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奴隷編

第48話

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 奴隷になって更に一年。
 私は未だに砂塵都市の決闘場で戦っていた。
 あの日から暫く、夜に男の相手をさせられていたが、妊娠をし、暫く戦えなくなってからは男の相手をさせられなくなった。
 私が動けなくなったことで稼ぎが減り、ルインが問い詰めてきたことがあった。
 男の相手は私の心を折るためにカルケル個人がさせていたようで、勝手なことをしてまた責任を取らされたくはないのだろう。

 出産した子供は取り上げられ、一度たりとも顔を合わせてはいない。
 花を散らしたあの日から、私は自分自身の体が鉛の様に重く感じていた。
 折れた腕は完治した。
 病気の男と交わったが、病気を移された訳でもない。私は健康体だ。
 だけど、体が重い。何をするにも億劫で、嫌気が差してくる。挙句の果てにもうこのままで良いんじゃないか。
 そんなこと考えるほど、私は疲れていた。

「セィン」

 檻の扉が開けられる。
 魔人語ではあるが、この言葉はここ二年間ずっと聞いて来た言葉だ。意味としては檻から出てこいと言った所か。
 一年前まで反発していたが、もうここ最近はその言葉に素直に従っている。
 何も考えず、ただ言葉に従うだけ。それが楽だったから。

「オヤケタシノミヒクキアワソキルタノチヤテセヨワウソィ。キエ!」

 戦いの場へと押し出される。
 何も考えずに私は剣を持って中央へと歩いていく。
 太陽が暑い、目を焼く光が痛い。
 私は何でここにいるんだろうか。こんなことになったのだろうか。あの時、アルバ様を助けに行ったのが間違いだったのか。
 こんな場所はクソだ。潰れてしまえば良い。
 森が見たい。小鳥の囀り、小川のせせらぎをまた聞きたい。果実が欲しい。
 感情が溢れ出て来るが、出てきた瞬間にそれは不可能だと思い知る。
 ここから脱出すること何てできはしない。何より、そんなことをしようものなら、何をされるか分からない。
 凌辱以上のことが起きない何て保証はないのだ。
 ぶるり、と体が僅かに震える。

 恐怖――あの男に抑えつけられた時に感じたものだ。
 デレディオスやルインと対峙した時も恐怖はあった。しかし、あれとは別種の恐怖。
 殺されることよりも恐ろしいことがあるのは、あの時初めて知った。
 できるのならば、あの恐怖は二度と味わいたくはない。次味わえば、多分自分が壊れる。そんな予感があった。

「お、お前――はッ!?」

 目の前から驚く声が聞こえる。
 顔を上げれば、僅かに見覚えのある顔があった。

「……アブスィーク?」

 アブスィーク。里で私を虐め続けて来た少年――いや、もう十五を過ぎたのだから少年ではないか。あれ、それは只人族の基準だったかな。
 彼が今日の殺し合いの相手か。

「随分と、成長したんだな」

「何がッ――成長しただ」

 アブスィークの顔が酷く歪む。
 彼もまた、辛い経験をしたようだ。
 戦いを告げる鐘が鳴る。

「お前の、お前のせいでえぇええ!!」

 アブスィークは、私と違って足枷だけでなく手枷もされていた。
 明かに慣れていない動作でアブスィークは手に持った剣を振るって来る。

「剣の振るい方、力が逃げているぞ」

「黙れ、黙れ、黙れ! この裏切り者め!!」

 何故かアブスィークは怒っていた。
 理不尽な怒りだ。私は売国奴でも何でもないというのに。
 彼の怒りを聞き流しながら、剣を受け止める。

「聞いていたんだぞ。お前はあの日、誰もが満足に動けない中、自由に動けていたようだなッ。お前が里に賊を侵入させたんだ。俺がこうなっているのはお前のせいなんだな!!」

「そんなこともあったな」

 懐かしい。そして、どうでも良いことを久しぶりに耳にする。

「見ろ! 俺のこの貧相な姿を。里にいれば、俺は今頃里長の血族に迎え入れて貰えたかもしれないのにッ。お前のせいで、お前のせいでえぇえええ!!」

 怒りで顔を真っ赤に染める。
 少しばかり疑問に思う。この男が得意としていたのは輝術だ。
 あんなに馬鹿にしていた剣術を使って、何故輝術は使って来ないのだろう。
 大振りの一撃を繰り出す直前。勢いに乗る前に間合いを詰めて威力を殺す。

「輝術は使わないの?」

「馬鹿にしやがってッ! 死ねぇ!」

「質問しただけなのに……」

「煩い煩い煩い!! 輝術を使わないかだと? 使えるのならば使っているわ! 汚らわしい魔人共にこんなものさえ付けられなければッ」

 アブスィークが手枷同士をぶつけ合わせる。
 鉄でできた手枷の側面に何かしらの術式が刻んであるのが見えた。どのような術式なのかは読み取れない。しかし、想像はできた。
 あの手枷があるからアブスィークは輝術が使えないのだろう。

