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第二章

覚悟

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 ドタドタといつもなら考えられない速さで廊下を走る。貴族として育てられ、作法を幼い頃から教わっていた自分がこんなに品がないことをするとは思っていなかった。

 後ろから使用人達の悲鳴が聞こえる。後ろで何が起こっているかなど予想が着いてしまう。ビリビリと殺気のようなものがうなじの部分を焼き付いているようで、滝のような汗が出てくる。
 自分の騎士達が男に着ず一つ付けられずに次々と倒れ伏していく。そんな男が自分を追いかけてきていると思うと恐怖で顔を青ざめる。

「王国にはあんな怪物がいたのか!?」

 激しく唾を飛ばし、忌々しく言い放つ。
 優位に立っていたはずなのに、いつの間にか劣勢に立たされたフラメルは館の中を逃げ回るしかない。
 幸運なことに王女にはここから逃げようとする意志が感じられないこと。まるで人形のようにグッタリとフラメルの腕に抱えられている。
 騎士団を軽く捻った味方が助けに来たというのに、助けられようと暴れない所を見ると先程の言葉は本当のようだ。

 しかし、後ろの怪物のような男が死にたがりの王族を前に何もしないというのはノーだ。騎士であるならば、自害をしようとしている主を必ず止めようとするだろう。

 人質に取って拘束を――と思ったが、あの男は生身で柵を破壊してきたのだ。そんな男が普通の鎖で抑えきれると思わない。
 ならば、剣を取って――は無理だ。絶対に無理。剣術をかじったことのある人間と本職ではどう足掻いたって勝てるはずがない。とうか騎士複数人を剣一つで吹き飛ばす相手なのだ。普通に考えて瞬殺される。

 こんなことならノエルの言っていた通りに騎士達を招集しておくべきだったと今更ながらに後悔する。
 しかし、後悔したとしてももう遅い。既に襲撃を受け、館にいる騎士団は全滅している。申し訳程度にフラメルの後ろには二人の騎士がいるが、実力は騎士団長以下――あの男を抑えられるはずがない。

「(ええい!!何か無いのか!?――あの男を殺す手立ては!?)」

 ここには特別な武器を生産している、といった事情も何もなく、特産と言われるものも何も無いありふれた貴族の領地だ。

「(どうすれば――どうすればいい!?普通の武器ではダメだ。それではあの男には勝てない。何か、何か特別なものが――)」

 特別なもの――そう考えて、ある一つの部屋が思いつく。自分では動かせないが、都合良く今は魔術師が手元にある。どうなるかは分からないが、殺されてしまうよりはマシだ。
 急な方向転換を行なって先程よりも速度を上げる。
 目指すのは客人として迎えていた宮廷魔術師の部屋だ。






 悲鳴を上げる使用人達の横を通り過ぎる。
 貴族が住んでいるとあって想像以上に大きい館に驚きながらも、早足で廊下を進んでいく。
 今の所罠の類はない。待ち伏せの類でもあると思っていたシグルドは拍子抜けした。という訳ではない。逆だ、逆に何もないことに違和感を抱いていた。
 この先に何かがあるのではないか――そう思わずにはいられない。
 ミーシャのように魔力を感じられるわけではない。だが、長年の戦士の感か……この先に何かがあると予感できた。

 貴族の館にあった木製の豪勢な扉。
 どの部屋にもその扉が取り付けられてあるが、違うのは肌を刺すような感覚があること。

「(さて、何が一体待っているか……)」

 戸惑いなく扉を開ける。
 そこはまるで泥棒にでも入られたかのような有様だった。花の入った花瓶がひっくり返され、本や金銀のアクセサリーなどが床に散らばっている。おまけに部屋の中央にあるカーペットがひっくり返されており、隠し倉庫らしき扉が開けっ放しだ。
 それは全てミーシャが指輪を探すために散らかしたのだがシグルドはそんなこと知るよしもしない。

 魔術書らしきものとホルマリン漬けされた動物、魔物のレポートから研究者か魔術師の部屋だと推測する。
 部屋を見渡すついでに驚くことが一つ。いつか傭兵に譲った見覚えのある両手剣が部屋の隅に発見する。

「マジかよ」

 どういった経緯でここに流れ着いたのかは知らないがまさかの再開に嬉しくなる。

「他にも隠された秘宝やら何やらがあるのか?」

 その言葉は正しいかった。
 そういった矢先に微かな振動を感じ取る。それは段々と大きくなってくる。岩と岩がぶつかり合い、壁を削りながら無理矢理前進しているような感じだ。

「(――何かが来る)」

 剣を抜いて、ここに向かってくる何かを待ち構える。
 次の瞬間――バリバリッと床板から巨大な肉塊が飛び出した。シグルドが立っている床板すらもめくり上がり、部屋が無茶苦茶になっていく。
 金銀のアクセサリーも、魔術書もホルマリン漬けの瓶も割れていく。

