上 下
10 / 35

10 六歳の王子に「祈りを捧げられる」守護精霊

しおりを挟む
 イヴァロックと呼ばれる、ワシをふたまわりほど大きくしたような鳥魔獣が、上空を旋回している。飛んでいるだけならいいのだけど、突如、急降下して荷馬車に攻撃を加えるのだ。

 隙あらば魔石をいただこうと、三羽のイヴァロックは、あっちこっちと狙いを変えて、突っ込んでくる。護衛の人たちも剣や弓矢を手に、走っている荷馬車の屋根の上から応戦している。

 火の魔術師であるキアラは火の球のようなものを作り出し、空に向けて派手に打ち込んでいる。だけども、掠めるのが精一杯で、今のところ一羽たりとも魔獣を倒せていない。手傷を負う者も増えてきた。

 魔術師の放つ魔法は詠唱を必要とする。好機と見たのか、攻撃をかわしたイヴァロックが、急旋回してキアラに向かって突っ込んできた。すぐさま、闇の魔術師が黒いもやで行く手を阻む。

 イヴァロックがもやを避けて、矢が届かない上空に舞い戻った。火の魔法は鳥魔獣とは相性が悪いのかもしれない。キアラの顔色がずいぶんと悪い。

 前を走る荷馬車から、闇の魔術師が大声で叫んだ。こちらに向かってくる狼系の魔獣を感知したようだ。闇の精霊は気配に敏感だ。闇の魔法にも、そういったものがあるのだろう。

 屋根に乗っかっていたキアラが、荷室にひょいと顔だけ突き出した。

「ルイくん。魔術師候補生にこんなことを言うのもなんだが、手を貸してもらえないだろうか?」

 護衛隊長であるキアラとしては、猫の手も借りたいところだろう。ルイが緊迫した面持ちで答えた。

「は、は、はい! ぼくで役に立つことがあれば、なんなりと!」

 キアラはギュッと口の端をつり上げた。

「祈ってくれ!」

「は、はいー!? いのっ!?」

 さっぱり意味がわからなかったのだろう。ルイは頭のてっぺんから声を出した。ちょうど荷馬車がガンッと揺れて、あやうく舌を噛みそうになった。

「祈るだけでいい。ミレーヌも一緒にな。誰も死にませんようにってな。このままでは、死人が出る。まかせたぞ!」

 キアラは再び空を見上げて、大きく声を張った。

「伝令! 馬車をとめろ! 右前方から新手が来るぞ! 剣士は馬車を下りて迎撃! 急げ!」

 キアラの言葉が次々に伝えられていく。荷馬車は速度を落とし、密集隊形をとり始めた。剣を持った護衛たちが飛び降り、土けむりをあげて襲いかかってくる魔獣から、馬車を守ろうと身構えた。

「祈るって、どういうこと……?」

 キョドキョドしているルイの肩を、ミレーヌがバーンという音を響かせて叩いた。

「祈って! ルイ! 早く!」

 そう言うやいなや、ミレーヌは目を閉じて胸の前で手を組んだ。

「みんなをお守りください! 精霊様!」

 それを見たルイも、ハッとした顔で手を組んだ。

「お願いします、精霊様! 助けてください、精霊様!」

 ルイの視線がチラッとわたしに向けられる。

『はぁー』と溜め息をつきながら、わたしは空を見上げた。

 わたしが口止めをしているから、キアラは持って回った言い方をした。猫の手どころか、キアラが言うところの高位精霊である、わたしの力を貸してくれということだろう。

  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 昨日の夜、キアラはルイとミレーヌに、魔術師とはどういうものかを説いた。精霊と違って、人は魔力を持っているからといって、すぐに魔法を使えるわけではない、と。

 魔術師になるには長い年月がかかる。魔法それぞれに決められた呪文を覚え、さらに、威力、方向、範囲などの指定を付け加えて詠唱しなければ、魔法は発動しない。魔術師候補生に選ばれただけでは、ふつうの人となんら変わらない。

 それに、六歳のこどもに、魔術について書かれた本など読めるわけがない。読み書きだけではなく、さまざまな知識も必要だ。将来は辺境伯の部下になるのだ。礼儀と教養も身につけなければならない。

