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Epilogue ――未来へ――

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 歪みきった形ではあっても、幸せを掴み取った千花とハル。
 穏やかな生活を満喫する彼らの元に新たな風が吹き込むのは、それから5年後のことだった。

「いらっしゃい、どうぞ入って」
「おう。……てか、本当に入っていいんだな?」
「見てみたいって言ったのはそっちでしょ。……いいわよ、賢太さんなら」

 ある日の夜、いつものように『Purgatorio』で楽しく女王様業に励んでいた千花は、珍しく賢太が深刻な顔をしているのに気付く。
 仕事中もどこか心ここにあらずといった様子の賢太に、閉店後「どうしたの賢太さん、悩み事なら相談に乗るわよ」と持ちかければ、賢太は暫く考えた後「……そうだな、千花の方がいいかもしれん」と呟いた。

「よく分からないけど、私に出来ることなら何でも言って」
「お前なぁ、何でも、はそんな軽々しく使うもんじゃねぇぞ」
「あら、賢太さんはそんな悪どいことは考えないでしょ?特に私に対しては」
「あのな、俺だって魔が差すかもしれねぇっての!どうすんだ、お前の奴隷を見せてくれなんて俺が言い出したら」
「いいわよ」
「ほら困るだろ、ってはい!!?」

 思わぬ千花の反応に、いや、今はものの例えだからと賢太はしどろもどろになり、誤魔化すようにウイスキーをぐいっと一息に煽った。
 分かってるわよ、と笑いつつ、けど本当にいいわよと千花は重ねて返すのだ。

「あんな賢太さんの顔、見たこと無かったしね。相当な悩みなんでしょ?それならここよりハルを見物がてらうちでゆっくり話せばいいじゃない。私も仕事の後はなるべく早く帰りたいし」
「え、ああすまない。まぁ確かにハルのことはずっと気になっているし、話もちょっと人に聞かれたくない、込み入ったものではあるんだよな……」
「なら決まりね。開いてる日を教えて頂戴」
「お前なぁ、即決過ぎるだろ……」

 そんな感じでトントン拍子に話が決まったのが数日前。
 そして今日、賢太は休店日を利用して店からほど近いところにあるタワーマンションに……千花とハルの家に出向いていた。

「うぉ……中こんなに広いのかよ。凄いとこ住んでるじゃねえか」
「良い眺めでしょ?あいつの手切れ金だと思うと癪に障る部分はあるけど、繁華街も近いし買い物にも便利だし、結構気に入っているのよ」

 27階からのオーシャンビューは確かに素晴らしい。
「紅茶で良いかしら」と用意する茶葉は千花のお気に入りだと言っていたメーカーだ。味音痴ではあるが、甘みと紅茶の香りは何となく分かるのよねと以前言っていただけあって、彼女の淹れる紅茶は美味い。
 その所作は手慣れていて、なんだかんだ言ってこいつは良いとこのお嬢さんなんだよなと賢太はしみじみ納得しつつソファに腰掛けた。

「どうする?ハルを先に見る?そろそろお昼だし」
「おうそうだな、ってちょっと待ったお昼はその」
「ああ、心配しなくてもいいわよ」
「心配しかねぇわ!!」

 まさかお前が作る気かよ!と思わず叫べば、まぁまぁ、と笑いながら千花が隣の部屋に消える。
 暫くすると鎖の音と共に、その……人と呼んで良いのだろうか、四つん這いの男が首輪に繋がった鎖を引かれてぽてぽてと現れた。
 その姿に賢太はひとまずホッとする。

「……良かった手足はちゃんとあるんだな」
「あのねぇ!賢太さん、いくら何でも私そこまで鬼畜じゃ無いのよ」
「おう、ちょっとだけ安心したわ」
「第一切断なんて、流石に入院させなきゃいけないじゃ無いの!それに断端が落ち着くのに時間も掛かるし、装具合わせだって大変なのよ!!」
「ごめん、やっぱさっきの訂正させてくれ、理由がおかしすぎるわ!」

 にしても相変わらず厳重だな、と賢太は床のフックに繋がれその場にぺたりと座り込んだハルをしげしげと眺める。
 人前に肌を晒したくないのは相変わらずのようで、股間と乳首以外はぴっちりした真っ黒なラバーで覆われている。
 いや、股間もある意味覆われていると言うべきだろうか。あるべき膨らみは銀色の丸いプレートで体内に隠されているようだ。

「フラット貞操具か。最近出てきたんだよな……俺も現物を見るのは初めてだ」
「ええ、折角だからと思ってショップを通じて輸入したの。尿道カテーテルを膀胱に留置する形に替えてあるわ。プレートの真ん中からチューブと三方活栓が出てるでしょ?そこにチューブを繋いで排尿させるの」
「えげつねぇな、排尿すら許可制かよ」
「許可?何言ってるの、1日2回機械的に抜くだけよ。餌もその時に流し込むだけだし」
「ひぇ……」

 乳首からぶら下がるリングも、以前より一回り太くなっている。
 そもそもの乳首だって、小さめの女性くらいはあるだろうか。
「もうちょっと大きい乳首にしたいけど、流石に薬無しじゃこれが限度よねぇ」とさらっと恐ろしい手段を口にする辺り、医者というのは随分ネジが飛んだ人種なんだなと痛感する。
 ……いや、昔は千花だからぶっ飛んでいると思っていたのだが、うちには手術よりイベントを優先してしまう変態教授(に無事就任したらしい)がいるお陰で、認識を改めざるを得なかったのだ。

 口の覆いの下はペニスギャグか?と尋ねれば「ご名答」とずるりと千花がベルトを外し、その長大な中身を露わにした。
 良くこんなものをえずかずに咥えていられるものだと驚嘆すれば、千花は実に嬉しそうにそこに至るまでの苦労を語ってくれる。

 と、口枷を外されたハルがおずおずと声を上げた。

「んぇ……ご主人様っ、ご主人様ぁ……」
「はいはい、ハル、いい子ね。……ああ、このままじゃ聞こえないわね」
「へっ」

 今なんて、と思わず尋ねようとした賢太だったが、次の瞬間疑問は氷解する。
 ハルの耳に挿入されていたのはワイヤレスのカナル型イヤホン。恐らくノイズキャンセリング機能付きのものだろう。

「それ、つけっぱなしなのか」
「保管庫にいる時はずっとよ。ああ、もちろん無音じゃ精神的にしんどくなるから、ちゃんとハルが発情できるような音をずっと鳴らしてあるわ」
「さらっと鬼畜な事言うよな、相変わらず」

 いきなりノイズのある世界に放り込まれたせいだろう、ぷるぷるとハルが頭を振る。
 その耳元に「ハル」と千花が囁きかければ、嬉しそうにハルは千花の手を探し、頬をすりすりと擦り付けた。

「ご主人様ぁ……お仕事終わりました……?」
「ええ。待たせたわね。お利口さんにしてたかしら」
「はい、ハルはちゃんと大人しく『保管』されてましたぁ……」

 掠れた声でハルは千花に甘えた様子を見せる。
 その腰はずっともじもじと揺らめいていて……ああなるほど、後孔は馬鹿でかいディルドで塞がれたままなのか。きっと腰を動かせば良いところにゴリゴリ当たって堪らないとみた。

 そんな様子に「まったく、はしたないわねぇ」と呆れつつもどこか可愛くて仕方が無いと言った表情で、ラバー越しに額に口付ける千花に(惚気てやがるな、ったく相変わらずラブラブなこって)と賢太は心の中でツッコむのだった。


 …………


 ひとしきりいちゃついた後、「取り敢えずお昼にしましょ」と千花が台所に立つ。
(おい待て本当に……俺、ここらが生きて出られるのかな……)

 戦慄を覚え千花を止めようとするも、ハルは「賢太様、大丈夫です」と涼しい顔だ。

「いや、マジで止めなくて大丈夫だろうな?お前は千花の生成物を食べ慣れているだろうからいいにしても、俺は流石に人間の食い物が食いてぇ」
「大丈夫です。うどんだけは何とかなりますから!」
「うどん」
「あと食べ慣れてはないです、多分死ぬまで慣れないと思います」
「お……おぅ…………お前も苦労してんだな……」

