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24:リュオンの過去と猫の失敗
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私以外に誰もいない第二食堂で、冷え切ったスープを口に運ぶ。
食堂の端に置かれた柱時計は午後一時過ぎを指している。
ネクターさんが用意してくれた朝食はもはや昼食となってしまった。
硬くなったパンを飲み下しながら思い出すのは少し前のリュオンとのやり取り。
怒鳴ってしまった直後、我に返った私はリュオンに謝罪した。
――ごめんなさい、恥ずかしくてつい……もう二度と言わないわ、許して。
昨日も私は彼に同じことを言ってしまった。私のために必死になってくれた人に対して「馬鹿」などと、失礼極まりないことを。
自分の言動が信じられなかった。
他人に「馬鹿」なんていままで言ったことがなかったのに。どんな仕打ちを受けようと負の感情は全部押し込めて、常に相手のことを考えてきたのに。
――本当にごめんなさい。
深く後悔しながら頭を下げると、リュオンは気にした風もなく「大げさだな、謝らなくていいよ。元はと言えば冗談を言ったおれが悪いんだから」と笑った。
――むしろおれは嬉しいよ。セラはいつも他人の顔色を窺って、微笑んでばかりいるからな。おれにだけ怒りの感情を表すのはおれを信頼して甘えてる証拠だ。もっと怒ってくれていいよ?
まさかそんなことを言われるとは思わず、面喰っていると、リュオンは「それよりリンゴ」と何事もなかったかのように促した。
私はすりおろしたリンゴを彼の口へと運び、食べ終わったリュオンに眠るよう促した。
リュオンは素直に身体を横たえた。
でも、すぐには眠ろうとせず、熱に潤んだ瞳で、なんだか嬉しそうに私を見た。
熱と痛みに苛まれて苦しいはずなのに、私は彼に暴言を吐いたのに、どうしてそんなに嬉しそうなのか聞くと、彼は「いまここにセラがいるのが信じられない」と答え、初めて自分の過去を打ち明けてくれた。
彼は孤児で、両親の顔も覚えていない。
書類上ではユリウス様と同じ十九歳の彼だが、本当の年齢は誰にもわからない。
物心ついたときには王都の貧しい孤児院で暮らしていた。
非常に珍しい男性の魔女である彼に孤児院の子どもたちは冷たく、事なかれ主義の大人たちは誰も庇ってくれなかった。
私はレアノールの魔法学校で魔法が使えず虐められた。
彼はその逆で、魔法が使える魔女だから虐められた。
ある日、悪質ないじめっ子たちに地下倉庫に閉じ込められた彼は空腹に耐えかね、頑丈な扉を破るために魔法を使った。
ただ鍵を壊すつもりだったのに、その魔法は彼の意に反して暴発した。
彼は後に『大魔導師』の称号を得るほどの絶大な魔力を持っている。
劣悪な環境下で育ち、きちんとした教育を受ける機会もなく、制御方法も学んでいない彼の魔法は強力すぎた。
幸い怪我人こそ出なかったものの、彼が放った魔法のせいで孤児院は炎に包まれた。
孤児院の子どもたちや大人たちに激しく糾弾されたリュオンは貧民街へと逃げた。
子ども一人で生きていけるほど現実は甘くはなく、飢え死にしそうになっていたときだ。私と出会ったのは。
私に背負われて行った診療所で、リュオンは気の良い医師から栄養たっぷりの食事を与えられ、患者に混じって身体の回復に努めた。
その一方、リュオンが『ユリウス様の猫化を解除できる魔女』になるかどうかもわからないというのに、友人の医師から魔女を保護した連絡を受けた伯爵夫妻ははるばるラスファルからリュオンに会いに来た。
リュオンから事情を聞いた伯爵夫妻はすぐに問題の孤児院を管理・運営していた公爵家に連絡を取って損害賠償金を支払った。
