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瀬戸際の泥棒と窓際の彼女

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「その犬は、拾ったのか?」
 甲田と河合は公園のベンチに腰を下ろしていた。クロは側にある蟻の巣から出てくる蟻を興味深そうに見ている。
 男二人で平日の昼間にベンチで座ってる絵面はかなりおかしい、と甲田は思いながらも「拾ったというかなんというか」と返す。
「ネックレスを盗んだ仕事覚えてますか?」
「ネックレス?」と河合は少し考えてから「あぁ、あったな。3ヶ月くらい前に盗まれたやつだったな」と思い出した。
「そのネックレスを昨日家主に返しに行ったんすけど」
「簡単だったろ」
「え?」
「あそこの家、誰もいないからな」
「やっぱり、誰も住んでないんすか?」
「あぁ、あそこは元々老夫婦とその孫が住んでたんだ。どうゆう事情でその三人なのかは知らないがな」ちらりと河合はクロを見る。クロはまだ蟻の巣を凝視している。
「そんで、三年前に老夫婦が死んだ。一人になった孫は半年に交通事故に遭って、入院してる。だからあの家には誰もいないよ」
「その孫って、女性っすか?」
「あぁ、そうだったな。なんだ? 家に写真でもあったか?」
 甲田は少し迷いながら、昨日の出来事を話すことにした。女性に見つかった、と言えば河合は情報を提供してくれなくなる可能性があるため、家に入ったら女性がいたような気がした、ということにして、クロとの出会いはそのまま話した。
「そりゃあなんかの見間違いだろ。その女、車椅子に乗ってたのか?」
「車椅子?」
「事故に遭った家主は足を動かせなくなったみたいでな。歩けないらしい。だから車椅子」
「そんなことはなかったですけど」
「じゃあなにかの見間違いだろう」
 太陽が雲に隠れたのか、辺りが少し暗くなる。いつの間にかクロは蟻の巣に興味をなくし今度は自分の影を見ていたらしく、いきなり薄くなった影に驚き顔をキョロキョロとさせている。
「三週間後だそうだ」と河合は言う。
 甲田は河合の言葉をすぐに理解し目が鋭くなった。
「三週間後の今日、奴は町外れの倉庫で取引を行う。かなり大きな取引だからな。奴の手下も腕の立つ数人しか立ち会わない。そこが、一番のチャンスだろうな」
 甲田は強く目を瞑る。無意識に胸の拳銃を触っていた。
「河合さん、ありがとうございます」
「あんた、本当にやるのか?」
「はい」
「たぶん、死ぬぞ」
「たぶん、死にますね」と甲田は笑う。無理に作った物ではなく自然と出てきたものだったのが、甲田自身も驚いていた。
「今更あんたを止めはしないけどな」
「河合さん、昨日はすみません。生意気なこと言って。少し興奮してました」
「まぁいいさ、あんたがどうなろうがちょっとした楽しみがなくなるだけだ」
「でも俺、悪運は強いですから」
「はっ、もう停電も隣人もないだろ」
「そうっすね」と甲田と河合は短く笑いあった。そんな二人をクロは不思議そうに眺めていたが、丁度太陽が雲から出てきて、また自分の影に夢中になった。
「それじゃあな」と河合はベンチを立つ。影に夢中になっているクロに近づき頭を撫でる。
「そうだ、河合さん。最後に、さっきの老夫婦の孫が入院してる病院、教えてくれませんか?」
「そんなの知ってどうする」
「いや、ちょっと」
「あんたも、おかしな人だな」そう言って河合はクロを撫でるのをやめる。え? もう終わり? と言うようにクロは河合を見つめていた。

 河合が教えてくれた病院に来た。院内にクロは入れられないので、一度家に戻り置いてきた。女性はまだ帰ってきていなかった。
 受付で名前を告げる。河合から教えてもらった名前は、神田美咲。
 名前を聞いた受付の女性は驚いた様子で俺を見たが、失礼だと思ったのかすぐに表情を戻し部屋を教えてくれた。
 病室内に入るのは躊躇われた。病室は四人部屋で、神田美咲は窓際のベッドにいた。だが窓から外を見ていて、顔は見えなかった。
「君が、神田さんのお見舞いに来た人ですか?」と甲田は白衣姿の男に話しかけられた。
「えぇ、まぁ」
「神田さんの担当医なんですが、ちょっと、お話しできますか」柔らかい口調で医者は言う。
 どうしたものかと考えたが、断るのも妙に思え甲田は首肯した。
 医者は使っていない診察室だ、と説明し丸椅子に座るよう甲田を促し自分も椅子に座った。
「甲本さんでしたね。神田さんとはどういった?」甲田は受付で念のため偽名を使っていた。
「ちょっとした知り合いです。彼女のおじいさんと面識があったくらいで」と甲田は咄嗟に嘘をつく。
「おじいさんの」と医者は眉間に皺を寄せ苦しそうな表情を見せた。
 甲田は自分が呼ばれた理由が分からず、とりあえずは神田美咲について聞いてみることにした。
「神田さんは、足を怪我されたと聞いたんですが」
「はい、車に撥ねられて足を骨折しました」
「具合はどうなんですか?」
「ええ、手術も成功して一応回復はしているんですが…」と医師は少し言い淀む。「足よりも心の方が重症で」
「心?」
「ええ、甲本さんも知っての通り、彼女の祖父母は三年前に亡くなっていて、彼女は独りなんですよ。三年前は彼女は高校一年生でした。高校一年生にして彼女は独りになったんです。元々大人しい子だったらしいんですが、それからはほとんど喋らなくなってしまって。半年前の事故も、本当は自殺しようとしたんじゃないかって噂もあるんです」
「自殺、ですか」
「あくまで噂ですけどね」と医師は、噂、と強調する。
「彼女、一日中窓の外ばかり見ていて、本当はもう車椅子もいらないんですけど、リハビリもしようとしなくて。こんなこと言うのはあれなんですが、まるで生きる意志が感じられないんです」

 医師と話を終え、甲田は病院を出た。外から、神田美咲がいる病室の方を見上げた。
 甲田は医師が言っていたことを思い出す。
「彼女はもしかするとこのまま一生歩くことをせずに、廃人のようになろうとしているんじゃないかって思うんです。本当に、自殺未遂を起こすかもしれない。彼女に必要なのは治療じゃなくて誰かの支えなんですよ。私たち医師も、精一杯彼女をサポートして行くつもりです。ですから、甲本さんにも、協力して欲しいんです。おじいさんとの思い出話をするとかでもいいので、お願いします」
 あの家にいた女性のことを調べるつもりが、思った以上に重い話を聞いてしまったことと、嘘をついてしまったことに後悔をしていた。
 気づけば空はもう夕暮れで、夜になろうとしていた。
 甲田は、窓の外を見ている女性が目に入った。神田美咲が入院している病室の窓だった。
 夜になろうとしている空を見ている女性は、遠くからでもハッキリと顔が伺えた。黒く長い髪の毛に白い肌が覗く。
 昨夜の女性だった。
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