itan

トグサマリ

文字の大きさ
上 下
2 / 26
【第一章】

しおりを挟む


 ひとはこうも変わるのか。
 父の姿に、アリシアは思う。
 燦然さんぜんと輝くシャンデリアのもと、玉座にふんぞり返るマルク。身体を堅く守っていた筋肉は厚い脂肪に成り果て、いまにも溶けだしそうだ。常にみなぎっていた緊張感は、どこかに消えてしまった。
 アリシアの知るマルクは、常に戦国武将だった。いつも遠くを見据える鋭い眼に、身内ながら羨望めいたものを感じていた。たとえ姉たちのように見知らぬ諸侯に嫁がされても、誇りに思いこそ、決して恨んだりはしなかったろう。
 それなのに。
 軍人上がりの貴族にちやほやされてご機嫌顔のマルクに、アリシアは吐き気すら覚えた。
 あの剛毅な父はどこに行ったのか。
 荒れ狂う戦をかいくぐり、勝ち抜いた先にあるのは、こんな怠惰か。
 日が高くなるまで寝台にもぐり、無駄に金ばかりをかけた派手な服を着、召使いにかしずかれ滑稽なほど高邁な態度を取る。眉をひそめるほどの豪勢な食事を残し、貴族たちとわけの判らない遊びに興じ、毎夜晩餐会やら夜会やらを開く。
 知らないはずないのに。
 いまのこの享楽の根底に、血みどろの戦があったということを。
 友人や仲間、部下たちが凄惨な死を迎えざるをえなかったという事実を。
「相変わらず不機嫌ですね」
 知らず険しい顔になっていたアリシアに、横を歩くクラウスが小さく笑う。
「理由くらい判ってるでしょ」
「『舞踏会なんて莫迦ばかばかしい。わたしまでお気楽な大人の遊びに巻き込まないで』でしょう?」
「監視役がクラウスじゃなかったら、出席なんてしないわよ」
「これは光栄」
「誰もかれもお父さまの顔色を窺ってばかり。無様になってるってこと、みんな判ってるのに」
「あなたもね」
 遠慮のないクラウスの言葉に、アリシアはカチンとくる。だが、怒りの言葉を吐く前に先を制された。
「あなたの言うことも聞かない陛下が、誰の言葉に従うんです? もし玉座の主がマルクさまじゃなかったら、使命感に燃えた誰かか野望に燃える誰かが力づくでなんとかしている。でも、みんな知ってる。それでもマルクさまは、我らの勝てる相手ではないのだ、と」
「変なところで相変わらずの豪傑なんだものね」
「あなたも相変わらず剛毅な方ですよね」
 クラウスは素っ気なく言う。
「そこに惚れてくれる方もいますので」
「それはまた命知らずな。あなたの監視役をおおせつかっているわたくしとしましては、その者の名を教えていただきたいものですね」
 アリシアの口角が小さく上がる。教えてあげましょうとクラウスを見つめ、
「嫌になるくらいいい顔で、莫迦みたいに背が高い。厭味いやみったらしい性格そのものの黒い髪と目をしてて、剣を取らせればお父さまに次ぐ腕を持っている。なのにひ弱な娘の護衛に甘んじている風変り。誰だか判る、クラウス?」
「さあ。胸を熱くさせる美しい顔に、頼りがいのある背丈、正直な性格で、澄んだ夜空のような髪と瞳を持ち、己の分をわきまえ、我儘娘の護衛にえる者なら存じておりますが」
「よくもまあぬけぬけと言えるわね」
「なにぶん、嘘をつけない性分でして」
 アリシアは溜息まじりに息を吐き出す。
「これがお父さまに信頼されてる男だなんて、世も末ね」
「なに言うんですか。エルフルト王家は始まったばかりですよ? アリスがそんなこと言うもんじゃありません」
「あらそう。じゃあ、お詫びになにをすればいい?」
「繊細なわたくしを慰めてくだされば」
 含まれた意味に、アリシアも意味ありげな目を返す。
「あなたが繊細だなんて、初めて知ったわ」
「ならばもっとわたくしを知らなくてはなりませんね」
 ふたりの身体が近付き、軽く触れるだけのくちづけをかわす。
「あなたに免じて、今日も出て差し上げましょう、つまらない舞踏会とやらに」
「ありがとうございます」
 ふたりは至近距離でささやきあい、目と目で愛を語り合いながら、大広間に向かった。