 結婚して以来、ハルの実家からは毎月のように荷物――どうやら全てハルの好物らしい――が届くようになった。
 特にうどんとみかんは毎月必ず箱単位で届き、最初はあまりの量に「お義母さん、送る量間違えたんじゃないかしら」と慌てて確認を取ったほどだった。

 ハル曰く「ハルたちはこんな関係やし、ご近所さんに配って少しでも近所づきあいが上手くいくように」という田舎人らしい生活の知恵らしい。
 にしてもこの量はどうしたものかと一箱『Purgatorio』に持って行けば「それなら兄貴のところに持って行けばどうだ?あそこ、近所にも食べ盛りが多いし喜ばれるだろ」と賢太に勧められて、それ以来芽衣子経由で近所に配って貰ったり、バイト先の病院で配ったりしているそうだ。

「ちなみにそのお茶菓子もハルの実家からよ」
「まじか、このえびせん薄くて軽いから手が止まらねえ」

 しかし、みかんやお菓子はともかく、問題はうどん(半生)である。
 千花も最初は、いくら料理が下手でもたかがうどん、袋に書いてあるとおり茹でればいけるでしょ!とトライしてみたものの「何か違う……」と一口啜ったハルに泣かれてしまったらしい。

「お願いしますご主人様!うどんだけは、うどんだけは自分で茹でさせてください!」
「だめよ、あんたは人間じゃ無いの。結婚したときに言ったわよね?二度とその手は使わせないって」
「そんなぁぁ……おうどん……ひぐっ……」
「ええええ…………その……そこまで落ち込むもの、なの……?」

 あんな絶望的な顔、これまでの調教の中でも見たことが無いかも知れない。
 その位明らかにしょぼくれてしまったハルにちょっと引きつつも、これは何とかしないとと思ったのだろう、千花が取った手段は

「もしもし、お義母さん?あのっ、美味しいうどんの茹で方を教えてください!」
『なんとな、袋に書いてあるんでいかんかったんな』
「それが……ハルに何か違うって言われて……私、料理凄く苦手なんです……」
『分かった、ちょっと待っちょり!』

『餅は餅屋』作戦であった。

 義母に泣きつけば、早速メッセージアプリでうどんの茹で方と、ついでに美味しい出汁の作り方が送られてきた。
 しかも義姉による実況動画付きである。

『水はケチったらいかんで!寸胴があったら最高なんやけどな、流石に家には無いやろから、こんくらいの大きな鍋を使こたら2人分くらいはいける』
「……鍋!お鍋よ!うちこんな大きなお鍋無いわ!!」
「へっ、ってまさかご主人様、ミルクパンでうどんを茹でちゃったんですか!!?それは流石にうどんに対する冒涜ですよ!!」

 アドバイスに従い茹でて締めてザルにあげては、鍋奉行ならぬうどん奉行状態となったハルに「ちっと固い」「これは茹ですぎ」と味見をして貰うこと十数回。
 出汁は難しすぎて再度泣きつけば「これやったらさっと回してかけるか、お湯を入れるだけやけん、千花さんでも作れる!!」と生醤油と粉末のうどんスープなるものが送られてきた。

 おかげでようやくうどんだけはハルが満足できる仕上がりになったのよ、と千花はダイニングにどんぶりと醤油さしをことんと置く。

 ネギと生姜が載っただけの、ただのうどん。
 生姜は多分チューブのやつで、ネギも刻んであるやつを買ってきたと見た。明らかに包丁の音はしてなかったから。

 賢太は「……見た目は大丈夫そうだな」と言いつつハルの指示に従って生醤油を一回しする。
 そしておそるおそる麺を啜り、目を見開いた。

「……美味いぞこれ。いや、マジで美味い。食べられるじゃなくって、下手なうどん屋よりずっと美味いじゃねえか!」
「でしょ?ご主人様もこれだけは人に振る舞って問題ない……いぎゃあぁぁっ!!」
「ふぅん……また餌を口から食べる形に戻されたいのかしら」
「ひっぎゃぁぁ!!ごめんなさい、ごめんなさいっ!!」

 調子に乗ったハルの乳首を、お仕置きと言わんばかりに千花が爪を立てて思い切り捻り上げる。
 何ならクリップで電撃流してあげようか?とにっこり微笑むその顔の後ろにはどす黒い何かが見えて、ハルは慌てて土下座して何度も千花に謝るのだった。

「……ちなみに今、餌を口からに戻すとか物騒な言葉が聞こえたんだが」
「ああ、ハルの餌は毎回口から管を胃まで突っ込んで、流動食を流し込むスタイルに替えたの。これならどんな味でも気にならないでしょ」
「まぁゲップで上がってくる臭いは大概ですけど、あれを咀嚼して飲み込む苦労に比べれば天国のようです」
「そうか、それは良かったな……良かったって言っていいんだよ、な?」

 ハルのために毎日餌を作り続ければ、人並み……とまでは言わなくとも、人間が苦労せず食べられるレベルのものは作れるようになるはず。
 賢太はそうほんのり期待していたのだが、どうやら千花の強烈な味オンチは5年を経ても何の改善もなかったらしい。
 本人は相変わらず冷食頼みだがそれで困っているわけでも無く、ハルの餌も経管になって問題が解決(?)したから、まぁこれでいいんだろう!と賢太は無理矢理納得することにした。


 …………


「それで、相談ってのは」

 お腹も朽ちて一息ついた頃、千花は本題を切り出した。
 プライベートな話だし、他言無用な?と前置きして賢太は「実は」と口を開く。

「俺の甥っ子……ああ、千花には芽衣子義姉さんの子供と言った方が分かりやすいか、その子がちょっと荒れていてな」
「そうなの?全然知らなかった。芽衣子先輩には先月会ったけど、そんな素振り全く見せなかったら」

 芽衣子には、初期研修後に生まれた二人の子供の他に、遅くに出来た男の子がいる。
「歳が離れて出来た末っ子ってのは可愛いって聞いていたけど、本当にびっくりするほど可愛いのよねぇ!」といつだったかデレデレの顔で惚気られたのを千花は思い出していた。

「確か、奏君、でしたっけ?」
「そうそう。そいつが……まぁ難しい年頃ではあるんだけどな、秋頃から夜な夜な家を抜け出しては夜遊びに興じているらしくて……ちょっと危ない連中との付き合いもあるみてぇなんだよ」
「へぇ、あの芽衣子さんの子供だけあって、なかなか度胸が据わってるじゃ無い。当然がっつり叱られているでしょ」
「そりゃもう、毎日激しく喧嘩してるみたいでな。それでこの間法事に行ったときに兄貴の愚痴に付き合ったんだ」

 子供のいない賢太だからこそ気軽に話せたのかも知れない。
 なら俺がちょっと奏と話してやろうか?と提案したのが全ての始まりだった。

「いきなり核心を突くわけにもいかねぇし、とりあえずこっちの話でもして打ち解けるかと思ってさ、仕事の話とかしたわけ」
「ちょ、ちょっとまさかSMバーの話を!?賢太さん、それはバレたら拓海先生にボコられるんじゃ」
「心配するな、既にボコられて来た後だ」
「やっぱり」

 だが、話したのは正解だったよと賢太は遠くを見て呟く。
「まぁお前の親父さんみたいな立派な仕事じゃねぇけどさ、俺は楽しく暮らせているからそれで十分なのさ」とちょっと格好つけつつ話を締め括れば「そっか……」と奏は暫く逡巡した後「…………あの、引かないでね」と夜遊びの理由を口にした。


『叔父さん、俺、女の人を縛ったり、鞭で打ったりするのが好きなんだ』


「「な……!!」」

 千花はもちろん、床に繋がれているハルもその言葉に愕然とする。

(え、だって、彼はまだ……!?まさか、そんな早くに歪んだ世界に足を突っ込んじゃっただなんて!!)

