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前編

反抗とほんの少しの進歩。(他)

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「アルヴォネンの王太子殿下ご夫妻の歓迎パーティーに奥方様が……?!」

 栗色の瞳を大きく揺らして、ヴァーレリー・ハーゼナイは声を上げた。隣にいる男――イーヴォも驚いたように口を開ける。

 キルシュライト王国首都キルシュ。その中心に位置する王城の一室――王太子の執務室で二人の男と、少女のような風貌をした侍従は顔を突き合わせていた。

「いやいやいや!奥方様元婚約者と会うの?!アルヴォネンでがあったのに?!」

 イーヴォの素っ頓狂な声にローデリヒは渋い顔をした。ローデリヒだって、本音は歓迎パーティーという公共の場に出したくはない。ましてやアリサの元婚約者が出席するパーティーだ。

 アリサを元婚約者に会わせることに、自分自身気分が悪いのか。
 アリサが過去の記憶を取り戻して、以前のように元気のない彼女に戻るのが嫌なのか。
 両方なのかもしれない。どちらにしても、私情が入りまくっている事に変わりはない。

「私だって嫌だ。……だが、アリサがを選択する事に必要だと」
「これから先を選択?どういった意味でしょうか?」

 幾分か冷静になったヴァーレリーが訝しげな表情になる。考え込むように口元に手を当てるヴァーレリーに、ローデリヒは気まずそうに足を組んだ。

「……アリサが望むなら、離縁も受け入れる、と」

 未だに衝撃から帰ってこないイーヴォは勿論、ヴァーレリーですら言葉を失った。原則的に王太子の離縁は認められていない。

 国同士の結び付きを深める為に、政略結婚が多かった過去。長い歴史の中でも王太子や国王が離縁したという記録は、片手もないくらいの事例だ。基本的に政略結婚は個人の話ではない。
 だから、離縁も国同士に何かあった場合でしかしていない筈だ。

「どうしてそこまで……」
「……殿下は、良いんですか?離縁って事になっても……」

 愕然としたヴァーレリー。イーヴォはギュッと眉を寄せて、心配そうに自らの主を伺った。

「大丈夫だ。私から提案した事だからな。まだ確定していない事だから内密にしておくように」

 うっすらと口元を上げ、平気だというようにローデリヒは微笑んだ。だが、部下達にはそれは誤魔化しにしか見えなかった。

「分かりました。ですが、その後については考えておられるのでしょうか?」
「いや、具体的な事についてはまだ詰めていない。彼女の意向を聞いてからだな。……まだ私も若いし、もし離縁となっても、慌てて再婚相手を見つけなくても大丈夫だろう」

 その言葉にイーヴォは目を丸くした。乳兄弟のイーヴォから見たローデリヒは、幼い頃より実直な人間だった。
 少々頭の硬い所はあるが、基本的には真面目をそのまま体現したかのような性格で、過去を遡っても曖昧な事は言わないタイプ。

 これは、相当離縁について考えたくないのだろう、と長年の付き合いのイーヴォは推察する。考えたくないのならば、提案しなければいいのに……とは思うが。

「承知致しました。では、パーティー会場の警備を見直して参ります」

 何も言わずに一礼したヴァーレリー続いて、慌ててイーヴォは頭を下げた。
 そのまま執務室から退出した二人だったが、人がいないと確認したヴァーレリーは、こっそりとイーヴォに耳うちをする。

「イーヴォはこの件についてどう思う?」
「まあ……、北への遠征から間を置かずに大変な案件が出てきたなあって感じだけど?」

 頭の後ろで手を組んだイーヴォは、一見能天気そうに見えた。内心、自らの主夫妻の関係が中々拗れているなと冷や冷やしているが、ヴァーレリーには伝わらない。

「そう?私はまた奥方様が殿下に対して我儘言っているなと思ったよ」
「我儘……まあ、そうとも取れるけどさ……」

 呆れたようにエメラルド色の瞳を細めたイーヴォに、ヴァーレリーは険しい顔で言葉を重ねる。

「やっぱりあの奥方様は殿下に迷惑を掛けてばかりだ。子供を産むという王太子妃の一番の仕事はしたけれど、その他の公務は全くせずに、ただただ屋敷の中に引きこもっているだけ。王太子妃としてどうなの?殿下に守られてぬくぬくして――」
「そこまでだ。ヴァーレリー」

 ヴァーレリーの言葉をイーヴォは遮る。その声は硬い。パッと見イーヴォはふざけたような人間に見えるが、超えてはいけないラインを見極めるのは上手かった。

「ヴァーレリー、お前は何故そう奥方様に突っかかるんだ?主君の妻の文句を言える程、偉い人間なのか?」

 イーヴォの言葉にヴァーレリーは息を飲む。イーヴォは体格が良い。小柄なヴァーレリーにとって、至近距離から見たイーヴォはとても迫力があった。

「……私は自分の事を偉い人間とは思っていない。けれど、努力すらしない人間を私は許せない」

 負けじとイーヴォを見上げて、ヴァーレリーは突っかかる。

「そんなお綺麗な事を言える所が、まだまだ甘いんだよ。なぁ、お嬢さん?」

 ニヤリ、と嫌味ったらしくイーヴォは微笑んだ。その声音は、完全にヴァーレリーの事をからかっているものだった。

 ハーゼナイ侯爵家の末娘として生まれたヴァーレリーは、誰からもちやほやされて育ってきた。
 確実にこれから出世するであろう、伯爵家のイーヴォとの婚約は幼いうちに決まっていた。このままであれば、彼女はずっとちやほやされ続けて一生を終えたであろう。

 だが、彼女が選んだのは文官になるという茨の道だった。

 その夢を叶える為に、ヴァーレリーが努力をし続けてきたのをイーヴォは知っている。
 知っているからこそ、彼女の父親であるハーゼナイ侯爵の説得をローデリヒに頼み、共にしたのだ。逆にローデリヒとイーヴォが説得したからこそ、ヴァーレリーは今の地位にいれる。

「奥方様が王太子妃としてどうか素質を問われるなら、ヴァーレリー、お前はとしてどうなんだ?」

 一般的に貴族令嬢は成人してすぐに嫁入りをする。早いうちに跡継ぎを産む為だ。そして、家に入って家業などの手伝いや、社交界で繋がりを広めたりする。

 一部の例外は、魔法がとても使える令嬢だけ。国からスカウトされて、仕事をする事になる。ただし、国からスカウトが来るまでの令嬢はかなり少ない。

「……なに?イーヴォまでだなんて言うの?」

 だから、ヴァーレリーのような文官を目指す令嬢は珍しかった。
 おまけに次代の国王であるローデリヒの覚えめでたい。本人も優秀だ。色々な所からやっかみがあるのは当然だった。

「いや、そうは言ってねぇよ。ヴァーレリーは頑張っていると思う。……だが、ヴァーレリーが言う奥方様としての仕事は、ヴァーレリーにとっての貴族令嬢の仕事と同じじゃねぇの?」

 ヴァーレリーは無意識に手のひらを握り締めた。ヴァーレリー自身でも、指先が白くなるほど力を込めている事に気付かない。

 彼女は何も言えなかった。

 陰で囁かれている、という呪いのような言葉を払拭したくて、ヴァーレリーはがむしゃらに努力に努力を重ねた。
 けれど、それは同時に一般的な貴族令嬢としての役割を果たしていない事になる。

 イーヴォが許してくれているだけで、本来ならば今頃はイーヴォの元に嫁いでいてもおかしくはない。
 貴族夫人らしく、イーヴォの家の家業の手伝いと、社交界へのコネクション作りに励んでいる時期だった。

「ヴァーレリーの努力を俺は知ってる。否定するつもりもねぇよ。……ただ、お前が奥方様に対して思ってる気持ちの中に、嫉妬が入ってるんじゃねぇの?」
「そんな……ことは……」

 ヴァーレリーの声は掠れていた。勢いを無くした彼女の言葉は尻すぼみになる。

「この王城でヴァーレリーが自分の地位を確立するのに苦労してるのは分かる。だから、結婚しただけで王城内で揺らがない地位を築いた奥方様が許せないだけじゃねぇの?」

 ヴァーレリーはもう何も言わなかった。
 言えなかった。

 腹に一物抱えた人間がウロウロしている王城で、ヴァーレリーは真面目にこの王国に貢献したいが為にひたすら努力を続けてきた。

 だからこそ、表舞台に顔を見せない王太子妃の事が許せなかった。実直で堅物のローデリヒに相応しくないとさえ思っていた。

 それが傲慢な考えである事にも気付かずに。

「ヴァーレリー?」

 幾分か軽い調子を取り戻したイーヴォは怪訝な表情を浮かべた。黙り込んでしまったヴァーレリーの顔を覗き込む。

 ヴァーレリーはそんなイーヴォにギッとひと睨みする。ふっくらとした唇は噛み締めている為か、歪んでいた。踵を返して一人廊下をカツカツと靴音を鳴らしながら、自分の仕事へ戻って行く。

「……反抗期かな?」

 その後ろ姿を見送ったイーヴォは、赤髪を乱暴にかきあげる。首を捻りながら、彼も自身の持ち場へと戻る為に気持ちを切り替えた。



 ーーーーーーーーーーーーー
 ーーーーーーーー



 一人残った王太子の執務室。
 ローデリヒは俯いて、顔を覆った。

 思い出すのは、イーヴォとヴァーレリーの驚いた顔。
 自分でも愚かな事をしているとは充分に理解している。

 離縁なんて、王族が自由にしていいものではない。けれど、記憶が混乱している妻の様子を見れば、離縁した方がいいのではないかという思いが強い。

 記憶が混乱する前、アーベルを微笑ましく見守っていた彼女の姿を思い出す。どこか空虚で、まだ若いはずなのに達観したような、疲れ切っているようにも見えた。

 ――「私、貴族令嬢としての義務は果たせないと思います」

 結婚初夜にローデリヒに向かって言い切った彼女を思い出す。幸いな事に彼女との間にはアーベルが生まれたが、結婚三年目の今ではその言葉の意味を充分に理解している。

 初めて見た時の印象は、だった。
 ろくに言葉は交わしていない。だけれど、彼女は幸せにやっているだろうかと、時々思い出す位には可哀想な令嬢だという印象が強かった。

 だけれど、今はどうだ。

 ふとした時に蘇る記憶にも、知らぬ間に心に巣食っているトラウマに怯えながらも、以前よりも生命力に満ちている。

 ――「むしろ望むところです」

 その言葉は、以前の彼女だと考えられなかった。

 彼女が元気になってくれたのは喜ぶべき事。ローデリヒ自身が望んでいた事。
 彼女があまりにも可哀想だと思ったから、諦めて欲しくないと思ったから。

 同情だったじゃないか、最初は。

 だから、この胸を抉り取られるような痛みは、

 きっと気のせいだ。
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