伯爵家と公爵家の間で行われた話し合いによって事件は一件落着し、リュオンが罰を受けることもなくなった。
何故自分のためにそこまでするのかと尋ねると、伯爵は「大人が困っている子どもを助けるのに理由が必要か?」と問い返した。
リュオンは信じられない思いだったという。
世の中にはこんな大人がいるのかと感動し、世界がひっくり返ったような気分だった、と。
それからリュオンは伯爵夫妻の支援を受けて魔法学園に通い、たった一年で難解な古文書を読み解き、ユリウス様の猫化の解除に成功した。
首席で魔法学園を卒業したリュオンには無限の可能性があったけれど、彼は数多の誘いを断って伯爵夫妻に仕えることを選んだ。
それから数年が経って彼は『大魔導師』となり、貴族の仲間入りを果たした。
ロドリーでは『大魔導師』になると家名を持つことが許され、一代限りの貴族となることができるのだ。
リュオンはリュオン・クルーゼ男爵となり、それからも変わらずラスファルの街を守り続けている。
エンドリーネ伯爵夫妻はおれに新しい人生を与えてくれた恩人だし、何よりここは春の陽だまりみたいに居心地の良い場所だから。
リュオンは話をそう締めくくった。
何も言えずに彼を見つめていると、長い話を終えて疲れたらしく、リュオンはそのうち目を閉じて寝息を立て始めた。
だから私はそっと部屋を抜け出したのだ。
「…………」
黙々と食事を終えた私は、盆に空になった食器を乗せて厨房へ行った。
「後でまとめて洗うので、流し場に置いといていいですよ」
「ありがとうございます」
食器を磨いていたネクターさんにお礼を言ってから、私は厨房を出た。
さて、これからどうしよう?
リュオンが管理している温室に行って、彼の代わりにラスファルセージの手入れをするか。
それともまたリュオンのところに行き、彼が起きるまで傍にいるか。
ユリウス様やノエル様がいま何をしているのか見に行くか――
厨房の扉の前で考えていると、大広間の階段のほうから物音が聞こえた。
「?」
私は階段に向かい、目を見開いて立ち竦んだ。
黒猫が――ユリウス様が階段の前で倒れている!!
「ユリウス様!?」
私はユリウス様に駆け寄り、妙に温かいその身体を抱き上げた。
ざっと見た限りでは外傷はない。
でも、目に見えない内臓を痛めている可能性は否定できない。
階段には赤いスカーフが落ちていた。
察するに、階段を上る途中でスカーフを踏んづけてしまって落ちたのだろうか?
「ユリウス様!!」
私は半泣きで黒猫の背中を叩いた。
「みっ!!」
目を開けたユリウス様は私を見るなり猫らしく鳴いて、ぶわっと全身の毛を逆立てて尻尾を膨らませ、じたばたと暴れた。
この反応を見る限り元気そうだ。
恐らくは軽い脳震盪を起こしていたのだろう。
ほっとして床に下ろすと、ユリウス様は壁際まで全力疾走し、身体を壁に押し付けた状態で前屈みになり、じーっと私を見上げた。
あれほどまでに警戒心をむき出しにしているのは寝起きで私が超至近距離にいて驚いたからだろう。最近ではあそこまで過剰反応されることはない。
「すみません、触らせていただきますね。少しの間我慢してください」
階段を上ってスカーフを取りに行き、黒猫の首にスカーフを巻くと、黒猫は人間の言葉で話し始めた。
「……すまない。庭に珍しい蝶がいて。夢中で追い掛け回しているうちに、植え込みに引っ掛かってスカーフが取れてしまった」
どうやら身体が猫になると心まで引きずられて猫になってしまうものらしい。
「内密に巻き直してもらうべく、スカーフを咥えてノエルの部屋に行こうとしたんだが。階段の途中でスカーフを踏んづけてバランスを崩し、落ちてしまった」
申し訳なさそうに――あるいは恥ずかしがっているのかもしれない――黒猫は頭を下げた。
「そうだったんですね。どこか痛いところはありませんか?」
