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第七章

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 その男と出会ったのは、偶然だったのか。それとも誰かの企てだったのだろうか。
 いや、偶然でも企てでもない。あの男は自分達を探して遠い東の島国からやってきた。広大な砂漠の地を渡り、魔物の脅威から時には戦い、時には逃げてここまで辿り着いて見せた。確かな目的をもって自分の意思で目的の人物を探していたのだ。

 乾いた肌、破けた衣服。血糊の付いた髪。それだけ見ればどんなことがあったのかは容易に想像がついた。だが、興味を持った訳ではない。
 どこにでもいる瀕死の男。それが目の前に現れただけだ。こんな場面は長く生きていると度々出くわすことだ。それを無視するかは状況しだい。懐が寂しければ、まぁ関わってもいい。だけど面倒ごとは御免というのが基本的なスタンスだ。

 その日は特に金欠でもなく、問題なく魔術の研究材料を手に入れる(盗む)ことができて、上機嫌だった。なので無視をすることにしたのだが、男が口にした言葉で、足の裏と地面がくっついてしまったかのように動かなくなってしまう。

「ようやく見つけた…………アンタが選定をする者か」

 その次の瞬間、土下座とやらをしたその男の行動に女の魔術師はは目を丸くする。

「取り合えず、ご飯を食べさせて下さい」

 隅には煤や蜘蛛の巣が張ってある部屋。そこが現在ヴェルが住んでいる場所だ。本棚に入りきらない量の魔術書。使い古されたフラスコ瓶、魔物の首のホルマリン漬け、大量の薬草が所狭しと並べられた小さな部屋。
 その中央にある木材で出来た質素な正方形の机を挟んでヴェルと男は向かい合っていた。

 ガツガツと木製の長机の上に並べられた食材を片っ端から手に取り、口へと運んでいく。肉に嚙り付き、水を飲み干し、飢えと渇きを満たしていく。
 並べられた皿から順に凄まじい速度で無くなっていく食材を見るのは最早清々しいと思えてしまう。少なくなった備蓄のことなどもう頭になかった。

 飯をくれ、と図々しくも頼み込んできた男を一度は叩きのめしてやろうかと考えた。しかし、男が口にした言葉が頭の隅に引っ掛かり、気になってしまう。
 どこからそれが知ったのか、何が目的なのか――聞かなければならないことがあるのだ。

 自分達と同じ黒い髪の色に黒い瞳。夜の国ヤノクニ特有の刀、上下が紫と黒の着物に、右肩に肩当てを身に着けている男。残像が残る程、両腕を高速で机と口の間を往復しているにもかかわらず、食材を零すことなく綺麗に食べ尽くしている。

「意外と器用なんだな」
「ん? 何のことだ?」

 ヴェルが呟いた言葉に男が反応する。長机で向かい合っており、小さな言葉で呟いたにもかかわらず、男の耳には届いたらしい。

「気にするな。大したことじゃない。それよりも、アタシはまだお前のことをこれっぽっちも知らないんだが?」

 そう言って話を切り替える。
 男もそれ程気にすることもなく、未だに残っている食事を片付けるために、一度は止めた両腕を動かし始める。

「もぐもぐ、もしゃもしゃ、くちゃくちゃ」
「おい、お前聞いていたのか?」
「ん?」
「ん?――じゃないだろ。アタシはさっぱりお前のことを知らないと言ってるんだ」

 さっきの小さな呟きは聞き逃さなかった癖に何故これを聞き逃すのだと頭に青筋を浮かべながら強めに言葉を発する。
 当の本人は相手が苛ついていることが分かっても平然としている。口に含んでいた食材をしっかりと噛んでから胃の中へと流し込む。その後、ようやく口を開いた。

「そっか、そういや言ってなかったな」

 そう言って、皿に残った最後のパン屑を口の中へと放り込む。放り投げられたパン屑は、綺麗な弧を描いて少しもぶれることなく男の口の中へと吸い込まれていった。

「俺の名前はヤマト、しがない旅人って奴さ。アンタの名前は?」
「それに何の意味がある? アタシのことを知ってるんだろ?」

 ならば、名を言う必要はない。そう続けるヴェルにヤマトは首を横に振った。

「いや、知ってるのは見た目とアンタの役割だけだ」
「ふぅん……じゃぁ、アタシのことをどこで知った?」

 嘘ではない。そう分かったヴェルが問いを投げる。ヤマトも特に隠す必要もないのであっさりと答えた。

「故郷の山奥で、祟り神の記憶に触れた時にアンタ達の姿が出てきた」
「祟り神……なるほど、夜の国ではそういう言い方をしているのか」

 偽りを言っているのではない。この青年は自分がどのような存在でどんな力を持っているかを正しく理解して目の前にいる。
 長机に肘を置き、対面に座っているヤマトを観察する。

