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 うるさく鳴いていたはずの蝉の声が、消えた。
 音って、すごくびっくりしたりすると、消えるものなのね。
 消えたのは蝉の声だけじゃない。お寺の堂内に響くお坊さんたちが唱えるお経だったり、鳴り物の大音声すらも、ぱたりと消えてなくなった。うだるような熱気すらも。


 わたしは、目の前の光景に呆然としていた。
 開け放たれたお寺の本堂に響く、訳の判らないお経の声。
 今日はお施餓鬼せがきの日。ウチのお寺では、毎年8月に入ってすぐに行われる。今年も開かれたその法要に、わたしは出席していた。
 ギラリとした太陽が容赦なく灼いていく真夏の庭の向こうから、数瞬消えた蝉の声がわんわんと戻ってきた。
 天井から垂れ下がる、赤や紫などの五色の布。狭い堂内には、檀家さんたちがひしめきあっている。あちらこちらで首を振って、うだるような暑さをささやかに散らす扇風機の中央に、わたしの目は釘づけられてしまっていた。
薩皤囉罰曳数怛那怛写さーはらはーえーしゅうたんのうとんしゃー 南無悉吉栗埵伊蒙なむしきりーといもー 阿唎耶おりやー 婆盧吉帝ぼりょきーちー 室仏囉しふらー 楞駄婆りんとうぼー 南無那囉なーむーのーらー 謹墀醘唎きんじーきーり 摩訶皤哆もーこーほーどー 沙咩薩婆しゃーみーさーぼー
 六人のお坊さんたちが、卒塔婆そとばの並べられた祭壇の前に、縦に二列になって互いに向き合っている。緋色の法衣ほうえという一番偉そうな格好でその真ん中にいるのは、ウチのお寺の―――つまりはこのお寺のご住職さんだ。命日のとき以来だけど、あんなよぼよぼでこの暑さはキツいんじゃないんだろうか。……って、毎年思ってる気がする。
 ―――ではなく。
 音が飛んでしまうくらいに驚いたのは、二列に並んだお坊さんの端っこ、わたしたち檀家席に一番近いお坊さんが、知ってる顔だったからだ。
 知っている顔―――懐かしい顔。
 しかも懐かしいだけじゃない。最後に見たときよりも、断然かっこよくなってる。
 黒い着物に暗い黄土色おうどいろの袈裟を着て、シンバルみたいなのをさっき慣らしてた。
 どう見ても後輩だった。
 上條かみじょう泰成やすなり
 中学のときの部活の後輩。吹奏楽部で、わたしはホルン、彼はトランペットを吹いていた。同じ金管同士でパートの場所も近いこともあって、それなりに仲は良かった。
 とはいえ、二学年下だったから一緒にいたのは一年もなかったけど。
 その後輩が、いま目の前でお坊さんをしている。
 お坊さんよ?
 家がお寺だとは知っていたけど。
 でも、まさかお坊さんしてるだなんて。
 しかもそのお坊さんの恰好が似合うったら。
「願わくは汝各各なんじかくかく我此食わがこのじきを受けて、転じ持って尽虚空海じんこくうかい諸仏及聖しょぶつぎゅうしょう、一切の有情うじょうに供養して」
 夏だからか、黒い着物の下から白い着物が透けて見える。着物のことは全然判らないけれど、とかいうんだろうか。その半分透けた黒い着物の上に纏っているのは黄土色の袈裟。左肩のところで結われていて、右脇に向かって流れている。ものすごく大きな布を使ってるんだろうな。ゆったりとしていて右袖以外はほとんど袈裟に覆われている。緩やかに袈裟のしわが左肩から右下へと流れていて、端然と座る姿をひときわストイックに見せている。すっと背筋が伸びていて、膝の上で両手を軽く組んでいるさまは、まるでそこだけが神聖な空気が流れているみたい。
 綺麗に剃り上げられた頭は、意外にもいい形をしている。ウチの中学は、男子は丸坊主じゃなくてよかったから、あのときはふさふさしてて頭の形なんて判らなかった。
