上 下
25 / 35

25 十二歳の王子と「たくらむ」守護精霊

しおりを挟む
 シャルル王子とブルンヒョル男爵の御一行は、何事もなくヒュランデル子爵領を通り過ぎ、さらに、ふたつの伯爵領と男爵領を後にした。カエル男の先導のもと、王領に入った一行は、拍子抜けするほど順調に、王都へと街道をひた走った。

 何の問題もなく旅が進んでいるのは、どうやら、カエル男のおかげらしい。紅白男とシャルル王子に弱みを握られたせいか、行く先々で、ゲコゲコと鳴いて、一行に無礼を働かないよう、釘をさしているそうだ。

 妻が王領貴族のお偉いさんの娘ということで、王領ではずいぶん顔が広いカエル男こと、ヒュランデル子爵。紅白男と仲良しになったみたいで、いつも顔をジトッと湿らせて、一緒の馬車に乗っている。

「いやー、さすがにヒュランデル子爵といると、王領の役人どもがキビキビ働いてくれますな。いつも、規則がどうのこうのとうるさいのですが、おかげで旅がはかどります」

 なんて、紅白男がカエル男の肩をポンポン気安げに叩いている姿を、よく見る。その度に、カエル男の顔から、あぶらがしたたり落ちる。まったく偉そうには見えないのだけど、カエルだけあって、コバエを追い払うのは得意なのかもしれない。

 ブルンヒョル男爵やキアラも、「まさか、こんなに順調に旅が進むとは、思ってもみませんでしたな。王領では、街に入るたびに、検閲官がいろいろとうるさいのですが、子爵のおかげで顔パスとは。おまけに、精霊様のおかげで馬車に酔うこともなく、いやはや、快適この上ない」などと、ご機嫌だ。

 ルイだけを風で包むのも、キアラと男爵を包むのも、手間は変わらない。ついでに、男爵の付き人も風で包んでおいた。馬車の旅は予定より早く進み、王都まであと二日で到着できる距離までやってきた。

 街道の向こうに、大きな街が見える。レーロースという街らしい。ちょっと早いが、今日はあの街でお泊まりらしい。ルイが御者席側の窓から見える街壁にチラッと目をやって、弾かれたように二度見した。

「あれって精霊様じゃないかな?」

 小さな声で話しかけてきたルイに、わたしは溜め息とともに、うなずきを返した。

『気づいちゃった? 面倒なことに、火の精霊のなわばりみたいだね』

 キアラも窓に張り付くようにして、目を凝らした。

「たしか、このあたりはプレンナー山の火の精霊様のなわばりでしたかな。ひょっとして、こちらにいらっしゃいますかな」

《はぁー、まちがいなくね。面倒だから放っておこうよ。知らんぷりしておこう》

 ルイ以外にも伝わるようにふるわせた風が、馬車の中で反響した。大慌てで身を起こしたブルンヒョル男爵が、おおげさに眉を跳ねあげた。

「いやいや、そういうわけにもいかないでしょう。馬車をとめて、感謝を捧げなければ」

 キアラが御者に合図を送り、馬車が速度を落とし始めた。先頭の馬車に乗っていたカエル男が、まっ先に飛び出してきて、地面にはいつくばった。他のみんなも、ぞろぞろと馬車を下りて、膝をついた。

 迷惑な奴だなと、ジト目で空を睨んでいると、燃えさかる炎がこちらにずんずん近づいてきた。高位の火の精霊ではあるけど、ティエルマの精霊にくらべたら、おとなとこどもほどの力の違いがありそうだ。

 かろうじて、人の姿らしきものをとってはいるが、手足が極端に短い。外に出たわたしの目の前までやってきて、ボフッというよりは、かわいらしくパフッといった感じで炎を吹き出して、ペコッと頭を下げた。

『これはこれは、ようこそいらっしゃいましたー。なんにもないところですけど、ゆっくりしていってくださいねー』

 胸の前で組んだ短い手が、ヒョコヒョコと上下している。ずいぶん、おこちゃまな精霊だ。とはいえ、こんなのでも、ここらへんではお偉い精霊様なんだろう。街道脇の畑で働いていた人たちも、ひざまずいて祈りを捧げている。

 どうせ、大好きな風の精霊を見つけて、大急ぎで飛んできたのだろう。ティエルマの火の精霊には貸しを作っておく必要があったけど、こいつは何の役にも立たない。はっきりいって、ジャマだ。いや、熱いだけの迷惑な奴だ。とっとと追い払おう、ということで、冷たい風を送っておいた。