「じゃぁ、お前はここに何しに来た?」
「アンタ達の力を借りに」

 ヴェルの問いにヤマトが答える。
 それは予想された言葉だった。かつて、幾人もの戦士が、権力者が、野望を持った者達が自分達を利用しようとしてきた。自分の利益を得るために、都合の悪いことを捻じ曲げるために、頭を下げ、金品を送り、媚を売ってきた。
 浅ましく醜い豚。餌を与えても、もっと、もっと寄越せと唾を吐き散らしながら叫ぶ姿は視界に入れるだけで毒だった。
 そんな奴らが消え去り、ようやく手に入れた平穏。それがまた崩れるのかと溜息をつく。人間がここに辿り着けたということは、また別の誰かがここに辿り着ける可能性もあるということ。

「アタシの力を借りに……ねぇ。それってアタシ達の力でしかできないことなのか? ここまで来れるなら、お前だって腕の立つ実力者だろ」
「アンタほどの女にそう言われると照れるな」

 照れる、と言いつつも全く照れた様子のないヤマト。建前を言っているように見え、自分の問いに答えないヤマトをヴェルが睨みつけた。

「おおっと、怖いな。そんなに睨みつけないでくれ。ちゃんと答えるよ」
「なら、早く言えや」
「了解っていうか今更なんだが、アンタって男勝りな口調なんだな」
「話を逸らすな。アタシは三人の中でも一番気が短いぞ」
「知ってるよ」

 顔に笑みを浮かべながら豪語するヤマト。ならば、さっさと話を元に戻せと言いたいが、さっきから言っているのに効果がないのでもう口にしない。
 大きく肩を落として溜息をつく。このような真面目な空気を崩す輩が一番苦手なのだ。この男はどことなく長女と同じような雰囲気を醸し出している。それが余計に腹立たしさを増す原因となっていた。

「なんか疲れてるみたいだから話を元に戻すか。正直な所、俺の力じゃ解決できないことなんだ」
「なら、故郷に戻ってお仲間に頭でも下げたら? アタシだったら対価として何を所望するか……手遅れになっても知らないぞ?」
「残念ながら、俺は故郷を追い出された身だからな、仲間はいないよ」

 故郷を追い出される。そんな過酷な出来事を何でもないかのように語るヤマト。それに対してヴェルは何も言わない。

「――で、何が望みだ? 復讐か?」

 故郷を追い出される。そんな男の望みは大抵復讐だ。どんな理由で追い出されたかは知らないが、人間同士の争いに興味はない。それに関わると面倒くさいことになるのは確実だ。目を付けられればまた、力を貸せだの何だのと群がってくるだろう。
 これまでの言葉全てに偽りはなかった。仲間がいないということも本当だろう。しかし、誰にどこまで話しをしたかまでは分かっていない。
 どのように聞き出すか、やはり手っ取り早く力づくで——と相手に自分の考えを悟られないよう情報を引き出す方法を考える。
 ここはヴェルの研究所だ。見た目は古い民家であっても逃げることもできず、抗うこともできない魔術の要塞。ここに来た時点でヤマトは詰んでいるのだ。

 そのことをヴェルの仕草で察したヤマトは自らの望みを正直に口にする。

「俺の望みは、故郷を救うことだ」
「――――は?」








「…………夢か」

 硬く冷たい岩場の上で魔術師は目覚める。彼女を照らすのは自身が魔術で作り出した温かな灯りだ。
 硬くなった体を解しつつ、この世界に迷い込んでしまった魔術師ヴェルは周りを見渡す。

 ここに来たのは不可抗力。なんせ、実の姉が本気で殺しにかかって来たのだ。慌てて逃げるのは仕方がなかった。
 何時だって見張られているのは分かっていた。力を使う際には特に――。
 飛んでいる瞬間に感じた引っ張られる感覚。アレは間違いなく、力を使ったことを感知してこちらの世界に無理やり引きずり込んだのだろう。

 あちらの世界では滅多に使うことはない自身の相棒。聖樹の枝から作り上げた二十八センチ程度の杖を取り出す。
 警戒態勢だ。この世界で生き延びるには常に気を張っておかなければならない。何故ならここはヴェルを殺そうと息巻いている連中が多く存在し、実際に殺せるだけの実力を持つ魔窟だからだ。

「はぁ、早く帰りたい」

 静かにないはずの空を見上げて呟く。
 この世界に迷い込んで。行く当てのない出口探しを今日も始める。
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