 話をよくよく聞けば、その『目覚め』は不届き者が学校の体育倉庫に置き去りにしたSM雑誌らしい。
 多感な少年はその衝撃的な写真に目を奪われ、頭を打ち抜かれ……帰ってからも、夢に見るほどその光景が忘れられず、それ以来「そういった」オカズで無いと抜けなくなってしまったのだという。

「それでさ、こんなんじゃ俺は恋人なんて作れない!って自棄になっちゃったみたいなんだよ。あいつ母親似で顔が良いから結構モテるんだよな、だから余計に辛いみたいで」
「そりゃ…………辛いわよ、そんなの……」

 何という残酷な運命なのだ、と千花はその少年の境遇を嘆く。
 千花がこの歪みに気付いたのは大学に入ってからだ。確かに千花には恋を楽しむような穏やかな学生生活は許されなかったけれど、それでもまともな家庭に生まれていれば、恋に恋する楽しさも苦しさも十分堪能できただろう。

 けれど、少年は違う。
 これから少しずつ大人の世界を覗き、誰かと恋をして、大人からすれば些細な事にすら感情を揺さぶられる多感で輝きに溢れた世界を経験する前に、よりによって大人ですら大多数の人が眉を顰める歪みを覚えてしまったのだ。

 彼がこれから歩む人生を思うと、胸が苦しくなる。
 同じ辛さを知る大人として、何か手助けできることは無いか……その考えに至ったとき「そうね、確かに私が適任よね」と千花は呟いた。

「何か名案が?」
「いえ、無いわ」
「無いのかよ!適任って言う位だからなにかあるのかと」

 そんなものあったら苦労しないわよ、そう千花は肩をがっくり落とす賢太を見て笑う。
 そうして言うのだ。何も難しいことは無いと。

「難しくない……?」
「そうよ、だってそれは、賢太さんが私にしてくれたことだから」
「……!」

 目を丸くして、しかし「俺は大したことはしてねぇと思うんだけどな」とぽりぽり頭を掻いて照れる賢太に「してないからこそよ」と千花は微笑むのだ。

(そう、ただ共にいること。簡単なようで難しいことなのに、賢太さんはずっと私の側にいてくれた)

 確かに賢太はそういった嗜好は控えめだから、千花の本当の苦しさは理解できなかっただろう。
 それでも彼は、初めて会ったあの日からずっと兄貴分として、千花の苦しみに寄り添い続けてきた。
 それがどれだけ貴重で、ありがたいことなのか、千花は身に染みてよく分かっている。

 ――だから、次は自分が彼に寄り添う番だ。

 自分はたくさんの人たちに見守られ、支えられ、今の幸せを手にすることが出来た。
 確かにそれは歪みきっていて、祝福されるような性質のものではなかったのに、理解できずとも受け入れる選択をしてくれた人たちがいた。

 ハルという生涯の伴侶たる奴隷を得て、日勤バイトのお陰で生活に困ることも無い。
 昨年にはコツコツ貯めてきた貯金と父の手切れ金を元手に、ピアススタジオ併設のSMグッズ専門のアダルトショップも開いた。
 この店は週3日稼働、しかも完全予約制にも関わらず、奴隷を飼っている女王様でもある現役の医師が相談に乗ってくれるという希少価値も相まって、知る人ぞ知る名店となっている。
 ネットショップの売り上げも上々で、数年以内には元手を回収し、ついでに送金された手切れ金を全額父に突き返せるだろう。

 そう、全てが順調で、幸せで、何一つ不満の無い穏やかな日々。
 そんな日常を千花はハルと共に送っていた。
 ……まぁ、ハルにとっては相変わらず千花の残酷な欲望に付き合い泣かされる日々ではあったのだが、それはそれで彼にとっては幸せなので問題は無いだろう。

 ただここしばらくは、幸せだからこそこれでいいのかと、ふとしたときに疑問がよぎる事が増えた。
「CHIKA様が幸せに生きることが、これまで支えてくれた人への恩返しだよ」と以前井芹には言われたけれど、本当にそれだけでいいのか、ずっと心に引っかかっていたのだ。

 それは、千花の干上がりかけた愛情のバケツが、人生の半分を迎える頃になってようやく満たされ、溢れた兆しだった。
 それこそもう2-3年早く相談を受けていれば、こんな気持ちにはなれなかったかも知れない。

(そう、今こそ私が受けた恩を……次に繋ぐとき)

 ちらり、と千花はハルの方を見る。
 きっちりとアイマスクて塞がれ見えているはずは無いのに、そんな千花にハルはこくりと頷く。

「……ご主人様、ハルもそれでいいと思います」
「ええ。ありがとう、ハル」

 賢太さん、その子に……奏君に会わせて頂戴。
 そう真っ直ぐに目を見て頼む千花に、何か思うところがあったのだろう「……分かった、今度店に連れてくる」と賢太は首を縦に振るのだった。


 …………


「な、なぁ千花、いくら何でもその姿で会うのは……」
「あら、そもそもSMに興味があるんでしょ?それなら私の本当の姿を見せてあげた方が良いわよ、ちゃんと露出は抑えてあるし」
「いやまぁ……うん、確かに露出は少ない、少ないけどさ……」

 約束の日、店に現れた千花の姿に賢太は一抹の不安を覚える。
 確かに今日の千花は、ボディスーツに胸をしっかり覆うタイプのコルセットを身につけ、肘上まであるロンググローブに下もサイハイブーツできっちり覆われている。
 肩口が出ているくらいなら許容範囲と言えば許容範囲だろうか。

(多分、大丈夫だよな……?俺もこの業界が長すぎていまいち常識が分かんねぇしな……)

 まぁ話をするだけだし、と事務所のドアを開けば、ソファにちょこんと座っていた少年は「叔父さん」と声を上げかけ……後ろからやってきた長身の女性に目を奪われた。

「……え、うそ、本物の女王様……?」
「ふふ、初めまして。千花と呼んでくれれば良いわ」
「え、あ、えっと、中河内奏です!よっ、宜しくお願いします!!」

 少年は慌てて立ち上がり、ぺこりと千花達に向かってお辞儀をする。
 芽衣子に似たのだろう、淡い色のくせっ毛と瞳を持ち、まだまだあどけなさの残る整った顔は、千花の目から見ても確かにモテそうに見えた。

「楽にして頂戴」と座るよう促し、紅茶を淹れる。
 更に適当な茶菓子を見繕ってテーブルに置き、千花と賢太は対面のソファに座った。

 そうして千花は、女王様に似つかわしくない穏やかな笑顔で、緊張でカチンコチンになっている奏に優しく話しかけた。

「ざっくりした話は聞いてるけど、もう一度奏君の口から聞かせて貰えるかしら」
「は、はいっ!」

 ときおり緊張でつっかえながらも、奏は一生懸命にこれまでのことを語る。
 その話は賢太から聞いていたものとほぼ同じだったが、千花はちょっとした違和感を感じていた。

(……何だろう、この子は……思ったより大丈夫かも知れない)

 話の節々に苛立ちや、やるせない思いは確かに滲み出ていて、それはまだまだ彼が幼稚な独善と理想の中に生きる子供だと言うことを示している。
 けれども、彼のその思いはあくまで恋愛に対してであって、性癖そのものには向いていないような気がしたのだ。

「……奏君、君は自分の性癖……えっと、女性を縛ったり鞭で泣かせたりすると興奮することに対して、どう思っている?」
「どう、ですか?……まぁ持ってるのはしょうがないのかなって」
「…………そうなのね、そう言えるのね」
「えっと、俺何か変なことを」
「いえ、大丈夫よ」

(……そう、君はもう自分の性癖を受け入れちゃっているんだ)

 少しだけ安心した様子で千花は続きを、と促す。
 そうして千花は、自分との決定的な差に思いを馳せるのである。

 千花の場合、あまりにもその歪みが人間という枠から外れていたのもあって、目覚めた段階でそれは忌避し、嫌悪し、全力で否定して無かったことにしなければならないものだった。
 だが奏は違う。恐らくは雑誌という、ハードとはいえ少なくとも同じような仲間がいることが覗える媒体で目覚めたことが功を奏したのだろう。

(それだけじゃ無いわね。きっと、この子は自分に自信がある)

 それは愛情を一身に受けて育った人が持つ、自分に対する揺るぎない肯定感。
 どんなことがあっても大丈夫、そう言えるだけの強さがこの子の根本にはあるのだ。
 ……千花には無かった、この歳になってようやく取り戻した自分への自信を持っていることが、ちょっとだけ羨ましい。

 そして脳裏によぎるのは、激しくも情に厚い先輩夫婦の姿。

(芽衣子先輩達は、きっといい親をしているんだろうな)

