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46:魔女の一撃
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◆ ◆ ◆
翌朝、エルダークの王城の一角にある会議の間では議論が紛糾していた。
槍玉に挙げられているのは第二王子デルニスだ。
――ルーシェを何故みすみす逃したのか。
――騎士たちも展開していたというのに、何故強引にでも捕まえて懐柔しなかったのか。
廷臣たちから責め立てられ、デルニスはひたすら謝罪と反省の言葉を繰り返している。
昨日の一件で誰もが《国守りの魔女》になれるのはルーシェしかいないことを思い知った。廷臣たちはルーシェがどれほど得難く貴重な人材であったかを痛感したのである。
――かくなるうえはラスファルに兵を送り込み、ルーシェを奪還すべきだ。この国には彼女が必要だ。
――しかしラスファルは手ごわいぞ。領主はかの有名な《双刃のバートラム》、妻は《血染めのスザンヌ》、加えて大魔導師リュオンまでいると聞く。さらにラスファルの兵士は勇猛果敢にして一騎当千。攻め落とすのは容易ではありますまい。
――多少の犠牲は覚悟の上だ。《国守りの魔女》にはそれだけの価値がある。ルーシェはたった一人で《天災級》を含む何千何万もの魔獣を葬ったのだぞ。民衆はいまやルーシェを救世主のように崇めている。王家の政治的地位を保つためにも、一刻も早く彼女を連れ戻し、デルニス王子と結婚させて民の求心力を得るべきだ。
――そうだ、もはや手段を選んでいる場合ではない。
――陛下、どうかご決断を。
廷臣たちに見つめられ、難しい顔で黙り込んでいた国王は静かに口を開いた。
「ラスファルに書状を送る。領主バートラムがルーシェの身柄の引き渡しに応じなければ宣戦布告を――」
「――それは止めたほうが良い」
どこからか女性の声が聞こえて、廷臣たちは一様に戸惑いの表情を浮かべて声の主の姿を探した。
勝手に窓が開いてカーテンが揺れ、風が会議の間へと吹き込む。
はっとして全員が窓を見る。
いつの間にか、窓枠に一人の女性が座っていた。
黒いとんがり帽子に黒いローブ。
黒い髪に、夜に輝く月を思わせる銀色の瞳。
胸元に下げられた『大魔導師』を示す金色のプレート。
ここまで揃えば該当する名前は一つしかなかった。
「何……!?」
「ドロシー・ユーグレース……!?」
戸惑いの表情は畏怖と恐怖に変わる。
この場には名の知れた武人もいたが、魔女に挑もうとする命知らずは一人もいない。
魔女に反抗し、単純に死ぬよりも酷い目に遭わされた人間の話を聞けば当然のことだった。
「止めたほうが良いとは、どういう意味だ? 魔女よ」
国王だけが怯まず魔女を見返した。
「何、言葉の通りだよ」
魔女は組んだ足の上で両手を組み合わせた。
「ルーシェは知り合いの子どもでね。絶大な魔力を持つが故に他人から運命を強制され続け、《人形姫》と呼ばれていた哀れなあの子はいまようやく仮面を脱ぎ捨て、自分の足で人生を歩き始めた。常に貼り付けたような笑顔を浮かべていたあの子が心から笑い、愛する人を見つけたことを私は微笑ましく思っていたんだ」
魔女はわずかに目を細めた。
外見的な変化はそれだけだったが、その気配は飢えた猛獣にも似た、凄まじい圧を放った。
「――あの子に干渉するな。あの子から笑顔を奪おうとするならば、私はお前たちを敵と見做す」
「…………!!」
ほとんど全員が震え上がり、国王すらも額に一つ汗を浮かべた。
「何故ルーシェ一人に重責を担わせようとする? 他国を見倣って、大勢の魔女が分担して《国守りの魔女》になれば良いだろう?」
朝の風に長い髪を靡かせながら、歌うように魔女が言う。
「それが古くから続くエルダークのしきたりだからか? くだらない。《国守りの魔女》の起源はいつだと思っている? たった一人の魔女に《国守り》の役を押し付けているのはいまや一握りの小国だけだぞ? エルダークは小国でもないのに一人の魔女に無理を強いてきた。良い機会じゃないか。いい加減時代遅れの制度を改めたまえ」
魔女は小さく肩を竦めた。
「まあ、どうしても嫌だと言うなら好きにすればいいさ。ラスファルに書状を送るのも宣戦布告するのも君たちの自由だとも。兵を向かわせる直前に何故か突然、この場にいる全員がみんな揃ってカタバネゴミ虫になるかもしれないが――警告はした」
空間に溶けるように魔女の姿が消えた。
後に残るのは重い静寂。
「……へ、陛下。私はカタバネゴミ虫になどなりたくはありません!」
一人の大臣が震え声で叫んだ。彼の顔色は真っ青だ。
「私もです!」
「前言を撤回します、ルーシェには絶対に干渉してはいけません! それはすなわち身の、いいえ、国の破滅です! あの魔女はエルダークの国民すべてを忌まわしい虫へと変えてしまいかねない!」
「即刻|《国守り》の制度を見直し、我が国でも分担制を取り入れましょう!」
「そうだ、そうすべきだ!」