南無なむ多寶如来たほうにょらい 曩謨のうぼ 薄伽筏帝 ばぎゃばてい 鉢羅歩多はらぼた 阿羅あら怛曩也たんのうや 怛他蘗たたーぎゃ多也たや 除慳貧業福智圓満じょけんとんごうふくちえんまん
 お坊さんたちは立ち上がって、ふたりずつ祭壇に向かって焼香をし始める。順番が来て立ち上がった上條を、目でじっと追う。
 やっぱり、他人の空似じゃなくて上條本人だわ。
 中学のときはどちらかといえばふざけがちな子だったけど、こうしてお坊さんになった姿を見ると、全然印象が違う。
 ただ立って胸の前で手を合わせているだけでも、見ているこちらの気持ちが凛と研ぎ澄まされる。祭壇に向かってお焼香する仕草も、住職に向かって深く頭を下げる様子も無駄がなくて、一挙手一投足すべてが洗練されている。隙がない。
但生死即ただしょうじすなわち涅槃と心得て、生死しょうじとしていとうべきもなく、涅槃としてねごうべきもなし、是時このとき初めて生死しょうじを離るるぶんあり、ただ一大事因縁と究尽ぐうじんすべし」
 お坊さんたちが、住職を中心にお経を唱えながらぐるぐるまわりだした。
 上條の背はずっと高くなっていて、他のお坊さんたちからも抜きんでている。
 女の子みたいとすら思えた顔立ちは、精悍さが増して、けれどそれだけじゃない甘く包み込むような大人の魅力に溢れている。
 ゲレンデでスノボだったりスキーのウェアを着てると三割増しにかっこよく見えるって聞くけど、お坊さんの袈裟姿もハンパない。日本の和の美しさを侮っていた。お坊さんの袈裟姿を軽く見てた。だって、いままで命日とかお施餓鬼とか出席してたけど、法衣を着こなした姿に目を奪われたことなんてなかったんだもの。
 ―――あ。
 ぐるぐるまわってた上條の視線がふとわたしたち檀家の席に流れてきて、目が……、合ってしまった。
 わたしはつい、ぎょっとなってしまったけど、さすがお坊さんなだけある。上條は何事もなかったかのように、お経を唱え続けている。法要の真っ最中だから、当然といえば当然なんだけれど。
仏祖ぶっそ憐みの余り広大の慈門じもんを開き置けり、一切衆生いっさいしゅじょう証入しょうにゅうせしめんがためなり」
 並んでいるお坊さんたちからは少し離れたところにいる黒い袈裟を着たお坊さんが、わたしたち檀家に焼香を促してきた。
 順番がまわってくるのが、すごくどきどきする。だって、お坊さんたちがお経を唱えている目の前に行ってお焼香をするんだもの。緊張する。
 そうこうしているうちに、わたしの番になった。
 前のひとに倣い、お経を唱えるお坊さんたちの前に進み出て一礼。祭壇に向かって一礼をして、右手でお焼香をする。
 うわぁ……。感じる。むちゃくちゃガン見されてるのが判る。視線の刺さる背中の居心地が悪いったらない。
 戻るときにそれとなく上條に目を遣ると、なにも知りませんって顔で自分の正面を見てお経を唱えている。
 なんか……、悔しい。
 お施餓鬼の法要は檀家たちのお焼香が終わり、しばらくわけの判らないお経が続いて鳴り物が鳴らされると、住職をはじめとしたお坊さんたちが控室へと去っていった。
 はぁ……。
 なんか、いつも以上に疲れた気がする。溜息ついちゃうのは、仕方がない。
 去年まではいなかったのに、どうして今年は上條がいるんだろう。
 ちらりと控室の方を見遣るものの、わたしの坐る席からはその中を窺い知ることはできない。
小嶋こじまさーん」
 壇から卒塔婆をおろしていたお寺のひとに、一番最初に名前を呼ばれた。
 ありがとうございます、と一礼して卒塔婆を受け取ったんだけど、順番が後のほうだった去年に比べて今年に限って早いな。たまたまなんだろうけど。
 言いようのない疲労感とともに、わたしは墓地へと向かった。


 小嶋家の墓石は、他のお墓に比べると新しい。とはいっても、建てたのは十年ほど前だから彫り込まれている文字は多少はくすんできている。
 わたしの両親は、この中にいる。
