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第一六章 光をサす陰

光をサす陰(05)

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「葉柴明人、入り給へ」

 1ヶ月と少し前、明人に廻廊窟行きを指示した場所で、天音は幾層も布を重ねた豪勢な和装姿で、明人との再開を待ち望んでいた。
 明人が地獄だったはずの1か月間を生き抜き、無事・・に釈放したと連絡を受けてからも、天音は明人本人に会えてはいなかった。それが祖父による配慮であることも察していた。

 大広間の戸がゆっくりと開かれていく。
 イノチがあって、本当に良かった。

 天音は深呼吸をして、まっすぐ正面を見据えた。


 天音と同じ、絢爛けんらんな和装で身を固める明人――
 伸び切った髪は、遠目でも分かるほどサラサラで、寸分の狂いもなく整った顔立ちは、本当に1ヶ月も地獄にいたのか疑問を思わせる成りであった。

「はっ、死に損ないの登場だ!」

 南剛の父親は煽るように大声を上げた。
 だが、その場のいる多くの植人たちの総意でもあった。

「本当に強くなったのであろうなあ?!」

 南剛の挑発に乗り、明人は鋭い目で張本人を睨み付けた。そして、怒った鼠のように八重歯を剥き、紫色の吐息を漂わせる。
 既に現役を退いていた南剛は、離れた距離にも関わらず、予想以上の気迫で思わず怯んでいた。隣に座る元植人の南剛雁慈がんじも同様であった。

「控えよ葉柴、植人のチカラについてはワシが保証しよう。でないと、葉柴の毒で病人が出てしまおうぞ」

「はっ! ぜひ今度味わせてもらいたいもんだ」

 祖父のお陰で明人の怒りは無事に鎮まってくれた。南剛の負け惜しみの笑いに、明人も同じく不敵な笑みを浮かべていた。
 祖父は改まって後ろの従者に合図を行い、明人もまっすぐに前を向いた。

「これより、亜御堂天音、葉柴明人――
 両名による『誓樹せいじゅノ儀』を執り行なう」

 明人が種子となり、今後一生を天音に尽くすための誓い――

 明人と目が合った。
 明人の目は、まるでうつろだった。

 広間には、厳粛な雅楽が響き渡る。

種子たねご、葉柴明人――
 進み給へ」

 明人はゆっくりと前に進んだ。途中、俯いた両親の横を通り過ぎるが、明人は見向きもしなかった。

 果たして今回の選択が正しかったのか、天音は現在いまでも悩むことがある。

「天音様、前へ」

「はい……」

 明人が数メートル前先まで来てひざまずくと、天音もゆっくりと歩みを進めて壇上を降りた。
 孔雀くじゃくの尾を呈した和服の後ろを、数人の巫女が脚に引っかからないよう持ち上げて、少しずつ明人に近づいていく。

『――天上を敬い給へ』

 進行役の掛け声で、2人は改めて顔を合わせる。

 明人は上目遣いで天音を見据える。
 天音も臆さずに明人の目を見つめた。

『ヒトの上に立たず、
 ヒトの元に帰らん。

 ヒトと成り、タネを宿すモノ――
 植えるヒトの未来を願い給へ』

 天音は、明人をじっと見つめながら、自身の右手を口元に運び、人差し指の指先を躊躇なく噛み切った。
 指先からはすぐに血が滲み、天音はそのまま指先を明人の口元へと運ぶ。

 明人は、大きく口を開けて身構えた。
 その口の中に、指先の鮮血をポタポタと垂らす。

「――んっ……」

 明人は、垂れてきた血を1滴も溢すことなく飲み込み、そのまま天音の指先をに舌を当てる。
 その間も2人は向き合ったまま、目を逸らすことはない。


『植えるヒトの、さらなる繁栄を誓い給へ――』


 進行役の最後の一言に合わせ、儀式は粛々と幕を閉じる。
 葉柴明人が、正式に四家の1人として植人に成った瞬間であった。








 *** ***








「それからしばらくは、俺は自分を見失っていた」

 お墓から歩いてすぐの高台で、明人は生まれ育った土地を寂しそうに臨んだ。哀愁漂う表情に、真由乃は心を締め付けられる思いだった。

「種人を狩る動物、ヒトとしての理性を失っていた」

「でも、今の明人さんはそんなこと」

「ああ、それからは、隼さんが俺を救ってくれたんだ」

「矢剣さん、ですか?」

 そう言えば、本殿に集結した際も、明人は隼のことを随分慕っているように見えた。かつて明人の指導役だったのだから、真由乃が明人に抱く感情と同じで、尊敬して当然なのかもしれない。
 当然と分かっていても、明人に信頼される隼のことが羨ましく思えた。

「失望したか?」

 明人の問いに、真由乃はふるふると首を横に振った。

「気を遣うなよ?」

「つかいません。わたしはただ、話してくれて嬉しいんです」

 明人が自分から自分のことを話してくれた。それは、おこがましくも信頼の表れだと感じた。いつも頼ってばかりだった自分が、隼のように頼られたようで嬉しかった。

「明人さんのこと、知れて嬉しいんです」

「嬉しいか……軽蔑しないのか?」

「するわけありません。だって、明人さんは責任を果たしているじゃないですか。わたしは、つい最近まで無責任で自堕落に生きていました。明人さんのお陰でようやく目を覚ましました」