 この狭い場所で戦うのは不利――そう考えたシグルドは窓ガラスから外へと脱出する。シグルドを追いかけるように館の壁を破壊したそれを見た瞬間に正体が判明した。

死人ゾンビ!?」

 背丈は霜の巨人よりは低いだろうが、人間に比べれば大きく見上げることになるだろう。これだけの大きさの生物は食人鬼オーガ豚頭人オークぐらいなのだが、利用されている死体はそれらではない。魔物の肉が繋ぎ合わされて巨大な一つの塊となっている。
 無理に結合されているせいで肉同士が不自然な動きをしている。胸元には複数の動物の顔、頭には鹿のように巨大な角が生えている。腕には左右それぞれに違う武器が取り付けられており、これで動けるのかと疑問に思うほどだ。

 とある魔術師が面白半分で作った人工の死人ゾンビ――それはもはやただの怪人クリーチャーだ。

 鼻を思わず覆ってしまうほどの腐臭を放ち、一歩一歩とシグルドへと詰め寄ってくる。
 そして、その後ろ――崩壊した館の影からフラメルとミーシャが出てくる。体を鎖でグルグル巻きにされ、足下に跪いていたミーシャがシグルドの姿を見て目を見開いた。

「お前……」
「そこで待っていろ。お前には話すことがあるんだ」

 腰から抜いた剣を握り直し、怪物へと向き直る。互いに地を蹴り、距離を縮める。勝負は一瞬だった。
 シグルドが放った剣戟は二つ。

 一太刀目はシグルドを貫かんと突き出された槍が飛び出している右手を――
 二太刀目は怪物の顔を縦に割った。

 一呼吸の出来事――見るのもおぞましくなった怪物は地に伏した。

「素晴らしいっ!!ブラボー!!」

 その言葉を発したのは怪物を解き放った張本人のフラメルだった。真っ先に逃げ出した者が身を守るものがなくなったにも関わらず、薄ら笑いを顔に貼り付け拍手をする。
 だが、そんなものは眼中にない。シグルドの目に写るのはこの場でミーシャ一人だけだ。

「ミーシャ、お前に言っておく。俺は別に取りあえずとか中途半端な気持ちで助けに来たんじゃない。助けたいから助けに来た。それだけだよ」

 無視されたフラメルが怒りで顔を赤くするがそれを無視してシグルドがミーシャへと言い放つ
 俺はお前を殺されるのが間違っていると思ったから来たのだと……生半可な覚悟でここに来たのではないと……。

「——何の、つもりだっ」

 喉の奥から絞り出される声。首を絞められているように苦しい顔をしながらミーシャはシグルドを睨み付ける。

「お前を助けるつもりだ」
「そういうことを言ってるんじゃない‼——この場で私を助けることは帝国を敵に回すことだぞ‼」
「今更何言ってんだよ。お前が俺について来いと言ったんだろ」

 その叫びを聞いてもシグルドは動じない。むしろ呆れた様子で口を開く。
 間違ったことをしているとは思わない。誰からも死を望まれ、苦しまされ、ついには死を望んでしまうまでに追い詰められた少女を救うことは間違いであるはずがない。

「俺の一生をお前に捧げる」

 帝国貴族の前で宣言する。お前たちの敵だと認識させる。
 所詮自分は放浪の身。これまでどこにも所属せずに気の向くままに剣を振るってきた。なら――この娘のためにも振るうのが、何が悪いのか。
 この娘の味方になるのことの何が行けないのか。

「————お前は……馬鹿だろ」
「心外だぞ小娘」

 ミーシャが顔を俯かせ呟くと、シグルドが言い返す。それを聞いてミーシャが顔を上げる。いつもなら不満な顔が張り付いているが、今は違った。その顔には泣いているようにも見えたし笑っているようにも見えた。
 今のシグルドは主の命を待つ一人の騎士。本当の望みを言うだけで彼は動くだろう。
 口を開く――シグルドへと命令を出そうとした時だった。

 この空気を断ち切るように粘着質な音が二人の耳に入る。

「はぁ~……感動の場面で悪いのだが、君達は色々と忘れていることがある」

 音の発生源はシグルドの後ろ——体を両断された怪物からだった。
 シグルドに頭部を破壊され、動かなくなったと思われた怪物は、肉体をくっつけようと体から細い糸のようなものを噴出して自らを繋げていく。

 動くたびに肉片と血が飛び散る姿はおぞましいことこの上ない。そして、完全に動ける姿になった時には、その怪物の姿は以前と全く変わっていた。
 怪物自身が戦いに応じた姿を取ったとかそういったことではない。
 子供が一度壊した人形を自分なりにくっつけて直した時のように、手当たり次第にくっつけて取り合えず動ける形にした感じだ。

「さてさて、ここから先は現実を見てもらおう。君はその怪物に殺され、少女は私の剣で命を絶たれるんだ」

 その言葉が再戦の合図だった。
 武器を取り付けられていた右手は以前よりも大きくなり、それを振り下ろしてくる。しかし、それだけだ。速くなった訳ではなく、シグルドがいくら全快ではなくても脅威ではない。
 一度目と同じように切り落とす。
 痛みも感じない死体を縫い合わせただけの怪物は叫びもしない。再び攻勢に移るだけだ。

