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11 落ち込む貴方と
しおりを挟む昼食終わりの昼下がり。
中庭へ続く廊下を、グレースは読みかけの本を手に一人で歩いていた。いつもならフィグも一緒だが、今日はまだ姿を見ていない。
「ついに私とあの部屋の人だけになっちゃった」
杖を使って歩を進めながら、グレースはひとりごちる。
昨日一昨日と同じ階の患者の退院が続き、ついに三階の個室を利用しているのはグレースと特別個室の患者だけになった。
リハビリがてら廊下を散歩している時や近くを通る時など、それとなく様子を伺っているのだが特別室の扉が開く気配はない。
ウェスタに話を聞いて以来、特別個室の患者はグレースにとって気になる存在となっていた。
「退院するまでに会える日は来るのかしら……ん?」
中庭に着き、いつも腰掛けるベンチに目をやると見慣れない男性が座っていた。
眼鏡をかけ、肩に着くぐらいの濃い紺色の長髪を無造作に後ろで結んでいる。ベンチの背凭れには、パンツと揃いのジェケットが雑に掛けられていた。
(患者さんじゃないわよね?病院の服じゃないし、お医者様でもなさそう……。お見舞いに来た人かしら?)
眼鏡と長い前髪に隠れて目元は伺えないが、前のめりに俯く姿はどこか悲しげだ。
物憂げな雰囲気に思わず足を止めていると、通りがかった女性に声をかけられた。
「やあ、グレースちゃん。今日も中庭かい?」
「こんにちは、ソフィーさん。読書でもしようかと思って」
ソフィーは一階の大部屋に入院している患者で、中庭でよく顔を合わせている内に会話を交わすようになっていた。
「うーん、今日は止めといた方が良いかもしれないよ。午後になってから、風が強くなってきてるからね」
空は快晴だが、確かにいつもより風が強い。そのせいか、中庭にいる人達もいつもより少なめだ。
「わっ!あの人まだ居たのかい!?」
「まだ?」
ベンチに腰掛ける男性に気付き、驚いたように声を上げるソフィーに、グレースは反射的に聞き返す。
「一時間、いや、二時間くらい前にもあんな感じであそこに居たんだよ」
「二時間!?」
耳打ちで返された思いがけない答えに、驚きで声が大きくなる。慌てて両手で口を覆いながら男性の様子を伺うと、変わらず俯いたままだった。
「ま、病院で肩落としてる人間なんて珍しいもんでもないけどさ!さて、私はこれから旦那と子供達と会うからもう行かないと。またね、グレースちゃん」
「あ、はい!また」
確かソフィーは大家族の母親だった筈だ。あっけらかんと言い放ち、去っていく後姿の逞しさに尊敬の視線を送りつつ、グレースは再び男性に視線を戻した。
確かに珍しい事ではないのかもしれないが、グレースがこの病院で落ち込んでいる人間に出会うのは初めての事だ。
どうしたものかと目を細めていると、俯いていた男性が顔を上げた。風で揺れる前髪、その横顔はどこか一点を見つめていた。
(あの部屋は……)
あのベンチに座って、見上げた先にある部屋をグレースはよく知っている。
「わっ!?」
その時、突風が中庭を吹き抜けた。
バランスを崩して転ばないよう、咄嗟に杖と足を踏ん張って身体を強張らせる。
風が落ち着くまで、どうにか耐え抜き、瞑っていた目蓋を開けると次いで何かに視界を塞がれた。
「ぶぁっ!?!?」
勢いよく顔面にぶつかってきたそれは、グレースの頭全体を包むように覆い被さってきた。急いで取ろうと藻掻くが、何かが髪に引っ掛かっている。
手触りから何か布のようなものだと気付いた時には、もう遅かった。
(あ、しまった)
いつの間にか本も杖も手放していたようで、バランスを崩した体を支える術もなく、グレースの身体は重力に引かれるままに後ろへ倒れ込んだ。
何だか身に覚えがある感覚にブラムに助けられた時の事を思い出したが、そう都合よく何度も助けられるわけがない。今回は、強かに身体を打ち付ける事になるだろう。グレースはぎゅっと目を瞑って衝撃に備えた。
だがしかし、走った衝撃は鈍く、痛みはない。
「あれ……?」
恐る恐る目蓋を開けると、目の前には丸眼鏡と紺色の髪。
「大丈夫か!?」
ベンチに座り、俯いていた男性をまさか見上げる事になるとは思ってもみなかった。
抱き止められる形で助けられたのだと気付き、グレースはひゅっと息をのむ。
「ご、ごめんなさいっ……!!」
「ちょっと待って!動くな!」
慌てて離れようとしたものの、急な静止にグレースは反射的に動きを止めた。
男性の手がグレースの髪に伸びる。正確には、グレースの髪に絡まる何かに。
グレースを片腕で抱えたまま、気遣うように動かされる男性の手に、グレースはただ静かに停止している事しかできない。
(と、とても近いのだけど、何が起こってるの!?)