「買いかぶるな、偶然が重なっているだけだ。責任を果たせてなんかいない」

「偶然なんかじゃないって、これまで一緒に戦ってきて、1番近くで明人さんの闘いを目の当たりにして、自信を持って言えます。
 重い過去を背負いながら、明人さんは信念を持って種人と闘い、ヒトのために闘っています。明人さんがどう思っていようと、わたしはそう感じるし、その荷を少しでも軽くしてあげたいと思うんです。一緒に背負えたらなって、本気で思うんです。メアリちゃんも、葵ちゃんも……あかりんもきっと同じ気持ちです」

「どうして、俺は何も――」

「それだけ、明人さんには救われてるんです。みんな……」

 勝手にみんなを巻き込んでしまったが、きっと同じ思いで間違いない。それに、真由乃には共通して解決しないといけない問題があった。

「お姉さんのこと、諦めませんよね?」

 真由乃にも、生き別れた家族いもうとがいる。
 いつか必ず和解をしてみせる。

「……ああ、もちろんだ」

「なら、一緒に歩きましょう」

 真由乃は、明人から学び、明人の過去を知り、その上で手を差し出した。

「わたしだけじゃない。みんなで、必ず――」

 明人は、微笑んで手を握り返す。
 お互いの決意の表れだった。

「よーし、帰りますかーっ! なんだかお腹が空いちゃいましたー」

「まて。ヨダレを垂らして、俺を見て、いったい何を期待してる」

「あかりんから連絡がありました! 葵ちゃんがたくさん手料理を作って待っているそうですよ!」

「……どこでだ」

「明人さん家に決まってるじゃないですかーっ!」

 明人は疲れた様子で、でもいつもより朗らかな様子で高台を降りていく。

「疲れた! 悪いが今日こそは全員出て行ってもらうからな」

「あ、まってくださーい」

 高台を降りて進む足も、さっきより軽やかに見えた。真由乃は、満足そうに明人の横を付いて行った。




 ***




 矢剣家の道場――
 そこは特別で、真っ白で完全防音の構造を成している。遠くの的を前に目を瞑って集中していると、隅っこの埃が舞う音が聞こえそうなほど静かであった。

 真っ白な円状の的には、直径1mmほどの赤い斑点が数か所に点在している。
 矢剣隼は、集中を続けたあと、目を見開いて続けざまに矢を放っていった。鋭くまっすぐに進んだ矢は、赤い斑点をちょうど潰していくように的を射抜いていく。
 そして、最後の赤い点を潰したあと、道場内にはパチパチと乾いた拍手が響き渡った。

「感心するね。見事な腕前だ。その実力は、どれほどの鍛錬を積めば身につけられるものなのか」

「決して楽な道ではない」

「驚かないの、もしかして気づいていた?」

 隼の後ろ、白髪の青年が1人、道場の壁により掛かっていた。

「ただの植物よりしろであろう。本体の場所は分からないが、今のところ殺気を感じない」

「なるほど。反撃がないわけだ」

 白髪の青年は、名をイツキ――大量のタネや、入手経路が不明な原種げんしゅを用いて事件を起こしている組織の、リーダー格と思われる人物であった。

「植物の根を通して相手と会話できるようだな。つまりは、地面に近い場所でなら、おおよそ認知している相手と無制限に遠隔通話が可能なのか」

「察しがいいね。便利な能力で助かってるよ」

 隼の読み通り、イツキの体は道場の隅から、床を突き破って伸びた根に繋がっていた。隼は会話を続けながらも周囲の状況とイツキの居場所を探り続ける。
 イツキ以外に、敵の気配は無さそうだった。なおさら目的が分からず、隼は警戒を続ける。

「お前らは何体いる? タネをいくつ持ち合わせている」

「残念ながら、今日は質問に答えるつもりはないよ。時間が惜しいしね」

「そうか、ならば――」

「待って待って」

 イツキに斬りかかろうとして、イツキは激しくそれを言葉だけで止める。隼は、腰にかけていた植器――滅矢めっしを構えては、その刃の部分をイツキの体ギリギリの場所まで持って行った。

「この体を遠くから維持するには体力がいる。急ぎたいのは同じなんだ。だから単刀直入に話すよ」

 そう言ってイツキは、両手を器にして差し出して隼に見せた。

「そろそろだと思ってね――」

 『虚無』のタネ――
 原種の1つで、唯一本殿で確保、処分していたはずの原種である。それが先日、タネを管理している久埜くの家から奪われたものであった。

「さあ、選択するのはキミだ」

 タネ全体がボヤけていて、存在自体があやふやに見える。何度瞬きしても、同じ感覚に囚われる。
 それは、植人として鍛錬に励んできた隼も同じで、処分の対象であるタネを前に、隼は攻撃できないでいた。
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