 当たり前の幸せを目にするのはまだ眩しくて慣れないけれど、けれどそれが貴重であることを知っているからこそ、奏の光を失わせてはいけない。

「……それで、恋愛をするのが怖い?」
「怖いというか……俺、好きな人が出来たらきっとその人を縛ったり、拘束したり、泣かせたりして楽しむと思うんです。でもそんなの、普通の女の子じゃ受け入れて貰えない」
「うん」
「俺、こないだも告白されて断ってきたんです。流石にこんな性癖は言えないから、まだ恋愛には興味ないってことにして。でも女の子は泣いちゃって……俺、そういう意味で泣かせたいんじゃ無いのにって思ったら……凄く、イライラして」
「それで夜の街を徘徊していたと」
「……ごめんなさい」
「そのごめんなさいは、ご両親に伝えた方がいいわね」

(なるほど)

 きっと彼の人生で、これほど他人に理解されないものを持ったことはなかったのだろう。
 いくら自分の中で受け入れているとは言っても、日常では隠し続けなければならない。
 何でも打ち明けられる気安い友人がいたとしたって、流石にこんな話は難しいだろう。いやむしろこのくらいの歳だからこそ、嫌われることを恐れて話せないかも知れない。

 表に出さずに日常を過ごす、その辛さは千花にもよく分かる。
 まして彼はまだ、それを上手く隠しながら生きていくには少々若すぎる。

「ねぇ、賢太さん」

 暫く思案した千花が、賢太の方を向く。
 そうして「彼、ここに通わせたら?」と提案すれば「おまっ、何を」と賢太は茶菓子を持ったまま、驚愕を顔に浮かべ凍り付いてしまった。

「……お前なぁ、ここは子供が来て良い場所じゃねえだろ!」
「そうねぇ、流石にホールに出せとは言わないわよ。けど、叔父さんの店に遊びに来て事務所にいるくらいなら許されるんじゃ無い?」
「ぬうぅ、しかしなぁ……」

 渋る賢太に、千花はなおも説得を続ける。
 今の奏に必要なのは、理解者だ。
 もちろんその全てを理解できなくてもいい、ただ彼の話を頭ごなしに否定せずに聞ける大人が、彼には必要だと。

 芽衣子達なら……千花の性癖を理解できずとも見守ってくれた彼らなら、少なくとも否定はしないだろう。
 しかしその役を親に求めるというのは、これから自立を試みる時期を迎える彼にとってあまり望ましいものでは無い。

 幸いにもこの店には、何かしらの歪みを抱えた客だけなくスタッフも多い。
 別にそういうあからさまな話をしろと言っているわけでは無い。ただ、時々ここに顔を出して彼と他愛ない会話をする。
 きっとそれだけで、彼は十分立ち直れる。

「流石にこんな話が出来る友達はいないでしょ」
「いないです。あいつらに話すなんて……とてもできねぇ。あかりは女の子から絶対無理だし、尚なんかきっと怖くなって泣いちゃう」
「そっか、奏君にとって大切な友達なんだね」
「……はい」

 ね、可愛い甥っ子のピンチを救うためなんだしいいでしょ?とにっこり笑って圧をかける千花と、目の前でぎゅっと拳を握りしめ俯く奏の姿に「ああもう、つまり俺が!兄貴に殴られてくりゃいいってことだろ!!」と賢太もようやく折れることにしたようだ。

「いいか奏、俺から兄貴にはちゃんと話すから、お前はもう夜遊びは止めろ。イライラするならいつでも連絡しろ、迎えに行ってやる」
「うん、ありがとう叔父さん。……頑張って殴られてきてね」
「ぐっ……兄貴の拳骨、マジで痛いんだからな……!」
「うん、知ってる!」

 思い出すだけで痛えわと身震いする賢太のしかめっ面に、ようやく少年はここに来て初めての笑顔を見せたのだった。


 …………


「てことでね、この間から事務所に来始めたんだけど……あれはモテるわね。流石末っ子、甘え上手すぎてうちの女王様やM嬢達が母性本能を打ち抜かれてるのよ」
「んぐ……ぬぅ……」
「てかハルも末っ子なのにねぇ。童貞のままおちんちんにも触れなくなっちゃって可哀相にねぇ!」
「んぐぅぅぅ……!」

 乳首のリングを楽しそうに弾く度、塞がれたハルの口からは切ない呻き声が漏れる。

 朝夕の食事は、必ずハルの餌をやりながら頂くことにしていた。
 ダイニングにある拘束用の肘付き椅子にハルをベルトできっちりと拘束し、口には特製のペニスギャグを固定する。
 適度な長さで呼吸を確保するディルドには根元から穴があいていて、そこからスタイレットという細長い金属を入れた胃管を挿入すれば上手い具合に食道の方へと管が導かれる構造になっているのだ。

 胃まで到達したのを確認すれば、ミキサーで作った特製の餌を天井から伸びるフックに吊るし、流量を調整して餌の準備は終わり。
 1回の量を1時間かけて注入することで、時間は掛かるが胃への負担を減らしている。

 同時にフラット貞操具の先端から伸びる三方活栓の蓋を取り、チューブを繋ぐ。
 チューブの先は蓄尿バッグになっているが、そのチューブには輸液ポンプが噛まされていて、普段の尿量から算出した1時間で空になる速度で膀胱から尿が排出されるように調整されている。

 ただ胃の中に栄養を無理やり送り込まれ、一方では尿が尿道を通る刺激も、膀胱が一気に空になる感覚も味わえず、じわじわと激しい尿意が落ち着いていくのを待つだけの時間。
 唯一の利点は……いや、正直なところ排尿の焦燥感などデメリットにも感じないほどの利点だが、あの料理と呼ぶのも悍ましい物体を舌や鼻で味わなくてすむことだ。

「んふーっ、ふーっ……」
「ふふ、まだまだパンパンね。私食べ終わっちゃって暇だし、ちょっとトントンしてあげよっか」
「んうううう!!!」

 半日分の尿を溜め込んだハルの膀胱は、外から見ても分かるほどぽっこりとしている。
 そこを2本の指でトン、トンとまるで打診のように内側に響かせられればたまったものではない。

(うあああああっ、出したい、出したいのに出ないいいぃぃ!!)

 とたんに呻き声を上げ、大粒の涙をぽろぽろと零し始めるハルを、千花は満足そうに眺めつつ「でも、愛情って凄いわ」と寂しそうな表情を浮かべつつ嘆息した。

「幼い頃にまっとうに愛され、条件無く肯定されて育つことが自己肯定感の土台を作る上で大切だってのは、よく知られたことだけどね。ハルや奏を見ているとそれをまざまざと見せつけられるわ」
「んぐ……」
「分かってるわよ、振り返ったって仕方が無いもの。それでもね……時々、愛されたかったなって思うのよ」

 きっとこの想いは、何かにつけ生涯千花を苛むのだろう。
 けれど例えひととき感傷に浸ることがあっても、その過去への願いに溺れ振り回されることは、もう二度とない。

「……大丈夫よ、今の私にはハルがいるから」

 そっと額のタトゥーに口付けが落とされる。

 その口付けは、千花が言葉に出来ない想いを伝える手段だなのとハルは良く知っている。
「言葉ほど便利そうに見えて不自由なものは無いわよ、だって言葉は全てを表現できないのに、全てを理解した気分にさせるでしょ」とは千花の口癖だ。
「下手な言葉を尽くすより、一発の鞭の方が正しく伝わることだってある」とも。

 確認を、慈しみを、気遣いを、そして愛情を――
 いくつもの奔流を束ねた発露として、千花の形の良い唇が額に触れる度、ハルはこの上ない幸せを感じるのだ。
 ……ああ、今日もこの歪みきった美しい人の全てを、受け止められていると。

「まあでもね、奏は何とかなりそうよ」と残量を確認しながら千花は話を続ける。

「相変わらず恋愛への抵抗は強いけど、随分表情は明るくなったし……その分ちょっとやんちゃになったのが大変だけどね。すぐ事務所を抜け出してホールに紛れ込むのよ!まったく何回雷を落としたやら……私、こんなに自分がガミガミ人を叱る人間だったなんて思いもしなかったわ」
「んむ……」
「ふふ、そうね。あのくらいの歳はやんちゃで無意気なくらいが丁度良いわよね」

 恋なんて出来ないと決めつけるには、奏の世界は狭すぎて。
 けれどそれを理解するには、彼は未熟すぎるだろう。

 だが今はそれでいいのだ。彼にはまだまだこれからたくさんの未来が待っている。
 急がず、腐らず、ゆっくり歩いて行けば、いつか彼の性癖を受け止めてくれる人が現れるに違いない。
 だって、ここまで歪んだ自分でさえ、伴侶を見つけたのだ。


(――恋をするのに、遅すぎるなんて事は死ぬまで無いのだから)


 餌の時間が終わり、装置と拘束を外して「食洗機をかけてくるから、良い子で待っててね」とまたキスを落とす千花に、ハルは「はい、愛してます、ご主人様」と先ほどまで苦痛に苛まれていたとは思えない程穏やかな笑顔で愛の言葉を返すのだった。


 …………


「奏っ!!あんたまたホールに忍び込んでたでしょ!!お客さんに見つかったらどうすんのよ!こういう店は時々警察だって来るのよ、下手したら賢太さんが捕まって店が潰れるんだから!」
「いーじゃん、昨日は常連さんばっかだっだし、俺ちゃんと大人しく見物してただけだぞ?」
「そういう問題じゃないのおおおおお!!!」

 今日もまた、事務室からは千花の怒鳴り声が響き渡っていて「おい待てまたあいつホールに来てたのかよ!」と賢太はがっくり頭を抱えていた。

(まったく、なんて問題児になりやがったんだ……!)

