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第五章
とある酒場の風景
しおりを挟む城塞都市ディギルの平民区画の一角。騎士達の駐屯地から少し離れ、狭い通路の奥にある酒場。いつもの役目を終え、疲れ切った騎士達が一日の締めに訪れることが多いこの酒場は大きく、明るい雰囲気を醸し出しており、始めてくる客でも馴染めるようになっている。
酒場の壁には客達を眺めるかのように描かれた虹彩異色の女性と帝国の象徴である白い竜が描かれた盾が掲げられており、この酒場の主人の国に対する愛、忠誠心を現している。それでも外からくる者達に冷たい態度を取るといったことはなく、むしろ積極的に招き入れ、悩みがあるのならば聞くと言う親切ぶり。
そういったことから、騎士や街の住民も酒場の店主の聞き取り上手さに甘え、様々なことを相談するらしい。
上司への不満を抱えた騎士、ある者への思いを密かに持った乙女、己の将来を輝かしいものだと信じている青年――話される内容、そして、訪れる者は多義に渡る。噂では、酒場の酒に惚れ込んだ貴族も訪れ、自身の秘密だって話してしまうとか……。
雨はいつの間にか上がったものの、酒場には湿った空気が満ちていた。それでも酒場に訪れた常連達には関係ない。
上手い酒を飲み、隣に座った者の肩を叩き、時には愚痴を零し、店主の作った料理で空いた小腹を満たしていく。彼らの中にはこの雨で帰れなくなったと嘆くのではなく、帰れない理由ができたと喜ぶ者までいた。
「――プはぁ~っ!!」
「いい飲みっぷりだなぁ。もう一杯行くか?」
「おう、行くか。おーい!! さっきと同じのを頼むよ!!」
酒を喉で潤した男が酒が少量だと気付くと口元に泡を残しながら、大声でカウンターに注文を飛ばす。カウンターで別の常連客に酒を注いでいた店主が頷くのを確認すると満足そうに元の姿勢へと戻り、机の上に置いてある干した肉へと手を伸ばした。
「――ふぅ。やっぱりここの酒は良いなぁ。いろんな所の酒が飲める」
「確かにな。王国やら遊牧民族やらと敵対してる所の酒もあるが、酒に罪はないからな」
「おうとも!! 敵国の酒を飲むのか何て言う奴もいるが、食い物も武器も輸入やら何やらしてるんだ。酒だけ規制されてしまっては可愛そうだ」
「ハハハッ!! 我らの懐の広さを見せてやろうぞ」
「勿論だ!! 恵まれぬ酒達を我らが救おうぞ」
顔をほんのり赤く染めた男達が上機嫌に笑い声を上げ、残った酒を浴びるように飲む。彼らはこの街に住む騎士の一員。毎日続く過酷な訓練を今日も潜り抜け、来るべき戦いに備えている者達だ。体は引き締まっており、手には剣を振るってできるマメができている。それは、何度も剣を振り下ろした証、彼らの努力の結晶だ。
普段ならば、まだ日が落ちない時間に酒を飲むことなど許されないのだが、今日は例外だった。
「――――ふぅ~」
酒を飲み干した後、溜息をついて椅子の背凭れに体を預け、溜息を一つ。酒を飲んで鬱憤が晴れた――という訳ではなく、まだ彼らの中に不満が溜まっている表情を作った男達。
そんな男達の机に店主が近づいていく。
「ハイ、これ注文の奴ねって――何を黄昏てるのさ。アンタ等がそんな調子が他のお客も陰気になっちゃうでしょう。このまま続けるようなら、二人とも出て行ってもらうよ」
机の中央に二人分の酒を置くと腰に手を当ててじろりと二人を見下ろす店主。長い金髪を揺らし、頭に赤いバンダナを巻いた女性は男二人に物怖じせずに言い放つ。
それに慌てたのは二人だ。顔を上げ、焦った表情で店主へと抗議する。
「そ、それはないぜカナリアちゃん!? 俺達だって必死に仕事して唯一の癒しをここに求めてきてるのにっ」
「そうだそうだ!! 俺達のことも考えてくれよぅ」
「だったら、酒をガブガブ飲んで陰気なことなんて吹き飛ばしちまいな!! それに疲れてんのはアンタ等だけじゃないんだよ!!」
ぐうの音も出ない正論を叩き付けられ、項垂れる男二人。この酒場では見慣れた光景なのか、他の乗客も騒ぎ出さずに、むしろ酒のつまみとして項垂れる二人を見物する。
「うぅ、そんなこと言わなくたっていいじゃないかぁ。この街を守っている俺達に少しくらい優しくしてくれても」
「そのとおーり。できれば、夜に個人的な付き合いとか突き合いとかをしてくれると助か――」
