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復唱してもらってもいいですか?
しおりを挟むスマホの着信音で目が覚めた。
布団から手を伸ばして表示されている名前を見る。
はぁ。
かかってくるとは思ってたよ。
朝から重たい気分で通話ボタンをタップして、スマホの向こうのひとの話をひたすら耳で受け止める。
お腹の上で、ほっけがちょっと身じろぎした。あたしが相槌打ってるのが気に障ったのか、するりと滑り降りて、そのまま身体をひっつけて再び寝る体勢だ。
あたしは適当に返事と相槌を返して、電話を切った。
お母さんからの抗議の電話だった。抗議というか、
『あんないいひとから断られるだなんて、あんたはもう!』
というやり場のない憤りをぶつけてきただけだ。条件だけ見ればいいひとですけどね、母よ。人間として惹かれるモノがないんだもん。というか、あたし振られたことになってんの?
どんだけご都合主義なんだよ城田さんってば。
あのあとすぐ、断りの連絡があったんだろうな。
課長のことはなにも言われなかったから、黙っててくれたんだろうか。
いや、あのひとのことだから、既婚者に負けたっぽい自分を受け入れられなかっただけな気もするけど。
はぁ。
課長か……。
昨日、あのままどこかへなだれ込む、って展開にはならなかった。
ほっけがいるし、いきなり家を空けたくなかった。猫だから一日くらいは大丈夫なんだけどね。
―――そんなだからきっと、『猫中心の生活』ってバカにされるんだろうな。母よ、あなたは正しかった。
まぁね。ほっけのことだけじゃないのよ? あのまま流れに任せて、っていうのはあまりにも衝動的過ぎだし、奥さんの存在もある。
はぁ。
昨日帰ってきてから結局いろんなこと考えちゃって、どうしてもひとつの答えにしか辿り着けなかった。おかげでなかなか寝付けなかったんだよね。
時間はまだ、うん、九時をちょい過ぎたくらいか。
ほっけも温かいし、もうひと寝入りしよ。眠りは思考を整理してくれるっていうもん。寝ればきっとなにか、もっと違う解決策というかそういうの、道というか、見えてくるかもしれないし。
……はぁ。
キス、しちゃったんだよな……。
普段枯れてるくせに、あんな情熱的なキスは反則だよ。
ハーフのなせるワザ? もともと若い頃はやりたい放題って言ってたしな。
やるじゃん、課長。あなどれん。
じゃなくて。
……はぁ……。
「寝よ……」
布団にもぐり直してほっけの身体を撫でた。もう爆睡してやがる。さすが猫。
微睡みを破ったのは、またもスマホの着信音だった。
なに、お母さん。まだ言い忘れたことでもあるんですかー。今度はこっちも文句を言ってやろう。
不機嫌な気分で表示も見ずに通話ボタンを押して耳に流れてきた声に、あたしは一気に目が覚めた。
「―――はい。ではそのようにお願いします。ご無理申し上げて誠に申し訳ありませんでした。はい。はい。いえ。失礼いたします」
相手先が受話器を置いたのを確認して、あたしもゆっくりと受話器を下ろした。
「はぁぁ~。なんとかなったぁ……」
「お疲れ。災難だったな、せっかくの休日なのに」
隣の島の溝口さんがねぎらいの言葉をかけてくれた。
「送電線引っかけて施設に突っ込むだなんて、クレーン車もいいかげんにして欲しいですよ、もう。なんとかなったから良かったですけど」
「こういうのたまにニュースで見るけど、実際に影響あったのはおれも初めてだよ」
「まさか自分の身に降りかかるとは思いませんって」
机の上に散らばったメモやら書類やらを片付け始める。
朝、あたしの目を覚ました電話の主は、溝口さんだった。
会社自体は休日でも、物流のどこかで問題が起きるのは平日も休日も関係がない。取引先から急な連絡が入ることもごくごくたまにだけどあるから、当番制でウチの課ではふたつの島から八人が留守番をするようになっている。今日の留守番当番は、溝口さんだったのだ。あたしもきっとあと数年もしたら、当番のメンバーに推挙されるはず。嬉しくない。
溝口さんからの電話はこうだった。
T区で走行中のクレーン車が送電線を引っかけてしまい、一帯が停電となった。その中にある、ウチが管理している倉庫も影響を受けた。
停電だけならなんとかなっただろうけど、クレーンのアームはそのまま変電所だかなんだかにも突っ込んだらしくて、復旧にどれだけ時間がかかるか見当もつかない状態らしい。
この事故で、ウチの取引先が使っている冷蔵と冷凍が、もろに被害を受けた。この取引先を担当しているのがあたしなもんだから、呼び出しを受けたというわけ。
取引先とも連携をしつつ、冷蔵冷凍を他の倉庫や提携先、特に冷凍に至っては、万一のときのために常に押さえてある冷凍車に緊急避難させる手配を取り付け、ついさっきの電話で、すべての商品が無事避難でき、冷凍車に一時避難させていた商品も、なんとか別の倉庫の隙間に保管が完了できたことが確認できたのだ。
気がつけば十六時。送電線切断と電気の施設がやられた事故の対処としては、うまく運んだと思う。窓の外では、既に夕方へと光の色は緩みだしている。
あたしの貴重な休日が、クレーン車に奪われていく……。
「じゃあ、わたし、お先に失礼します」
月曜は書類が山のように降ってくるぞ。そう覚悟をしながら溝口さんに頭を下げたときだった。
「お疲れさまです。T区のクレーン事故、いまさっき知ったんだけど」
そう溝口さんに言いながら大きな歩幅で入ってきたひと影があった。
課長だ。
うぉぅ。
思わず一瞬、足を止めてしまった。まさかこんなところで会ってしまうとは。
大きい事故だったから、もしかしたらとは思ったんだけど。こんな時間になっちゃったから来ないのかなと思ってた矢先だから、息も止まってしまう。
「あ、加持さん。担当だったよね。どう? 大丈夫?」
「はい。被害に遭った商品もありましたが、九割方は他の倉庫に無事割り振れました」
昨日の夜のことなんてなかったかのように、課長は平然としている。だからあたしも、いつものように仕事用の顔を貼り付けて、これまでの経緯を報告をする。
「報告書はいつものところにありますので」
「そう。悪かったね、休みなのに。お疲れさま」
「あ、はい。お先に失礼します」
「んー。彼氏によろしく」
帰ろうとしたあたしの背中に、溝口さんの爆弾発言が突き刺さった。
か。かかか彼氏!?
