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第2章 救国のハムスターは新たな人生を歩む

36 処刑ってどうかしら?

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 文明ってすばらしいよね。



 長旅から帰ってきた私は、ターニャの涙と抱擁ほうように出迎えられ、再びお嬢様の地位を取り戻した。

 残りものとはいえ、貴族の食事をたらふくお腹に詰め込んだ私は、さっそくお風呂へと飛びこんだ。

 一ヶ月ぶりの文明生活に、私は幸せを噛みしめながら、お湯の中でぷかぷかと浮かんだ。



 アウロラの力を抑えるための訓練とはいえ、さすがに魚ばっかりの食生活と、お風呂にも入れない無人島での暮らしは過酷だった。

 しかも、ずっとふたりを召喚し続けているわけにはいかないので、夜寝るときにはひとりぼっちなのだ。


 この世界に転生してからというもの、ハムスター時代は王太子様とずっと一緒だったし、人になってからもしばらくはターニャが一緒にいてくれた。

 いつの間にか、ひとりで寝るのが苦手になっていたのだろう。

 南国とはいえ、洞穴でひとり波の音を聞きながら寝るというのは、思ったよりも苦痛だった。



 だけど、それも昨日までだ。

 今日はゆっくりして、明日からまた学園に行こう。

 でも、春学期が始まって三週間もたっている。

 今から授業の選択って大丈夫なのかな? 

 シーラはちゃんと手続きをしてくれているのかな?

 などと温かなお湯にくるまれながら考えを巡らせていると、浴室のドアがギギッと開く音が聞こえた。

「入浴中のところ申し訳ございません」

 浴室内に反響する声に視線を向けると、クレアがすすすっと姿勢を低くしたまま近寄ってきた。

 さすがはクレアだね。

 今日はみんな王宮に行ってるって聞いてたけど、私が帰ってきたって聞いてさっそく来てくれたんだね。

「あー、クレア、ただいまー。いやー、アウロラの訓練にずいぶん時間がかかってね。って、クレアはアウロラのことは知らないんだったっけ?」

 浴槽のすぐ傍まできたクレアは、私に微笑みかけた後、すぐさま表情を省エネモードに切り替えた。

「本日14時に、王宮広場にてラルフ・クランツ様の公開処刑が執行されることになっております」

 処刑? 

 帰って早々に物騒な話だね、と思いつつ、私は首を傾げた。

「えーっと……誰だっけ、それ?」

「勇者様です」

「ああ、勇者ね……そういえば、そんな名前だったね……」

 勇者ラルフ・クランツ。

 天然バカ界最強の人族であり、ハムスター時代から変わらない私の生涯のお荷物。

 名前を聞いたこともあったけど、いつも勇者としか思ってなかったから、すっかり忘れてた。

 だけど、勇者はバカではあるけど、悪い奴ではない。

 何かとんでもない失敗でもやらかしたのだろうか?

「……処刑って……何をしたの?」

「聖剣を折られてしまったのです」

 もともとこの世界の住人ではない私は、聖剣が折れたぐらいで勇者が処刑されるというのがよくわからない。

 もう一段階、首を捻った私に、クレアは淡々と説明を始めた。

「つい先日のことですが、王宮内で火事が発生いたしました。火はすぐに消し止められたのですが、救国のハムスター様を含むハムスターがすべて行方不明となりました。犯人は勇者様、と二十歳前後の女性かと思われましたが、実はこの女が青い魔族四天王だったのです」

 うん? 

 ああ、そういえば、四天王ってもう一人残ってたね。

「行方不明って、逃げちゃったってこと?」

 私の疑問に、クレアは首を横に振った。

「いえ、行方がわからないというだけで、恐らくは燃えてしまわれたのではないかと思われます。四天王最弱ながらも、催眠や誘惑の能力を持ったサキュバス系の魔族である青い四天王は、勇者様をたぶらかし王国の最高機密を聞き出したらしいのです。すなわち、救国のハムスター様がすでにティトラン王国にいらっしゃらないということを。その確認のために火を放ったのだと思われます」

 ああ、なるほど。

 四天王最弱だけあって、悪知恵が働くタイプなんだ。

「犯行自体はすぐに発覚し、青い四天王はその場で倒されました。ただ、青い四天王は最後にこう叫んだそうです。魔王様と四天王を殺した報いを受けるがよい。この国は同族の手によって滅ぶであろう、と。その数日後、勇者様ご自身の署名が入った書状が、王国内の全貴族とありとあらゆる役所に届きました。救国のハムスター様はティトラン王国を見捨てて、神の御許に帰られた、という内容です。どうやら、青い四天王が事前に手配していたようです。今現在では、周辺諸国にもその書状が届いていることが確認されております」

 またか、と私はギュッと目を閉じた。

 精霊界最速の精霊と最強の精霊と契約したというのに、それでも救国のハムスターの力には遠く及ばない。

 私は大きなため息を吐いた後、なんとか現実へと意識を戻した。

「でも、そんなこといずれはばれることじゃない。勇者を処刑することはないんじゃないの?」

 硬く閉じられたまぶたの向こうで、クレアが大きくうなずいた気配がした。

「問題はその後なのです。青い四天王を倒した時には、すでに聖剣が折られていました。さらに、その五日後のことですが、大天使様が王宮に現われたのです」

 大天使という言葉に驚いた私は、思わず浴槽の底を蹴って、大きく伸びあがった。

「大天使様は国王陛下におっしゃったそうです。聖剣を折った償いが必要だと」

「つぐない……って何?」

「わかりません。大天使様はそれだけをおっしゃると姿を消されたそうです。早急に御前会議が開かれ、勇者の命をもって償いとする、と決まりました」

「それは、恐いほうの大天使だよね? 一方的に言いたいことだけ言って、姿を消すだなんて……」

「私たちにはどちらの大天使様でいらっしゃるかまではわかりません」

 私は立ち上がったまま頭を抱えた。

 つぐない? 

 そうだね。

 ティトラン王国の人たちは勇者の命ぐらいしか思いつかないよね。

 それはしょうがない。

 でも、聖剣が折れたのは魔族のせいなんだから、その償いで勇者が命を落とすなんておかしい。


 そもそも、そんなに簡単に折れる聖剣ってどうなのよ。

 というか、聖剣が折れると大天使に伝わるの?

 うん? 

 じゃあ、もう一度呼び出して聞けばいいか。

 あの悪魔に会うのは気が進まないけど、しょうがないね。

 さすがは勇者だよ。

 いつもいつも、私に迷惑ばかりかけるね。

「折れた聖剣はどこにあるの?」

「王宮広場に設けられた貴賓席きひんせきの最上段。王族席の前に置かれる予定です」

 最悪だ。

 王様の目の前で聖剣をもう一度折るなんて言ったって、許してもらえるはずがない。

 王族席まで行く許可すら出ないだろう。

 とはいえ、勇者を見殺しにするなんて、目覚めが悪すぎる。

「しょうがないか。気が進まないけど、それを叩き折りに行こうか」

 しぶしぶながら意を決した私に、クレアは笑顔とともに手を差し出した。

 私は苦笑いを浮かべたまま、その手をとって浴室を後にした。
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