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15 十二歳の王子と「嵐を予感させる」守護精霊

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 おおきな背もたれのついた椅子に、ふんぞり返って書類をにらんでいたキアラが、執務室に入ってきたルイに気がついて、待ってましたとばかりに立ち上がった。

「ご苦労だったな、白銀の魔法使い殿」

 キアラは大きな机をひょいと飛び越えて、ソファにどっかと沈み込んだ。ルイに向かいに座るよう、手で指し示す。辺境伯領の魔術軍団長というおえらいさんになったにもかかわらず、あいかわらずの身の軽さだ。

「いえいえ、お待たせして申し訳ございませんでした、赤の魔法使い様。事前の報告以上に、べルフェの森の魔獣の数が多く、至急戻るようにと言われていたのに、このように日数がかかってしまったこと、誠に遺憾――」

「いやいや、気にすることはないさ。いきなり呼びつけて悪かったな。それより、ずいぶん昔のことを知ってるんだな。エドワルドか? それとも、リキャルドあたりか? あの連中は昔から頭だけでなく、口も悪くてな」

 ルイとキアラが、そろって首をかたむけて、含みのある笑みを浮かべた。この場合、キアラのほうが悪いだろう。ルイに付けられているあだ名は、面と向かって呼んでいいものではない。

 金髪碧眼が一般的なノルドフォール王国において、ルイのように、光の加減で白とも銀とも見える髪はめずらしい。さらに、魔法使いという呼び名は、魔術師ではないという悪口でもある。

 わずか九歳にして、辺境伯領最強の魔術師と呼ばれるようになったルイに対する、やっかみとも取れるあだ名なのだ。

「いえいえ、誰がというわけではなく、魔術師であれば、どなたでもご存知なことです。僕の耳にも届くほど有名なことですから」

 十二歳になったルイは、皮肉がいっそう上手になった。街を歩けば、女の子がキラキラした瞳で見とれるほど格好よくなったというのに、中身はトゲトゲ王子様だ。

 銀色の髪が気に入らないのだろうか? それとも、魔法陣の授業に出るのが嫌だったわたしが、キアラに交渉して免除してもらったのが悪かったのだろうか? 

 それとも、これが人のこどもの反抗期というものなのだろうか? 素直だった昔のルイはどこに行ってしまったのだろう。そう思わずにはいられない。

「まあ、気にするな。魔法陣など魔獣との戦いに何の役にもたたんからな。はっはっはっは!」

 気にするなというくらいなら、最初から余計なことを言わなければいいのに。勉強嫌いで魔法陣の授業をさぼりまくったという逸話を持つ、赤髪赤眼の自称魔術師は大きな声で笑った。

「しかし、何とか間に合ってよかったな。というのも、明日には領都を発って、ヒュランデル子爵領に向かうことになっていてな。なに、領境まで行くだけだからな。一週間ほどで帰ってこられるはずだ」

「そうですか。かしこまりました。ひょっとして軍団長殿も行かれるのですか?」

「そうなんだ。これは内密なのだが、さる王族のかたが、しばらくの間、辺境伯領で静養することになってな。その出迎えだ。ルイと同じ十二歳ということだから、気に入られるようだったら、引き続き護衛を頼むかもしれないな」

「一週間ですね。かしこまりました。では、明日――」

 ルイが仕事中の顔に戻って、てきぱきと話を詰めていくのを、わたしはボーッと見つめていた。

 王族、という言葉が頭の中でくるくると回っている。ルイと同い年の王族がやってくる? ここに? 

 ふと気がつくと、執務室の入り口に突っ立ったルイが、じーっとこっちを見ていた。いつの間にか、話が終わっていたようだ。明日の準備があるのだろう。わたしと目があったルイが、帰るよと、ちょこんとうなずいた。

『あー、ごめんね、ルイ。キアラに用があるのを思い出した。先に帰っておいて』

 領都にいるときは、ティエルマの火の精霊の手伝いで、外に出ていることも多い。ルイは返事代わりに目を瞬いて、部屋を出ていった。

   ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

《ねえ、キアラ。ちょっと聞きたいんだけど》

 わたしがルイと一緒に出ていったと思っていたのだろう。突如、耳もとで聞こえた声に、キアラは驚いて立ち上がった。その拍子に、持っていたグラスを落とし、うっ、と息をのんだ。

《王族って誰なの?》

 スーッと視線を滑らせたキアラが、床に転がったグラスに手を伸ばしながら、用心深く小さな声を出した。

「いえ、わたくしは存じあげ――」

《じゃあ、領都に入れるわけにはいかないね。ここは、わたしのなわばりだからね》

 困惑顔をしたキアラが、部屋の隅にススッと移動して、口もとを手でおおった。

「その……なにゆえでございましょうか?」

《わたしは風の精霊だからね。王族なんていう偉そうな奴は嫌いなの》

「ですが、領都はティエルマの精霊様の――」

《なに言ってるの、キアラ。火の精霊がわたしの頼みを断るとでも思ってるの? 試してみるといいよ。わたしを怒らせたらどういうことになるかをね。そのときになって謝っても遅いよ》