かくして全員が一致団結し、エルダークでは《国守り》の制度が改められることになるのだが――それはまた別の話。
翌朝、エルダークの王城の一角にある会議の間では議論が紛糾していた。
槍玉に挙げられているのは第二王子デルニスだ。
――ルーシェを何故みすみす逃したのか。
――騎士たちも展開していたというのに、何故強引にでも捕まえて懐柔しなかったのか。
廷臣たちから責め立てられ、デルニスはひたすら謝罪と反省の言葉を繰り返している。
昨日の一件で誰もが《国守りの魔女》になれるのはルーシェしかいないことを思い知った。廷臣たちはルーシェがどれほど得難く貴重な人材であったかを痛感したのである。
――かくなるうえはラスファルに兵を送り込み、ルーシェを奪還すべきだ。この国には彼女が必要だ。
――しかしラスファルは手ごわいぞ。領主はかの有名な《双刃のバートラム》、妻は《血染めのスザンヌ》、加えて大魔導師リュオンまでいると聞く。さらにラスファルの兵士は勇猛果敢にして一騎当千。攻め落とすのは容易ではありますまい。
――多少の犠牲は覚悟の上だ。《国守りの魔女》にはそれだけの価値がある。ルーシェはたった一人で《天災級》を含む何千何万もの魔獣を葬ったのだぞ。民衆はいまやルーシェを救世主のように崇めている。王家の政治的地位を保つためにも、一刻も早く彼女を連れ戻し、デルニス王子と結婚させて民の求心力を得るべきだ。
――そうだ、もはや手段を選んでいる場合ではない。
――陛下、どうかご決断を。
廷臣たちに見つめられ、難しい顔で黙り込んでいた国王は静かに口を開いた。
「ラスファルに書状を送る。領主バートラムがルーシェの身柄の引き渡しに応じなければ宣戦布告を――」
「――それは止めたほうが良い」
どこからか女性の声が聞こえて、廷臣たちは一様に戸惑いの表情を浮かべて声の主の姿を探した。
勝手に窓が開いてカーテンが揺れ、風が会議の間へと吹き込む。
はっとして全員が窓を見る。
いつの間にか、窓枠に一人の女性が座っていた。
黒いとんがり帽子に黒いローブ。
黒い髪に、夜に輝く月を思わせる銀色の瞳。
胸元に下げられた『大魔導師』を示す金色のプレート。
ここまで揃えば該当する名前は一つしかなかった。
「何……!?」
「ドロシー・ユーグレース……!?」
戸惑いの表情は畏怖と恐怖に変わる。
この場には名の知れた武人もいたが、魔女に挑もうとする命知らずは一人もいない。
魔女に反抗し、単純に死ぬよりも酷い目に遭わされた人間の話を聞けば当然のことだった。
「止めたほうが良いとは、どういう意味だ? 魔女よ」
国王だけが怯まず魔女を見返した。
「何、言葉の通りだよ」
魔女は組んだ足の上で両手を組み合わせた。
「ルーシェは知り合いの子どもでね。絶大な魔力を持つが故に他人から運命を強制され続け、《人形姫》と呼ばれていた哀れなあの子はいまようやく仮面を脱ぎ捨て、自分の足で人生を歩き始めた。常に貼り付けたような笑顔を浮かべていたあの子が心から笑い、愛する人を見つけたことを私は微笑ましく思っていたんだ」
魔女はわずかに目を細めた。
外見的な変化はそれだけだったが、その気配は飢えた猛獣にも似た、凄まじい圧を放った。
「――あの子に干渉するな。あの子から笑顔を奪おうとするならば、私はお前たちを敵と見做す」
「…………!!」
ほとんど全員が震え上がり、国王すらも額に一つ汗を浮かべた。
「何故ルーシェ一人に重責を担わせようとする? 他国を見倣って、大勢の魔女が分担して《国守りの魔女》になれば良いだろう?」
朝の風に長い髪を靡かせながら、歌うように魔女が言う。
「それが古くから続くエルダークのしきたりだからか? くだらない。《国守りの魔女》の起源はいつだと思っている? たった一人の魔女に《国守り》の役を押し付けているのはいまや一握りの小国だけだぞ? エルダークは小国でもないのに一人の魔女に無理を強いてきた。良い機会じゃないか。いい加減時代遅れの制度を改めたまえ」
魔女は小さく肩を竦めた。
「まあ、どうしても嫌だと言うなら好きにすればいいさ。ラスファルに書状を送るのも宣戦布告するのも君たちの自由だとも。兵を向かわせる直前に何故か突然、この場にいる全員がみんな揃ってカタバネゴミ虫になるかもしれないが――警告はした」
空間に溶けるように魔女の姿が消えた。
後に残るのは重い静寂。
「……へ、陛下。私はカタバネゴミ虫になどなりたくはありません!」
一人の大臣が震え声で叫んだ。彼の顔色は真っ青だ。
「私もです!」
「前言を撤回します、ルーシェには絶対に干渉してはいけません! それはすなわち身の、いいえ、国の破滅です! あの魔女はエルダークの国民すべてを忌まわしい虫へと変えてしまいかねない!」
「即刻|《国守り》の制度を見直し、我が国でも分担制を取り入れましょう!」
「そうだ、そうすべきだ!」
かくして全員が一致団結し、エルダークでは《国守り》の制度が改められることになるのだが――それはまた別の話。
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