 最初のうちは事務所で宿題をしながら、時折やってくる千花や他のスタッフ達と話すくらいだった。
 生来の人懐っこさ故か、10日もすればすっかりスタッフとも打ち解けたし、何より大人とは言え『同士』がいるというのは彼にとって大きな安心感に繋がったのだろう、雰囲気も随分と柔らかくなった。

 そう、そこまでなら良かったのだ。

「ね、MAKIさん、今日はちょっとだけ覗いてきても良い?」
「もう~奏君の頼みだし、ホントちょっとだけよ!」

 全く、末っ子という奴はなんであんなに甘え上手なのか。
 お守り役のスタッフをたぶらかした奏は、時折事務所を抜け出てはホールに侵入し、隅の方でこっそりイベントを眺めるようになってしまったたのだ。

 当然、大人達が気付かないわけが無い。

「お、奏、また来てるのか。あんまり抜け出してるとまたオーナーやCHIKA様にどやされるぞ?」
「大丈夫、叔父さん今ショーの最中だし、この辺ってステージからは見えねえから」
「そうかそうか、まったく悪知恵ばかり働くなぁ奏は!」

 常連達ももう慣れたもので、最初の頃こそ律儀にスタッフに報告していたものの、自分達の邪魔もせず隅の方でそっとショーを眺めているだけの少年に自分達の若い頃を重ねたのか、最近では率先して奏を隠す不届き者まで現れるほどである。
 当然、そんな不埒な輩は千花による公開スパンキングの刑に処されている。いや、それはむしろご褒美ではと思わなくも無いが、面白いので誰も何も突っ込まない。

 で、抜け出せば当然説教が待っているわけで。
 しかも大抵気付くのは千花なわけで。

「最初の頃は大人しくしてたじゃ無いの!!約束守れないなら芽衣子先輩に言いつけるわよ!」
「ちょ、それはずりいって!!大体ここに来て良いって言ったのは千花さんじゃんか!」
「私が!いいって!言ったのは!事務所だけよおおおっっ!!!」

 ……とまあ、毎度のごとく事務所からは説教の声が漏れてくるのである。

 今日も白熱する言い争いに「まあまあ」と水を差したのは賢太だった。
 ……水を差しがてら、奏に拳骨を落とすことも忘れない。

「ぐうぅ、いってえぇぇ……暴力反対……!」
「兄貴よりマシだろうが。……第一何でそんなにホールに来たがるんだ?来たところで酒も飲めねーし、まして体験なんて出来るわけでも無いのに」

 あんまり繰り返すなら、マジで出入り禁止にしなきゃならなくなるぞ?と言われれば、流石の奏もそれ以上の反抗はまずいと思ったのだろう、俯いて「……だって」と小さな声で呟いた。

「だって……俺、縛ってるの見たかったんだ」
「え」
「叔父さんが縛るの……前に見た雑誌よりも、ネットで見た動画よりも綺麗だったから……」
「……っ」
「俺もあんな風に縛ってみたいし、千花さんみたいに鞭を振ってみたい……」

 そうだった、奏の『種』は縄と鞭だったなと賢太は改めて確認する。
 そして彼がホールに忍び込むのは、千花がメインとなる鞭体験イベントか、賢太が主催する縄体験イベントのどちらかを開催している時だけだということに、二人は思い至るのだ。

(ああ、そういうこと……)

 興味のあるお年頃なのはよく分かっている。
 奏がここに来始めて2ヶ月になるが、事務所にあるその手の雑誌を読み漁ったり、道具を隠れて触ったりしてはオカズにしているのも当然バレていて、そのくらいならまぁいいかと二人も黙認していた。
 しかし彼の興味は、残念ながら事務所の中だけでは収まりきらないようで。

 ううむ、と二人はしょんぼりした奏の前で考え込む。
 頭ごなしに否定すれば彼のことだ、また自分一人では抱えきれない想いに振り回されかねない。
 何より、うっかり興味の赴くままこっそり誰かに試すだなんて事になったら、目も当てられない。いくら千花ほどでは無いとは言っても、その歪みは人を傷つけかねないものなのだから。

(むしろそこまで興味があるなら、正しい知識を与えた方がいいのよね、ただ……)

「……兄貴達が何ていうか、だよなぁ……」

 ぽつりと呟いた賢太の様子を見るに、どうやら賢太も同じ結論に至ったようだ。

「ちなみに奏の性癖のことは言ってあるの?」
「兄貴達にか?詳しくは伝えてない、ただ千花ほど歪んじゃいないとは」
「大事な情報だけどちょっと傷つくわね……」

 奏の性癖について賢太が拓海と芽衣子に打ち明けた時は「それは賢太、お前に似たんだ」と一刀両断だったらしい。
 とはいえ賢太や千花という例を近くで見ていただけあって、理解は出来ないが生活に支障さえ無ければそれで問題は無い、とい考えているようだ。
 ある意味自分達の行いが役に立っているわねと苦笑すれば、奏はきょとんと「……千花さん、親父やお袋と何かあったの?」と尋ねてきた。

「ああそっか、奏は千花のことは詳しく兄貴達から聞いては無いのか」
「うん、親父とお袋の後輩だって言ってたから医者だってことと、あとは……いつもうどんとみかんを届けてくれる人ってくらいは」
「そう来たか……まぁその辺はおいおいね。そうねぇ、奏は今縄と鞭に興味があるんだっけ」
「うん」
「なら、芽衣子先輩達が良いって言ったら教えてあげる」
「!!」

 もちろん人に対してやるのはだめよ?と付け加えるも、途端に目をキラキラと輝かせ「本当に?本当に教えてくれるの!?」とはしゃぐ奏にはどこまで聞こえたか分からない。
 まぁいいわ、と千花は苦笑しながら「ちゃんと許可が取れない限りはだめだからね!」と念を押す。

 と、奏はいそいそとポケットからスマホを取りだした。
 そしてやおら連絡帳を開きボタンをタップする。

「分かった!俺今から親父達に話す!」
「え、いやちょっと待て奏それはいきなりすぎて俺らの心の準備がああああああ!!」
「……ああもうかけちゃったわよ…………何なの、あの子の咄嗟の行動力、もう少し思慮深さってものは……」
「諦めてくれ、あれは兄貴も義姉さんも似たようなものだから」

 離れていてもスマホの向こうから聞こえる芽衣子の怒鳴り声に、ああこれは近いうちに呼び出されるなと二人は震えながら覚悟するのだった。


 …………


 開店前の『Purgatorio』店内に、ぱしん、ぱしんとバラ鞭の音が室内に響く。
 練習台に向かって一心に鞭を振るうのは奏だ。

 奏がここに通い始めてから、2年の月日が経った。
 あの日、呼び出しどころかまさかの真夜中に夫婦で「賢太あああ!!お前という奴は奏に何を吹き込んでいるんだああっ!!」「ちょっと千花!うちの息子を更に変態の道に引きずり込もうっての!?」と店に突撃され、一晩中説教(と鉄拳制裁)を食らったのも今や懐かしい思い出だ。

