死に行く前に

yasi84

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第2章 退屈

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 赤い目に涙を溜め込んだ女性が白いベッドの横で椅子に腰掛けていた。女性の疲れ切った顔は悲しみがありありと浮かんでいる。
 ベッドに横たわる名古屋さんの顔には白い布のようなものが被されていて、表情はうかがえない。安らかな顔をしているのか、それとも苦しみと後悔に満ちた顔をしているのだろうか。
 静まりきった室内に私と秋山さんの足音が響く。
「あら、来てくれたのね」と私たちに気づいた名古屋さんのお母さんが涙の溜まった目を擦りながら言った。
 泣いていたことに戸惑ってしまい会釈をすることしかできなかった。
「小さい頃から正義感が強くてね。誰かの為にこうなったのなら、この子も本望ね」誰に聞かせるわけでもなく、名古屋さんのお母さんは言った。
「ごめんなさいね…」そう言い目頭を抑える様子を私はただ黙って見ていた。
 名古屋さんのお母さんの手には『ドラえもん』と書かれた漫画本が握られている。
「丁度、今これ読み終わったところでね。ドラえもんの7巻、帰ってきたドラえもんっていう話。泣けるわよぉ。あなた達も読む? 」
 丁度その時、名古屋さんの顔に乗せられていた白い布のようなものがヒラリと舞い上がった。白い布だと思っていたものはティッシュだった。
「母ちゃん、俺が寝てる間に縁起の悪いことするなよ」と名古屋さんが非難の声をあげる。
「だってあんた、死んだように眠ってるから心配になっちゃって、ちゃんと息してるかティッシュを顔に乗せて確かめてたのよ。息したらピロピロ動くじゃない」
 ここは名古屋さんが運び込まれた病院の病室だった。
 昨日、名古屋さんが男に刺された時はどうなるかと思ったが、その場で1番冷静だった秋山さんがすぐに飯塚香のバックの中からスマートフォンを取り出し救急車を呼んだ。幸い、市立病院が近くにあり5分とかからずに救急車は到着し名古屋さんを運んでいった。出血こそ酷かったものの傷は内臓には達しておらず、命に別状はなかった。
 知らせを聞いた名古屋さんのお母さんは最初こそ動揺し心配している様子がありありと見えたが、命までは心配ないと分かると家に帰り入院に必要なものを一式持ってきた。その時にドラえもんも持ってきたのだろう。
 飯塚香の恋人が男に突き飛ばされた時に軽い傷を負ったらしく、その処置を受けていたので、飯塚香とその恋人を残して私と秋山さんは先に帰り翌日の昼、つまり今だが、こうして見舞いに来たのだ。
「退院はどれくらいになるんですか?」
「1週間したら退院していいそうっす。通院はしなきゃいけないけど」
「無茶しすぎですよ」と私は顔をしかめて言った。
「勝手に体が動いちゃったんすよ」
「まったく」
「だが、名古屋があの場にいなければ刺されてたのはお前だったかもな」秋山さんは私を見て言った。
「お前も、体が勝手に動いていたように見えたぞ」
「まぁ、そう考えると名古屋さんは私と飯塚さんを救ったことになりますね」
 名古屋さんはわかりやすい程表情を崩し「それ程でもないっすよ」と頭を掻いた。腕を上げてお腹の傷が痛んだのか「うっ」と言いながら顔を歪ませゆっくりと腕を下ろした。

「それじゃあ、私は帰るわね」と名古屋さんのお母さんは言い帰って行った。きっと、持ってきたドラえもんを読み終えて暇になってしまったからだろう。
 病室に私と秋山さんだけになると、名古屋さんは「飯塚さんは来ないんすかね」と控え目に言った。お母さんのいる前では話したくなかったのだろう。
「後で来るって言ってましたよね」
「あぁ」
 それを聞いた名古屋さんの表情は明るくなったがそれと同時に顔に疑問が浮かんだ様子だった。
「言ってたって、俺のとこに来る前に会ったんすか?」
「そうですよ。飯塚さんに用事があったんですよ」
「用事?」
「コーちゃんが見つかったんです」
「えぇ!?」
 コーちゃんの居場所を突き止めたのは秋山さんだった。昨日、秋山さんは飯塚香のスマートフォンで救急車を呼んだ。そのときにロック画面に写るコーちゃんを見たのだ。あとで私もその画面を見せてもらったが、私も見覚えがあった。
 秋山さんが首吊りや飛び降りで死んだ人が写っていると言って名古屋さんを騙したあの写真だ。あれには野良犬やペットショップの動物が写っていた。その中にコーちゃんそっくりの野良犬がいたのだ。そもそも、コーギーの野良犬が珍しいから、それがコーちゃんである事は間違いがなかった。秋山さんは野良動物の居場所は全て頭の中に入っていたからコーちゃんはすぐに見つかった。コーちゃんに怪我などはなく体調も健康そのものだった。
「そんな簡単に…」
「飯塚さん、すごく喜んでましたよ」
「俺の3日間はなんだったんだ…」
 名古屋さんは珍しく落ち込んだ様子で項垂れていた。