スパン!!と馬鹿げたことを発現した男の頭に女性の拳骨が落ちる。拳骨を落とされた男は涙目になって頭を押さえ、周りにいた常連客は笑いを堪えきれずに遂に噴き出した。
「イッテェ―!? 畜生っ!! 少しは付き合ってくれてもいいじゃねぇかよう!?」
「ギャハハハ!! これで何人目だ!? 店主を口説こうとして拳骨を落とされた奴は!!」
「これで二十人目だぞ兄弟。しかし、今までにない以上に下品な誘いだったな!!」
酒場の隅で無性髭を生やした男達が下品な笑い声を上げる。他の机でも男を馬鹿にするようなことは口に出さないものの笑い声を上げてその光景を楽しんでいた。
「チクショー。奴ら覚えてやがれ」
「いやいやいや。さっきの誘いは俺でも引いたぞ?」
「…………ホント?」
「ホントホント。目の前を見てみろ」
隅で嗤う男達を睨み付ける同僚に肩を叩き、前を指差す。そこには――
「…………」
塵でも見降ろしているかのように冷め切った眼をした店主がいた。
「うん。お前の口説きっていうか誘い方はある意味天性の物だと俺は思うよ。だって、女性をこれだけドン引きさせるのを俺見たことないもん」
「いや、だったら止めてくれよぉ!!」
情けない男の叫びが酒場に響き。続いて笑い声が響く。
これまでそんなことで女性に引かれていたのかと今更ながらに分かった男が肩を落としたまま店主が持ってきた酒を煽る。
男達の笑い声が耳に入る度に沈みそうになる。まさか、鬱憤を晴らすために来た酒場でこのような仕打ちにあうとは思っていなかった男の気分は急速に沈んでいく。しかし、それでも救いは現れる。
机に突っ伏した男の頭に軽く手が添えられる。ふんわりとした柔らかな触感。ひんやりとした机とは裏腹に暖かく、生命を感じさせる。
「大丈夫、大丈夫。例え貴方が変なことを言って引いてしまったとしても、私は直ぐに戻ってくるよ」
「お姉さんっ」
涙ながらに顔を上げる男の頭を撫でるのはこの酒場の店主。先程まで見せていた蔑んだ目線はそこにはもうなく、慈愛に満ちた表情で男を慰める。
そんな様子を見て、ある常連客が口を開いた。
「なぁ、あれって慰めてるのか?」
「そんなこと気にしてないんじゃないか? ホラ、アイツの視線……顔じゃなくて完全に胸元にいってるぞ」
男の言う通り、店主が前かがみになったことで胸元から見える二つの果実。それを間近にして、これまでの恥も鬱憤も全てを解決したような表情を見せる男を目にする。
「はーい、お姉ちゃんに悩みがあるなら話してみましょうねぇ」
「あーい」
まるで子供のようにダラダラに甘えきった声を出す男を見て、うらやましいと思いながらも常連客達は酒を煽った。
「はいはーい。そろそろ店じまいだよ~」
「うぅん……後もう少し」
「あ、奥さん来た」
「うぉお!? マジか!?」
「いや、嘘」
酒に酔い潰れていた客が店じまいの時間帯。それにも関わらず、カウンターで全く動こうともしない様子を目にした酒場の店主が、彼の天敵でもある存在を口にすることで叩き起こす。
その効果は抜群。青い顔をして眠そうな顔をし、瞼を閉ざしかけていた男は椅子をひっくり返しながら立ち上がる。
青い顔は直っていないものの、閉じかけていた瞼はぱっちりと開き、眠そうな表情はそこにはない。
「は、はぁ~~。嘘かぁ」
「ほら、そこ。また、座らない。今度こそ奥さん呼んで連れて帰って貰うよ」
「おっかないねぇ」
下げかけた腰を止め、今度こそ出口の方向へと足を向ける。天敵の名を聞いて頭も冴えたのか、足取りも危なくない。それを見て、今度からこれで脅そうと酒場の店主が心に決めたのは店主のみぞ知ることだ。
最後の客が夜の街に消えたのを確認し、酒場の店主が片付けをしようと店の中に戻ろうとする。
お客が使った食器に机、椅子。酒が散らばった床に明日に向けての準備。やることなどまだまだある。一人でやるには時間がかかるだろう。
今度から掃除ぐらいは、最後に残った者にやらせようかとも思うが、それをやって色々面倒なものを見つけられても面倒なので、却下――と短い間に自分の中で答えを出す。
一つ、溜息をつきながらも仕事を始めるために腕まくりをし、片付けをし始める。
「――――」
が、動き出そうとした時、店主の動きは止まる。
店主の視線の先――子供一人に大人二人。外套を被った三人が、誰も居なくなったはずの酒場に佇んでいた。
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