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瀬戸際の泥棒と窓際の彼女
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それからさらに三日が経った。
四日後に、奴と対峙する。そう考えると無意識のうちに甲田の手に力が入り、握っているリードの跡が手についていた。クロはそんなこともお構いなしに歩き続ける。
春の訪れを告げる陽気に木々が騒めく。じっとりと背中に汗が滲み、時折吹く風に冷やされるのが心地よかった。
日課になっているクロの散歩も、もしかするともう出来なくなってしまう。左右に揺れる尻尾を見ながら、甲田はそう考えていた。
今まで甲田は奴に復讐するために生きてきた。それができれば死んでもいいとさえ思っていたが、甲田の考えは、氷が溶けるように形を変えていった。神田美咲とクロとの出会いが甲田の心を温めていったのだ。リンゴを食べたことのない少年がリンゴを食べたいと嘆くことがないように、孤独が普通だった甲田はそれが悲しいことだと知らなかった。だが今なら甲田は分かった。
このまま、倉庫には向かわないで神田美咲の霊体とクロとのおかしな生活を続けようか。その甲田の考えが伝わったかのように、クロの尻尾は先ほどよりもより激しく左右に振られていた。
散歩をいつもより早めに切り上げて帰ってきたからか、クロは少し機嫌が悪そうだった。玄関の鍵や窓の鍵などが全て閉まっていることを念入りに確認してから、甲田はソファに座った。まだ動きたりなさそうなクロにこの前買ってやったボールで遊んだ。相変わらず部屋にはテーブルと本棚とソファ以外には置いておらず、クロはのびのびと部屋の中を走り回っていた。そうしているうちに日は沈んでいき、窓から入ってくる光が赤くなっていく。ボールを追いかけるクロの影がだんだんと細長くなり、そのうち部屋全体が影になった。コンビニ弁当を温めて、クロのドッグフードを皿に入れてやり、夕飯を食べる。
気がつくと甲田のすぐ横に神田美咲が座っている。テーブルの上には食べ終わった弁当がそのままになっている。
「これ、片付けてよね」
突然声をかけられるのはこの二週間半で慣れていたので甲田は驚かなかった。そもそも、河合からもいつも音もなく後ろから声を掛けられていたからか、最初のうちでもあまり驚いてはいなかった。
「わかってるよ」と甲田はいいソファに深く背を預ける。その動作の最中に何気なく神田美咲に目をやる。月に照らされて淡く光っているかのような白い肌に黒く長い髪が揺れている。何度見ても不思議だった。確かに神田美咲は目の前に存在している。ただ、この世に存在している生き物や物体はことごとくすり抜けてしまう。例えば甲田が手を伸ばし神田美咲の肌に触れようとしても、手は当たり前のように肌をすり抜け、ただそこの空間に手を伸ばしただけで感触もない。だから、厳密に言えば今隣でソファに座っている神田美咲は座っているわけではない。ソファの形に体を曲げて座っているように見せかけているだけだ。つまりは空気椅子だ。そんなことを生身の人間がやれば数秒と持たずに体勢を崩すだろうが神田美咲にはそう言った疲労や重力の法則も少し違っているらしい。
この間もふと気になって聞いてみたことがある。
「君は、なんでもすり抜けるのになんで床はすり抜け無いんだ?」
「なんか、見え無い壁みたいなのが床と私の間にあって、その上を歩いてるみたい。だから私は床に足が付いてないだけよ。足が着いたらどこまでも下に行っちゃうかもね」と真顔で返された。
「簡単に言うと」と神田美咲は本棚を指差す。本棚にはドラえもんのコミックスが何冊かあり、暇なときは甲田も時折読んでいた。「ドラえもんは3ミリ浮いている、みたいな感じよ」
一体どうゆう理屈なのだろうかと甲田は考えてすぐにやめた。そもそも理屈で説明できるようなことではないからだ。
甲田は立ち上がりテーブルの上の弁当を片付け始めた。
そのときだった。いきなり、クロが大きな太い声で鳴いたのだ。部屋の隅々にまで行き渡るような鳴き声だった。驚いて振り返るとクロは窓の外の庭に向かって吠えていた。
「どうしたの?」と神田美咲が微笑みながら言う。
その様子を横目に甲田は音を立てずに玄関を出て、クロが吠えていた庭に向かう。庭には誰もいない。放置された草花が乱雑に咲いていた。
茂みや、部屋からは死角になる場所を入念に探り誰もいないことを確認してから部屋に戻った。
「いきなりどうしたの?」と神田美咲が聞いてくる。クロはもう吠えていない。
「最近、誰かに見られているような感覚がずっとしてるんだ」と甲田は打ち明ける。
「だいたい外に出てる時なんだけど、今日もクロの散歩をしてる時に視線を感じたから早めに切り上げてきた」
「思違いじゃなくて?」
「最初はそう思ったけどよく意識してみたら確かに誰かに見られてるんだ」甲田はもう一度窓の外に目をやる。相変わらず誰もいない。
「それで、今クロが吠えただろう? きっと誰かが庭から俺を見てたんだ」
「誰かって?」と不安そうな声で神田美咲が言う。
「佐田の仲間かもしれない」
「佐田?」
「俺の両親を殺した泥棒の名前だよ。もしかすると、俺の存在がばれたのか」