 父はわたしが専門学校二年のとき、母親は七年前にあっちに行ってしまった。ふたりともひとりっこで、父方の祖父母は駆け落ちでの結婚。遠方に住んでいたという母方の祖父母は母が若い頃に亡くなってしまったとかで、つまるところわたしは天涯孤独なのだ。
 それでも看護師としての道を両親が応援してくれたおかげで、ひとりでもなんとか生きている。
(お父さん、お母さん。中学のときよくみんなと一緒にいた後輩くんのこと覚えてる? なんとお坊さんしてたよ。びっくりよね)
 などの報告を、肩に日傘をかけて墓前に手を合わせていたら、
「みゃー先輩」
 と、ものすごく懐かしい呼び名が背中にかけられた。美夜みやという名前から、わたしは中学時代後輩から『みゃー先輩』って呼ばれていた。
 この呼び方から、誰に呼びかけられたのかは振り返らずともすぐに判る。
「上條、……くん」
 大人になった彼に対して、中学のときのように呼び捨てするのはなんだか気が引けた。思いっきりお坊さんの恰好をしているせいもあるかもしれない。って、本当のお坊さんなんだけど。
 上條は振り返ったわたしに笑みを深くさせた。
 さっきのお施餓鬼のときと同じ格好をしている。
 黒い着物に暗い黄土色の袈裟。
 眩しい陽の光の下で見ても、似合う。似合うわ。黒と黄土色という色合いもまたいい感じで。真夏で暑いはずなのに、そんなの微塵も窺わせない涼やかさ。三割どころか四割増しにかっこいい。お墓の間をすり抜けてくるさまもしっくりしてる。あの大きい袖がポイントよね。
「今日は、ありがとうございました」
 檀家として頭を下げた。上條はほのかな笑みを浮かべ、胸の前で手を合わせて軽く頭を下げる。
「こちらこそ、暑い中、施食会 せじきえにご足労いただき、ありがとうございます」
 そっか。そうだった。曹洞宗そうとうしゅうではお施餓鬼のことを施食会って言うんだった。毎年説明を受けてるのに、ついお施餓鬼って言ってしまう。
 上條が言葉を紡ぐ口調は、穏やかで深い。お坊さんなんだなって思える。なんだか、遠いひとになっちゃったなぁって気がする。
「去年は、施食会に出てなかったですよね?」
 なんとなく敬語になる。やっぱり後輩とはいえ、立派なお坊さんの恰好をしている相手に、タメ口はききにくい。
「ええ。今年からここにも呼ばれるようになって。というより、みゃー先輩。敬語、やめてくださいよ、くすぐったいです」
「だって……。こういう格好してると、昔みたいな喋り方はしづらい、よ」
「まぁ、言ってみれば制服みたいなものですからね。威圧感はあるかもしれません。ですけど、敬語はちょっと」
 制服か。なるほど、そう言われてみたら、こういうときのお坊さんの恰好は制服効果がある。〝上條くん〟であって〝上條〟でない、みたいな。
 でも、
「威圧感よりもむしろ、似合いすぎてて別世界のひとに見えるよ」
「別世界?」
 目を丸くしてきょとんとなる上條。あぁ、こういうところ、中学のときと変わらない。なんだかほっとしてしまう。
「ザ・お坊さんって感じ。お寺、継いだの?」
「いえ、継いだというか次の住職は兄なんですけど、一応、副住職の役をいただいてます」
 副住職……、よく判らない……。偉いのかそうでないのか。偉いような気はするけど。
「副住職」
 判らないままに呟くと、上條は少し困った顔をした。
「名前ほど大層なものじゃないんです。ウチの寺でのとりあえずの肩書なだけで。響きは大層なものですけど、父も兄もいるんで、実際は使いっ走りみたいなものです。こちらのお寺で随喜ずいき させていただくのは初めてだったんで、実はさっきの法要も、内心びくびくで焦りまくりだったんです」
「え、そうだったの?」
 堂々としていたから、全然そうは見えなかったけど。
「ところで、ズイキって、なに?」
