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篠辺の定久 Ⅱ R
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定久が篠辺に来て八年が過ぎた頃から、目に見えて体調が悪くなっている様
だった。
元々、篠辺の神主になるような者は力を持っているが、此処で仕事をするという
事は、命を削る覚悟がなければ務まらん。
そんな篠辺の神主を余命短い定久が務めているのだから、当たり前としか
言いようがない。
その日は新月で、篠辺神社は休み故、門を閉めたまま、珍しく定久は床に臥せって
おった。狐は、今までに何人もの神主を看取ってきた。
人である故、自然の理に逆らう事は出来ぬが、狐は分かっていても定久の事を
案じずにはいられなかった。
横になっている定久に
【不精よのう。】
狐は声をかけた。
「お狐様程ではありませぬ。」
などと布団を被ったまま返した。
狐に顔を見せたくなかったのだろう。…が、この篠辺の狐には、初めて会うた
あの日から、既に定久の余命が見えておった。
今夜には〝尽きる命〟という事が。
今でこそ〝篠辺〟と書いておるが、昔は〝死を述〟と記していた。死を述べる。
狐が死を告げるという事からついた名だった。
定久も神主として、この神社の由来も狐の事も分かった上で務めていたし、
今まで狐も定久も、その事について互いに触れたりはしなかった。
だが、定久という人間を良く知る狐は、独りにしておけなかった。
暫く黙っていると、
「私は幸せ者です。多くの者は家族や身内に看取られて旅立つので、生涯、独り身の私は孤独に旅立つものとばかり思うておりましたが、篠辺のお狐様に側にいて貰えるとは…何と幸せ者でしょうか。」
定久の気持ちを狐が分かっていたように、狐の思いも定久は分かっていた。
【甘いものの供物でも手土産に持ってきてやりたかったのだが…】
言い終わらぬうちに、布団から起き上がり正座をして、
「最後に…篠辺のお狐様にお願いがございます。…我がまま神主の願いを、どうか
お聞き届けくださいませ。」
深々と頭を下げた。
【狐に願いとは?】
定久は顔を上げて狐の目をじっと見つめて
「私の肝を食ろうて欲しいのです。…味の保証は出来ませぬが、篠辺のお狐様に
召して頂く事は叶いませぬか?」
【…それが…願いか?】
静かに頷く定久の様子に、自身の屍すら片付ける術もない〝孤独な死〟への恐怖が
見えた狐は、
【ならば、その願いを聞き届けよう。その対価として、定久の名と、定久と共に
過ごした時を刻み付け、決して忘れぬ事を約束しよう。】
そう告げた。
篠辺の狐は、命と引き換えに、願いを叶える事もあった。
多くは〝怨みを晴らす〟為だが、定久は違っていた。
孤独と狐への思い、死後の自分、多くの事を考えた上で、狐に願った。
ただ〝肝を食ろうて欲しい〟と。
故に、狐は敢えて〝対価〟として〝約束〟をしたのであろう。
定久は、甘いものでも食べているかのように、破顔した。
その後、狐は、定久との約束通り、肝を食らった。
そして対価として、定久の名と、定久と共に過ごした時を忘れぬように、
新月の晩は、定久を思い、過ごすようになった事を話して聞かせた。
話し終えた狐に、夕霧が
「そういう事だったのですね。定久様の月命日でしたか。」
そういうと微笑んだ。
以前から定期的に、和菓子を買ってくるように、言われることがあったが、
喜んで食べている姿は、見た事がなかったので、不思議に思っていた。
それ以来、毎月十七日に必ず、和菓子を供えるようになった。
だった。
元々、篠辺の神主になるような者は力を持っているが、此処で仕事をするという
事は、命を削る覚悟がなければ務まらん。
そんな篠辺の神主を余命短い定久が務めているのだから、当たり前としか
言いようがない。
その日は新月で、篠辺神社は休み故、門を閉めたまま、珍しく定久は床に臥せって
おった。狐は、今までに何人もの神主を看取ってきた。
人である故、自然の理に逆らう事は出来ぬが、狐は分かっていても定久の事を
案じずにはいられなかった。
横になっている定久に
【不精よのう。】
狐は声をかけた。
「お狐様程ではありませぬ。」
などと布団を被ったまま返した。
狐に顔を見せたくなかったのだろう。…が、この篠辺の狐には、初めて会うた
あの日から、既に定久の余命が見えておった。
今夜には〝尽きる命〟という事が。
今でこそ〝篠辺〟と書いておるが、昔は〝死を述〟と記していた。死を述べる。
狐が死を告げるという事からついた名だった。
定久も神主として、この神社の由来も狐の事も分かった上で務めていたし、
今まで狐も定久も、その事について互いに触れたりはしなかった。
だが、定久という人間を良く知る狐は、独りにしておけなかった。
暫く黙っていると、
「私は幸せ者です。多くの者は家族や身内に看取られて旅立つので、生涯、独り身の私は孤独に旅立つものとばかり思うておりましたが、篠辺のお狐様に側にいて貰えるとは…何と幸せ者でしょうか。」
定久の気持ちを狐が分かっていたように、狐の思いも定久は分かっていた。
【甘いものの供物でも手土産に持ってきてやりたかったのだが…】
言い終わらぬうちに、布団から起き上がり正座をして、
「最後に…篠辺のお狐様にお願いがございます。…我がまま神主の願いを、どうか
お聞き届けくださいませ。」
深々と頭を下げた。
【狐に願いとは?】
定久は顔を上げて狐の目をじっと見つめて
「私の肝を食ろうて欲しいのです。…味の保証は出来ませぬが、篠辺のお狐様に
召して頂く事は叶いませぬか?」
【…それが…願いか?】
静かに頷く定久の様子に、自身の屍すら片付ける術もない〝孤独な死〟への恐怖が
見えた狐は、
【ならば、その願いを聞き届けよう。その対価として、定久の名と、定久と共に
過ごした時を刻み付け、決して忘れぬ事を約束しよう。】
そう告げた。
篠辺の狐は、命と引き換えに、願いを叶える事もあった。
多くは〝怨みを晴らす〟為だが、定久は違っていた。
孤独と狐への思い、死後の自分、多くの事を考えた上で、狐に願った。
ただ〝肝を食ろうて欲しい〟と。
故に、狐は敢えて〝対価〟として〝約束〟をしたのであろう。
定久は、甘いものでも食べているかのように、破顔した。
その後、狐は、定久との約束通り、肝を食らった。
そして対価として、定久の名と、定久と共に過ごした時を忘れぬように、
新月の晩は、定久を思い、過ごすようになった事を話して聞かせた。
話し終えた狐に、夕霧が
「そういう事だったのですね。定久様の月命日でしたか。」
そういうと微笑んだ。
以前から定期的に、和菓子を買ってくるように、言われることがあったが、
喜んで食べている姿は、見た事がなかったので、不思議に思っていた。
それ以来、毎月十七日に必ず、和菓子を供えるようになった。
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