「候補生になって、数年たってからだ。それからだな。魔術を学ぶことができるのは」

 こどもの頃の自分を懐かしむかのような目で、キアラはふたりに微笑みかけた。それから、コップにハチミツ水をつぎ足して、飲むようにすすめた。

「それと、これは君たちには関係のない話なんだが……」

 魔術師の話は終わったらしい。キアラはコリをほぐすかのように、肩をぐるっと回した。

「守護精霊持ちはそうじゃないんだ。守護主の意思をはっきりと、精霊に伝えることさえできれば――」

 ふむ、とふたりに向かってうなずいて、不思議そうにつぶやいた。

「六歳のこどもであろうと、修練を積んだ魔術師すら遠く及ばない力を、使うことができるんだ」

 自らの存在を隠し、守護主を魔術師にしようとする意図がわからない。キアラは、わたしにそう伝えたかったのだろう。

 気まぐれな風の精霊の言うことだ。とりあえずは、ご機嫌をとっておこう。そもそも、魔力を放出できないルイは、魔術師にはなれない。放っておいても、そのうちあきらめるだろう。キアラはそう考えているにちがいない。

 そんなことは、わたしだってわかっている。だけど、ルイにもミレーヌにも、事情を説明するわけにはいかない。特に、ブルンフョル辺境伯爵の姪であるキアラには。ルイの生い立ちを知って、なお、わたしたちの味方でいてくれる保証など、どこにもない。

 王国がわたしたちを殺そうと、指名手配していたら? 国王自身がわたしたちの敵だったら? 辺境伯の身内が、国王の命令に背いてまでルイを守ってくれるなんて、ありえるだろうか?

  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 ルイとミレーヌが、必死に精霊に祈る声が聞こえる。どうすればいい? 水の精霊さんだって言ってた。精霊と人はちがうって。おんなじだって思うこともあるけど、やっぱりちがう。

 わたしにとって本当に大切なのはルイだけ。あとは、ルイが大事に思っている、ミレーヌや村の人たちもそれなりに大事。他はどうでもいい。

 キアラにいたっては、将来、ルイの敵になるかもしれないのだ。手を貸す気なんて――そう思いながら、チラッとルイを見た。

 ルイはチラチラとこちらを見ながら、懸命に祈りを捧げていた。それでも動こうとしないわたしを、ルイはどう思っているだろう? わたしのことを秘密にしなければいけないことを、どう思っているだろう?

 ルイは自分が命を狙われているだなんて知らない。やさしい村のみんなに囲まれて、人を信じて生きてきた。人は人の中でしか生きられない。人を信じなければ、今まで生きてこられなかったことも事実だ。今、わたしが何もしなければ、ルイはわたしのことを、信じられなくなるかもしれない。

 ルイはいずれ魔術師になる。魔法の使えない魔術師に。そうなれば、ルイが詠唱したとおりに、わたしが動いてあげることになる。ちょっと早いけど、ルイの願いどおりに動いてみてもいいかもしれない。

 わたしは、自由気ままな風の精霊だ。あれこれ考えるのは、やっぱり性に合わない。

 ぽふっと息を吐き出し、上空で機会をうかがっているイヴァロックに向かって翔けた。一気に距離を詰めて風の刃を叩きこむ。羽ばたかなければ飛べない魔獣など、風の精霊の敵ではない。

 水の中では水の精霊が、土の中では土の精霊が、そして、空では風の精霊がいちばん強い。

 足の爪を大きく広げて飛びかかってきた一羽をスッとかわして、風の刃で切り刻んだ。残った一羽が慌てて逃げていこうとする。もう、遅い。

 だいたい、荷馬車に風の精霊がいるとわかっていて、攻撃してくる気持ちがわからない。魔石にそれほどの魅力があるのだろうか? まあ、魔獣の気持ちなんて、わかるわけないか。

 そんなことを思いながら、三羽目に風の刃を放った。

 さてと、下はどうなってるかな? 地上を確認する。うーん、苦戦中だ。そういえば、水の精霊さんが言ってたっけ。人の魔法はたいしたことないって。

 やれやれ、ルイのためだ。わたしは一気に高度を下げた。狼のような魔獣を風で押さえつける。あまり目立つのは避けた方がいい。いや、もうじゅうぶん目立っているような気もする。

 身動きが取れなくなった魔獣に、矢が次々と打ちこまれる。あと、五頭。わたしは地上すれすれを翔けて、魔獣の後ろ脚を狙って、風の刃を放ってまわった。動けなくなった魔獣に、矢が刺さり、剣が振り下ろされる。

 これでよかったのだろうか? ぽふっと息を吐き出して、ルイのもとへと向かう。むじゃきに大喜びしているルイを見て、わたしは難しいことを考えるのをやめた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