 クラウス・ラグレーは、長く続いた戦争で数々の功績を打ち立てていた。勢力的に不利な戦闘や、率いる隊が裏切りによって窮地に落とされたときも、常に勝利をおさめエルフルト王国建国に大きく貢献していた。
 建国後、王都の隣を占めるディグニー領を封じられ、侯爵となった。にもかかわらずアリシアの護衛に甘んじているのは、彼女を愛しく想うがゆえのこと。
 これまでの勝利もすべて、その果てにアリシアの存在があった。
 王は口にこそ出さないが、ふたりの関係を認めているのだと重臣たちも暗黙の了解をしていた。自分の娘を諸侯に嫁がせたマルクではあったが、末娘のアリシアに限っては、互いに想い合うクラウスに降嫁させるのだと。
 ただでさえ末娘のアリシア。しかも若いままに亡くなった正妻に生き写しだった。一途な面もあるマルクが、そんなアリシアを遠く手放すはずがなかった。
 これまでも由緒ある王族や頭角を現し始めた貴族たちから、正妻に迎え入れたいと打診はあった。マルクがそれらをすべて蹴っていたのは、クラウスを押さえてあるからだと、誰もが皆思っていた。
 だから、この日の舞踏会で現れた新たな求婚者に対しても、エルフルトの貴族たちは、ただただ同情の眼差しを送るばかりだった。
 アリシアもまた、彼との出会いが己の運命を大きく突き崩すものであると知るよしもなかった。


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

絶対に間違えないから

mahiro
恋愛
あれは事故だった。 けれど、その場には彼女と仲の悪かった私がおり、日頃の行いの悪さのせいで彼女を階段から突き落とした犯人は私だと誰もが思ったーーー私の初恋であった貴方さえも。 だから、貴方は彼女を失うことになった私を許さず、私を死へ追いやった………はずだった。 何故か私はあのときの記憶を持ったまま6歳の頃の私に戻ってきたのだ。 どうして戻ってこれたのか分からないが、このチャンスを逃すわけにはいかない。 私はもう彼らとは出会わず、日頃の行いの悪さを見直し、平穏な生活を目指す!そう決めたはずなのに...……。

記憶を失くした彼女の手紙 消えてしまった完璧な令嬢と、王子の遅すぎた後悔の話

甘糖むい
恋愛
婚約者であるシェルニア公爵令嬢が記憶喪失となった。 王子はひっそりと喜んだ。これで愛するクロエ男爵令嬢と堂々と結婚できると。 その時、王子の元に一通の手紙が届いた。 そこに書かれていたのは3つの願いと1つの真実。 王子は絶望感に苛まれ後悔をする。

この度、皆さんの予想通り婚約者候補から外れることになりました。ですが、すぐに結婚することになりました。

鶯埜 餡
恋愛
 ある事件のせいでいろいろ言われながらも国王夫妻の働きかけで王太子の婚約者候補となったシャルロッテ。  しかし当の王太子ルドウィックはアリアナという男爵令嬢にべったり。噂好きな貴族たちはシャルロッテに婚約者候補から外れるのではないかと言っていたが

【完結】お飾りの妻からの挑戦状

おのまとぺ
恋愛
公爵家から王家へと嫁いできたデイジー・シャトワーズ。待ちに待った旦那様との顔合わせ、王太子セオドア・ハミルトンが放った言葉に立ち会った使用人たちの顔は強張った。 「君はお飾りの妻だ。装飾品として慎ましく生きろ」 しかし、当のデイジーは不躾な挨拶を笑顔で受け止める。二人のドタバタ生活は心配する周囲を巻き込んで、やがて誰も予想しなかった展開へ…… ◇表紙はノーコピーライトガール様より拝借しています ◇全18話で完結予定

王妃そっちのけの王様は二人目の側室を娶る

家紋武範
恋愛
王妃は自分の人生を憂いていた。国王が王子の時代、彼が六歳、自分は五歳で婚約したものの、顔合わせする度に喧嘩。 しかし王妃はひそかに彼を愛していたのだ。 仲が最悪のまま二人は結婚し、結婚生活が始まるが当然国王は王妃の部屋に来ることはない。 そればかりか国王は側室を持ち、さらに二人目の側室を王宮に迎え入れたのだった。

処理中です...