「打ち付けた背中が痛い。この辺が」
ユリウス様は身体を捻り、前足で背中の一点を指した。
「水で冷やしましょう。サロンで待っていてください」
食堂の端に置かれた柱時計は午後一時過ぎを指している。
ネクターさんが用意してくれた朝食はもはや昼食となってしまった。
硬くなったパンを飲み下しながら思い出すのは少し前のリュオンとのやり取り。
怒鳴ってしまった直後、我に返った私はリュオンに謝罪した。
――ごめんなさい、恥ずかしくてつい……もう二度と言わないわ、許して。
昨日も私は彼に同じことを言ってしまった。私のために必死になってくれた人に対して「馬鹿」などと、失礼極まりないことを。
自分の言動が信じられなかった。
他人に「馬鹿」なんていままで言ったことがなかったのに。どんな仕打ちを受けようと負の感情は全部押し込めて、常に相手のことを考えてきたのに。
――本当にごめんなさい。
深く後悔しながら頭を下げると、リュオンは気にした風もなく「大げさだな、謝らなくていいよ。元はと言えば冗談を言ったおれが悪いんだから」と笑った。
――むしろおれは嬉しいよ。セラはいつも他人の顔色を窺って、微笑んでばかりいるからな。おれにだけ怒りの感情を表すのはおれを信頼して甘えてる証拠だ。もっと怒ってくれていいよ?
まさかそんなことを言われるとは思わず、面喰っていると、リュオンは「それよりリンゴ」と何事もなかったかのように促した。
私はすりおろしたリンゴを彼の口へと運び、食べ終わったリュオンに眠るよう促した。
リュオンは素直に身体を横たえた。
でも、すぐには眠ろうとせず、熱に潤んだ瞳で、なんだか嬉しそうに私を見た。
熱と痛みに苛まれて苦しいはずなのに、私は彼に暴言を吐いたのに、どうしてそんなに嬉しそうなのか聞くと、彼は「いまここにセラがいるのが信じられない」と答え、初めて自分の過去を打ち明けてくれた。
彼は孤児で、両親の顔も覚えていない。
書類上ではユリウス様と同じ十九歳の彼だが、本当の年齢は誰にもわからない。
物心ついたときには王都の貧しい孤児院で暮らしていた。
非常に珍しい男性の魔女である彼に孤児院の子どもたちは冷たく、事なかれ主義の大人たちは誰も庇ってくれなかった。
私はレアノールの魔法学校で魔法が使えず虐められた。
彼はその逆で、魔法が使える魔女だから虐められた。
ある日、悪質ないじめっ子たちに地下倉庫に閉じ込められた彼は空腹に耐えかね、頑丈な扉を破るために魔法を使った。
ただ鍵を壊すつもりだったのに、その魔法は彼の意に反して暴発した。
彼は後に『大魔導師』の称号を得るほどの絶大な魔力を持っている。
劣悪な環境下で育ち、きちんとした教育を受ける機会もなく、制御方法も学んでいない彼の魔法は強力すぎた。
幸い怪我人こそ出なかったものの、彼が放った魔法のせいで孤児院は炎に包まれた。
孤児院の子どもたちや大人たちに激しく糾弾されたリュオンは貧民街へと逃げた。
子ども一人で生きていけるほど現実は甘くはなく、飢え死にしそうになっていたときだ。私と出会ったのは。
私に背負われて行った診療所で、リュオンは気の良い医師から栄養たっぷりの食事を与えられ、患者に混じって身体の回復に努めた。
その一方、リュオンが『ユリウス様の猫化を解除できる魔女』になるかどうかもわからないというのに、友人の医師から魔女を保護した連絡を受けた伯爵夫妻ははるばるラスファルからリュオンに会いに来た。
リュオンから事情を聞いた伯爵夫妻はすぐに問題の孤児院を管理・運営していた公爵家に連絡を取って損害賠償金を支払った。
伯爵家と公爵家の間で行われた話し合いによって事件は一件落着し、リュオンが罰を受けることもなくなった。
何故自分のためにそこまでするのかと尋ねると、伯爵は「大人が困っている子どもを助けるのに理由が必要か?」と問い返した。
