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第61話 碧色の刃

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「グガアアアアアアアアッ!!」

 遙か上空。

 小さな体躯から振り絞るように叫び声を出す、黒衣の幼女。

 金髪のツインテールに貧相な胸、毅然とした紅い瞳に鮮やかな虹色の輝きを見せる大翼。
 
 薄闇の中、宙に浮かんで神々しい輝きを帯びる彼女は、まるで女神のような美しさだ。

 毒を孕み、触れるもの全てを破壊する存在であることを一瞬忘れそうになる。

 市民たちはすでに彼女の恐ろしさをその身で痛感し、狼狽え、逃げ出し、命だけは助けてくれと懇願する。

 誰も彼女を止めようとしない。

 高位の存在に抵抗することは無駄だと諦め、ただただ祈り続けるのみだ。

 誰も彼女と対等になろうとしない。抵抗しようとしない。対話をしようとしない。友好を築こうとしない。

 だから、彼女は一人きりだった。

 黒衣の幼女は咆え続ける。
 彼女の相棒である少年はただ悲しい、と思った。

 その叫び声には、一人きりである自己を呪う、悲痛なまでの想いが込められていることを感じたからだ。

 大量の魔魂に侵され、自分の意思とは反する行動を取る彼女。

 彼女は暴走しているだけだ。なのに、周囲は誤解して、彼女を助けてはくれない。

 命だけは、と助けを求める市民は気付いていないのだ。

 本当に助けを求めているのは、空中で誰にも届かない叫びを発している彼女の方なのだと。

 誰も助けてくれない。彼女は絶望している。

 そんな彼女を正面に据えて、島都市の一角に堂々と立つ少年がいた。

 一般人は誰も助けてくれない。それは確かだ。

 そんなに簡単に三大魔祖の恐怖は消えない。

「――でもな、ユリファ」

 少年――御神竜弥はぽつり、と呟く。そして、

「俺がいるだろ?」

 彼は今まで見せたことがないほど優しい笑顔を、黒衣の幼女――ユリファ・グレガリアスに向ける。

「日本に異世界が転移してきた日から、実はまだ二週間も経ってないんだぜ。びっくりするだろ。なんだかすごく長い時間、ユリファと一緒にいた気がするよ」

「…………」

 紅の瞳に殺気を宿らせたユリファは叫ぶことをやめ、口を閉ざして竜弥を鋭く睨みつけた。

 だが、彼は一歩も引かない。恐怖しない。

「俺はもっとお前と一緒にいたい。異世界は危険なことばっかで正直嫌になるけど、それでもちょっとだけ楽しいと思えたんだ。お前がいてくれたから、俺はここまで来ることができたんだ」

