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22 十二歳の王子と「公爵家の使者と」守護精霊

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 ここのところ、魔法陣の勉強で研究所にこもっているミレーヌだけど、昼食のときだけは、いつもの大きな木の下にやってくる。挨拶がわりに、「王都には行かないの?」と聞いてから、ルイから受け取ったパンに、今日も齧りついた。

 同じ質問を一ヶ月以上続けているのだ。ルイも慣れたもので、いつものように、かるく首をかしげただけで、パンをもそもそと食べ始めた。

 ミレーヌがモゴモゴと口を動かしながら、教科書に描かれた魔法陣を指差して、ルイをチラッと見た。

「ここんとこがわかんないんだよねー」

「僕は、もう、守護精霊持ちだからね。魔法陣のことなんて、いっさいわかんないよ」

 ルイが、ふふんっ、と笑って、肩をすくめた。

「はーあぁー。なに、その開き直りっぷり。ほんっと、ルイは憎ったらしいわー。すこしはトゲが減ったと思ったのに、また増えてきてるわよ。シャルル殿下なんて、あれだけ大人気なのに、昨日もにこやかに――」

「はいはいはいはい。わかったわかった。王子様みたいにおやさしくね――」

 いつものケンカが始まった。

 王子様が領都に来てから二ヶ月が経とうとしているのだけど、悪いうわさを聞いたことがない。いつもやさしげな笑みを浮かべ、誰にでも気さくに話しかけてくれる王子様の評判は、日増しに高まってきている。

 それにくらべ、ルイはと言うと、一度は落としたトゲを、再び装備しつつある。みんながみんな、ルイの顔をジーッと見つめるせいかもしれない。

 また、トゲトゲの王子様に戻らなきゃいいけどね。わたしは、ぽふっと息を吐き出して、木陰を離れた。

 すこし秋らしくなってきた風に、ふわふわと身をゆだねながら、さっきから感じている、妙な気配に向かって意識を飛ばす。

 まさかとは思ったけど、やっぱりだ。お城の塔のあたりから飛び立った、どこかのバカがこっちに向かってきている。風体からすると、ご貴族様のようだけど、生きているのが嫌になったのだろうか?

 風の魔法で飛ぼうなどと、決して考えるな。風の魔術師を志す者は、この言葉を何度も何度も教え込まれる。発動率が五割を下回る風の魔法で、空を翔けるなど、自殺行為以外の何ものでもないのだと。

 紅白のジャケットに、真っ白なズボンに赤いブーツ。派手すぎる。あんな男が辺境伯領にいただろうか? そう思っていると、男はルイとミレーヌが昼食をとっている大きな木に、いっさい減速することなく突っ込んだ。

 ガサガサ、どころかバキバキッという音をあたりに響かせて、男は木の枝に叩きつけられるように引っかかった。ルイとミレーヌがびっくりして、落ちてきた枝葉を避けようと、木の下から転がり出てきた。

「えー!? どういうことー!?」

 ミレーヌが大声で叫び、ルイがまん丸にした目を、わたしに向けて瞬かせた。

《誰かが塔から飛んできたんだよ。死んでるんじゃない? よかったね、ふたりとも。当たらなくて》

 ルイの視線を追ったミレーヌが、わたしに向かって声を裏返した。

「塔って、お城の!? ちょっと、精霊様ってば。わかってたのなら、木に突き刺さる前に助けてあげてよ」

「う、うん、そうだね。精霊様、急いで降ろしてあげて」

《えっ!? ヤダよ! そいつ、風の魔術師だよ。やっかいごとの匂いがプンプンするよ。それに、面倒くさいし》

「風の!? いやいや、風の魔術師がそんなバカなことをするはずが――」

「ちょっとー! そんなことどうでもいいから、早く助けないと!」

 ルイとミレーヌがウロウロと走り回りながら、木の隙間から上の様子をうかがう。ふたりとも大慌てだ。ミレーヌはともかく、ルイも案外おやさしいんだねと、うんうんうなずきながら見ていると、紅白男がピクンと動いた。

「あっ! 生きてるよ。精霊様。生きてるよね、あれ?」

 ルイとミレーヌが同時に叫んだ。

《あー、ほんとだね。やっかいごとが減ったと思ったのに、うまくいかないもんだね》

「いやいや、降ろしてあげ――」

 ルイがわたしにそう言いかけたとき、メキメキッ、バキッ、ガサガサガサッー、という音とともに、紅白男がふたりに向けて落ちてきた。

 バキッ、ガサッ、グシャッという音を最後に、男が四肢を投げ出した格好で、地面に打ち付けられた。寸前に身をひるがえして、男を避けたふたりが、頭だけをギギギギとこちらに向けた。

