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第一一章 オきザりの記憶

オきザりの記憶(06)

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「シンジさーん、お待たせしましたーっ」

 辰次は、高級飲食店が立ち並ぶ駅前でユウコの到着を待ちくたびれていた。
 女子大生には似つかわしくない数々のブランド品に身を包んだユウコは、口では謝りながらも特段悪びれる様子もなく近づいてくる。苛立ちで沸騰寸前だったが、キツイ香水の下から香る若さで無事に堪えることができた。

「まずは腹ごしらえだな(その後で存分に楽しめばいい)」

「私もぺこぺこ~ あっ――」

 私服から覗く谷間に股間を膨らませながら、ユウコの手を無理に引いて食事へと連れ出す。店からホテルまで予約済で準備は万端である。

「何食べますかー?」

「ユウコの好きなステーキ行こうか」

「やったーっ」

 値段は高くつくが、これも食事を終えた後のホテルでユウコの気分を上げるためだ。効率的な前戯と思えば納得もできた。張りのある若さに対応するためには、必要な犠牲であった――そう言い聞かせながら、ユウコと一緒に肉を頬張る。
 いつもは我慢できるはずの時間が、今日はやっぱり苛立ちが勝ってしまう。

「シンジさん、どうしたの? 怖い顔……」

「ああ、気にするな」

 ――やはり早いところ処分しないと
 ――ユウコと済ませた後、さっそく……

「おいしかったぁ! もーうごけなーい」

 ――何を言っているんだ、本番はこれから……

「じゃあ移動しようか」

「あー、はい……」

 ユウコは、返事とは裏腹に席から立ち上がろうとしない。
 人差し指を合わせながら、気まずそうに俯いていた。

「なんだ、どうした?」

「今日なんですけど、、、多くもらえたりしますか?」

「……どういうことだ?」

 この女は、何を言い出すかと思えば――

「ほら、最近頻度が多いじゃないですかあ」

 今までどれだけの大金を費やしたと思っている。若さだけが取り柄の女にどれだけ尽くしたと思っている――

「それに、前に食事だけしたときのお金も貰ってないですし……」

 どいつもこいつも――

「ふざけるな」

 ふざけるのもいい加減にしろ――

「え?」

「金の事ばかり、すこしは愛情を知れ」

「えー、愛情ってぇ、どうしたんですかシンジさーん」

「冗談じゃない。今日は手持ちが無いんだ、早く行くぞ」

「……は?」

 ユウコから、今まで聞いたことのない声が漏れる。聞いたことが無かっただけで、きっと今の低い声が地声なのだろう。

「どういうこと?」

「どうもこうもない。いつもいつも大金をせびって、たまには無償の愛で奉仕してみろ」

「……何言ってんのこいつ」

 ユウコは、ワザと聞こえる声でぼやいている。突然のタメ口に苛立ち、手を引いて無理に連れ出そうとするが、ユウコは出会ってから初めて激しい抵抗を見せた。

「ふざけてないで、来なさい!」

「ふざけてんのはどっちだよ! 離せ!」

 ユウコの若さは、その力強さにも溢れていた。辰次の老いた腕が簡単に振り払われてしまう。
 そのまま距離を取り、一度呼吸を落ち着かせて鋭い目線を辰次に向ける。

「……気持ち悪いんですけど、どういうつもりですか?」

「なんだと! 今まで俺がどれだけ……っ」

 完全に頭に血が昇った辰次は、今にも殴りかかりそうな勢いで捲し立てたが、ユウコは一切怯む様子が無かった。あまりの堂々とした態度を前に、返って辰次が勢いを失ってしまう。