「それって、結構マズイんじゃないの」
まだそうと決まったわけじゃないと甲田は呟き、自分に言い聞かせる。
四日後に、奴と対峙する。そう考えると無意識のうちに甲田の手に力が入り、握っているリードの跡が手についていた。クロはそんなこともお構いなしに歩き続ける。
春の訪れを告げる陽気に木々が騒めく。じっとりと背中に汗が滲み、時折吹く風に冷やされるのが心地よかった。
日課になっているクロの散歩も、もしかするともう出来なくなってしまう。左右に揺れる尻尾を見ながら、甲田はそう考えていた。
今まで甲田は奴に復讐するために生きてきた。それができれば死んでもいいとさえ思っていたが、甲田の考えは、氷が溶けるように形を変えていった。神田美咲とクロとの出会いが甲田の心を温めていったのだ。リンゴを食べたことのない少年がリンゴを食べたいと嘆くことがないように、孤独が普通だった甲田はそれが悲しいことだと知らなかった。だが今なら甲田は分かった。
このまま、倉庫には向かわないで神田美咲の霊体とクロとのおかしな生活を続けようか。その甲田の考えが伝わったかのように、クロの尻尾は先ほどよりもより激しく左右に振られていた。
散歩をいつもより早めに切り上げて帰ってきたからか、クロは少し機嫌が悪そうだった。玄関の鍵や窓の鍵などが全て閉まっていることを念入りに確認してから、甲田はソファに座った。まだ動きたりなさそうなクロにこの前買ってやったボールで遊んだ。相変わらず部屋にはテーブルと本棚とソファ以外には置いておらず、クロはのびのびと部屋の中を走り回っていた。そうしているうちに日は沈んでいき、窓から入ってくる光が赤くなっていく。ボールを追いかけるクロの影がだんだんと細長くなり、そのうち部屋全体が影になった。コンビニ弁当を温めて、クロのドッグフードを皿に入れてやり、夕飯を食べる。
気がつくと甲田のすぐ横に神田美咲が座っている。テーブルの上には食べ終わった弁当がそのままになっている。
「これ、片付けてよね」
突然声をかけられるのはこの二週間半で慣れていたので甲田は驚かなかった。そもそも、河合からもいつも音もなく後ろから声を掛けられていたからか、最初のうちでもあまり驚いてはいなかった。
「わかってるよ」と甲田はいいソファに深く背を預ける。その動作の最中に何気なく神田美咲に目をやる。月に照らされて淡く光っているかのような白い肌に黒く長い髪が揺れている。何度見ても不思議だった。確かに神田美咲は目の前に存在している。ただ、この世に存在している生き物や物体はことごとくすり抜けてしまう。例えば甲田が手を伸ばし神田美咲の肌に触れようとしても、手は当たり前のように肌をすり抜け、ただそこの空間に手を伸ばしただけで感触もない。だから、厳密に言えば今隣でソファに座っている神田美咲は座っているわけではない。ソファの形に体を曲げて座っているように見せかけているだけだ。つまりは空気椅子だ。そんなことを生身の人間がやれば数秒と持たずに体勢を崩すだろうが神田美咲にはそう言った疲労や重力の法則も少し違っているらしい。
この間もふと気になって聞いてみたことがある。
「君は、なんでもすり抜けるのになんで床はすり抜け無いんだ?」
「なんか、見え無い壁みたいなのが床と私の間にあって、その上を歩いてるみたい。だから私は床に足が付いてないだけよ。足が着いたらどこまでも下に行っちゃうかもね」と真顔で返された。
「簡単に言うと」と神田美咲は本棚を指差す。本棚にはドラえもんのコミックスが何冊かあり、暇なときは甲田も時折読んでいた。「ドラえもんは3ミリ浮いている、みたいな感じよ」
一体どうゆう理屈なのだろうかと甲田は考えてすぐにやめた。そもそも理屈で説明できるようなことではないからだ。
甲田は立ち上がりテーブルの上の弁当を片付け始めた。
そのときだった。いきなり、クロが大きな太い声で鳴いたのだ。部屋の隅々にまで行き渡るような鳴き声だった。驚いて振り返るとクロは窓の外の庭に向かって吠えていた。
「どうしたの?」と神田美咲が微笑みながら言う。
その様子を横目に甲田は音を立てずに玄関を出て、クロが吠えていた庭に向かう。庭には誰もいない。放置された草花が乱雑に咲いていた。
茂みや、部屋からは死角になる場所を入念に探り誰もいないことを確認してから部屋に戻った。
「いきなりどうしたの?」と神田美咲が聞いてくる。クロはもう吠えていない。
「最近、誰かに見られているような感覚がずっとしてるんだ」と甲田は打ち明ける。
「だいたい外に出てる時なんだけど、今日もクロの散歩をしてる時に視線を感じたから早めに切り上げてきた」
「思違いじゃなくて?」
「最初はそう思ったけどよく意識してみたら確かに誰かに見られてるんだ」甲田はもう一度窓の外に目をやる。相変わらず誰もいない。
「それで、今クロが吠えただろう? きっと誰かが庭から俺を見てたんだ」
「誰かって?」と不安そうな声で神田美咲が言う。
「佐田の仲間かもしれない」
「佐田?」
「俺の両親を殺した泥棒の名前だよ。もしかすると、俺の存在がばれたのか」
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