5 / 22
5
しおりを挟む子供達が1歳になりました!
「キース、ライラ。お母さん、下のお店にいるからね。ふたりはお部屋でお利口さんにしててね」
「あいっ」
「やー!」
部屋のラグの上にぺたんとお尻を着けて座ったキースはニコニコと手をあげて、ライラはイヤイヤと首を何度も振ってこちらに両手を伸ばしてきた。
『だっこして』の合図なのはわかっているけど、ここでだっこしてしまったら仕事にならない。
「ごめんね、お母さんお仕事なの。キース、ライラと遊んであげてね」
「あい!」
「やー! やぁああ!」
「……いって、きます……っ」
パタンと扉を閉めると、ライラの大きな泣き声が部屋の中から漏れ聞こえてきた。
ううう……。無事に職場復帰を果たしたものの、後ろ髪引かれすぎて毎日辛い。
部屋の中は危険なものに触れないようにゲージを設置してあるし、オリエさんからは都度様子を見に部屋へ戻ることも快く許してもらっているとはいえ、ライラには毎回今生の別れのように泣かれてしまう。
キースはいつもニコニコしてて平気そうなのに、何が違うんだろう。
愛情不足なのだろうかと思い、帰ってからギュウッと抱きしめても『よくも置いていったな!』とばかりにやっぱり泣きながら小さな掌で顔をパチパチ叩かれるのだ。
ライラの気持ちが落ち着く頃にはもう寝る時間で、すぐに朝になって、またお留守番に癇癪を起こすのを繰り返してる。
うーん、どうしたものか……。
一階の店に降りると、店主のオリエさんがすでに出勤していて、野菜の入った木箱を保存庫から出しているところだった。
「オリエさん、おはようございます。それは私が運びますね」
「おはようアリサ、ありがとう。じゃあ悪いんだけどこれからあたしは市場に魚を仕入れにいってくるから、この野菜の皮を剥いて茹でておいてくれるかい?」
「はい、お任せください。いってらっしゃい!」
オリエさんから引き受けた野菜は、元の世界のジャガイモに姿も味も似ている。
ちなみに名前も『ジ・ヤガイモ』というらしい。
いや何その某バンドみたいな名前。
もうそれジャガイモでいいじゃんと思い、私は『ジャガイモ』と呼んでいるけれど、今のところそれを誰からもつっこまれていないので問題ないようだ。
ボコボコの表面の薄い皮を剥くなら、先に茹でた方が剥きやすくなるはず。
ジャガイモを軽く洗ってから鍋に水を張り皮ごと中に放り入れて、茹でている間に客席のテーブルを拭いて回る。
ジャガイモが茹で上がったらお湯を捨て、一度水で冷やす。
すると、皮がするんと綺麗に剥けるのが面白くて、箱いっぱいの野菜を無心で剥き続けた。
「えっ、もう全部終わったのかい?」
「はい、なんだか楽しくなってきちゃって」
「何いってんだい、皮剥きなんて楽しくないだろうに。それにしても随分綺麗に剥けたもんだね! アリサは仕事が丁寧で早いから助かるよ」
大きな魚を肩に担いで勇ましく戻ってきたオリエさんに褒められて「でへへ」とだらしなく笑っていると、準備中の札が出ているはずの店の扉が開く音がした。
「おはようございます、朝からすみません」
店の入口の扉を半分ほど開けて、遠慮がちに顔を覗かせたのはミドさんだった。
「ミドさん、おはようございます。どうかされましたか?」
「あの、アリサさん、少しだけお時間よろしいですか?」
ミドさんはまだ出勤前のようで肩から大きめのショルダーバッグ下げている。
きっと急ぎの用事なのだろうと思い、オリエさんの方に振り向けば、親指と人指し指で丸を作り頷いてくれていた。
それを見たミドさんはオリエさんに「ありがとうございます!」と礼儀正しく返す。
「早速で恐縮なのですが、アリサさんにまた翻訳をお願いできないかと思いまして……」
ミドさんがおずおずと差し出してきた茶封筒を受け取り中を確認すると、『売買契約書』と書かれた書類が入っていた。
「契約書、ですか?」