「そろそろ、俺たちも帰るか」
「え、もう帰っちゃうんすか?」
「もうって、結構長いこといましたよね」
 病院に来てから、3時間は経っていた。
 どうせ客は来ないだろうが、これ以上お店に居ないのも確かにどうかと思った。
「じゃあな」と言い秋山さんは足早に出て行く。
「またお見舞い来ますよ」と私も言い秋山さんのあとに続く。
「寂しいっすよぉ」と消え入りそうな声で名古屋さんが言っていて可哀想に思えたが、すぐにその考えは無くなった。
 病室を出ると、一直線の廊下の向こうに飯塚香がこちらに向かって来ていた。名古屋さんのお見舞いに来たのだ、と察した。
 飯塚香は私たちに気付き、小走りでやって来た。
「秋山さん、山上さん。コーちゃんを見つけてくれてありがとうございます」
 何度も言われた言葉を飯塚香は改めて言った。
「名古屋の見舞いか?」
「はい! 名古屋さんの病院ってこの階でいいんですよね?」
「そうですよ。この廊下の1番端の病室ですよ」と私は言いながら私たちが歩いてきた方向を指差した。
「そういえば、聞きましたか? あの男の人、自首してきたらしいです」
 飯塚香は警察から話を聞いたようだ。正午過ぎに、最寄りの交番にあの男が自首してきたらしい。男は名古屋さんが生きていると知って心底ホッとしたような表情をしていたという。
 人を殺す事は、自分が死ぬことよりも辛い。そう秋山さんは言っていたが、あの男もそれを実感したのかもしれない。そういえば、秋山さんはあの時なんと言おうとしたのだろうか。あの男に、まるで人を殺したことがあるような言い草だな、と言われた時秋山さんは何かを言おうとしていたはずだが。
「名古屋さんは今起きてますか?」私の思考は飯塚香の発言にかき消された。
「起きてますよ。1人で退屈そうだから、行ってあげたら喜びますよ」
「そうですか」心なしか、飯塚香の顔が赤くなったような気がした。
「そういえば、彼氏さんは来ないんですか?」
「彼氏? あぁ、良彦は後で来るそうですよ。名古屋さんにすごい感謝してましたよ。あと、良彦は彼氏じゃなくて私の弟ですけどね」と飯塚香は笑って答える。
「弟?」
「そうですよ。ストーカーのことを相談したら俺が恋人のふりでもしたら諦めるんじゃないかって、あいつ自分がモテてカッコいいこと分かってるから調子乗ってたんですよ」
「そ、そうなんですか」
「本当、ありがとうございました」飯塚香はもう一度深く頭を下げて病室に向かったが、少し歩いてからこちらに振り返った。
「名古屋さんって初めて見た時からコーちゃんに似てるなって思ってたんですよね。顔がコーギーに似てて可愛いですよね」そう言った飯塚香の顔をどこかで見たことがあり私は記憶を探った。そのうちに飯塚香は病室に入って行った。
 病院を出た辺りで、飯塚香のあの表情をどこで見たのか思い出した。
 昨日、秋山さんが飯塚香の家の場所をバイト先のコンビニの店員に聞いた時だ。恋する乙女の顔になったあの店員の表情に似ていたのだ。
 そのことに気づいた私は密かに笑みをこぼした。それに気づいた秋山さんが怪しいものでも見るような目で私を見ていた。それでも構わずに私は笑った。空は快晴で気持ちも晴れ晴れとしていた。
 ひゅうっと優しく吹き付けた風に暖かみを感じたのは気のせいだろうか。
「なにをニヤニヤしているんだ?」
「宝クジを買っておけばよかったなぁ、と思ったんですよ」
「なんの話だ」
「宝ぐじです」
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