硬直し続けるグレースには目もくれず、男性は手を動かし続けていた。
「よし、取れた」
その言葉と同時に、頭が少し軽くなる。
男性はグレースをゆっくりと立たせ、転がっていた杖と本を拾いあげた。
見ると、男性の手にあったのはベンチに掛かっていたジャケット。どうやらグレース目掛けて飛んできたジャケットのボタンが髪に引っ掛かってしまったようで、男性はそれを解いてくれたらしかった。
「ごめんなさい、有難うございました」
「いや、謝るのは俺の方だ。ぼーっとしてて、上着が飛んでくの止められなかった。悪い」
軽く埃を叩かれた本と杖を受け取って礼を述べると、返って来たのは謝罪の言葉だった。
言葉とともに深々と下げられた頭に、グレースは困惑する。
「そ、そんな、頭を上げてください!今のは風のせいで貴方が悪い訳では……!」
「けど」
「本当に気にしないでください。むしろ、ジャケットが遠くに飛んでいかなくて良かったです」
多少、粗暴な言葉遣いではあるものの、態度や雰囲気から悪い人物ではないと分かる。
申し訳なさそうに頭をあげる男性が、これ以上気に病まないようにとグレースが微笑むと、男性は一瞬驚いたように目を見開いたが、すぐに「そうか」と呟いた。
「あの、今日はお見舞いにいらっしゃったんですか?」
このまま別れる事もできたが、俯いていた姿が気にかかり、グレースは世間話程度に男性に声をかけた。
「あー、弟の見舞いに。拒否されて会えなかったけど。それで、ここでちょっと色々考えこんじまってな。二・時・間・も」
男性を見ると、長い前髪と眼鏡で目元は伺えないが口角が上がっていた。
強調された二時間という言葉と、その含みのある表情にグレースはハッとする。
(ソフィーさんとの話聞こえてたんだ……!)
「ごめんなさい!!悪気があったわけじゃ……!」
「流石に二時間は居ないぞ」
「ご、ごめんなさい……」
「ははっ!あんた、謝ってばっかだな」
一気に青ざめるグレースを見て、男性は声を上げて笑った。
「いやー、悪い。ここで落ち込んでたのは事実だし、責めてるわけじゃないから気にしないでくれ。まぁ、落ち込む権利なんて俺には無いんだけどな」
「それはどういう……」
「弟が入院して数ヶ月、今の今まで見舞いに来なかった。そんな奴が、兄貴ヅラして会えなかった事に落ち込む資格なんてあると思うか?」
男性は口元に笑みを浮かべたままだが、声音からはさっきまでの愉快さではなく自虐めいたものを感じた。
「どんな理由があれ、弟を想うなら無理にでも駆けつけるべきだった。自業自得なんだ……と、こんな話聞かされても困るよな。忘れてくれ」
声のトーンを切り替えて気丈に振る舞う姿を見て、グレースはさっきまでベンチに座っていた男性を思い出す。あの場所に座って見上げていた部屋が、きっと弟の部屋なのだろう。
(弟の部屋が見える場所で一時間以上。充分お兄ちゃんの資格はあると思うけど……とりあえず)
「……あの」
「ん?うおっ!」
グレースは杖と本を小脇に挟み、両手で男性の手を掴んだ。
急な出来事に驚く男性から視線を逸らさず、握る手に力を込める。
「おなか、空いてませんか?」
「…………は?」
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