「はい。他国の商人がたまたま立ち寄ったこの町の特産品を気に入ったとかで取引の申し出があったんです。それは町にとって良い話なんですが、相手が用意した契約書が全て商人の国のナワル語で……。本来は担当の産業経済課でナワル語を読み解ける者が居るのですが、ちょうど長期休暇を取ってそのナワルに旅行中らしいんですよ。そこで昨日、商人の帰国の期限が迫っているのにどうしようと産業経済課の同期に泣きつかれまして……」
「あらら……それは大変そうですね」
「はい、残念ながら僕もナワル語は全くで。でも、もしかしたら、アリサさんならご存知ではないかと……」
ナワル語自体は知らないけど、私はどの国の言葉でも話せるし書ける……と、いうか私は日本語で読み書きしているのをこの世界の人にはその人に合った言葉や文字に見えるらしい。
とても不思議な現象だけど、これは転移者の私に与えられた唯一のチートと言えるだろう。
以前、たまたま食堂にご飯を食べにきてくれていたミドさんが注文の合間に難しい顔をして読んでいた本の背表紙の文字を見て、何気なく「昔の英雄の冒険譚ですか?」と声に出してしまったところ、すごく驚かれたのだ。
ミドさんがどうしても読みたかったものが他国の言語で書かれた翻訳前の本だったらしく、読むというより辞書を片手に読み解いていたところだったらしい。
正直、それで能力が露呈するまでは、こんなチートがあるなんて自覚がなかった。
だって私には全部おんなじに見えるんだもん……っ!
自分でも謎の能力なら、他人にはさらに理解し難い。
そこで、実は何カ国語も操れるマルチリンガルであるという設定にして、たまにミドさん経由で翻訳を請け負ったりするようになったのだ。
人攫いにあったトラウマによる記憶障害で常識がまるで分からないくせにマルチリンガルってなんだよってツッコミは今のところ誰からも受けていない。
この港町の人達は、細かい事はあまり気にしないのかもしれない。
「はい。わかります」
サラッと書類に目を通してから頷いて返すと、ミドさんは「ほんとですか!」と瞳を輝かせた。
「内容を翻訳すればいいですか?」
「ハイっ、ぜひ! お願いします!」
「じゃあお昼ご飯はうちに食べに来てくださいね。それまでにやっておきます」
「えっ、そんなに早くできるんですか⁉︎ いえ、こちらとしては助かりますが無理しないでください。アリサさんはお店の仕事もあるんですから」
「ふふ、大丈夫ですよ」
無理はしてない。
何も考えず、読んだものを同じように書き写すだけで出来上がりだ。
たしかに文字数は多いけど開店後しばらくはあまりお客さんも来ないし、空き時間を利用して30分もあればできるだろう。
それに、ミドさんが安堵のため息をついているのをみると、私でもこの町の役に立てるのだと思えて嬉しい。
「はぁぁ、ほんとに良かった……。あ、書き写すための用紙なども同封してありますのでお使いください。もちろん翻訳代もまた別にお持ちしますね」
「いえ、ご飯を食べにきて店の売り上げに貢献してくださればいいですよ」
「そういうわけにはいきません。こういう事は部外委託としてちゃんと経費が申請できるんです」
「真面目ですねぇ」
「役所ですから」
ミドさんは冗談めかして笑うと、「ではまたお昼に!」と颯爽と去っていった。
「すごいねぇ翻訳なんて。アリサはナワル語なんていつ覚えたんだい?」
厨房で魚を捌きながら話を聞いていたオリエさんが、感心しながら言った。
「えっと、私もよく分からないんですが、自然と読めてしまって……」
嘘はついていないけれど言葉を濁せば、優しいオリエさんは『そういえば人攫いのトラウマで以前の記憶が曖昧なんだ』と察してくれたのか、それ以上は追及せず「あんた、もしかすると良いとこのお嬢さんだったのかもしれないねぇ」と、同情するように眉を下げた。
うう、悲しい顔をさせてごめんなさいオリエさん。
大丈夫です、私、本当は良いところお嬢さんどころか親の顔も知らない施設育ちなんです。