 ただのハッタリ――そう思い、この戦いを終わらせようと剣の柄を握りしめる。
 縫い合わせるのならば、細かく前進をバラバラにして後から一つずつ抹消すればいいだけなのだ。
 シグルドならば目の前の肉塊など一呼吸の内にバラバラにできるだろう。
 邪魔が入らなければ……。

「シグルド‼伏せろ‼」

 ミーシャの声がシグルドを救った。
 素直に従っていなければ、間違いなく動脈をやられていた。
 その場から飛び退いたシグルドが目にしたのは、切り落とした腕から伸びた一本の太い影。

「肉喰いワームか」

 肉を突き破って出てきた太い蛇のような生物の名をシグルドが口にする。
 肉喰いワーム——高い再生能力を持ち、人間の肉や動物の肉を餌にする生物で口には鋭い歯が生えている。一度食いつけば二度と離さず食い荒らす魔物。
 それがブチブチッと音を立てて立て続けに姿を現す。その数五体。洗脳でもしているのか分からないが、これで怪物の手数が増えたことは事実。懐に入ればワームが、間合いの外からはリーチに勝る怪物にやられかねない状況になった。

 そんなおぞましい姿がさらにおぞましくなった怪物を前にシグルドは何一つとして表情を変えなかった。

「舐めるなよ怪物が……」

 手にしているのは霜の巨人の皮膚さえ切り裂いた剣――だが、言ってしまえば切れ味が鋭いだけの剣だ。
 再生能力を持つワームと斬られても立ち上がってくる死人ゾンビ相手では分が悪い。スキルの反動で頭はグラグラ、吐き下も酷いがそれでも勝利を確信する。

 襲いかかる怪物を前にシグルドが手に持つ剣を手放す。
 先程言った言葉は何だったのか、武器を手放すことは降伏にも見えるが、シグルドは媚びへつらうために剣を手放したのではない。

 だって声が聞こえたから……。
 幻聴でも聞こえたのかと頭が可笑しくなったのかと言われるかもしれない。こんな話しを他人に話せば、そんなものにお前は馬鹿だと言われるだろう。特にミーシャには変な目で見られるかもしれない。
 シグルド自身も不思議に思う。それもそうだろう。まさか、可笑しな話だろう。

 だがその声を疑うことはなかった。
 まるで父親に見守られているような安心感があった。だから叫ぶ。その魔剣の名を——

「来い、グラムッ‼」

 名を口にした瞬間に、シグルドに向かって矢のように飛んでくる一つの物体。間にある物を全て破壊して飛んでくる。
 このままではぶつかるのではと思われたが、まるで魔術でも使っているかのようにそれはシグルドの手元に綺麗に収まった。


 柄が熱く感じられる。それは決して勘違いなどではない、事実として、魔剣(グラム)から発せられる熱によって周りの温度も上昇していたのだ。

「長く待たせちまったな。俺が未熟なばっかりによ」

 熱を感じながら誰に向けてでもなく口にする。
 意志などないはずだ。声が聞こえた時はまるで夢でも見ているような気分で少し前のことなのに記憶が曖昧だ。
 それなのに返事をしたかのように柄が熱くなったのは気のせいだろうか……。

「今日が御披露目だ。派手に行くぞ!!」

 そう口にすると自身の膨大な魔力を魔剣へと注ぎ、振るう瞬間シグルドが魔剣へと流した魔力は剣を纏う炎の渦となる。熱がミーシャやフラメルの頬を叩き、真紅の炎に目を細める。

「焼き尽くせ――」

 洗脳された無数のワームと何百もの死体を使って造られた怪物は与えられた命令通り、目の前の敵に向けて恐れを抱かず突っ込んで行く。
 戦士であったならば、敬意を持ってシグルドは彼らを倒すだろう。だが、良いように体を弄くられた死体に感じるのは憐れみだけだった。

「――グラム!!」

 その瞬間――大炎がワームを死人ゾンビ焼き尽くす。細胞組織全てを一気に焼き尽くしてしまえば再生能力を持っていようが関係ない。
 ただの操られるだけの人形だったワームと死人ゾンビは叫ぶこともなく跡形もなくなった。

 フラメルはその光景を目にしていた。絶対の自信を持って送り出した最強の駒が焼き尽くされていく様に恐怖を覚えるものの次は自らが危険に晒されるということに辿り着く。

「くそっ!!えぇい、早く立て!!」

 一刻も早くここから逃げなければならない。衝動に駆られるまま人質であるミーシャを立たせようと手を伸ばす。
 それでももう遅かった。
 視界を遮る大炎の中からシグルドが火傷なども気にもとめずに飛び出してきた。

「ヒィッ――」

 歴戦の剣士の殺気がフラメルを襲う。完全に気圧されたフラメルが後ずさりながらも剣を振るうが、酷い剣筋でシグルドが眉をひそめるほどだ。
 しかし、容赦はしない。恐怖で引き攣るフラメルの首をすれ違い様に斬り飛ばした。

 帝国の領土平定の功を得るはずだったフラメル・メルド・スルーズ伯爵。彼の首は燃えさかった炎の中へと落ちていった。
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