リュオンは信じられない思いだったという。
世の中にはこんな大人がいるのかと感動し、世界がひっくり返ったような気分だった、と。
それからリュオンは伯爵夫妻の支援を受けて魔法学園に通い、たった一年で難解な古文書を読み解き、ユリウス様の猫化の解除に成功した。
首席で魔法学園を卒業したリュオンには無限の可能性があったけれど、彼は数多の誘いを断って伯爵夫妻に仕えることを選んだ。
それから数年が経って彼は『大魔導師』となり、貴族の仲間入りを果たした。
ロドリーでは『大魔導師』になると家名を持つことが許され、一代限りの貴族となることができるのだ。
リュオンはリュオン・クルーゼ男爵となり、それからも変わらずラスファルの街を守り続けている。
エンドリーネ伯爵夫妻はおれに新しい人生を与えてくれた恩人だし、何よりここは春の陽だまりみたいに居心地の良い場所だから。
リュオンは話をそう締めくくった。
何も言えずに彼を見つめていると、長い話を終えて疲れたらしく、リュオンはそのうち目を閉じて寝息を立て始めた。
だから私はそっと部屋を抜け出したのだ。
「…………」
黙々と食事を終えた私は、盆に空になった食器を乗せて厨房へ行った。
「後でまとめて洗うので、流し場に置いといていいですよ」
「ありがとうございます」
食器を磨いていたネクターさんにお礼を言ってから、私は厨房を出た。
さて、これからどうしよう?
リュオンが管理している温室に行って、彼の代わりにラスファルセージの手入れをするか。
それともまたリュオンのところに行き、彼が起きるまで傍にいるか。
ユリウス様やノエル様がいま何をしているのか見に行くか――
厨房の扉の前で考えていると、大広間の階段のほうから物音が聞こえた。
「?」
私は階段に向かい、目を見開いて立ち竦んだ。
黒猫が――ユリウス様が階段の前で倒れている!!
「ユリウス様!?」
私はユリウス様に駆け寄り、妙に温かいその身体を抱き上げた。
ざっと見た限りでは外傷はない。
でも、目に見えない内臓を痛めている可能性は否定できない。
階段には赤いスカーフが落ちていた。
察するに、階段を上る途中でスカーフを踏んづけてしまって落ちたのだろうか?
「ユリウス様!!」
私は半泣きで黒猫の背中を叩いた。
「みっ!!」
目を開けたユリウス様は私を見るなり猫らしく鳴いて、ぶわっと全身の毛を逆立てて尻尾を膨らませ、じたばたと暴れた。
この反応を見る限り元気そうだ。
恐らくは軽い脳震盪を起こしていたのだろう。
ほっとして床に下ろすと、ユリウス様は壁際まで全力疾走し、身体を壁に押し付けた状態で前屈みになり、じーっと私を見上げた。
あれほどまでに警戒心をむき出しにしているのは寝起きで私が超至近距離にいて驚いたからだろう。最近ではあそこまで過剰反応されることはない。
「すみません、触らせていただきますね。少しの間我慢してください」
階段を上ってスカーフを取りに行き、黒猫の首にスカーフを巻くと、黒猫は人間の言葉で話し始めた。
「……すまない。庭に珍しい蝶がいて。夢中で追い掛け回しているうちに、植え込みに引っ掛かってスカーフが取れてしまった」
どうやら身体が猫になると心まで引きずられて猫になってしまうものらしい。
「内密に巻き直してもらうべく、スカーフを咥えてノエルの部屋に行こうとしたんだが。階段の途中でスカーフを踏んづけてバランスを崩し、落ちてしまった」
申し訳なさそうに――あるいは恥ずかしがっているのかもしれない――黒猫は頭を下げた。
「そうだったんですね。どこか痛いところはありませんか?」
「打ち付けた背中が痛い。この辺が」
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