 ……いや、訂正する。芽衣子の一撃は半端なく痛かった、マジで頬骨が折れたかと思った。とても良い思い出になんかできやしない。

 とはいえ賢太の「変にこじらせて俺らの見ていないところでやらかして事故を起こすより、ちゃんと監視下で正しい知識とスキルを身につけさせた方が結果的に奏のためだ」という説得により、無事奏は二人から縄と鞭を教わることになった。
 もちろん人相手では無く、あくまでも練習台に対して、だ。

「ねぇ、千花さん。俺もっともっと練習して上手くなったらいつかここで雇って貰えるかな」
「どうでしょうね、先輩達が反対しなければ大丈夫じゃ無い?でもあんた、医者になれって先輩達から言われないの?」

 お茶を飲みながらふと気になって千花が尋ねれば、汗だくで鞭を振るいながら奏は「だいじょぶ」と練習台を見つめたまま答える。

「クリニックは実の子供じゃ無くても継いで貰えるし好きにすりゃ良いって。ま、兄貴と姉貴は医学部に行ったけどさ」

 知り合いが跡継ぎとして医師になることを強制された挙げ句非常に苦労したから、自分の子供にそういう思いはさせないと決めているのだと、両親がいつか話してくれたらしい。
 その言葉に、自分の存在は存外彼らの生き方に影響を与えているのだなと、千花はしみじみとした気持ちを覚える。

「……良かったわね」
「ん?おう。でも俺、特に何かやりたい事ってのもないんだよなぁ」
「その歳でやりたいことが見つかっている方が稀よ、焦らなくて良いんじゃ無い?」
「あ、人に鞭は振るってみたい」
「それはだめ」
「ちぇー」

 心配しなくても誰彼構わずじゃねぇよ、と奏は口をとがらせる。

「いつかさ、俺も自分の奴隷になってくれる人を見つけるんだ、千花さんみたいに」
「……あんまりおすすめしないわよ、最初から公言できない関係を目指すのは。それにあんた、恋愛は諦めているんじゃないの?」
「ん、恋愛は、な。でも大人になってこういうところにお客で出入りしてたら、きっと気の合う相手だって出来ると思うんだよ。千花さんだってそうだったんだろ?常連さんから聞いたんだ、千花さんの奴隷は元々ここのお客だって」
「ったく、何を奏に吹き込んでんのあいつら……」

 ねね、どうやって知り合ったの?と興味津々な奏を「そういうプライベートな話はもうちょっと大きくなってからね」と軽くあしらい、そろそろ開店の準備をと立ち上がったその時「千花、ちょっと来てくれ!」と賢太の呼ぶ声がした。

「はーい!ちょっと行ってくる」
「あ、俺ももう終わるから一緒に行く、事務所でしょ」
「そうね」

 二人で事務所に向かえば、そこには賢太と若いカップルが向かい合っていた。
 だがその光景に奏は息をのむ。

「え……あの、これ」
「奏、プライベートなことは詮索しないのがここのルール」
「っ、はい」

(いやいやいや!!待ってよそれどう見ても奴隷!?奴隷だよな!!)

「すまん、俺の甥っ子なんだ、遊びに来ていて」「ああ大丈夫ですよ」と言葉を交わす賢太と男性の横……正確にはソファ脇の床には、一人の女性が股を大きく開いた状態でしゃがみ込んでいた。
 その首には金属の首輪が光っていて、男性の持つ手綱と繋がっている。
 手足は枷で動きを封じられ、ゆったりとしたチュニックは股間がギリギリ隠れるくらいの長さしか無い。
 当然下は……いや、想像するのはよそう。

 そして何より、その豊満な胸のてっぺんには、異様な膨らみがあった。
 どう見ても乳首ではない、なにか輪っかのようなもの。

(……何だあれ、乳首?何か、付いてる…………)

「で、彼女が紹介する『Jail Jewels』の」
「あ、そっちね。初めまして、塚野です」
「根本です、宜しくお願いします」

 混乱したまま立ち尽くす奏の目の前で、話は淡々と進んでいく。

「他のピアススタジオで開けて貰ったんですが、もっと太くしたくて。あと、そろそろ性器もやりたいんです」
「かしこまりました。では今回は乳首を8Gへのサイズアップ、クリトリスは初めてですし14かな……大きめなら12Gもおすすめですよ」
「どうだろう、確認いただけますか?」
「もちろん。……ああ、ここではちょっとね。当日確認しましょう。リングでいいかしら?」
「はい、リングでお願いします。あと、可能なら脱毛もお願いできますか?中途半端に何本か残っているだけなんですが」
「もちろん大丈夫ですよ」

(へっ?ピアス??乳首に、くっクリトリスうぅぅぅ!!?)

 目の前で展開される世界は、どうやら奏には少々早すぎたようだ。
「奏も突っ立ってないでこっちに座れ」と声をかけようとした賢太が「ちょ、奏!」と声を張り上げた。

「どうしたの叔父さん……ん?あれ……」

 何かが鼻から垂れる気がして、拭えばそれは真っ赤で。

(赤い……血…………!?)

 それを見た途端、くらりと世界が揺れる。

 その場に倒れ込みかけた奏を千花は慌てて支え、まだまだ初心ねぇと心の中で苦笑していた。


 …………


「……ごめんなさい、千花さん」
「いいわよ。あの場に居させた私たちの責任でもあるから。ちょっと落ち着いた?」
「はい……そっ、その」
「ああなるほど、そっちが落ち着かないと」
「うぅ……」

 事務所のベッドに寝かされ、ようやく出血も止まって落ち着いた奏だったが、ブランケットの上からでも分かるほどその下半身は元気そのもので、思わず真っ赤になって俯いてしまう。
「大丈夫よ、見慣れてるから」と気を遣われてしまうのが、ますます恥ずかしい。

「もうちょっと落ち着いたら処理してきなさいな、今興奮してまた鼻血出ちゃっても困るし」
「うう……俺死ぬほど恥ずかしいんだけど……」
「慣れなさいな。初めて本物の奴隷を見て興奮した?」

 千花の質問に「うーん」と奏は考え込む。

 確かに、生で奴隷を見たのは初めてだ。
 ただ正直あのぐらいの格好なら、時々忍び込んでいるホールでも見かけることはある。何なら手足を折り曲げて真っ黒な物体にされているのも見たことがある。

 けれど、本当に管理されている奴隷というものを目の前に突きつけられて……しかもピアスなんてものを開けられると言うのに、彼女は明らかに喜んでいて……ほんのり上気した顔、潤んだ瞳、そしてチュニックの裾に付いていた色の濃い染みは、どう見ても興奮の証で。

 それを見たとき、ぐわっと自分の中の熱が上がった気がしたのだ。

(あんな風に、俺も奴隷を持ちたい)

 これまでぼんやりとしていた、己の中に眠る欲望がはっきりと形作られる。
 縄で縛って、飾って、鞭で打って泣かせて、良い場所にピアスを入れればすっと発情させられるって言ってたから、いつも淫乱な状態でいじめて……
 だめだ、想像したらちょっと股間が痛くなってきた。

「いいなって……俺も俺だけの奴隷が欲しいなって思う」

 ぽつりと呟く奏に「そっか」と千花は静かに返す。
 きっと彼のその言葉は、これまで時折口にしていたただの憧れではない。
 奏の心の奥底に棲み着いた獣の叫びが漏れ出たものだと、千花は自らの経験から直感していた。

 千花にはその心の全てを理解してやることは出来ない。
 確かに自分もハルという奴隷を飼っているけれども、それはあくまで偶然と縁が重なった結果だ。奏のように奴隷そのものを渇望していたわけではない。

 そして千花には、賢太や奏のようにその場を上手く切り抜けるような言葉は語れない。
 無責任な言葉ほど後で相手を傷つける事を知っているから。

(私に語れるのは、私が通ってきた道だけ)

 優しい慰めをかけるのは、頼まずとも他の人がしてくれる。
 だから千花はただ、現実を語る。

「……なら、学びなさい」
「学ぶ……」
「奴隷が欲しいって言うなら、奴隷に託して貰えるだけの知識と技術を持つ事ね。もちろん人によってそのレベルは異なるけれど、少なくとも人としての尊厳をいくらか握るのは間違いないんだから……調教技術だけじゃ無い、人の身体のこともだし、何よりお金だって掛かるのよ」
「むぅ……俺、勉強嫌いなんだよなぁ……SMの勉強ならまだしも……」
「学生の勉強は大事よ。内容はともかく、好き嫌いや得意不得意、どんなものに対しても一定のレベルまで学ぶスキルというのは生涯役立つから」
「…………ぬうぅ……」

