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15 繋いだ手と逃走劇
しおりを挟む遅すぎず、速すぎず、一定の感覚を保ちながら、グレースは少年と共に男性の後ろを歩いていた。
時折、こちらを振り向いて様子を伺う男性から離れることは不可能に近い。ならば、看護師達の待機している二階に降りれば、叫んで助けを呼べるかもしれないと考えていたが、それは叶わなかった。
男性が向かったのは階下へと降りる階段ではなく、非常扉。
普段は鍵がかけられ利用できなくなっているのだが、壊された鍵跡が男性がここから侵入してきたことを物語っていた。
男性が扉を押し開くと、夜風が吹き込んでくる。
そこは、外に造られた階段の踊り場だった。
(外に出るまでに助けを呼べればと思ったけど、まさかこんなに簡単に出ちゃうなんて)
グレースが思いがけない展開に焦りの色を浮かべていると、繋ぐ手にぎゅっと力が込められた。
「……ここから行くの?」
階段を降りようとする男性を見て、怯えた様に少年が呟く。
「あぁ、ここから行った方が近いんだ」
「でも、真っ暗……」
階段には外灯がなく、月明かりで見えるとは言っても階下へと続く道は真っ暗だ。
「あの、灯りは無いんですか?」
「悪いが持ってきてないんでね。目を凝らせば十分見えるだろ」
「魔法でつけれませんか? 足を踏み外して転がり落ちでもしたら大変ですし、前を歩くあなたも巻き込んでしまうかも」
「……チッ、俺は魔法が使えねぇ。そんなに言うならあんたが点けたらどうだ?ただし、あんまり明るくしすぎるなよ」
多少、苛立ったように舌打ちをする男性。
灯りを持って来なかったのは、見つかる可能性を低くする為だろうか。
暫しの逡巡の後、グレースの言葉を聞き入れたようで、灯りを付けることを拒否はされなかった。
「私も魔法は……」
使えないと続けようとしたところで、少年に腕を引かれた。
「僕、できるよ」
そう言うと、少年は空いている掌をかざして「灯れ」と呟いた。
すると、小さな光球が少年の掌の上に生み出され、周囲が明るく照らし出される。
「これくらいの明るさでいい?」
「うん、大丈夫。有難う、これで随分歩きやすくなったわ」
「……ん」
礼を言うと、少年は目を見開いてグレースを見たが、すぐに恥ずかしそうに視線を逸らした。
(照れてる……。この子、本当にあの時の子?)
見た目も声も、二日前グレースに殺意を向けてきた人物と確かに同じだ。
しかし、あの時感じた異質さはまったく感じられない。暗がりを怖がり、褒められれば少し照れたように俯く。その様は、年相応の少年のものだ。
『おねえさん、ババアに雇われた殺し屋とか?』
二日前、少年に言われた言葉を思い出し、男性を見る。
灯りに照らされた鷲鼻と目の周りに浮かぶ酷い隈。無精ひげのはえた横顔は、ヴェントの友人と言うには随分と年上だ。
もしも、この男性が少年の命を狙っているとして、二日前に出会ったあの少年だったら、男性相手に容赦なく牙を剥くのではないだろうか。
大人しいフリをして男性に従うような、とてもじゃないがそんな風には見えなかった。
「おい、何してんだ。行くぞ」
「は、はいっ」
少年の事も気になるが、今は目の前の男性からどう逃げるかを考えなければと、グレースは思考を切り替える。
それこそ本当に殺し屋だとしたら、なんとしてでも病院の敷地内を出る前に逃げなければ。
咄嗟の事だったとはいえ、今思えばあまりにも考え無しだ。部屋を出る前に、備え付けのベルで看護師に助けを求めるべきだったと、改めて後悔した。
何も考えが浮かばないまま階段を降りきり、遂に一番下へと辿り着く。
男性は伺うように周囲を見回すと、正門の方へ向かって歩き出した。
(守衛さんがいるはずだけど、随分堂々としてるのね)
正門には守衛室があり、常に守衛が常駐しているのだが、男性は知ってか知らずか歩を進めていく。
徐々に近づいてくる正門に、隙を見て守衛に助けを求めようとグレースは意を決した。
しかし、守衛室の前に来ても声を掛けられることはなく、小窓から見える室内にも人影はない。
何故誰もいないのか、狼狽えていると門のすぐそこに人影が佇んでいた。
「アニキ!」
