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前編
終結と、縁談?(過去)
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それから毎晩うなされた。
薄暗い雨の中をずっとさまよっている夢。走り続けて、走り続けて、そして突然男が現れる。私の手を掴むのだ。
ああ、今回も間に合わなかったと。
私は何度も何度も死ななければならないという暗示にかかる。貴族令嬢の矜恃を持って死ね、と。
おじ様は相変わらず何を考えているのか分からない。
私達が欺いている事をおじ様は知っているかもしれない、とルーカスには伝えている。けれど、おじ様が私に対してそれからリアクションを起こすことはなかった。それが一層不気味で、何を考えているか全く分からない。
元々強く思わなければ聞き取れない、欠陥だらけのような能力なのだ。それを充分に分かっているおじ様にとっては、対処は出来る話だった。
助けてくれた少年の事についてもルーカスには話した。きっとキルシュライト王国王太子、ローデリヒ・アロイス・キルシュライトだろうと教えてくれた。
見た目の年齢的にも合致する。おじ様もキルシュライトの王太子と言っていたし、少年の部下も彼の事を殿下と呼んでいた。
何故キルシュライトの王太子様が、アルヴォネンの深い森の中にいたのかは知らない。一歩間違えれば国際問題だっただろう。
だけれど、あの場は無かったことにされたので、問い質す事はもう出来ない。
キルシュライトの王太子様に殺された男は、私を追い掛けていた事を依頼だと言っていた。
一体誰が、なんのために私を。
おじ様は領主が裏切った、と言っていたけれど、私が感じていたのは領主がおじ様を軽蔑していた事だけ。
でも心が見えなくても、行動の端々から感じ取っていたのかもしれない。現に領主の私への殺害未遂関与は上がってこなかったが、賄賂や重税を課したり等の汚い事は幾つもやっていたみたいだ。
勿論領主はそのまま牢屋行き。然るべき罰を受けることになるそう。
ルーカスも調べてくれているが、敵意を向けられる理由はルーカスの婚約者に内定している事くらい。
きっと、私の能力に気付いてはいないはずだ。
一部だけしか、知らない。
知らない、はずだから。
毎晩悪夢を見ただけではなかった。
その後も食べ物に毒物が混入していたり、何度も刺客に襲われそうになった。その度に付き添ってくれていた、何人もの侍女が一人、また一人と辞めていく。
そして、私の能力で亡くなっていった人達と同じ道を辿るのではないか、とのおじ様に対する恐怖心にも挟まれていた。
首がキュッと締まるかのような、息苦しい日々だった。
いつ終わるか分からない、死と隣り合わせの日。
それが唐突に終わってくれたのは、私にとって幸せな事だったのだ。
例えそれが、――私を貶めるような悪い噂であっても。
誰が初めに話し出したのかは分からない。
曰く、アリサ・セシリア・マンテュサーリは誰にでも足を開くふしだらな女である。
曰く、アリサ・セシリア・マンテュサーリは目麗しい従僕を侍らせているふしだらな女である。
曰く、アリサ・セシリア・マンテュサーリは貴族、平民問わずに常に男を漁ってるふしだらな女である。
全て私の貴族令嬢としての振る舞いを辱めるような話だ。ほぼ内容自体は同じだが、まるであらかじめ起爆剤が設置されていたかのような速さで社交界に広まっていった。
噂の恐ろしい所は印象操作もあるが、それだけではない。
職業貴賤問わず、勘違いする者はいる。
貴族の男も、護衛騎士も、噂を信じた軽薄な男が無理強いをしようとして――、ルーカスに文字通りぶっ飛ばされていた。酷い者は刑罰も受けていた。
本来ならば護衛する立場の騎士が手を出そうとするこの状況に、ルーカスも事を重く見た。
聞きたくなくても耳に入ってくる。噂を信じた男がどんな目で私を見て、なにを思っているのか。おじ様の愛人ではないかという疑いすらあった。
気持ち悪い。
もうその頃には、すっかり私は男の人に対して恐怖を抱き、極力避けるような行動ばかり取っていた。