「あぁ。組寺くみでらのお手伝いをすることです」
「くみでら」
「今日みたいな施食会を一緒に執り行ったりする、曹洞宗のご近所さんのお寺さんです」
 なるほど。そんなシステムがあるだなんて知らなかった。お坊さんの世界も、いろいろと奥が深いのね。
 目の前に端然と立つ上條を改めて見上げる。
「それにしても、立派になったよね。だって、ほら。こうして立ってるだけで空気が全然違うんだもん」
「え?」
「話す口調とかも、同年代とは思えないくらいどっしりしてるし。なんか、置いてかれたって気がする」
「どっしりですか?」
 なんですかそれ。と上條。その眼差しが、ちらりとわたしの手元に落ちた。―――とき。
 カバンの中で、スマホがLINEの着信を知らせた。
 さすがにお施餓鬼……じゃなくて施食会の間はマナーモードにしていたけど、この時間を見計らうようにしてくるLINEっていうと、思い当たるのはひとつしかない。
 自分の予想に、内心うんざりしてしまう。
「なにか着信、じゃないんですか?」
「だね」
「確認しなくていいんですか?」
「どうせ職場からの『早く出勤しろ』よ」
 このご時世、人員削減とかでいろいろと職場環境は厳しくなっている。
 溜息をついてしまったわたしに、上條は怪訝な顔をした。
「有休じゃないんですか?」
「それができれば。就職してからこのかた、有休使ったことなんてないよ」
「え。―――あの、どういう会社に勤めてるんですか?」
 当惑した声になる上條。きっと、ブラック企業だと思われているんだ。まぁ、わたしたちの職業はどこも似たようなものかもしれないけど。
「会社というより病院。看護師してるの。N市民病院で」
 N市は、ふたつ隣の市で、この地方では一番大きな市だ。
「え。……え?」
 目をしばたたかせ、いったん驚きの声をあげたところで、もう一回身を乗り出して問い返してくる。
「かん……」
「看護師、してます」
「……」
 なに、その隠そうともしない疑いの眼差しは。
「いや。だってみゃー先輩、数学はわけ判らないっていっつも部室で七転八倒してたから」
 睨み上げたジト目の意味に気付いたのか、上條は慌てて言い訳する。
 にしても、七転八倒って本当のことだけど、覚えてなくてもいいことをしみじみとこの男は言ってくれるじゃないの。
「看護師は、文系でもなれるんです」
「……」
 世の中の不思議を目にしたかのような沈黙を何故返してくるのかな、上條。
「一応これでも九年目で、それなりに責任ある立場でもあったりするのよ」
「師長さんとか?」
 思わず肩が落ちた。
「そんなわけないでしょう。というより、どうせ『師長』しか知らないんでしょ?」
「そうとも言います」
 しれっと爽やかな笑顔とともに上條。
「だと思った。―――じゃあ、わたし行くね」
「あ。みゃー先輩、ちょっといいですか」
「?」
 足を一歩踏み出そうとしたところに、思い出したかのように呼び止められる。
「自分、こんな恰好だし、なんか落ち着いて話せなかったから、連絡先、訊いてもいいですか? もしよかったら。ご飯食べながら懐かしい話とかいろいろ聞きたいし」
「……うん。いいけど。じゃあLINEの」
「あ、いえ。そういうのはやってなくて……、って、すみません、携帯、控室に置いたままで来ちゃって」
 たもとを探り、胸元をはたはたと手で叩いて、携帯の感触がなかったのだろう。上條は途端に焦った様子を見せる。
「いいよ。取ってくる? まだ時間あるからここで待ってるよ」
 上から下まで完璧なお坊さんスタイルの青年が慌てるさまのギャップは、思った以上に笑いの方向に破壊力がある。でもそれが上條らしい。
 もともと、天真爛漫な気のある子だったものね。いくらお坊さんになったからといって、抜けてるところは抜けちゃうものなのかも。
「すみません、ちょっと取ってきますんで」