男性にそう呼びかけて走り寄ってきた人影は、スキンヘッドで長身、筋骨隆々な男性だった。
「馬車は?」
「あっちに停めてあるけど、なんで二人も……。それに女の子とこんな小さい子だなんて聞いてないよ」
「このお嬢さんは自分から来たいって言ったんだ。別に問題ねぇだろ」
「で、でも、可哀想だよ」
見た目に反して、気弱そうな態度をとるスキンヘッドの男性は、グレースと少年を交互に見つめている。
「あの、兄様は?」
「あぁ、兄さんなら馬車で待ってる」
キョロキョロと辺りを見回しながら尋ねる少年に答える男性。しかし、その言葉に不思議そうな顔をしてスキンヘッドの男性は首を傾げた。
「え? 馬車には誰も……いでっ!!」
「ちょっと来い!!」
言葉を続ける間もなく、スキンヘッドの男性は耳を引っ張られ、引きずられるように連れていかれてしまう。少し離れた所でグレースと少年に背を向け、何やら小声で話し始めた。
耳を澄ますと「やっぱり辞めよう」「金が必要だ」などと、微かに声が聞こえてくる。
どうやらスキンヘッドの男性の方は、誘拐に乗り気ではないようだ。
(今がチャンスかも……)
二人に気付かれない様にグレースはしゃがみ込んで、人差し指を口の前に立て、小声で少年に話しかけた。
「あのね、今から言う事、よく聞いて欲しいの」
「なに?」
「多分、あの人達はお兄さんの友達じゃない。貴方の事、騙して連れてこうとしてる」
「!?……ど、どうして?」
「分からないけど、でも、こんな真夜中に迎えに来るなんておかしいもの」
「…………」
「急にこんな事言ってごめんね。でも、すぐに逃げないといけないの。だから、協力してくれる?」
「……なに、すればいいの?」
不安そうな表情を浮かべながらも、少年は唇を引き結んでグレースをみつめる。
その視線に応える様に繋がれた手を握りしめ、グレースは少年の耳元で逃げる為の手順を話した。
手短に話し終え、二人の方を見ると未だに何か言い争いを続けている。
「行こう」
気を取られている二人から、じわじわと距離を取る。
建物の中に入るのに、一番近いのは正面玄関だ。せめてそこまで行くのに気づかれなければと思ったが、そう簡単には行かなかった。
「!? おいっ、何してる!!」
「……っ! 走って!!」
ある程度の距離が開いたところで、鷲鼻の男性がこちらに気付き駆け寄ってくる。
追いつかれる前に正面玄関に辿り着き、扉に手を掛けたが鍵が掛けられていて開かない。
「誰か!!」
扉を揺らして呼びかけるが、建物内からの反応は無い。
どんどんと近づいてくる男性に、グレースは少年を見る。
「さっき言ったの、お願いできる?」
「うん」
「せーのっ!!」
少年が頷くと、グレースは少年が灯りにしていた光球を握りしめ、近づいてくる男性の頭上目掛けて勢いよく放り投げた。
「あ?」
「光れ!」
男性が光球を見上げたと同時に少年が叫ぶと、グレースは少年を覆うように抱きしめ、光球に背を向けた。
瞬間、光球が強く光り、周囲は眩い明かりに照らされる。
「ぐぅあああっ!?」
「アニキ!!」
背後から聞こえてきた叫び声に振り向くと、どうやら目眩ましは成功したらしい。
スキンヘッドの男性は少し離れていた為に無事だったようで、目を両手で抑え跪く男性に駆け寄り狼狽えている。
(今の内に……)
グレースは少年の無事を確認して、玄関の扉に手をついた。
「ここの鍵、魔法で開けれる?」
「普段使うところのドアならできるけど、このドアは時間がかかるかも……」
「じゃあ……、うん、こっちから行きましょ」
少年の言う時間がどれだけかかるか分からない上に、鍵が開くのを待つ間に男性の視力も戻りかねない。グレースは少しだけ考えて、中庭へ向かう事にした。
玄関を通らなくても外側を周って行けば、中庭には行けるようになっている。中庭に行き、二階にいる看護師達に異常を訴えれば気付いて貰える筈だ。
「待て、コラァ!!!」
「アニキ、もうやめようよ」
「馬鹿言え! 顔見られてんだ、このまま帰れねぇだろ!」
「でも……」
「早く追え!!!!」
後ろから聞こえてくる怒号に振り向くと、おずおずとこちらに向かってくるスキンヘッドの男性と、その後ろで跪いていた男性が片目を押さえながら立ち上がっている姿が見えた。
(急がないと、この足じゃすぐ追いつかれる……!)