『うん? 見たらわかると思うんだけど、急いでるから』

『そんなこと言わないで、ゆっくりしていってくださいよー。聞いてますよー。ティエルマの火の精霊さんと仲がいいんですよね?』

 プレンナーの火の精霊は、高速で揉み手しながら、思ってもみなかったことを、パフッと吐き出した。

『えっ? 何でそんなこと知ってるの?』

『あれっ? うわさをばらまくのは、たいてい、風の精霊さんですよー。まあ、高位の精霊さんは高いところをビューンって飛んでいっちゃうんで、あれですけど、中位の精霊さんはけっこう来ますよー。でも、風の精霊さんって、すぐどっかに行っちゃうじゃないですかー。もっと、一緒にいてーって、頼んでも聞いてくれないしー』

 なんだろう? しっぽのようなものが、炎の向こうでパタパタとせわしなく動いている。

『でもですね、みーんな言うんですよー。ティエルマには、ものすごーく変わった風の守護精霊さんが住んでいて、火の精霊にもやさしいからって。だから、風の守護精霊さんを見つけて、なかよくしてもらいなさいって』

 そんなうわさが――とショックを受けているわたしを、思いやることもせずに、火の精霊はポッポポッポと炎を吹き上げた。

『でも、風の守護精霊さんなんて会ったことなくって、ほんとかなーって思ってたんですけど、でもでも、まさか、ぼくのところに来てくれるだなんて思いもよらなかったですー。ぜひぜひ、ゆっくりしていっていただいて、なんでしたら、こちらに住んでいただいて、できれば、いっしょに飛んだり、魔獣を倒したりとか――』

 思わず、わたしは、ぽふっと溜め息を吐き出した。ティエルマの精霊よりは、性格がおとなしそうではあるけど、考えていることはまったく同じだ。火の精霊には、ろくな奴がいない。

『いや、だから、すぐ出て行くから。というか、あなたがいるから、馬車がとまってるのよ。とっとと、どっかに行ってくれる?』

『えー!? そんなー!? たしかに、ぼくはティエルマの火の精霊さんほど強くはないですけど、それでも、頑張って、なわばりもきれいにしてますし、風の精霊さんがいてくれれば、もっともっと、なわばりを大きくして――』

『うーるーさーい! そんなのだから、風の精霊がすぐどっかに行っちゃうんでしょう! わたしは火の精霊が好きなんじゃなくて、ルイのために手を貸してるだけなの! とっとと向こうに行かないと、吹き飛ばすよ!』

 ブワンッと風を巻き起こして威圧したわたしを見て、火の精霊はなぜか、うれしそうに炎をふくらませた。

『そうなんですかー!? じゃあ、じゃあ、その守護主さんのお役にたてれば、ぼくのことも気に入ってもらえるってことですかー!?』

『うん? まあ、そうだけど、ルイは仕事で王都に向かってるだけで、あなたには何の用もないよ』

『王都? でしたら、ぼくのなわばりの中ですよ。じゃあ、じゃあ、ぼくと一緒に――』

『なに言ってるの? 王都はトラーナスの土の精霊のなわばりだって聞いてるよ。そうだよね、ルイ?』

 いきなり話を振られたルイが、潤んだ目でカクカクと頭を振った。

『なーに言ってるんですかー。トラーナスの精霊さんは、たしかに強いですけど、土の精霊さんですよー。王都というか、トラーナスの街は、ぐるっと精霊のなわばりに囲まれてるから、魔獣が入ってくることはめったにないですけどー。空を守ってるのは中位の光の精霊が二匹と、闇の精霊が三匹だったかなー? だからー、トラーナスの南の空は、何かあった場合、ぼくが守ってるんです。すごいでしょー』

 得意満面といった様子で、ブワッと炎を撒き散らしながら、火の精霊は暑苦しく自慢し始めた。やはり、火の精霊はどいつもこいつも同じだ。だけど、話どおりなら、こいつは使えるかもしれない。

『うん? ということは、あなたは王都まで行って、魔獣を倒して帰ってくるだけの力を持ってるってこと?』

『もちろん、余裕ですよー。ただ、さっきもいったように、まわりになわばりを持ってる精霊さんたちが、トラーナスに魔獣が入ってくる前に、倒しちゃいますからねー。うーん、この前、王都に行ったのは、いつだったかなー?』

『つまり、あなたとわたしが手を組めば、今まで以上に大活躍できるってことね?』

 ニヤリと笑みを浮かべたわたしに、火の精霊がしっぽをブンブン振りながら、短い手を差し出した。

『はいー、おっしゃるとおりですー。何なりとお申しつけ下さいー』
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

婚約者が他の女性に興味がある様なので旅に出たら彼が豹変しました

Karamimi
恋愛
9歳の時お互いの両親が仲良しという理由から、幼馴染で同じ年の侯爵令息、オスカーと婚約した伯爵令嬢のアメリア。容姿端麗、強くて優しいオスカーが大好きなアメリアは、この婚約を心から喜んだ。 順風満帆に見えた2人だったが、婚約から5年後、貴族学院に入学してから状況は少しずつ変化する。元々容姿端麗、騎士団でも一目置かれ勉学にも優れたオスカーを他の令嬢たちが放っておく訳もなく、毎日たくさんの令嬢に囲まれるオスカー。 特に最近は、侯爵令嬢のミアと一緒に居る事も多くなった。自分より身分が高く美しいミアと幸せそうに微笑むオスカーの姿を見たアメリアは、ある決意をする。 そんなアメリアに対し、オスカーは… とても残念なヒーローと、行動派だが周りに流されやすいヒロインのお話です。