 ほら、難しいことを考えたから大人しくなったじゃ無い、と股間を指せば、また真っ赤になってしまうあたりはまだまだ可愛らしいものだ。

「……じゃ、数学。教えてくれる?俺数式見るだけでじんましんが出そうなんだよな」
「へぇ?私に?いいわよ、女王様にお願いするだなんて良い度胸じゃ無い!しっかり躾けてあげるわ!」
「何か違うってそれ!」

 文句を言いながらもノートを開く辺り、この子は伸びるなと千花は確信する。
 大人の言うことなんて聞きたくない年頃だろうに、彼は少なくとも真剣に語ればちゃんと応えることができる。

(ほんっと、親に似て脳筋気味ではあるけど……いい親してるのね、芽衣子先輩達は)

 いつの日か、彼がその渇望を癒やせる日が来ればいい。
 その時に彼が苦労しないために、自分の経験が活かせるならいくらでも与えるから。

 早速一問目からスライムのように溶けている奏を「あんたねぇ、いくら何でも早すぎよ……!」と呆れた顔でどやしながら、千花は大昔の記憶を必死で掘り起こすのだった。


 …………


「オーナー、オーナーっ!!」
「何、騒がしいわね!てかそのオーナーっての止めなさいよ、私ここのオーナーじゃないってば」
「でも店持ってるじゃん!それよりさ、聞いてくれよ!!」

 いつの日からか、奏は千花のことを「オーナー」と呼ぶようになった。
 拘束具の調達を頼まれた千花が「興味があるなら見る?」と自身が経営するSMグッズショップ兼ピアススタジオ『Jail Jewels』を案内して以来、彼曰く千花への尊敬の念を込めてそう呼んでいるらしい。

 ただのショップオーナーでは無く、その知識と経験を活かしたアドバイスやピアッシング、脱毛などの施術まで行うマルチっぷりがどうやら奏の琴線に触れたらしい。
 最近では「俺も将来は自分の店を持ちたいなぁ……」と話すことも増えた。
 将来の展望を持てるくらいに余裕ができたのはいいことである。

 千花は千花で「店を持ってる人なんて、そこら中に居るわよ」と謙遜しつつも、尊敬の眼差しを向けられるのは悪い気分ではない。
 なんだかんだ苦労しつつも医師を続けてきた甲斐はあったのかもなと今は思っている。

 初めて会った日から5年、今ではすっかり背も伸びて声も低くなった奏は、しかし頭の中はあの頃からあまり変わっていない気がする。
 いつものように賢太に連れられて『Purgatorio』の事務所に来るなり千花に駆け寄る様子はまるで大きな子犬のようだ。

「奏、喧しいぞ。ちゃんと皿洗いはやれよ」
「分かってるって」

 パタン、と事務所のドアが閉まる。
 それを確認して「な、オーナー聞いて」と声を潜めた奏にやれやれとため息をつきながら何だと返せば、奏はちょっとだけ頬を赤らめて「叔父さんにも内緒だからな!」と前置きしたうえでそっと耳打ちした。

「……あのさ、俺、恋人が出来た」
「え…………えええええ!!!?」

 青天の霹靂とはまさにこのことか。
 あまりに思いがけない奏の独白に千花は思わず叫び、ハッとなって慌てて両手で口を押さえた。

「ちょ、本当なの!?あんたのことだから告白されたんでしょ?またどうしてOKしたの??で、どんな子?」
「ちょ、オーナー質問が多すぎ!」

 もう、がっつきすぎだって!と口をとがらせながらも奏の顔はどこかにやけていて、ああこれは奏もまんざらではないのだなと千花まで嬉しくなる。

 どうやら恋人はまさかの幼馴染みらしい。
 どこが誰の家だか分からないくらい行き来をしている間柄で、相手が4年も片思いをしていたというのだからびっくりだ。
「正直、付き合うことになっても俺が好きになれるかは自信は無かったんだけどさ」とは言うものの、付き合い始めてそろそろ1ヶ月、恋人の好き好き攻勢にどうやら奏はすっかり絆されてしまったらしい。

「で、どんな子よ?」
「んと、引っ込み思案で泣き虫で……ああ、でも最近はそこまで泣かなくなったかな。ぬいぐるみ作ったり服作ったりするのが好きなんだよ。去年のクリスマスプレゼントはセーターだった」
「えええ、また随分愛が重そうな子じゃない……」
「あ、でもクリスマスプレゼントは毎年だし、俺だけじゃ無くてあかり……えっと、もう一人の幼馴染みも貰ってるから」

 優しい奴なんだよ、ときっと恋人を思い出しながら語っているのだろう、穏やかな瞳に(ああ、本当に良かった)と千花は安堵する。
 あれほど恋人が出来ればその内側の嗜虐の獣が制御できなくなるのではと恐れていた少年は、どうやら思った以上にバランスを取って付き合えているようだ。

「ただなぁ、ちょっと……えっちが大変で」
「ちょ!あんたねぇ、それ私相手だから良いけど流石に先輩にバレたらぶっ殺されるわよ!いい?無理強いは絶対にダメよ!あと避妊は確実にやる事!!」
「分かってるって!むしろ俺の方が振り回されてて……ちょっと腰が痛い」
「ぶっ!!」
「俺、自分の性欲がそんなに強くないって、初めて知ったよ……」

 まさかの恋人が性欲旺盛とは。
「精力ってどうやったら付くのかな……」と悩む奏に「むしろ、あんたが断ることを覚えた方がいいんじゃない?絆されすぎにも程があるわね」と呆れつつも、千花は栄養素の解説を始めるのだった。


 …………


「……って訳でね、恋人が出来てめでたしめでたし、のはずだったのよねぇ……」
「終わらなかったんですか?」
「そう、続きがあるのよ」

 いつものように洗浄を終えたハルを処置台に固定して、千花はその尿道にいくつかのカテーテルを挿入しては抜くのを繰り返している。
 このカテーテルはハルのフラット貞操具専用に千花が賢太と共に改造した代物で、膀胱に挿入後、二つのバルーンに水を注入して固定する。

 奥のバルーンは膀胱の中で膨らみ脱落を防止する。
 そして手前のバルーンは前立腺の部分で歪な形に膨らみ、常に前立腺を尿道側から刺激し続けるという代物だ。
「フラット貞操具とプロステートチップを一緒に使うわけにはいかないからね」とまさか両方の機能を持ったカテーテルを発明してしまうだなんて、彼らの発想はとんでもないな……とハルは中から前立腺を押される度に「んはあぁぁ……!」と甘い声を上げていた。

「んー、3番と5番が反応は良いか……もう一度入れてみて、今度はお尻からも刺激してみるわね」
「ヒィッ……ありがとう、ございます……」

 これでお留守番がもっと楽しくなるわね、と千花はにぃっと口の端を上げる。

 10年かけて千花は外出時にもハルを十分に堪能できる体制を構築していた。
 
 完璧な空調管理に、餌と水の自動注入システム。
 排泄はそもそも禁じられているから問題ないとして、股間と乳首以外をラバーで包み込み全身を拘束し、その日の気分に合わせて様々な淫具を仕掛け、保管庫と呼ぶ部屋の中に、穴と言う穴全てに何かしらを繋ぎ、塞いで『保管』する。

 その身体には各種モニタリング装置が、部屋には監視カメラが付いていて、千花はいつでもどこでもスマホでハルの様子を確認できるし、セキュリティ会社との契約により万が一千花が気付かなくても異常があれば連絡が入る仕組みになっているのだ。
 なお、双方向の会話システムは付いていない。そもそも保管中のハルに声を出す権利など無い。

 この体制を構築したときに、ハルはてっきり自動で痛みを与えられ続ける……つまり電撃漬けにされるのか!?と怯えたものの、意外にも保管中に与えられるのは快楽のみだった。
 千花曰く「痛みは自分の手で直に与えるのが楽しいのよ、それに目の前に居なきゃハルの全てを堪能できないじゃないの」だそうだ。

 もちろん快楽に流されて勃起なんてしようものなら、中から貞操具を無理矢理押して陰嚢が引っ張られ、限界まで押し広げられている尿道共々痛みに悶絶するのはいつも通りだし、こんな状態で万が一射精でもしようものなら、行き場を失った精液が激痛をもたらすのは間違いない。
 不思議なもので、保管中にどれだけ射精欲が高まっても実際に射精に至ったことは無い。恐らく無意識に痛みへの恐怖でストップをかけているのだろうと千花は以前話していたっけ。

「んふ……で、何があったんですか」

 ぬぷ、と後孔へ挿入されたディルドに声を上げつつ、その快楽を逃すかのようにハルは千花に話の続きを促した。
 これはちょっとヤバい。ディルドとの合わせ技は確実にメスイキしたまま戻って来れなくなる。
 こんなものを尿道に入れて生活するだなんて、まるで自慰に狂ったサルになれと言われているようなものだ。

「それがね、奏ったら『俺の奴隷ができたから、乳首と性器ピアスを開けたい』って」
「……ほげえぇぇぇ!!?んあっ、な、なんでそうなったんなあぁぁ!?」

 いや待った。
 いくら何でもそれは話が飛躍しすぎているだろう。
 大体、千花から話を聞く限り彼はまだ学生の筈だ。そんな若くして、奴隷!?しかも、いきなりピアス!!?

