諦め半分に溜め息を吐く。

「レイス王国のナターシャ姫はもう10年以上行方知れずです、兄君のレイス国王陛下と前国王陛下も血眼になって探しておりますし、カイル殿下も今までさんざん探されたではありませんか」

 隣国の王族どころか、自国の皇太子の名前すら入って来ないこの村で飛び交うべきでない会話に頭をもたげた好奇心と、防衛本能がこれ以上聞いてはいけないと警告しているように思うが、好奇心が勝ってしまう。

「探し物が見つかったから結婚しても良いぞ」

 ゼインの後ろからカイルと視線が合うとカイルはにっこりと微笑みを浮かべた。

 柔らかな微笑みに何故か背中に伝う冷や汗がナタリアの不安を煽る。展開からするとナタリアがナターシャだと言うことにならないか。

 カイルの視線を辿ったロデリックはナタリアの側へ近づきまじまじと顔を覗き込んだ。

「お名前をお聞きしてませんでしたね?なんとおっしゃるんですか?」

「ナタリアと言います。人違いです!」

「そうだ!ナタリアねぇちゃんだ!ナターシャだか何だか知らないが人違いなんだからさっさと帰れ!」

 背の高いロデリックを見上げるような格好で全力で人違いを主張する二人にロデリックは更に問いをかさねる。

「ではナタリア様、この村では珍しい髪色と瞳の色合いですね?弟さんともかなり色合いが異なるようですが?」

 ナタリアを必死に庇うゼインに視線を向ける。ゼインの焦げ茶色の髪と茶色の瞳は確かにナタリアが宿す金茶色の髪と青紫の瞳では色が違いすぎる。

 いきなり貴族階級者に様を付けられ名前を呼ばれ、ナタリアは動揺の色を隠せない。

「はい、あたし養女なのでゼインとは血の繋がりはありません、幼い頃に死にかけていた所をゼインの両親に拾って育ててもらったので、産みの両親は知りません」

「それはおいくつの時ですか?」

「はっきりとは判りません、保護してもらった時は自分の名前すら覚えていなかったと聞きました」

 無意識にゼインの肩に置いたてに力が籠る。

「ねぇちゃんはねぇちゃんだ!今さら何処の誰かなんて関係ないし、何処にも嫁になんかやるもんか!うちに引き取られたときからボクが嫁にもらうって決めてんだ!」

 ゼインの嫁になると言う話は、今まで一緒に暮らしてきて初耳だ。

「年の頃は同じ位、外見の色見も似通っていて出身不明。まぁわたしとしては、本物でも偽者でも何でもいいんですがね」

 懸命に他人だと主張したのが、ロデリックの一言ですべて無駄になる。

「本物だ。俺がナターシャをわからないはずないだろう」

 果たしてその自信はどこから来るのかわからないが、もはやめんどくさくなってきた。

「殿下が女性と結婚して下さるならナターシャ様でもナタリア様でも私共は大歓迎いたします」

 人好きするような顔をしてナタリアに差し伸べられたロデリックの右手は乾いた音を立てて勢い良く弾きとばされる。

「くそ!やっぱりはずれじゃん!あのとき捨てとけば良かったんだ!」

 ゼインはナタリアを引っ張ると勢い良く家の外に飛び出した。
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