ひたすらバイトに明け暮れていた学生時代。合間にできた彼氏には毎回『バイトと俺とどっちが大事なんだ!』と言われては、浮気されて振られてました。
でもだからこそ、むしろ今が一番幸せって思える。
キースとライラという家族ができて、オリエさんやミドさん、漁師のおじさんたち皆んなが見守ってくれているこの状況は、今まで私が求めて得られなかったものだらけなのだ。
欲張りだと言われても、全部大切で何ひとつ失いたくない。だから少しでも求められる期待には応えたい。
子育ても仕事も翻訳も全部頑張るから、私を見捨てないでほしい。
「オリエさん、お昼の営業用のお茶は煮出してあります。テーブルセッティングもオッケーです。あと油と砂糖の在庫が僅かなので、後で届けてもらえるよう商店に連絡しました。他には下ごしらえしたジャガイモを潰しましょうか? それとも刻みますか?」
「いつの間にそんなに⁉︎ はぁ、本当に仕事が早くて助かるねぇ。じゃあジ・ヤガイモを半分は潰して、残りは出来るだけ細く刻んで置いてくれるかい? それが終わったら営業開始まで子供達の所にいていいよ」
「はい、わかりました! ありがとうございます!」
早く終わらせれば翻訳もできるし、ライラの様子も気がかりだったから、オリエさんの気遣いがとても有難い。
さっそくミドさんから預かった書類を置いて、食堂の作業に取り掛かる。
丁寧な仕事は心掛けているけれど早く時間を作りたくて夢中でジャガイモを千切りにしていたら、その細さと手捌きにオリエさんがいたく感動してくれた。
何も考えず、ただお金が欲しくて働いていただけの元の世界でのバイト三昧の経験がこんなところで役に立つなんて、あの頃は想像もしてなかったなぁ。
良いことも悪いことも、全てが今に繋がっているんだ。
あの頃の私に、ちょっとだけ『頑張って良かったね』って言ってあげたくなった。
7
お気に入りに追加
2,005
あなたにおすすめの小説
【完結済】私、地味モブなので。~転生したらなぜか最推し攻略対象の婚約者になってしまいました~
降魔 鬼灯
恋愛
マーガレット・モルガンは、ただの地味なモブだ。前世の最推しであるシルビア様の婚約者を選ぶパーティーに参加してシルビア様に会った事で前世の記憶を思い出す。 前世、人生の全てを捧げた最推し様は尊いけれど、現実に存在する最推しは…。 ヒロインちゃん登場まで三年。早く私を救ってください。
急に運命の番と言われても。夜会で永遠の愛を誓われ駆け落ちし、数年後ぽい捨てされた母を持つ平民娘は、氷の騎士の甘い求婚を冷たく拒む。
石河 翠
恋愛
ルビーの花屋に、隣国の氷の騎士ディランが現れた。
雪豹の獣人である彼は番の匂いを追いかけていたらしい。ところが花屋に着いたとたんに、手がかりを失ってしまったというのだ。
一時的に鼻が詰まった人間並みの嗅覚になったディランだが、番が見つかるまでは帰らないと言い張る始末。ルビーは彼の世話をする羽目に。
ルビーと喧嘩をしつつ、人間についての理解を深めていくディラン。
その後嗅覚を取り戻したディランは番の正体に歓喜し、公衆の面前で結婚を申し込むが冷たく拒まれる。ルビーが求婚を断ったのには理由があって……。
愛されることが怖い臆病なヒロインと、彼女のためならすべてを捨てる一途でだだ甘なヒーローの恋物語。
この作品は、他サイトにも投稿しております。
扉絵は写真ACより、チョコラテさまの作品(ID25481643)をお借りしています。
君は番じゃ無かったと言われた王宮からの帰り道、本物の番に拾われました
ゆきりん(安室 雪)
恋愛
ココはフラワーテイル王国と言います。確率は少ないけど、番に出会うと匂いで分かると言います。かく言う、私の両親は番だったみたいで、未だに甘い匂いがするって言って、ラブラブです。私もそんな両親みたいになりたいっ!と思っていたのに、私に番宣言した人からは、甘い匂いがしません。しかも、番じゃなかったなんて言い出しました。番婚約破棄?そんなの聞いた事無いわっ!!