いざと言う時の為に、ルーカス指導のもと、女騎士と最低限の護身の術を学んだ。本格的じゃない。完全に倒しきらなくてもいい。一瞬の隙をついて逃げ出せるような、そんな感じのもの。
意外と筋が良くて、ルーカスにベタ褒めされたのだけれど、普通に嬉しくなかった。褒め言葉が「アリサが男だったら、僕と良いライバルになれてたのに……」だった。
本当に嬉しくない。
私がふしだらだという噂は勿論、おじ様の耳にも入っていた。私の能力を知らず、ルーカスの婚約者だと内定している事だけを察知していた一部の貴族が、猛反発したのは当然の流れだろう。
ふしだらな女を国王の、王太子の傍に置くのは如何なものか、と。
だから、それを利用させてもらった。ルーカスと共に。
「おじ様。最近私が傍にいるせいで、おじ様に対する不信感が積もっているのを感じてるの。ルーカスの為にも、きっと良くないと思うんだけど……」
切り出したのは私だった。おじ様の部屋に私とルーカスで押し掛けた。
ルーカスも私の言葉を引き継いで話し出す。慎重に言葉を選んでいた。ずっと私とおじ様を引き離したいが為に、動いてきたから。
「父上。最近アリサへの刺客がどんどん増えているんだ。このままではアリサの身が危険だから、どこかに避難させたいんだ。
――父上は、アリサに死なれたら困るだろう?」
それを聞いた時、おじ様はアメジストの石のように恐ろしく無機質な瞳をしていた。冷たく見下ろされて、手のひらに冷や汗が滲んだのを覚えている。
「……分かった。だが、どこに避難させるつもりだい?」
「マンテュサーリ領の一番大きな修道院を予定しているつもりだよ。アリサの父親のマンテュサーリ公爵の目が届く所で、彼女に護衛騎士を多く付けられるような場所なんだ」
「随分と用意が良いんだな」
「いいや、修道院の下見はしてないよ」
部下に下見させて、自分はしていないからと飄々と嘘をつくルーカス。その様子におじ様は深く目を閉じて数秒考えた後に、「良いだろう」と許可を出した。
その様子が酷く疲れきっているように見えた。
二人揃っておじ様の部屋から退出する。人通りのない場所まで来て、ルーカスは声を弾ませた。
「これで後は僕とアリサの婚約破棄だけだ」
「そうね。ルーカスはちゃんとティーナにアプローチはしてるの?」
「う……。痛いところを突くね……」
何も無いのに胸を押さえて呻くルーカスに「ヘタレ」と揶揄う。冗談交じりにルーカスはひとしきり笑った後、急に真剣な顔つきになった。
「でも本当にいいのかい?僕とアリサが婚約破棄をして、アリサが修道院に行ってしまえば、きっと社交界の人間は下衆な噂が本当だと思ってしまう。もうまともな結婚は出来ないようなものなんだよ?」
何度も念押しされた。ティーナにも引き止められた。でも、私は笑って頷く。
「いいよ。だってここは――……」
息苦しいから、なんて正直な言葉は続けられなかった。
だから無理矢理誤魔化した。
「命あってこそだからね。むしろ結婚相手が平民まで広がるんじゃない?」
「呑気な……」
呆れた視線を向けられたけど、ティーナにも散々心配掛けた。まだ全く心配掛けない訳じゃないし、迷惑も掛けてしまうけど、やっとこの様々な思惑が飛び交う王城から抜け出せると思っていた。
私の能力のせいで、人を殺める心配はない。おじ様に裏切りを疑われている心配もない。ルーカスの恋路の邪魔もしなくて済む。
「しかし、恋か~。私にも出来るのかなあ?好きな人」
「急にどうしたんだい?」
「いや、ルーカスとティーナを見てると恋って羨ましいなあ……と。なんか二人の世界って感じで」
まあ、男の人に恐怖心を持ってしまう時点でそれは遠そうだなあ。
「二人の世界か……そうかそうか」
ニマニマと一人で笑い出すルーカスに、「なんか気持ち悪い」と言葉のナイフで刺し、順調に進んでいく話に内心ホッとしていた。
結婚に憧れがなかった訳ではないけど。
正式に発表されていなかったが、ルーカスの婚約者は私だと暗黙の了解のようになっていた。
だからその後、ルーカスとティーナの婚約発表でその暗黙の了解を払拭して、あとは修道院の受け入れ体制が整うのを待つだけだった。