「……精霊様。助けてあげてもよかったんじゃ……」

「……そう、そうよ、精霊様。こういうときは、助けてあげるのが、人の世の情けっていうか――」

《なーに言ってんのよ。ふたりだって逃げたじゃないの。クッション代わりに下敷きになってあげるのが、人ってものじゃないの?》

 ぽふっと溜め息を吐き出しながら、風をふるわせたわたしを、ふたりが気まずそうな目で見た。

「……まあ、たしかに、それはそうなんだけど――」

《それに、そいつ生きてるよ。風をまとって衝撃を防いだみたいね。塔から浮遊魔法で飛んで、呪文連発して方向修正した後、風の盾をまとって突撃ってところね》

「えっ!?」と、ふたりがそろって、首をくるんと回した。

 あれだけの衝撃と音が響いた割には、服があまり汚れていない、ということに気がついたようだ。

 ただ、木から落ちるときには、魔法が切れていたのだろう。ピクリと動いた指先には泥が混じっているし、服には木の枝が葉っぱごと突き刺さっている。

 やっかいごとの匂いしかしない、と白い目で見ていると、紅白男は何事もなかったかように、すっと起き上がり、ルイに向かって片膝をついた。

「お初にお目にかかります、ルイ王子殿下。わたくし、フランツ・セーデシュトレーム子爵と申します。以後、お見知り――ぐぅっ!」

 やっぱりだ。わたしは紅白男を風で包み、いっきに空に翔け上がった。セーデシュトレームといえば、四大公爵家のひとつだ。つまり、こいつはルイの命を奪おうとした宰相のお仲間だ。

 ようするに、こいつはわたしに殺されるために、ここまで飛んできたのか。ご苦労な事だ。せっかくだ。もうすこし高いところから飛ばしてやろう。そう思ったわたしは、空が大好きな風の魔術師を、遠く上空まで連れ去った。

「おー、これはこれは、ルイ王子殿下の守護精霊様でいらっしゃいますね。さすがは高位の精霊様でいらっしゃいます。このような高みまで連れてきていただけるとは。いや、すばらしい。城どころかベルゲンの街すら、一望できるとは。はぁー、夢のようでございます」

 紅白男が恍惚の表情を浮かべてつぶやくのを見て、わたしは頭を抱えた。風の魔術師には変わり者が多いけど、こいつは群を抜いているようだ。それとも、この高さから落ちて、生きていられる自信があるのだろうか?

「実はわたくし、三日前からベルゲンに来ていたのですが、ルイ王子殿下にお会いすることが叶わず、ならば高いところから探してみようと、飛んでみたのです。しかしながら、いやはや、生きている心地がしませんでした。なるほど、風の魔法で飛ぶなど、まさに自殺行為と、ほとほと痛み入りました」

 なんだろう、この既視感は? まちがいない。こいつはヒョロ男と血がつながっている。わたしが精霊であることを考慮に入れず、ただ、ひたすらに自分の都合だけを話すところなんて、奴そっくりだ。

「本当に、精霊様のお力にくらべれば、人の力などちっぽけなものでございます。こう見えて、わたくし、風の魔術師としては、右に出る者がいないほどの力を持っていると自負しているのですが、高位の守護精霊様の前では、赤子ほどの力も持ち合わせて――ひぃっ!」

 こいつ自身はルイに危害を加えていないが、敵であることには変わりない。とりあえず、風に包んだまま三回ほどおおきく振っておく。

《なーがーい! おまえたちの話はなーがーすーぎ! ここからひとりで降りてみる?》

「いえいえいえいえ、滅相もない。下に人でもいたら大ケガをさせてしまいます。ゆっくりと降ろしていただければ幸いです」

 やはり、人は脅したほうが手っ取り早い。わたしは紅白男の耳もとで、低く風をふるわせた。

《セーデシュトレームって、ルイを殺そうとした宰相のお仲間だよね? なに? 謝りに来たの? まさか、許してもらえるとでも思ってるの?》

「おお、さすがはルイ王子殿下の守護精霊様でいらっしゃいますね。セーデシュトレーム家のことをご存じでいらっしゃるとは、感謝の念にたえ――はあぅっ!」

 やはり、こいつはヒョロ男のお仲間のようだ。わたしの話を聞いているようで、これっぽっちも聞いていない。二度ほど風の中で揺さぶっておく。

《それ以上、いらないことをしゃべったら、さようならだからね》

 すこし酔ったようだ。口を押さえて青白い顔をした紅白男に、わたしはやさしく問いかけた。

《な、に、し、に、き、た、の?》

「は、はい。お迎えにまいりました」

 ようやく、自分の立場に気がついたようだ。紅白男の声色が、真剣みを帯びた。やれやれ、公爵家の連中には、いつもいつも面倒をかけさせられる。ただ、言ってることがよくわからないという事実だけは、あいかわらず変わらない。

《迎えに?》

 鋭くふるわせた風に、紅白男が大きくうなずいて、声を張った。

「はいっ! セーデシュトレーム家のみならず、四大公爵家はルイ王子殿下を王太子として推す心づもりでございます!」
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