 頭を下げて身を翻す上條。
 ふむ。
 前言撤回。
 大きな袖を翻しながら控室へと戻ってゆく後ろ姿は、全然抜けてなんかいない。あのまっすぐに伸びた背中。気品というか凛としたものが漂っている。
 十数年前にトランペットのマウスピースで『おならの音階~』ってふざけていたのと同一人物だとは、なかなか思い難い。
 蝉の声を乗せた生温い風が、肩に落ちる髪をさらってゆく。
 もう、卒業した歳の倍以上の時間が経っちゃったんだよね。わたしは高校は吹奏楽には入らなかったこともあって、仲が良かったにもかかわらず、卒業式以来顔を合わせる機会がなかった。
 いつの間に、あんなにも背が高くなっちゃったんだろう。
 少年から青年へと気がついたら変貌していて、なんていうのか、久しぶりに会った親戚の子の成長っぷりにびっくりするって、こういう感覚なんだろうか。きょうだいどころか従弟すらいない身としては、よく判らないんだけど。
 父親が逝って、約十年。お父さんも、いまのわたしを見たら「お前、老けたな。母さんそっくりじゃないか」って言うんだろうか。
 なんてことをつらつら考えながら柄杓とか桶とかを片付けていたら、控室のほうから上條が現れた。
「お待たせしました」
 檀家さんがまだちらほらといるせいか、上條は取り澄ました顔をしている。施食会の法要を執り行った若いお坊さんが、まっすぐにわたしを見つめてる。
 ヘンな意味はないけど、なんか、ちょっとだけ優越感に浸ってしまう。
 わたしの後ろから吹いてきた風が、上條の袈裟と袖を膨らませる。なんでもないことのように、上條はその風をいなし、さらりと流してゆく。
 サマになってる。たった数歩の距離なのに、天上と俗世を見せつけられているかのような清廉さ。もちろん俗世はわたしのほう。なんか、ホント全然違うひとになっちゃったんだなぁ。
「? どうかしました?」
「え? あ、ううん、べつになんでもない」
 数瞬無防備にほうけてしまった自分に、ちょっと慌ててしまう。
「スマホなんだ」
 素になった自分を誤魔化すように、上條の右手にあるものに話題をそらす。
「もしかしてふたつ折り携帯だと思ってました?」
「携帯と言いつつもアドレス帳を持ってきたりしてって思った」
「それはさすがにないですよ」
 くしゃりと顔いっぱいにしわを寄せて笑う上條。
 そうか。あれは頭皮だからあそこまで笑いじわができるわけがないのね。と、輝いている頭に思ってしまった。
 なんとなく他の檀家さんたちの手前、少し脇に引っ込んだところで連絡先を交換をする。
「ご飯行くのって、お盆の時期は外したほうがいいのよね?」
「そうしてもらえると、ものすごぉく助かります」
「ん。曜日とかは? お坊さんって、いつでも大丈夫だったりするの?」
「あ。いまはこんな恰好だけど、普段は会社員なんですよ」
「……。……えッ!?」
 会社員?
 聞き間違い……かな……。
 お坊さん、してるのに、会社員?
「はい。だから、週末の夜だとありがたいんですけど」
「はぁ……。会社員……? で……、えっと、週末の夜希望、と」
 スケジュールアプリに、メモを入力する。
 いろいろ突っ込みたいところはあったりするけど、いかんせん時間がない。詳細は実際に次に会ったときに聞きだせばいい。
「じゃあ、また連絡するね」
「はい。みゃー先輩がお元気そうでなによりでした」
 にこやかに上條。眩しい。頭だけじゃなくて、純真な笑顔が。
「上條くんもね。お坊さんしてたのには驚いたけど。―――じゃあね」
「はい。お気をつけて」
 軽く手を挙げると、上條は頭を下げ、合掌を返してくれたのだった。
 合掌……。
 うん。なにも言うまい。相手はお坊さんなんだもの。


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