隣国、キルシュライト王国から縁談が届くまでは。
薄暗い雨の中をずっとさまよっている夢。走り続けて、走り続けて、そして突然男が現れる。私の手を掴むのだ。
ああ、今回も間に合わなかったと。
私は何度も何度も死ななければならないという暗示にかかる。貴族令嬢の矜恃を持って死ね、と。
おじ様は相変わらず何を考えているのか分からない。
私達が欺いている事をおじ様は知っているかもしれない、とルーカスには伝えている。けれど、おじ様が私に対してそれからリアクションを起こすことはなかった。それが一層不気味で、何を考えているか全く分からない。
元々強く思わなければ聞き取れない、欠陥だらけのような能力なのだ。それを充分に分かっているおじ様にとっては、対処は出来る話だった。
助けてくれた少年の事についてもルーカスには話した。きっとキルシュライト王国王太子、ローデリヒ・アロイス・キルシュライトだろうと教えてくれた。
見た目の年齢的にも合致する。おじ様もキルシュライトの王太子と言っていたし、少年の部下も彼の事を殿下と呼んでいた。
何故キルシュライトの王太子様が、アルヴォネンの深い森の中にいたのかは知らない。一歩間違えれば国際問題だっただろう。
だけれど、あの場は無かったことにされたので、問い質す事はもう出来ない。
キルシュライトの王太子様に殺された男は、私を追い掛けていた事を依頼だと言っていた。
一体誰が、なんのために私を。
おじ様は領主が裏切った、と言っていたけれど、私が感じていたのは領主がおじ様を軽蔑していた事だけ。
でも心が見えなくても、行動の端々から感じ取っていたのかもしれない。現に領主の私への殺害未遂関与は上がってこなかったが、賄賂や重税を課したり等の汚い事は幾つもやっていたみたいだ。
勿論領主はそのまま牢屋行き。然るべき罰を受けることになるそう。
ルーカスも調べてくれているが、敵意を向けられる理由はルーカスの婚約者に内定している事くらい。
きっと、私の能力に気付いてはいないはずだ。
一部だけしか、知らない。
知らない、はずだから。
毎晩悪夢を見ただけではなかった。
その後も食べ物に毒物が混入していたり、何度も刺客に襲われそうになった。その度に付き添ってくれていた、何人もの侍女が一人、また一人と辞めていく。
そして、私の能力で亡くなっていった人達と同じ道を辿るのではないか、とのおじ様に対する恐怖心にも挟まれていた。
首がキュッと締まるかのような、息苦しい日々だった。
いつ終わるか分からない、死と隣り合わせの日。
それが唐突に終わってくれたのは、私にとって幸せな事だったのだ。
例えそれが、――私を貶めるような悪い噂であっても。
誰が初めに話し出したのかは分からない。
曰く、アリサ・セシリア・マンテュサーリは誰にでも足を開くふしだらな女である。
曰く、アリサ・セシリア・マンテュサーリは目麗しい従僕を侍らせているふしだらな女である。
曰く、アリサ・セシリア・マンテュサーリは貴族、平民問わずに常に男を漁ってるふしだらな女である。
全て私の貴族令嬢としての振る舞いを辱めるような話だ。ほぼ内容自体は同じだが、まるであらかじめ起爆剤が設置されていたかのような速さで社交界に広まっていった。
噂の恐ろしい所は印象操作もあるが、それだけではない。
職業貴賤問わず、勘違いする者はいる。
貴族の男も、護衛騎士も、噂を信じた軽薄な男が無理強いをしようとして――、ルーカスに文字通りぶっ飛ばされていた。酷い者は刑罰も受けていた。
本来ならば護衛する立場の騎士が手を出そうとするこの状況に、ルーカスも事を重く見た。
聞きたくなくても耳に入ってくる。噂を信じた男がどんな目で私を見て、なにを思っているのか。おじ様の愛人ではないかという疑いすらあった。
気持ち悪い。
もうその頃には、すっかり私は男の人に対して恐怖を抱き、極力避けるような行動ばかり取っていた。
いざと言う時の為に、ルーカス指導のもと、女騎士と最低限の護身の術を学んだ。本格的じゃない。完全に倒しきらなくてもいい。一瞬の隙をついて逃げ出せるような、そんな感じのもの。