私が愛する王子様は、幼馴染を側妃に迎えるそうです

こことっと
恋愛
それは奇跡のような告白でした。 まさか王子様が、社交会から逃げ出した私を探しだし妃に選んでくれたのです。 幸せな結婚生活を迎え3年、私は幸せなのに不安から逃れられずにいました。 「子供が欲しいの」 「ごめんね。 もう少しだけ待って。 今は仕事が凄く楽しいんだ」 それから間もなく……彼は、彼の幼馴染を側妃に迎えると告げたのです。

【完結】選ばれなかった王女は、手紙を残して消えることにした。

曽根原ツタ
恋愛
「お姉様、私はヴィンス様と愛し合っているの。だから邪魔者は――消えてくれない?」 「分かったわ」 「えっ……」 男が生まれない王家の第一王女ノルティマは、次の女王になるべく全てを犠牲にして教育を受けていた。 毎日奴隷のように働かされた挙句、将来王配として彼女を支えるはずだった婚約者ヴィンスは──妹と想いあっていた。 裏切りを知ったノルティマは、手紙を残して王宮を去ることに。 何もかも諦めて、崖から湖に飛び降りたとき──救いの手を差し伸べる男が現れて……? ★小説家になろう様で先行更新中

【完結】そんなに側妃を愛しているなら邪魔者のわたしは消えることにします。

たろ
恋愛
わたしの愛する人の隣には、わたしではない人がいる。………彼の横で彼を見て微笑んでいた。 わたしはそれを遠くからそっと見て、視線を逸らした。 ううん、もう見るのも嫌だった。 結婚して1年を過ぎた。 政略結婚でも、結婚してしまえばお互い寄り添い大事にして暮らしていけるだろうと思っていた。 なのに彼は婚約してからも結婚してからもわたしを見ない。 見ようとしない。 わたしたち夫婦には子どもが出来なかった。 義両親からの期待というプレッシャーにわたしは心が折れそうになった。 わたしは彼の姿を見るのも嫌で彼との時間を拒否するようになってしまった。 そして彼は側室を迎えた。 拗れた殿下が妻のオリエを愛する話です。 ただそれがオリエに伝わることは…… とても設定はゆるいお話です。 短編から長編へ変更しました。 すみません

「お前を妻だと思ったことはない」と言ってくる旦那様と離婚した私は、幼馴染の侯爵から溺愛されています。

木山楽斗
恋愛
第二王女のエリームは、かつて王家と敵対していたオルバディオン公爵家に嫁がされた。 因縁を解消するための結婚であったが、現当主であるジグールは彼女のことを冷遇した。長きに渡る因縁は、簡単に解消できるものではなかったのである。 そんな暮らしは、エリームにとって息苦しいものだった。それを重く見た彼女の兄アルベルドと幼馴染カルディアスは、二人の結婚を解消させることを決意する。 彼らの働きかけによって、エリームは苦しい生活から解放されるのだった。 晴れて自由の身になったエリームに、一人の男性が婚約を申し込んできた。 それは、彼女の幼馴染であるカルディアスである。彼は以前からエリームに好意を寄せていたようなのだ。 幼い頃から彼の人となりを知っているエリームは、喜んでその婚約を受け入れた。二人は、晴れて夫婦となったのである。 二度目の結婚を果たしたエリームは、以前とは異なる生活を送っていた。 カルディアスは以前の夫とは違い、彼女のことを愛して尊重してくれたのである。 こうして、エリームは幸せな生活を送るのだった。

やり直すなら、貴方とは結婚しません

わらびもち
恋愛
「君となんて結婚しなければよかったよ」 「は…………?」  夫からの辛辣な言葉に、私は一瞬息をするのも忘れてしまった。

別れてくれない夫は、私を愛していない

abang
恋愛
「私と別れて下さい」 「嫌だ、君と別れる気はない」 誕生パーティー、結婚記念日、大切な約束の日まで…… 彼の大切な幼馴染の「セレン」はいつも彼を連れ去ってしまう。 「ごめん、セレンが怪我をしたらしい」 「セレンが熱が出たと……」 そんなに大切ならば、彼女を妻にすれば良かったのでは? ふと過ぎったその考えに私の妻としての限界に気付いた。 その日から始まる、私を愛さない夫と愛してるからこそ限界な妻の離婚攻防戦。 「あなた、お願いだから別れて頂戴」 「絶対に、別れない」

処理中です...