成人男性の歩幅と、動かない自身の足を比べれば一目瞭然だ。相手の視力が戻った途端、あっという間に追いつかれるだろう。
少年の手を引き、早く、早くとグレースは必死に杖を動かす。
角を曲がり、ようやっと着いた中庭。二階の一室に明かりが灯っているのを見て、助けを呼ぼうとグレースは大きく息を吸った。
「だれか――、むぐっ!?」
「ま、待って!」
寸でのところで、後ろからやってきたスキンヘッドの男性に口を手で覆われ、話す事が出来なくなってしまう。
「んんっ!!」
「ご、ごめん……!酷い事はしない、終わったらちゃんと家に帰すって約束するから、だから……!」
男性の手から震えが伝わってくる。グレースが顔を上げると、男性は泣きそうな表情を浮かべていた。
「捕まえたか、ディック」
ディックとは、スキンヘッドの男性の名前なのだろう。
名を呼ばれ、振り返ったディックの後ろから、両目を擦りながら追いついた男性の手には小振りなナイフが握られていた。
「手間取らせやがって、こっちに来い!」
「いたっ……!」
グレースの手から奪うように少年の手を掴みとり、男性は少年を引き寄せた。
「んんんっ……!」
「優しくしてれば調子乗りやがって。最初からこうしてれば良かったんだ」
グレースが抗議の視線を向けると、男性は向かい合ったグレースの首もとに、手にしていたナイフの刃を当てた。
「……っ」
「おねえさん!」
「騒ぐな、ガキ」
睨みつけられた少年はびくりっと肩を震わせる。
「いいか? 黙ってついてこい。アンタもそこのガキも、言うこと聞いてれば悪いようにはしねぇ」
少しの痛みが走り、グレースの首筋に赤い血が滲む。
男性の隈が浮いた顔と据わった目に、これ以上の抵抗は危険だと察し、グレースは小さく頷いた。
「次、変な真似したら容赦しねぇからな。行くぞ、ディック」
「う、うん……」
男性は強引に少年を引きずりながら、先を歩いていく。
抵抗すれば、ディックと呼ばれた弱気な男性は手を放してくれるかもしれない。だが、ナイフを持った男性の手元に少年が居る以上、迂闊な事はできない。
(すぐそこに人がいるのに……誰か、誰か気づいて!!)
徐々に離れていく部屋の明かり。
祈る事しかできないグレースの耳に、バタンっと、何かが勢いよく開く音が聞こえてきた。
それは男性達にも聞こえたようで、後方から聞こえた音に一斉に振り向く。しかし、振り向いた先には何もなく、三階の一室、グレースの部屋の窓が風で揺れていた。
「お前ら、何してやがる」
聞き覚えの無い、地を這うような低い声が背後から耳に響く。
振り向く間もなく、気づけばグレースを捕らえていたディックが真後ろに吹き飛ばされていた。
「ごふっ……!!」
「ディック!!!!」
近くにあったベンチに勢いよく叩きつけられ、ディックは力なく倒れ込んでしまう。
「大丈夫か、グレース」
吹き飛ばされたディックに変わり、グレースの横に居たのは黒い着流しを着た黒髪の青年だった。
白い、優しい瞳がグレースを見る。
「どちら様、ですか……?」
「あー……、分かんねぇよな。こっちの姿じゃ。まぁ、いいや。説明は後。おい、お前」
グレースを守る様に、青年はグレースを背にして男性に対峙する。
その手には髪と着流し同様、黒い刀が握られていた。
「うちの患者に手ぇだして、タダですむと思うなよ」
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