意外と筋が良くて、ルーカスにベタ褒めされたのだけれど、普通に嬉しくなかった。褒め言葉が「アリサが男だったら、僕と良いライバルになれてたのに……」だった。
本当に嬉しくない。
私がふしだらだという噂は勿論、おじ様の耳にも入っていた。私の能力を知らず、ルーカスの婚約者だと内定している事だけを察知していた一部の貴族が、猛反発したのは当然の流れだろう。
ふしだらな女を国王の、王太子の傍に置くのは如何なものか、と。
だから、それを利用させてもらった。ルーカスと共に。
「おじ様。最近私が傍にいるせいで、おじ様に対する不信感が積もっているのを感じてるの。ルーカスの為にも、きっと良くないと思うんだけど……」
切り出したのは私だった。おじ様の部屋に私とルーカスで押し掛けた。
ルーカスも私の言葉を引き継いで話し出す。慎重に言葉を選んでいた。ずっと私とおじ様を引き離したいが為に、動いてきたから。
「父上。最近アリサへの刺客がどんどん増えているんだ。このままではアリサの身が危険だから、どこかに避難させたいんだ。
――父上は、アリサに死なれたら困るだろう?」
それを聞いた時、おじ様はアメジストの石のように恐ろしく無機質な瞳をしていた。冷たく見下ろされて、手のひらに冷や汗が滲んだのを覚えている。
「……分かった。だが、どこに避難させるつもりだい?」
「マンテュサーリ領の一番大きな修道院を予定しているつもりだよ。アリサの父親のマンテュサーリ公爵の目が届く所で、彼女に護衛騎士を多く付けられるような場所なんだ」
「随分と用意が良いんだな」
「いいや、修道院の下見はしてないよ」
部下に下見させて、自分はしていないからと飄々と嘘をつくルーカス。その様子におじ様は深く目を閉じて数秒考えた後に、「良いだろう」と許可を出した。
その様子が酷く疲れきっているように見えた。
二人揃っておじ様の部屋から退出する。人通りのない場所まで来て、ルーカスは声を弾ませた。
「これで後は僕とアリサの婚約破棄だけだ」
「そうね。ルーカスはちゃんとティーナにアプローチはしてるの?」
「う……。痛いところを突くね……」
何も無いのに胸を押さえて呻くルーカスに「ヘタレ」と揶揄う。冗談交じりにルーカスはひとしきり笑った後、急に真剣な顔つきになった。
「でも本当にいいのかい?僕とアリサが婚約破棄をして、アリサが修道院に行ってしまえば、きっと社交界の人間は下衆な噂が本当だと思ってしまう。もうまともな結婚は出来ないようなものなんだよ?」
何度も念押しされた。ティーナにも引き止められた。でも、私は笑って頷く。
「いいよ。だってここは――……」
息苦しいから、なんて正直な言葉は続けられなかった。
だから無理矢理誤魔化した。
「命あってこそだからね。むしろ結婚相手が平民まで広がるんじゃない?」
「呑気な……」
呆れた視線を向けられたけど、ティーナにも散々心配掛けた。まだ全く心配掛けない訳じゃないし、迷惑も掛けてしまうけど、やっとこの様々な思惑が飛び交う王城から抜け出せると思っていた。
私の能力のせいで、人を殺める心配はない。おじ様に裏切りを疑われている心配もない。ルーカスの恋路の邪魔もしなくて済む。
「しかし、恋か~。私にも出来るのかなあ?好きな人」
「急にどうしたんだい?」
「いや、ルーカスとティーナを見てると恋って羨ましいなあ……と。なんか二人の世界って感じで」
まあ、男の人に恐怖心を持ってしまう時点でそれは遠そうだなあ。
「二人の世界か……そうかそうか」
ニマニマと一人で笑い出すルーカスに、「なんか気持ち悪い」と言葉のナイフで刺し、順調に進んでいく話に内心ホッとしていた。
結婚に憧れがなかった訳ではないけど。
正式に発表されていなかったが、ルーカスの婚約者は私だと暗黙の了解のようになっていた。
だからその後、ルーカスとティーナの婚約発表でその暗黙の了解を払拭して、あとは修道院の受け入れ体制が整うのを待つだけだった。
隣国、キルシュライト王国から縁談が届くまでは。
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