誰の!?
ていうか、課長の前でッ!
「はい?」
思いきり胡乱な顔で振り返ると、溝口さんはあれ? という顔になった。
「加持さんの彼氏じゃないの? 昨日、会社の前で『加持さんはまだ退社じゃないんですか?』っておれ色男に訊かれたし」
!
城田さんだ。
城田め……。あやつ、ひとの会社の前で気取ってんじゃないわよ、まったく。
「親戚の知り合いです。連絡の行き違いがあったみたいで待ってたみたいですけど、彼氏じゃありませんから」
最後のひと言を特に強く発音しておいた。
「またまたぁ。ようやく春が訪れたのかって喜んだんだけど?」
「あんなひとと付き合うくらいだったら、極寒の真冬の北極圏を裸で横断するほうを断然選びます」
「わは。言うねぇ。僕もさ、実は『こんなのが彼氏なわけ?』って思ったんだよね。なにされたとかじゃないんだけど、なんとなく。かっこいいのにもったいないよな」
「娘さんが引っかからないように、気をつけておいたほうがいいですよ。本気でアドバイスしておきます」
「へぇ。うん、判った。娘にも言っておくわ」
「どうもです。一応、念のため復唱してもらってもいいですか? 『あれはわたしの彼氏じゃありません』」
「ぶッ。くくく。『あれは加持さんの彼氏じゃありません』」
「そうです。課長も、溝口さんの勘違いを信じないようにお願いします」
「―――ん? ごめん、なにが?」
いつもどおりな反応に、あたしと溝口さんは顔を見合わせ、がくりとなる。
あたしの上げた報告書を読んでるんだろう。
お仕事モードの課長に世間話を振ったあたしがバカだった。
「いえ。いいです。お先に失礼します。なにかあったら連絡お願いします」
「判った。お疲れさま」
「お疲れー」
男どもの声を背中に、あたしは今度こそフロアから出ることができたのだった。
あー、心臓止まるかと思った。三秒くらい止まったかも。昨日の今日で顔を合わせるのは、やっぱ、精神衛生上よろしくない。
でも課長、ホントにいつもと変わんなかったな。
あの自制心は、尊敬モノだわ。
部屋に戻って玄関を見ると、下駄箱の上にスマホが置いてあった。
「え」
あたし、スマホ忘れてた……んだ……。全然気付かなかった。
んな~ァ。
「ほっけ~。ただいまー。お留守番ありがとー」
出迎えてくれたほっけを抱っこし、頬ずりをする。そのまま手を伸ばして取ったスマホに表示されていたのは、課長の名前だ。
うわぁ。あたしがここ出た直後とお昼と夕方にかかってきてる。会社で顔合わせたときいつもどおりだったけど、やばいなぁ……。
拒絶したわけじゃないんだけど、そう取られてるかもしれない。
着替えを済ませ、リビングに場所を移動して、ほっけを左腕に抱っこしたまま居住まいを正す。いや、やっぱほっけ。ちょっと降りてて。
あたしはひとつ息をついて、スマホに表示されている課長の名前に、発信ボタンをタップしようと指を伸ばした。
瞬間、いきなりスマホが反応をした。数瞬後遅れて鳴る着信音と、表示される課長の名前。会社からではなく、携帯からだ。
「は! あの、はいッ、加持です!」
『唐澤です。いま、大丈夫か?』
「はい、大丈夫です。あの、済みません、携帯、部屋に忘れてたみたいで、全然気付かなくって」
『ああ。そうだったんだなってさっき判った』
「え?」
判った?
『あの事故で、会社だなと思って。会社で連絡をって言ったとき、いまは持ってないって言わなかったから、ああきっと慌てていて携帯忘れたことに気付いてないんだなって』
「あ……、そう、ですよね。そうですよね」
電話を無視した、という選択肢は、思い浮かばなかったんだろうか。昨日みたいなことがあって無視できるほど、神経図太くないつもりではあるけど。もしかしてあたし、そこまで読まれてる……?
『―――会えないかな、と思って』
「え」
『会いたいんだけど』
課長の艶っぽい声が耳に直接流れ込んできて、延髄が痺れた。その痺れは全身に走り抜けて、つまりは息が止まった。
『なにか、用事でも?』
「―――いえ。大丈夫です。その。……はい」
いっぱいいっぱいになりながらも返事をすると、スマホの向こうでほっと吐息が漏れたのが聞こえてきたのだった。
なんかあたし、ホント中学生みたい。
いまどき中学生だってもっとうまくやってるよね……。
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