 口もとをおおった手の隙間から、ふぅー、という息がもれる。視線が床をはうように右から左へと動いた。

「さよう……です、か。……ですが、精霊様。このたび、辺境伯領に迎え入れるお方は、決して権力を振りかざすようなお方ではなく――」

《じゃあ、誰なの!? 知ってるんでしょう!? 軍団長ともあろうお方が知らないわけないよね!》

 わたしの剣幕に押されたのだろう。しばらく考えこんでいたキアラだったが、しぶしぶといった様子で、溜め息に声を乗せて吐き出した。

「……内密に願えますか? そうでなければ――」

《わたしが誰にしゃべるっていうの。バカなこと言ってないで、とっととしゃべったら?》

「……それも、そうですな。王子です。王国の第一王子であるシャルル殿下でございます」

 やっぱりだ。あの光属性の片割れだ。ルイにそっくりの王子様か。髪は染めてるけど、顔は同じだ。どうしたらいいだろう? キアラたちが会う前に追い返せないだろうか? 

 わたしは内心の動揺を隠しながら、さらに強気で迫ってみた。

《ふーん。なんだ。やっぱり知ってるじゃない。で、そのお偉い方が何しに来るの? 正直に言わないと、追い返すよ》

「ふー……これも、内密に願いますが……」

 誰かに聞かれるのを恐れるかのように、キアラは部屋中にするどい視線を走らせた。それから、床に向けてささやき声をもらした。

「シャルル殿下は命を狙われているのです。このままでは遠からず、秘密裡に亡き者にされるでしょう。その前に、静養という形をとって、辺境伯領でお預かりしようということになりまして……」

《えっ!? 王子様なんでしょう!? なんで、そんなことになるの?》

 思ってもみなかった深刻な話に、ふるわせた風がキアラの耳たぶを強く叩いた。思わず、キアラが口もとをおおっていた手を、耳へと動かす。

「もう少しやさしく願えますか?」

 頭をぶるっと振ったキアラが、迷惑そうな声を出した。どこに非難の目を向けたらいいか、わからなかったのだろう。あちらこちらと視線をさまよわせ、やがて、がっくりと肩を落とした。

「第一王子は、お亡くなりになった、先の王妃様のお子なのです。二歳年下の第二王子の生母である今の王妃様にとっては、邪魔な存在なのです」

《ジャマ!? 何それ!? 王様は何してんの!? バカなの!?》

「いいえ、決してそのようなことは。現在、国王陛下は重い病におかされておりまして、回復のめどが立っておりません。つまり、次期国王の座をめぐって、シャルル殿下は命を狙われているのです」

 驚きのあまり、キアラを吹き飛ばすところだった。ルイだけではなく、双子の片割れも? えっ? じゃあ、ルイだって同じ理由で……。

 最悪だ。第一王子だって、ルイの敵かもしれないのに。見つかったら、今の王妃も敵になるの?

 そもそも、ルイを殺そうとしたのって誰なの? ダメだダメだ。わけがわからない。とにかく、第一王子はダメだ。ルイに近づけるわけにはいかない。

《バカなの!? そんなくだらないことで! 帰ってもらって! 迷惑だよ!》

「王子とはいえ、十二歳の非力なこどもです。辺境伯領でかくまわなければ、まちがいなく命を落とすことになります。ルイと同じ年齢のこどもを見捨てろと、精霊様はおっしゃるのですか?」

《はぁー!? なに言ってんの!? 赤ちゃんだったルイを……》

 怒りにまかせて、ルイを殺そうとしたくせに、と言いかけたのを、何とか思いとどまった。この国の連中は、いや、人という生き物はどうかしている。そのお仲間であるキアラに、わたしのことをとやかく言う資格などあるわけがない。

 いいだろう。わたしが直接出向いて、追い返してやろう。辺境伯領に入る前にね。せっかく、穏便に済ませてやろうと思っていたのに、後で泣き言を言うなよ。

 わたしは、感情を押し殺して、できるだけやさしく風をふるわせた。

《いいよ。迎えに行ってあげるよ。ただし、偉そうな奴だったら、一歩たりともわたしのなわばりには踏み込ませないけどね》

「その……風の精霊様は、なわばりを持たないと聞いておりますが……」

 急に声色が変わったわたしに、キアラが戸惑ったようにつぶやいた。

《風の精霊は、そうだろうね。でもね、キアラ。わたしは守護精霊だからね。守るものがあるのよ。初めて会った時に、言わなかった?》
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