打ちひしがれたライムは王宮からの帰り道、本物の番に出会えちゃいます。
異世界に召喚されたけど、従姉妹に嵌められて即森に捨てられました。
バナナマヨネーズ
恋愛
香澄静弥は、幼馴染で従姉妹の千歌子に嵌められて、異世界召喚されてすぐに魔の森に捨てられてしまった。しかし、静弥は森に捨てられたことを逆に人生をやり直すチャンスだと考え直した。誰も自分を知らない場所で気ままに生きると決めた静弥は、異世界召喚の際に与えられた力をフル活用して異世界生活を楽しみだした。そんなある日のことだ、魔の森に来訪者がやってきた。それから、静弥の異世界ライフはちょっとだけ騒がしくて、楽しいものへと変わっていくのだった。
全123話
※小説家になろう様にも掲載しています。
【完結】番が見つかった恋人に今日も溺愛されてますっ…何故っ!?
ハリエニシダ・レン
恋愛
大好きな恋人に番が見つかった。
当然のごとく別れて、彼は私の事など綺麗さっぱり忘れて番といちゃいちゃ幸せに暮らし始める……
と思っていたのに…!??
狼獣人×ウサギ獣人。
※安心のR15仕様。
-----
主人公サイドは切なくないのですが、番サイドがちょっと切なくなりました。予定外!
番は君なんだと言われ王宮で溺愛されています
ゆきりん(安室 雪)
恋愛
私ミーシャ・ラクリマ男爵令嬢は、家の借金の為コッソリと王宮でメイドとして働いています。基本は王宮内のお掃除ですが、人手が必要な時には色々な所へ行きお手伝いします。そんな中私を番だと言う人が現れた。えっ、あなたって!?
貧乏令嬢が番と幸せになるまでのすれ違いを書いていきます。
愛の花第2弾です。前の話を読んでいなくても、単体のお話として読んで頂けます。
竜王陛下の番……の妹様は、隣国で溺愛される
夕立悠理
恋愛
誰か。誰でもいいの。──わたしを、愛して。
物心着いた時から、アオリに与えられるもの全てが姉のお下がりだった。それでも良かった。家族はアオリを愛していると信じていたから。
けれど姉のスカーレットがこの国の竜王陛下である、レナルドに見初められて全てが変わる。誰も、アオリの名前を呼ぶものがいなくなったのだ。みんな、妹様、とアオリを呼ぶ。孤独に耐えかねたアオリは、隣国へと旅にでることにした。──そこで、自分の本当の運命が待っているとも、知らずに。
※小説家になろう様にも投稿しています
『えっ! 私が貴方の番?! そんなの無理ですっ! 私、動物アレルギーなんですっ!』
伊織愁
恋愛
人族であるリジィーは、幼い頃、狼獣人の国であるシェラン国へ両親に連れられて来た。 家が没落したため、リジィーを育てられなくなった両親は、泣いてすがるリジィーを修道院へ預ける事にしたのだ。
実は動物アレルギーのあるリジィ―には、シェラン国で暮らす事が日に日に辛くなって来ていた。 子供だった頃とは違い、成人すれば自由に国を出ていける。 15になり成人を迎える年、リジィーはシェラン国から出ていく事を決心する。 しかし、シェラン国から出ていく矢先に事件に巻き込まれ、シェラン国の近衛騎士に助けられる。
二人が出会った瞬間、頭上から光の粒が降り注ぎ、番の刻印が刻まれた。 狼獣人の近衛騎士に『私の番っ』と熱い眼差しを受け、リジィ―は内心で叫んだ。 『私、動物アレルギーなんですけどっ! そんなのありーっ?!』
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる