5 / 33
⑤全部誤解です。
しおりを挟む逃げるように会場を後にしたミレーヌは、クラウドとともに馬車で帰路についていた。
まだ夜会は続いている。
ナタリアに頼まれていたアリアナ嬢のことを投げ出す形になってしまい、何より会場を自分のことで騒がせてしまったことに、ミレーヌは頭痛を堪えるように額に手を当てていたナタリアに去り際に謝罪をした。
「ふふ…ミッちゃん、大丈夫よ。ミッちゃんが弟に激甘だってことを失念していた私のミスだし、ルーカス様のフォローはしておくから。それより暫くミッちゃんと音信不通になるかもしれない事が気がかりだわ…。きっと手紙も届かないし会いにも行けなくなるけど、私を忘れないで!」
「え?え?」
縋るように抱きつかれて戸惑っているとクラウドに強く手を引かれ引き剥がされた。
そのまま引き摺られるようにして夜会を後にしたのでナタリアに発言の意味を問えなかったけれど、遠くから「鳩を…っ、鳩を飛ばすからぁ…っ!」と謎のメッセージを残され、ミレーヌは更に困惑したのだった。
(音信不通になるだなんて、ナッちゃんはやっぱり怒っているのね。私、嫌われてしまったかもしれない…。
それに、なぜ、鳩を…?屋敷を鳩の糞だらけにしてやるという事かしら…?確かに植物は枯れてしまうし臭いもキツいから微妙に困るわ…。でも、私は甘んじて受け入れなくては。大切な友人である彼女が許してくれるまで…)
ミレーヌは帰りの馬車の中でも息をつくことができないでいた。
クラウドが何も言葉を発しない。
いつもなら隣に座って手や頬に触れてくるのに、今は珍しく向かいのシートに長い足を組んで座り、静かに瞳を閉じている。
こっちはこっちで、弟をダシに使って求愛を断ったことを怒っているのだろうか。
「クラウド…ねえ怒っている?」
ミレーヌが沈黙に耐えきれず思い切って声を掛けると、クラウドの目蓋がゆっくりと開いてミレーヌと視線を合わせた。
「ごめんなさい。もう少し言葉を選べば良かったと反省しているわ。私も動揺していてついうっかり…」
「……うっかり、なに?」
「うっかり思った事がそのまま口に出てしまったの」
本音を上手に隠して世を渡るのが貴族だ。
それなのにミレーヌはどうもそう言った戦術が苦手なのである。事前に考える時間があれば別だが、あの様なサプライズには対応できない。
しゅんと項垂れると目の前でクラウドは大きな溜息を隠す事なく吐き出した。
「思った事がそのままって……本当に姉さんは……」
「ご、ごめんなさい…」
「何処まで俺を喜ばせるの?」
「……え?」
「こっちは必死で我慢してるってのに人の気も知らないでどういうつもり?そんなに馬車の中でめちゃくちゃにされたいの?」
「え?え?」
(めちゃくちゃ?え、殴られるの!?ボッコボコに!?クラウドはそこまで怒ってるの!?そう言われてみると胸の前で組んでいる腕が私に手を出さないように耐えているようにも見えなくもない。伏せていた瞳も私を視界に入れないようにしていたとか?嘘でしょう!?クラウドが私に暴力なんてあり得ない!いやでもこれが原因で屋敷から親子共々追い出されたりする!?)
急に悪夢が現実味を帯びてきた気がしないでもない。
「ごめんなさいクラウド…っ、違うのよ、貴方の名誉を傷つけるつもりはなかったの。ああでもクラウドが『お前の姉ちゃんブラコンだな』って揶揄われたら私のせいだわ!?どうしましょう…今からでもやっぱりルーカス様のお申し出を受けて…っ」
ガンッ
(ひぃ…っ!)
クラウドの長い足が音を立ててミレーヌの座っているシートの端を蹴った。
クラウドは馬車の扉との間を遮るように片足をシートに乗り上げさせたまま前傾し、綺麗な顔をゆっくりと近づけてくる。
貴族とは思えぬ乱暴な振る舞いに、ミレーヌの心臓はひえぇえっと情けない悲鳴を上げて縮みあがった。
「ク、クラウド…?お行儀が…」
「ルーカスの申し出を受ける?何故?姉さんは俺を選んだでしょう」
「い、いや、だって、クラウドが怒って…」
「俺は喜んでいると言ったよね?なのに今更あのカスに戻る?本気で言ってるの?」
ミレーヌは『やばい』と本能的に悟った。
何故かわからないが火に油を注いでしまったようだ。
もうクラウドがルーカスをカス呼ばわりしていることなどどうでもいい。今は義弟の暴言を諫めている余裕はない。
「わっ、私は、クラウドがそうしろと言うならします!」
「だから、誰がそんな事を…」
「ルーカス様にはとても失礼だと分かっています!でも私にとっては貴方の幸せが最優先だものっ!」
ミレーヌはその為なら愛のない結婚もバッチコイだった。家のためにどうせ遅かれ早かれいつかはそうなると思っていたのだから、追い出されて路頭に迷った挙句に殺されるよりずっといい。
(痛いのは嫌だし、できればあったかいお布団で安らかに死にたい)
「貴女って人は…っ」
クラウドは両手で顔を覆って俯いてしまった。
「クラウド?」
少し乱れた前髪の隙間から鋭い眼光が覗いたかと思えば、ミレーヌはクラウドに背中を引き寄せられて気付けば彼の膝に乗せられる形で強く抱きしめられていた。
(ひぃいぃ!?)
驚きのあまり声にならず、脳内で悲鳴を上げる。
(何事!?いやそれよりクラウドは細身に見えて騎士団ゴリラの一員なのだ。ギュッとされるほど背中がミシミシ言うんですけど、ちょっとまって!?背骨がっ、背骨が折れるーっ!!)
「クッ、クラ、苦…っ」
「姉さん姉さん姉さんっ」
「いや、だから、手加減っ!!!」
「!!ごめん!!」
決死の覚悟で叫んだ声は淑女とは思えぬ程のドスが効いていた。焦ったように緩められた腕に抜け掛けていたミレーヌの魂が戻る。さすがに今回はマジでヤバかった。
(ごめんじゃないわ毎回言うけど次こそお姉ちゃん死んじゃうからね!?それとも追い出す前にさり気なく事故に見せかけて圧死させようとしてんの!?ねぇ!?)
胸ぐらを掴んで文句の一つも言ってやりたいが、目の前で本当に申し訳なさそうに眉を下げた義弟を見るとグッと言葉に詰まってしまう。
ミレーヌはとことんクラウドに甘かった。
「姉さんごめん…俺は本当に馬鹿だ…」
「え?ええ、まあ、背骨は大切だから次からは気を付けてね…?」
「姉さんはいつも俺の幸せを願ってくれているのに、俺は自分の幸せばかりを求めて姉さんの幸せなんて考えてなかったんだ」
「ん?」
『力加減が馬鹿』だという話かと思って聞いていたが、どうやら何か違うらしい。よくわからないがクラウドが神妙な顔をしているのでミレーヌもそれに合わせて少し悲しげな表情を装って小首を傾げ、話の続きを促した。
「これからは俺も姉さんの幸せを一番に考えるよ」
「え」
「貴女が嫌がる事は決してしないし、願いがあれば全力で叶えてあげる」
「!」
(な、なんという事でしょう!
それって、それって…追い出し殺害エンドは無しってことよね!?まじ!?)
「本当に…?」
「ああ、約束するよ。今までごめんね、姉さん」
リンゴーン
リンゴーン
ミレーヌの頭の中で祝福の鐘が鳴り、パッカリとくす玉が割れて煌びやかな光が降り注いだ。
今、ミレーヌは身の安全を保証されたのだ。
内心で盛大に淑女らしからぬガッツポーズをとる。
(ッシャー!言質は取った!なんなら後で書面にしてもらったほうがいいかしら?!
悪夢に怯えること十数年。長年義弟に媚を売ってきて本当に良かった。あっ、涙が…)
「クラウド…ありがとう、そう言ってもらえて本当に嬉しいわ」
「ああ、姉さん泣かないで。幸せを履き違えていた俺にいつも本当の愛を教えてくれていたのは姉さんだけだ。これからは俺が姉さん…いや、ミレーヌを誰よりも幸せにするよ。愛してる」
「私も愛してるわ。貴方は自慢の弟よ」
「ん?」
「え?」
ミレーヌとクラウドは顔を見合わせた。
分かり合えたはずのお互いの頭上には、はてなマークが浮かんでいる。
「……ミレーヌ、どうやら誤解があるようだ」
「誤解?……はっ、まさか!私の幸せを一番に考えるって発言を取り消すと言うの!?ひどいわ、舌の根も乾かぬうちに…っ!やっぱり約束事には書面が必要なのね!?」
「書面?そうだね。同感だ。親しい仲こそ契約は必要だよね。今後翻る事のないよう、帰ったらすぐに書面にしお互いに誓いを立てよう。いいね?」
「ええ!もちろん!」
うっそりと仄暗い笑顔を浮かべたクラウドに、ミレーヌは望むところだと意気込んで返事をした。
掴み掛けた安全保証に気持ちが焦っているミレーヌがそれが悪夢で見たクラウドの笑顔とそっくりだったことに気付くのは、伯爵邸に着いてクラウドが用意した書面『婚姻誓約書』を見た30分後のことである。
おわり
0
お気に入りに追加
809
あなたにおすすめの小説
【R18】翡翠の鎖
環名
ファンタジー
ここは異階。六皇家の一角――翠一族、その本流であるウィリデコルヌ家のリーファは、【翠の疫病神】という異名を持つようになった。嫁した相手が不幸に見舞われ続け、ついには命を落としたからだ。だが、その葬儀の夜、喧嘩別れしたと思っていた翠一族当主・ヴェルドライトがリーファを迎えに来た。「貴女は【幸運の運び手】だよ」と言って――…。
※R18描写あり→*
【書籍化決定】断罪後の悪役令嬢に転生したので家事に精を出します。え、野獣に嫁がされたのに魔法が解けるんですか?
氷雨そら
恋愛
皆さまの応援のおかげで、書籍化決定しました!
気がつくと怪しげな洋館の前にいた。後ろから私を乱暴に押してくるのは、攻略対象キャラクターの兄だった。そこで私は理解する。ここは乙女ゲームの世界で、私は断罪後の悪役令嬢なのだと、
「お前との婚約は破棄する!」というお約束台詞が聞けなかったのは残念だったけれど、このゲームを私がプレイしていた理由は多彩な悪役令嬢エンディングに惚れ込んだから。
しかも、この洋館はたぶんまだ見ぬプレミアム裏ルートのものだ。
なぜか、新たな婚約相手は現れないが、汚れた洋館をカリスマ家政婦として働いていた経験を生かしてぴかぴかにしていく。
そして、数日後私の目の前に現れたのはモフモフの野獣。そこは「野獣公爵断罪エンド!」だった。理想のモフモフとともに、断罪後の悪役令嬢は幸せになります!
✳︎ 小説家になろう様、カクヨム様にも掲載しています。
義兄に告白されて、承諾したらトロ甘な生活が待ってました。
アタナシア
恋愛
母の再婚をきっかけにできたイケメンで完璧な義兄、海斗。ひょんなことから、そんな海斗に告白をされる真名。
捨てられた子犬みたいな目で告白されたら断れないじゃん・・・!!
