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45:うららかな春の昼下がり
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ルカ様たちが帰国した翌日はちょうど週に一度設けられた休みの日だった。
何をするのも私の自由。
とはいえ無為に過ごすつもりはなく、午前中は王宮図書館へ行って本を読み漁り、午後を告げる鐘が鳴ってからは部屋に戻って昼食を摂った。
うららかな春の昼下がり。
窓辺に置かれた花瓶から漂う仄かな香りを楽しみながら、私は机に向かっていた。
教師の美しい手本を見つめて文字を綴る最中、不意に部屋の扉がノックされた。
「ステラ様。ルカ様がお越しです」
聞こえてきたのはロゼッタの声だ。
「えっ。どうぞ、お通しして」
私がペンを置いて立つのと、ルカ様が部屋に入ってくるのはほとんど同時だった。
ルカ様は赤い布に包まれた長方形の何かを小脇に抱えている。
箱にしては平べったい――絵かな?
「字の練習をしていたのか。休日なのに勉強熱心だな。お前は本当に努力家だ」
ルカ様が机に広げた紙を見下ろして微笑む一方、ロゼッタは静かに扉を閉めて去った。
「見ないでください。下手なので恥ずかしいです」
私は紙を摘まんで机の端に寄せた。
紙を裏返しにしたいが、そんなことをしたら生乾きのインクで机が汚れてしまう。
「そうか? お前の字は癖があって可愛らしいと思うが」
「もう。私をからかいに来られたのですか?」
「いや、用件は別にある。座れ」
ほんのり頬を朱に染めながら尋ねると、ルカ様は長椅子に座って隣を軽く叩いた。
私が隣に座る間にルカ様は持っていた何かの包みを解き、その中身を剥き出しにした。
「これは……!」
ルカ様が持参したのはギャラリーに飾られていたドラセナ王妃の肖像画だった。
ノクス様にかかった呪術を解くために私が真っ二つにしてしまった絵は見事に蘇っていた。
こうして至近距離からしげしげと眺めていても、一体どこを破損したのかわからないくらいだ。
「修復してくださったんですね! 良かった……! ずっと気がかりだったんです!」
「いや、俺ではない」
ルカ様は肖像画をテーブルに置き、涙ぐんでいる私の腰を掴んで引き寄せた。
「この絵は父上のお気に入りだったからな。あの後すぐに父上が一流の絵画修復士に命じて修復させたんだ」
「バーベイン様が……」
私が肖像画を破壊したときのバーベイン様の激昂を思い出す。
恐らくアドルフにかけられた呪術のせいでいつも冷たい無表情だったバーベイン様は、あのとき初めて激しい怒りを私に見せた。
「父上は深く母上を愛しておられた。だからこそ、アドルフに不貞の疑いを吹き込まれたときは許せなかったのだろう」
ルカ様は神妙な眼差しでドラセナ王妃の微笑みを見つめている。
「……でも、バーベイン様が見ていた長い悪夢は終わりました。バーベイン様はドラセナ様を信じると仰いましたし、ルカ様はご自分の息子だと認められましたよ。そもそもですね、これは以前から声を大にして言いたかったのですが、他国から嫁ぎに来られた前王妃様は黒髪だったではないですか。五人の子どものうち、ルカ様だけが偶然、たまたま、前王妃様の髪色を受け継がれた。ただそれだけの話だったのに、アドルフがこじらせたんです」
同じ意味の言葉を繰り返して強調する。
「……髪の色は遺伝の一言で片づけられたとしても。魔物と同じこの深紅の目を持つ先祖は誰もいなかった」
ルカ様は独りごちるように呟いた。
何をするのも私の自由。
とはいえ無為に過ごすつもりはなく、午前中は王宮図書館へ行って本を読み漁り、午後を告げる鐘が鳴ってからは部屋に戻って昼食を摂った。
うららかな春の昼下がり。
窓辺に置かれた花瓶から漂う仄かな香りを楽しみながら、私は机に向かっていた。
教師の美しい手本を見つめて文字を綴る最中、不意に部屋の扉がノックされた。
「ステラ様。ルカ様がお越しです」
聞こえてきたのはロゼッタの声だ。
「えっ。どうぞ、お通しして」
私がペンを置いて立つのと、ルカ様が部屋に入ってくるのはほとんど同時だった。
ルカ様は赤い布に包まれた長方形の何かを小脇に抱えている。
箱にしては平べったい――絵かな?
「字の練習をしていたのか。休日なのに勉強熱心だな。お前は本当に努力家だ」
ルカ様が机に広げた紙を見下ろして微笑む一方、ロゼッタは静かに扉を閉めて去った。
「見ないでください。下手なので恥ずかしいです」
私は紙を摘まんで机の端に寄せた。
紙を裏返しにしたいが、そんなことをしたら生乾きのインクで机が汚れてしまう。
「そうか? お前の字は癖があって可愛らしいと思うが」
「もう。私をからかいに来られたのですか?」
「いや、用件は別にある。座れ」
ほんのり頬を朱に染めながら尋ねると、ルカ様は長椅子に座って隣を軽く叩いた。
私が隣に座る間にルカ様は持っていた何かの包みを解き、その中身を剥き出しにした。
「これは……!」
ルカ様が持参したのはギャラリーに飾られていたドラセナ王妃の肖像画だった。
ノクス様にかかった呪術を解くために私が真っ二つにしてしまった絵は見事に蘇っていた。
こうして至近距離からしげしげと眺めていても、一体どこを破損したのかわからないくらいだ。
「修復してくださったんですね! 良かった……! ずっと気がかりだったんです!」
「いや、俺ではない」
ルカ様は肖像画をテーブルに置き、涙ぐんでいる私の腰を掴んで引き寄せた。
「この絵は父上のお気に入りだったからな。あの後すぐに父上が一流の絵画修復士に命じて修復させたんだ」
「バーベイン様が……」
私が肖像画を破壊したときのバーベイン様の激昂を思い出す。
恐らくアドルフにかけられた呪術のせいでいつも冷たい無表情だったバーベイン様は、あのとき初めて激しい怒りを私に見せた。
「父上は深く母上を愛しておられた。だからこそ、アドルフに不貞の疑いを吹き込まれたときは許せなかったのだろう」
ルカ様は神妙な眼差しでドラセナ王妃の微笑みを見つめている。
「……でも、バーベイン様が見ていた長い悪夢は終わりました。バーベイン様はドラセナ様を信じると仰いましたし、ルカ様はご自分の息子だと認められましたよ。そもそもですね、これは以前から声を大にして言いたかったのですが、他国から嫁ぎに来られた前王妃様は黒髪だったではないですか。五人の子どものうち、ルカ様だけが偶然、たまたま、前王妃様の髪色を受け継がれた。ただそれだけの話だったのに、アドルフがこじらせたんです」
同じ意味の言葉を繰り返して強調する。
「……髪の色は遺伝の一言で片づけられたとしても。魔物と同じこの深紅の目を持つ先祖は誰もいなかった」
ルカ様は独りごちるように呟いた。
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