「クソッこんなものさえなければ、お前何て直ぐに殺してやれるのに!!」

「そう。それは助かった」

 素直にそう口にする。
 もし、この場で輝術が使われていたら、私はどうなっていたのか。
 足枷を嵌められ、元の速さが出せない状態で、何十発も輝術を撃ち込まれたら、危なかったかもしれない。

「でも、使えなきゃ無意味」

 初めて私が剣を撃ち込む。
 アブスィークはそれを剣で受けたが、受け止めきれず、剣で肩を切り裂かれてしまう。

「このっ落ちこぼれの分際でぇ。私に血を流させるなんて――そんなことをして良いと思っているのかぁ!!」

「ここはもう里じゃない。強さが全ての弱肉強食の世界。昔みたいに里で守ってもらえると思ったら大間違いだぞ」

「野蛮人め、礼儀を知らぬ畜生め! お前は森人などではない。人間でもない。獣だ。獣人だ!! 俺がこうなったのもお前のせいなのに謝りもしないのか!?」

 斬られても尚、アブスィークは私に立ち向かって来る。
 もしかしたら、私から逃げたら恥だと思っているのかもしれない。
 思わずため息が出る。
 里にいた時と全く変わらない傲慢さ。これまでどうやって生きてきたのだろうか。やはり、輝術で生き延びてきたのか。

 嫌な奴だが、これでも森人族だ。
 それに私はこの一年間ずっと話し相手が欲しいと思っていた。
 これまでのことを聞いて欲しい。懐かしい話をしたい。少しでもいいから昔の記憶を共有したい。ずっとそれだけを考えていた。
 そのためにもどうにかして助けてやりたい。ここでの戦いはどちらか一方が死ぬまで続けられるが、なんなら私が死んだふりをするのもありだ。

「俺がどんな目に遭ったと思っている。貴族の女に買われて交合の日々! ある日は複数の女に囲まれる日もあった! 可愛いなどと女ものの服を着させられ、体中を舐められる。胸に挟まれ苦しむこともあった。そんな屈辱をお前は味わったことはあるか!? そして、やっと解放されたと思えばここに送られる。これ以上の最悪をどう言葉にすれば良い!!」

 だが――。

「それもこれも全てはお前が原因だ。お前のような存在を産まれなければ良かったんだ。苦しめ、苦しめ、未来永劫苦しめ!! お前を産んだ親もお前と同じ罪深い! 足の先から切り刻み、犬の餌にされてしまえば良い! 死後魂だけになれば探し出して母親諸共何度でも凌辱してくれる!!」

「――ア?」

 その言葉を聞いた時、今までの思考は吹き飛んだ。

「母様の死後の旅路を妨げるつもりか?」

 大好きな母様は鎖に繋がれて死んだ。
 温かな光を見ることなく、柔らかな寝台の上でもなく、安らぎを与えてくれる緑の匂いに包まれることもなく死んだのだ。
 せめて死後、黒神の元に辿り着くまでは安らかにある様にと願っている。それを邪魔するのなら、容赦はできなかった。

「ヒィ!?」

 打ち込むのを止め、剣を水平に構え、突きを放つ。

「妖精剣術『無窮三射』」

 アブスィークの頭が吹き飛び、胴体に風穴が二つ開く。
 直後、歓声が上がった。
 戦いの終わりを告げる鐘が鳴り響き、私は決闘場を後にする。
 後に残ったのは、誰かも分からなくなった死体だけだ。

 牢獄に戻った後、私はいつもの場所に力なく倒れる。
 胸の内を占めるのは後悔だ。
 しかし、何故こんなにも後悔しているのだろうか。
 誰でも良いから話し相手を求めていたからか。嫌いな相手でも、昔のことを知る相手に出会えたことが嬉しいほど追い詰められていたからか。
 何度も人は殺して来た。しかし、これまで殺して来たのは異種族。同胞は初めてだ。
 分からない。こんな後悔を抱く理由が分からない。
 目から涙が零れる。

「何で私、泣いているんだ――?」

 アブスィークは更に酷くなった。
 死後の魂すら凌辱しようとした。だから、死んで当然だ。
 そう思い込もうとする。
 一戦終えただけなのに、体はやけに重かった。
 褒美として与えられた腐ったパンにも手を付けず、眠りに付こうとする。
 だが、そんなことは許さないとばかりに牢獄の入口が大きく音を立てて開かれた。

「ウガァアアア! 放せ魔人共!!」

「キキカエィロヒオトナチクチン。コノエヨノメ!!」

 白い獣が牢獄の中に押し込まれ、床に転がされる。
 その姿を見て、とことんコイツとは変な運命で結ばれていると感じる。

「うん? あれ、お前何処かで見た顔だな?」

 アストルム・ヴェスティア。
 何の因果か、再びこの獣人族と私は牢の中で顔を合わせた。
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