 竜弥は右手を大きく横に突き出す。

 彼の鋭い双眸は大事な相棒だけを見ていた。

「――ユリファ、俺はお前を……助けたい」

 彼の発言にユリファは少しだけ驚いたように目を開いて、そして、大きく腹を抱えてけたたましい笑い声を上げる。

 彼女のその嘲笑に竜弥は全く動じない。ユリファは不快そうに頬を歪める。

 たぶん、今までにも彼女を助けたいと言った人間はいただろう。

 そんな風に優しい言葉をかける人間が一人もいないほど、この世界が腐っているとは思いたくない。

 だが、おそらくそういう人間たちは口だけで終わってしまっていたのだ。

 口だけで、彼女を助けると言った者。
 口だけで、仲間になると言った者。
 口だけで、一緒に戦うと言った者。

 その全ての者は、彼女の圧倒的な力の前に立ち去る他なかったのだろう。

 善意の言葉も結果が伴わなければ、ユリファにとっては意味がない。
 彼女の心に残るのは、一人きりにされたという事実だけだ。

 だが、竜弥は違う。

 彼には、ユリファの前から立ち去った全ての人間と明確に違う点がある。


 そう、御神竜弥は彼女に並び立つことのできるほどの力を持っているのだ。


「……初めて、この力に感謝するぜ」

 竜弥が水平に伸ばした右腕、その右手の内が一瞬、鋭い碧の閃光を放った。

 驚愕の表情を浮かべたユリファの視線の先で、竜弥の右手から激しい魔魂の光が噴出する。

 それは一定の長さまで伸びると、刃のような輪郭を形成していく。

 その刃は碧色の魔魂によって下地が作られ、その輪郭を這うように虹色の光が滲む。

 竜弥が右手を横一閃すると、綺麗な虹色の魔魂がその刃筋に残って輝く。

 そうして振り下ろした竜弥の右手には、常時魔魂を噴出させることで形成した碧の刃が握られていた。

「ウ、ウアア……?」

 魔魂を常時放出して武器とする存在など、ユリファ・グレガリアスは見たことがなかった。

 高位存在も行わない強引なやり方だ。ユリファが竜弥の真似をすれば、体内の魔魂はどんどんと減っていき、いずれは枯渇するだろう。

「俺さ、ずっと思ってたんだ。一人で戦えるようにならなくちゃって。でも、そうじゃなかったんだよな」

「……?」

「大切なのは、目的を達成すること。だから、俺はなんだって利用する。みんなの力も借りる。知恵も借りる」

 竜弥は握っていた右手を少しだけ開いて、ユリファに見せた。

 そこにあったのは、リディガルード上空での攻防時に、偶然手に入れた逆転の一手。

 竜弥の手に握られていたのは、碧竜が対空砲火を受けた時に剥がれ落ち、彼に向かって飛んできた一枚の鱗。

 碧竜の鱗には、魔魂を吸収し、それを棘のような形で放出する機能がある。それを利用し、竜弥は疑似的な魔魂の刃を形成することに成功したのだ。

 膨大な魔魂を流し込まれて作られた刃は、そこらの刃物とは比べ物にならない切れ味を誇る。

 御神竜弥は碧色の刃を、三大魔祖ユリファ・グレガリアスへと向けた。

「これで力は得た。あとはお前を止めるだけだ、ユリファ!」

「ウウウウウ……ウォオォォワアアアアアア!!」

 竜弥の叫び声に反応するように、獣と成り果てた相棒は黒光の魔魂弾を周囲に生成、超音速で竜弥のもとへと撃ち込む。

 一つ一つが重い砲弾のように地面に沈み、強烈な爆発を起こす。だが、竜弥がその攻撃に巻き込まれることはなかった。

「助かったぜ、エイド。よし、ラストスパートだ!」

 魔魂弾が直撃する寸前、竜弥を抱えて建物の上に飛び上がったのは、リーセア王国魔術師軍の長、エイド・ダッグマンである。

 エイドは竜弥が本当に生み出してしまった規格外の魔魂武器に苦笑する。

 優しく刃の表面を指でなぞったエイドは、自身の血液が溢れ出ることも気にせず、刃をなぞりきった。淡い光が刃に宿る。

「これで準備は完了だよ。竜弥くん。さあ、愛しのユリファ様を助けるとしようじゃないか!」

「ありがとな、エイド。落ち着いたら、ゆっくり飯でも食いに行こうぜ」

「それはぜひ。約束だよ。だから……死なないでくれ」

「ああ、わかってる」

「ウアアアアアアワワワオオオアアアアアア!!!!!」

 ユリファの意味のない絶叫は激しくなる。

 彼女の紅い瞳と連動して、竜弥たちを囲むように紅蓮の魔法陣が出現する。

 黒い放電現象を起こした魔法陣から、ドス黒い魔魂の槍が突き出され、それが無数に襲い掛かる。

 しかし。

 竜弥を囲むように展開された青色の小型魔魂シールドが、全ての黒槍を押し返した。

 携帯していた通信用魔導品から、呆れたような声が響く。

『竜弥さま、さっさと問題を収束させてください。「存在しない結社」はすでに撤退を開始しています。あなたがたの問題さえ解決すれば、この街には平和が戻ってくるんです。私も、都市長も、事態収束のために力をお貸しします』

『そういうことだよー! もう策はあるんでしょ~? 早くユリファちゃんを元に戻してあげて!』

「サポーター」の声に続けて、テリアの声が通信越しに聞こえ、竜弥は首を傾げる。

「テリア、お前なんか、今までより元気じゃないか?」

『そのことは後! 今は目の前に集中~!』

 それもそうだ、と竜弥はもう一度、真剣な表情で正面に向き直る。

「ユリファ、どうやらお前の攻撃はもう、俺のもとまで届かないみたいだぜ。そんな錯乱した状態じゃ、勝てるものも勝てねえよ」

「ウ、ウアアアアッ!! ……りゅう、やッ! ガガアアアアアアッ!!」

 一瞬、ユリファの絶叫の中に、竜弥を呼ぶ言葉が交じった。

 竜弥は空中でもがく相棒としっかり目を合わせる。

 ユリファ・グレガリアスの紅い瞳からは、どこまでも透き通った涙が流れ出ていた。

 それは彼女が三大魔祖の本質である暴虐に抵抗している証だ。

「りゅう、や……」

 彼女の消えそうな自我は、それでも声を震わせながら、自分の相棒へと呼びかける。

 その言葉は、彼女がずっと胸のうちに隠していた本音だ。

「りゅうや…………助けて」

 三大魔祖として、孤独に生きることを覚悟していた彼女が誰にも言わなかった心の声。

 それを受け取って、彼女の相棒として支えると決めた少年は碧色の刃を構えた。

「――ああ! 任せとけ!」
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