婚約者が他の女性に興味がある様なので旅に出たら彼が豹変しました

Karamimi
恋愛
9歳の時お互いの両親が仲良しという理由から、幼馴染で同じ年の侯爵令息、オスカーと婚約した伯爵令嬢のアメリア。容姿端麗、強くて優しいオスカーが大好きなアメリアは、この婚約を心から喜んだ。 順風満帆に見えた2人だったが、婚約から5年後、貴族学院に入学してから状況は少しずつ変化する。元々容姿端麗、騎士団でも一目置かれ勉学にも優れたオスカーを他の令嬢たちが放っておく訳もなく、毎日たくさんの令嬢に囲まれるオスカー。 特に最近は、侯爵令嬢のミアと一緒に居る事も多くなった。自分より身分が高く美しいミアと幸せそうに微笑むオスカーの姿を見たアメリアは、ある決意をする。 そんなアメリアに対し、オスカーは… とても残念なヒーローと、行動派だが周りに流されやすいヒロインのお話です。

私が愛する王子様は、幼馴染を側妃に迎えるそうです

こことっと
恋愛
それは奇跡のような告白でした。 まさか王子様が、社交会から逃げ出した私を探しだし妃に選んでくれたのです。 幸せな結婚生活を迎え3年、私は幸せなのに不安から逃れられずにいました。 「子供が欲しいの」 「ごめんね。 もう少しだけ待って。 今は仕事が凄く楽しいんだ」 それから間もなく……彼は、彼の幼馴染を側妃に迎えると告げたのです。

【完結】選ばれなかった王女は、手紙を残して消えることにした。

曽根原ツタ
恋愛
「お姉様、私はヴィンス様と愛し合っているの。だから邪魔者は――消えてくれない?」 「分かったわ」 「えっ……」 男が生まれない王家の第一王女ノルティマは、次の女王になるべく全てを犠牲にして教育を受けていた。 毎日奴隷のように働かされた挙句、将来王配として彼女を支えるはずだった婚約者ヴィンスは──妹と想いあっていた。 裏切りを知ったノルティマは、手紙を残して王宮を去ることに。 何もかも諦めて、崖から湖に飛び降りたとき──救いの手を差し伸べる男が現れて……? ★小説家になろう様で先行更新中

「お前を妻だと思ったことはない」と言ってくる旦那様と離婚した私は、幼馴染の侯爵から溺愛されています。

木山楽斗
恋愛
第二王女のエリームは、かつて王家と敵対していたオルバディオン公爵家に嫁がされた。 因縁を解消するための結婚であったが、現当主であるジグールは彼女のことを冷遇した。長きに渡る因縁は、簡単に解消できるものではなかったのである。 そんな暮らしは、エリームにとって息苦しいものだった。それを重く見た彼女の兄アルベルドと幼馴染カルディアスは、二人の結婚を解消させることを決意する。 彼らの働きかけによって、エリームは苦しい生活から解放されるのだった。 晴れて自由の身になったエリームに、一人の男性が婚約を申し込んできた。 それは、彼女の幼馴染であるカルディアスである。彼は以前からエリームに好意を寄せていたようなのだ。 幼い頃から彼の人となりを知っているエリームは、喜んでその婚約を受け入れた。二人は、晴れて夫婦となったのである。 二度目の結婚を果たしたエリームは、以前とは異なる生活を送っていた。 カルディアスは以前の夫とは違い、彼女のことを愛して尊重してくれたのである。 こうして、エリームは幸せな生活を送るのだった。

やり直すなら、貴方とは結婚しません

わらびもち
恋愛
「君となんて結婚しなければよかったよ」 「は…………?」  夫からの辛辣な言葉に、私は一瞬息をするのも忘れてしまった。

別れてくれない夫は、私を愛していない

abang
恋愛
「私と別れて下さい」 「嫌だ、君と別れる気はない」 誕生パーティー、結婚記念日、大切な約束の日まで…… 彼の大切な幼馴染の「セレン」はいつも彼を連れ去ってしまう。 「ごめん、セレンが怪我をしたらしい」 「セレンが熱が出たと……」 そんなに大切ならば、彼女を妻にすれば良かったのでは? ふと過ぎったその考えに私の妻としての限界に気付いた。 その日から始まる、私を愛さない夫と愛してるからこそ限界な妻の離婚攻防戦。 「あなた、お願いだから別れて頂戴」 「絶対に、別れない」

懐妊を告げずに家を出ます。最愛のあなた、どうかお幸せに。

梅雨の人
恋愛
最愛の夫、ブラッド。 あなたと共に、人生が終わるその時まで互いに慈しみ、愛情に溢れる時を過ごしていけると信じていた。 その時までは。 どうか、幸せになってね。 愛しい人。 さようなら。

処理中です...