 前立腺からの快楽すら一瞬忘れてぽかんとするハルに「そういう反応になるわよね」と千花は大きなため息をつく。

「……ぁはっ……その、恋人が奴隷になったんですか」
「だと思うんだけど。幼馴染みって言ってたから同い年よ?しかも奏が持ちかけたんじゃ無い、向こうから奴隷になりたいって言ってきたって」
「うわぁ……最近の子は進んでいるというか、なんというか……」

 奏曰く、その子が目覚めたきっかけもまた、体育倉庫で見つけたSM雑誌なのだそうだ。
 皮肉にも同じ場所で一緒に雑誌を見た幼馴染みの、一人は嗜虐に、一人は被虐に目覚めたという事実に、千花は目眩を覚えたという。

(まったく、なんてものを学校に持ち込むのよ!!共学校ってそんなものなの!?)

 当の本人は「ちょっと運命感じちゃった」なんて呑気なことを言っているが、運命だとしたらそんな残酷な運命を決めた神様とやらをぶん殴ってやりたい位である。

 それでピアスを開けるのかとハルが問えば、意外にも千花は悩んでいると答える。
 どう考えても、そこは断ってこんこんと言い聞かせるところじゃ無いのか、そう尋ねれば「それは、言い聞かせて済む話でこそ通用する道理なの」と千花はぐいっと一気に前立腺を押しつぶした。

(あ、これ、あかん)

 前後から押しつぶされる快楽に「いぐうぅぅっ……!」と拘束具をガチャガチャ慣らしつつハルはメスの絶頂に酔いしれる。
 しかし、一度痙攣した身体は勝手に尿道内の前立腺に合わせた突起を、後孔の玩具を食い締めて、果てなき快楽を延々と自動的に送り込み続けるのだ。

 白目を剥いてひくつくハルに、それでも千花は話し続ける。

「理屈で何とかなるものじゃ無いのよ、性癖って。ハルは分別が付いてから目覚めているから、多少は違うんだろうけどね……」
「んぎぃ、いぐっ、まだいぐぅ!!」
「ここで断ったら、奏が暴走しかねないのよ。あの盛り上がりっぷりだと心配でね。しかも奴隷志願してくるような子じゃ、奏のストッパーになんてなりやしないし」
「はぁっはぁっごしゅじん、さまぁ……」
「とはいえ、流石にあの歳でピアスを開けてしまうのは……ちょっと、聞いてる?って流石に無理か」
「んあぁぁ……ひぎっ……!」

 ごめんごめん、とディルドを引っこ抜かれれば、その刺激にまた声が漏れる。
 頭がふわふわして、けれど尿道側の刺激は収まらないから、完全には降りきれない。

「だからまぁ、まずは会ってみようと思うの」
「……ふーっ、ふーっ……ど、奴隷の子にも、ですか?」
「そ。ちゃんと現実を見せてあげるのは、先輩の役目でしょ?それでも決意が固いなら」
「開ける、と」
「ええ。…………渇望を抱えたまま生きるよりはましだし、暴走して取り返しの付かないことになるくらいなら、私が責任ひっかぶって見守ってあげた方がよっぽど良いでしょ」
「んうっ、そ、ですね……ご主人様は、お優しい……」
「どうかしらね、彼らの親御さん達に取っちゃ悪魔かもよ、私は」

 ふふ、ハルの身体は卑しん坊さんね、と千花の綺麗な指が、すい、ともはや何かを咥えていないと落ち着かなくなったアナルの縁を撫でる。
 それだけでハルの孔はふわりと綻んで、その指を下さいとおねだりし始めるのだ。

「ご主人様っ……んんっ……」
「ふふ、やっぱりこの留置カテーテルは効くみたいね。もっともっと……頭馬鹿になれるように改良してあげるから、ねっ」
「んあぁぁっ!!!」

 たっぷりと潤滑剤を纏ったディルドが、ずるっとすっかり緩くなったアナルへ吸い込まれていく。
 当たり前のように結腸を越えなおも侵入を続けるディルドは、最近千花がお気に入りの横行結腸まで届く凶悪なイボ付き超ロングディルドだ。

「ほらほら、カテーテルの調整を折角頑張ったんだし、ご褒美よ、楽しみなさいな」
「がは……っ……!!」

 ごちゅ、と身体の中から聞こえてはいけない音がする。
 目の前がさっきからチカチカして、ちょっと暗くなったりして、ああ、頭の中まで犯されているようだ。

(……きっと、この出会いはご主人様にとってええ出会いになるんやろな)

 暴力的な快楽で途端に散り散りになる理性の中で、ハルは確信する。
 だって、彼らの……自分と同じ世界への沼に足を突っ込んだ若人の未来を案じる姿は、こんなにも生き生きしているのだから。

(……また一つ、幸せになれますね、ご主人様)

 よかった、とふっと笑みを浮かべながら、ハルは千花の与える快楽の海に沈んでいった。


 …………


 7月も下旬にさしかかろうかという日曜日。
 たった一組のために丸一日分の予約を押さえるという開店以来初めての事態に、千花はいささか緊張した面持ちで店の奥にある事務所を掃除していた。

「紅茶はよし、と……クッキーも、これハルが美味しいって言ってたメーカーだから間違いないでしょ……あ、同意書の印刷と、筆記用具。写真もあった方が良いわね」

 何度も、何度も準備物を確認する。
 確かに実際に会って話をしなければ今後の方針なんて立たないけれど、できる限りの備えはした上で迎えたいのだ。
 何たって今日のお客様は、大切な先輩の息子とその友達で……同じ嗜虐と被虐の歪みに囚われた『後輩』なのだから。

(こんなに緊張するのは……臨床研修で初めて外来の予診を取ったとき以来ね)

 まだまだ私も未熟ねぇと、千花は心の中で独りごち苦笑する。
 と、ビーッと玄関のブザーが鳴った。

「あら、もう来たの。随分早かったわね……」

 机の上にある防犯モニターを眺める。
 玄関のモニターに映るのは、奏と、奏より背の高いおどおどした感じの男の子と、活発そうな女の子。
 そう言えば幼馴染み3人で来るって言っていたっけ。どっちが恋人で奴隷なのだろうか。

(ま、どっちでもいいわ。私がやることは一つだけだから)

 そう、千花がやることは、ただ一つ。
 彼らの奥底に眠る歪みと付き合う手立てを教え、見守ることだけ。

 最悪の性癖の目覚めから30年。
 溜め込んだ知識も、為してきた経験も、注がれた愛情も、そして得られた幸せも……千花の持つ全てを、ここから未来へ繋ぐのだ。

(さぁ、塚野千花。あんたの人生最大の仕事が始まるわよ!)

 千花はこの段階で、どこかで確信していたのかも知れない。
 この出会いが彼らのみならず、千花達にとってもその後の人生を左右するほどの関係になることを。

 武者震いをしつつ、そっと人差し指でドアのロックを解除する。
 程なくして入ってきた彼らの歓声と悲鳴を聞きながら、千花はいつものように背筋を伸ばし、カツカツとヒールの音を立てて彼らの元へ向かっていくのだった。

 ――塚野千花と、サンコイチ。
 彼らの運命的な出会いまで、あと5メートルである。



 ――Reconstruction 完――
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