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瀬戸際の泥棒と窓際の彼女
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「意味が」甲田が口を開く。あまりにも予想外の言葉で、それ以上声が出なかった。
「わからない?」と女性が甲田の言葉を続ける。
「私、昼間はこの家にいないの。そしたら、クロが寂しがるから、あなたにいて欲しいのよ。散歩にも行ってあげて」
「だから、散歩なら君が」
「条件よ」
甲田と女性は見つめ合う。そんなおかしな状況になっているというのに、クロは女性の足元に座り耳の後ろ側を器用に掻いていた。
ずいぶん長い間沈黙が続いたような気がするが、それはほんの十数秒だった。
「お願いね。私は上の部屋にいるから。あなたはそこのソファ使って良いから」と甲田の返事を待つことなく女性は開けぱなしにしてあった扉から部屋を出た。
呆然としていた甲田は一息置いて我に帰り女性の後を追い廊下に出たが、そこにはすでに忍び込んだ時と同様、闇しかなかった。
部屋にも、まるで自分以外の人間がいたことを認識していないかのように孤独な静寂と闇が乱れることなく滞在していた。
立つ鳥跡を濁さず、というのが泥棒の基本で甲田のポリシーだった。盗むものを明確にして、余計なところは荒さず、出来得る限り元の状態のまま部屋を出なくてはならない。それは部屋全体の見かけだけではなく、抽象的な空気や雰囲気もそうだった。人間というのは意外と鋭い感覚を持つ。いつもの室内と少しでも雰囲気が違うと気がついたりする。明確に泥棒が入ったことを察するわけではないが、なにかしらの違和感というものを抱くものなのだ。その違和感すらも残さないよう、甲田はいつも家という世界の部屋という空間と同化して、闇と静寂を掻き分けてしまわぬように配慮する。ようは、そこにある秩序を崩してはいけないのだ。
あの女性は、それが完璧だった。まったく部屋の空気が乱れていない。雰囲気も変わっていない。
普通の人間にできる芸当ではなかった。
もしかするとあの女性は同業者なのではないか、と甲田は思い始める。
俺の背後に気づかれずに立てたのも、足音一つ出さずな廊下を進み、二階に上がれたのも、秩序を崩さずにできるのも、俺と同じ泥棒だから…。ということは、泥棒専門の泥棒の噂は知っていたはずだ。俺がそれだと彼女は知った。だから、俺をこの家に留めておき、始末する算段ということなのか?
逃げなくては、と甲田は危機感を抱いた。実際、そのまま廊下を走り玄関から出ようとした。
その甲田を止めたのはクロだった。甲田のズボンの裾を噛んでいる。遊んでいるつもりなのだろうか。足を少し揺すっても、クロは離さない。むしろ遊んでくれたと感じ、さらに強く噛む始末だ。甲田はこんな状況でもそんなクロに癒されていた自分に気づき、呆れてしまう。
クロの脇腹を掴み持ち上げる。自分の顔の目の前にクロの顔を寄せた。
小さな瞳が動物特有の奇妙な光を輝かせながらしっかりと甲田を見つめる。その光は例えば悲しみ、例えば優しさ。すべての感情がその光に集約されている。甲田はいつもそう考えていた。
人間は、どの段階でこの光を失ったのだろうか。黒く濁った輝きを放つようになってしまったのだろうか。人間には決して持つことができないその目の光を見ながら、甲田は部屋に戻った。
彼女がもし泥棒だったとして、応援を呼ばれたとしても、いざとなれば逃げられる。
甲田は上着の胸ポケットに忍び込ませてある拳銃を触る。
俺は奴らを殺せればそれでいい。
それに彼女がもし、業界と無関係ならばこの家は最高の隠れ場所になる。これからは少しも目立ってはいけない以上、隠れ場所は重要だった。
甲田はそのように考えながらソファに腰を下ろし、クロを撫でながら溜息をついた。
クロが不思議そうに甲田を見ていた。
「わからない?」と女性が甲田の言葉を続ける。
「私、昼間はこの家にいないの。そしたら、クロが寂しがるから、あなたにいて欲しいのよ。散歩にも行ってあげて」
「だから、散歩なら君が」
「条件よ」
甲田と女性は見つめ合う。そんなおかしな状況になっているというのに、クロは女性の足元に座り耳の後ろ側を器用に掻いていた。
ずいぶん長い間沈黙が続いたような気がするが、それはほんの十数秒だった。
「お願いね。私は上の部屋にいるから。あなたはそこのソファ使って良いから」と甲田の返事を待つことなく女性は開けぱなしにしてあった扉から部屋を出た。
呆然としていた甲田は一息置いて我に帰り女性の後を追い廊下に出たが、そこにはすでに忍び込んだ時と同様、闇しかなかった。
部屋にも、まるで自分以外の人間がいたことを認識していないかのように孤独な静寂と闇が乱れることなく滞在していた。
立つ鳥跡を濁さず、というのが泥棒の基本で甲田のポリシーだった。盗むものを明確にして、余計なところは荒さず、出来得る限り元の状態のまま部屋を出なくてはならない。それは部屋全体の見かけだけではなく、抽象的な空気や雰囲気もそうだった。人間というのは意外と鋭い感覚を持つ。いつもの室内と少しでも雰囲気が違うと気がついたりする。明確に泥棒が入ったことを察するわけではないが、なにかしらの違和感というものを抱くものなのだ。その違和感すらも残さないよう、甲田はいつも家という世界の部屋という空間と同化して、闇と静寂を掻き分けてしまわぬように配慮する。ようは、そこにある秩序を崩してはいけないのだ。
あの女性は、それが完璧だった。まったく部屋の空気が乱れていない。雰囲気も変わっていない。
普通の人間にできる芸当ではなかった。
もしかするとあの女性は同業者なのではないか、と甲田は思い始める。
俺の背後に気づかれずに立てたのも、足音一つ出さずな廊下を進み、二階に上がれたのも、秩序を崩さずにできるのも、俺と同じ泥棒だから…。ということは、泥棒専門の泥棒の噂は知っていたはずだ。俺がそれだと彼女は知った。だから、俺をこの家に留めておき、始末する算段ということなのか?
逃げなくては、と甲田は危機感を抱いた。実際、そのまま廊下を走り玄関から出ようとした。
その甲田を止めたのはクロだった。甲田のズボンの裾を噛んでいる。遊んでいるつもりなのだろうか。足を少し揺すっても、クロは離さない。むしろ遊んでくれたと感じ、さらに強く噛む始末だ。甲田はこんな状況でもそんなクロに癒されていた自分に気づき、呆れてしまう。
クロの脇腹を掴み持ち上げる。自分の顔の目の前にクロの顔を寄せた。
小さな瞳が動物特有の奇妙な光を輝かせながらしっかりと甲田を見つめる。その光は例えば悲しみ、例えば優しさ。すべての感情がその光に集約されている。甲田はいつもそう考えていた。
人間は、どの段階でこの光を失ったのだろうか。黒く濁った輝きを放つようになってしまったのだろうか。人間には決して持つことができないその目の光を見ながら、甲田は部屋に戻った。
彼女がもし泥棒だったとして、応援を呼ばれたとしても、いざとなれば逃げられる。
甲田は上着の胸ポケットに忍び込ませてある拳銃を触る。
俺は奴らを殺せればそれでいい。
それに彼女がもし、業界と無関係ならばこの家は最高の隠れ場所になる。これからは少しも目立ってはいけない以上、隠れ場所は重要だった。
甲田はそのように考えながらソファに腰を下ろし、クロを撫でながら溜息をついた。
クロが不思議そうに甲田を見ていた。
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