「誰が買ったと思ってるんだ! その服も、鞄も、時計もっ!」

「シンジさんに決まってんじゃん」

「なっ……」

「貴重な学生の時間を割いて付き合って上げてるんだから、その見返りとしては当然じゃん」

「ユウコ、おまえっ」

「むしろ足りないくらい。で、今日はどうするの?」

「ぐっ……」

「お金はないの?」

「……ない」

「そっ」

 ユウコはそそくさと帰り支度を済ませ、カツカツとヒールを鳴らして席を立つ。
 辰次には振り向きもせず、捨てセリフを吐く――

「金のないオジサンに、価値ないから」

 辰次は言い返しもできず、体の中で怒りだけが込み上げた。




 ○○○○○○




「――あ、明人さん」

 真由乃は少し頭を冷やしたくなり、明里とも別れて1人本殿を彷徨っていた。彷徨う中で、ふと暗い1室から現れた明人に出会う。

「こんな暗い部屋で……何してたんですか?」

「……大したことじゃない」

「また濁しました、そういえば天音さんに呼ばれていましたね」

「そうだな」

 以前本殿を訪れたときも、明人は天音に呼び出されて席を外していた。天音の祖父である衛門と会話したときも、結局詳しい理由は聞かなかった。

「話したくないならいいですけど、わたしだって気になって――」

 ――葉柴に直接聞くといい、覚悟があればな……

 衛門の言葉を思い出し、真由乃は途中で言葉を切った。
 今の真由乃に、覚悟と呼べる気持ちは無かった。

「……どうした?」

 突然言葉を失った真由乃に、明人は心配そうに声を掛けた。
 対して真由乃は、経験を重ねても、何も変わっていない――

「……何でもありません」

「……聞きたいか?」

「え?」

 ふと顔を上げると、明人は苦しそうに真由乃を見つめていた。真由乃には滅多に見せない、物憂い気で弱々しい表情だった。

「明人、さん……?」

「隠すことでも無いからな。それに、真由乃が聞きたいなら、知ってほしい」

「明人さん……」

 真由乃を信頼したその言葉に、素直には頷けなかった。

「ごめんなさい。聞けないんです」

「聞けない?」

「だってわたしは、自分の過去すら思い出そうとしないダメな人間ですから……だから、今のわたしが聞いてはイケないんです」

 自分の過去にすら立ち入る覚悟がない人間が、他人様の過去なんて絶対に立ち入ってはいけないんだ。

「それは違うぞ」

 そんな真由乃を、明人は真正面から否定する。

「何が違うんですか?」

「……あそこには、俺の姉もいた」

 真由乃が妹と向き合った廃校――
 あの時、明人も実姉と望まない再会を果たしていた。

「真由乃、俺が平気に見えるか?」

「少なくとも、わたしよりは平気に見えます」

「買い被りすぎだ」

 その苦笑いは、確かに自分を嘲笑っていた。自信がないだけでなく、あくまで自分を卑下する明人も、真由乃にとっては初めてみる姿だった。

「俺も記憶の中で姉の存在を遠ざけていた。過去なんて基本は振り返りたくない。嫌な過去なら尚更……みんな同じだ」

「でも、みんな現実と強く向き合っています。だから明人さんは過去を忘れてなんかいません」

「向き合ってなんかいない。忘れられるならとうに忘れ去っている。本気で向き合うなら、今頃必死になって姉の姿を追っているさ」

「そう、でしょうか……」

「そうだ。だが、向き合わなくても、過去は事実だ。それだけは変わらない」

「事実……」

 明人の言葉は、実に当たり前のことだった。だからこそ、明人の言いたいことが、すぐには理解できなかった。

「過去があるから今の自分がいる。それは過去を忘れていようが真由乃も同じだ」

「でも、思い出さなくてもいい理由にはなりません」

「思い出すようなことじゃない。ただの積み重ねなんだ。今の自分を知ることと何ら変わらない。覚悟なんて必要ない」

「今の自分?」

「過去を知るためには、自分を知ればいい。その自分は、今の自分でいい」

「……じゃあ今の自分を知れば」

「そうだ。自分が今どうしたいのか。それを知ることが過去を知ることにも、己の強さにも繋がる」

 分かったような分からないような――
 だが、少なくとも明人が何故強いのか、それは分かった気がした。

「雁慈さんや、矢剣さんも、自分を知ることで強くなったんですか」

「南剛は知らんが、隼さんは別格だ。異次元に強い」

「そんなに……」

「隼さんがいなかったら俺も腐ったままだったしな」

「腐る?」

「また今度話すさ」

「あ、濁した!」

 そして、今は強くなることが過去を思い出す近道にも思えた。
 今日も明人のお陰で進むべき道が見えてきたところで、離れたところから真由乃の名前を呼ぶ声がした。

「あかりん?」

「そうだ、もう1つ言っておく」

「はい?」

「1人で考えることはない。真由乃は1人じゃない」

「1人じゃない……」

 奥から明里が走って近寄ってくる。その後ろには、メアリと葵の姿もあった。

「まゆのーん、なにしてるのよー」

「あかりん、どうしたの?」

「急にいなくなるから探したの。メアリと葵ちゃんにも探してもらってたの」

「メンドーかけないでちょうだい」

「明人、甘やかしすぎだ」

 1人じゃない――
 1人で悩むことじゃない――

 今の真由乃には、みんな心強い味方だった。
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