承諾してしまった真名に
「ーいいの・・・?ー ほんとに?ありがとう真名。大事にするね、ずっと・・・♡」熱い眼差を向けられて、そのままーーーー・・・♡。
どうせ結末は変わらないのだと開き直ってみましたら
風見ゆうみ
恋愛
「もう、無理です!」
伯爵令嬢である私、アンナ・ディストリーは屋根裏部屋で叫びました。
男の子がほしかったのに生まれたのが私だったという理由で家族から嫌われていた私は、密かに好きな人だった伯爵令息であるエイン様の元に嫁いだその日に、エイン様と実の姉のミルーナに殺されてしまいます。
それからはなぜか、殺されては子どもの頃に巻き戻るを繰り返し、今回で11回目の人生です。
何をやっても同じ結末なら抗うことはやめて、開き直って生きていきましょう。
そう考えた私は、姉の機嫌を損ねないように目立たずに生きていくことをやめ、学園生活を楽しむことに。
学期末のテストで1位になったことで、姉の怒りを買ってしまい、なんと婚約を解消させられることに!
これで死なずにすむのでは!?
ウキウキしていた私の前に元婚約者のエイン様が現れ――
あなたへの愛情なんてとっくに消え去っているんですが?
婚約者を追いかけるのはやめました
カレイ
恋愛
公爵令嬢クレアは婚約者に振り向いて欲しかった。だから頑張って可愛くなれるように努力した。
しかし、きつい縦巻きロール、ゴリゴリに巻いた髪、匂いの強い香水、婚約者に愛されたいがためにやったことは、全て侍女たちが嘘をついてクロアにやらせていることだった。
でも前世の記憶を取り戻した今は違う。髪もメイクもそのままで十分。今さら手のひら返しをしてきた婚約者にももう興味ありません。
婚約者の貴方が「結婚して下さい!」とプロポーズしているのは私の妹ですが、大丈夫ですか?
初瀬 叶
恋愛
私の名前はエリン・ストーン。良くいる伯爵令嬢だ。婚約者であるハロルド・パトリック伯爵令息との結婚を約一年後に控えたある日、父が病に倒れてしまった。
今、頼れるのは婚約者であるハロルドの筈なのに、彼は優雅に微笑むだけ。
優しい彼が大好きだけど、何だか……徐々に雲行きが怪しくなって……。
※ 私の頭の中の異世界のお話です
※ 相変わらずのゆるふわ設定です。R15は保険です
※ 史実等には則っておりません。ご了承下さい
※レナードの兄の名をハリソンへと変更いたしました。既に読んで下さった皆様、申し訳ありません
豪華クルーズに乗り込んだら大富豪に本気求愛種付けされた話
トリイチ
恋愛
推し活と生活費を稼ぐため豪華クルーズのアルバイトに飛びついた愛海。
意気揚揚と船に乗り込み渡された制服はバニーガールだった──。
※この作品はフィクションです。
pixiv、ムーンライトノベルズ、Fantiaにも投稿しております。
【https://fantia.jp/fanclubs/501495】
もしも○○だったら~らぶえっちシリーズ
中村 心響
恋愛
もしもシリーズと題しまして、オリジナル作品の二次創作。ファンサービスで書いた"もしも、あのキャラとこのキャラがこうだったら~"など、本編では有り得ない夢の妄想短編ストーリーの総集編となっております。
※ 作品
「男装バレてイケメンに~」
「灼熱の砂丘」
「イケメンはずんどうぽっちゃり…」
こちらの作品を先にお読みください。
各、作品のファン様へ。
こちらの作品は、ノリと悪ふざけで作者が書き散らした、らぶえっちだらけの物語りとなっております。
故に、本作品のイメージが崩れた!とか。
あのキャラにこんなことさせないで!とか。
その他諸々の苦情は一切受け付けておりません。(。ᵕᴗᵕ。)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる