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04:蝶々亭にて
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ラスファルは王都から馬車で三日、主要街道沿いにある大きな街だ。
領主のエンドリーネ伯爵は良く民の声を聞き、過剰に税を取り立てることもせず、基本的に善政を敷いている。
多くの民から慕われる領主に仕えているのが『大魔導師』リュオン・クルーゼ。
リュオンが常時結界を張っているからこの街は魔獣に襲われる心配もなく、街の門番が平和に居眠りすることもできる。
街のそこかしこで栽培されている『ラスファルセージ』はリュオンが伯爵邸の庭で品種改良を重ねて作り出したものらしい。
青緑色の花が美しい上に、その葉が良く効く回復薬《ポーション》の原料になる『ラスファルセージ』はこの街の重要な収入源となっていた。
多くの物や人が集うラスファルには大小様々な飲食店があるけれど、その中でも特に料理人の腕が良いと評判なのが二階に宿屋を併設した大食堂『蝶々亭』。
ふんわりしたオムレツに色とりどりの野菜を使ったサラダ、若鶏のグリル、まろやかな味わいのクリームシチューに焼きたてのパン。
密かに憧れていた人気店で噂に違わぬ絶品料理の数々を堪能していると、テーブルの向かいに座るリュオンが感慨深げに言った。
「まさかセラとまた会えるとは思わなかった」
「私もよ。王都にもその名を轟かせる『ラスファルの魔女』がリュオンのことだったなんて思いもしなかったわ。魔女と言えば普通、女性だと思うもの。てっきりリュオンと同名の女性だとばかり思っていたわ」
クルミの入ったパンをちぎりながら微笑む。
「リュオンと言えば男性名だろう」
「そうなのね。私は外国の出身だから知らなかった」
「とてもそうとは思えないくらい流暢なロドリー語を話すようになったな。訛りもないし、現地人より綺麗な発音だ」
「ふふ、ありがとう。リュオンと会ったとき、言葉が通じなくて歯がゆい思いをしたからね。国に帰った後で猛勉強したのよ。元気そうで良かったわ。ずっと心配してたのよ。妹が怪我を治しても動こうとしないから、何か重い病気なんじゃないかと――」
「ああ、それなんだけど。あのときおれはただ腹が減って動けなかっただけなんだよ」
彼は氷の浮かんだ果実水を飲みながら、あっさりと私が知らなかった八年前の真実を暴露した。
「…………私は勘違いで余計なことをしてしまったのね」
あのときリュオンが必要としていたのは治療ではなく栄養たっぷりの食事だったのか。
怪我人や病人ではなく、お腹を空かせている子どもを連れ込まれて、診療所の医師もさぞかし困惑したことだろう。
「いや、助かったよ。セラがあのときおれを診療所に連れて行ってくれたから、エンドリーネ伯爵に仕える縁ができたんだ」
「そうなの?」
温かいオムレツを食べながら、私は銀色の目をぱちくりさせた。
「ああ。診療所にいた医師は偶然にもエンドリーネ伯爵の友人でな。おれの目を見て魔女だと知り、伯爵に紹介してくれたんだ。おれは伯爵の支援を受けて魔法学園に通わせてもらった。貧しい孤児だったおれがいまこうして裕福な生活を送れているのはセラのおかげだ。ありがとう。感謝してる」
「そんな、私は大したことはしてないわよ」
慌てて手を振ると、リュオンは笑んだ。
「そう言い切れるのがセラの魅力だな。道端で死にかけてた他国の貧民を気にかけて、背負って診療所に連れて行くお人好しなんてそうはいない。イノーラの反応のほうが普通だよ」
どう答えたものか迷っているうちに、リュオンは話題を変えた。
「ところで、セラはなんでここにいるんだ? あのとき話してたのはミドナ語だろう? 出身はどこなんだ?」
「レアノールだけど……色々あって国を出たのよ」
私は曖昧に誤魔化した。
「二か月ほど前からラスファルのとある富豪の家で侍女として働いていたの。旦那様は優しい方で、給金も弾んでくださったわ。働き始めたばかりの頃は最高の職場だと思ってた」
「過去形で話すってことは、そうじゃなかったんだな?」
「……ええ。その……旦那様は女性が大好きな好色家だったのよ」
子どももいる賑やかな食堂で話すような内容ではないため、私は小声で言った。
「何度か身体を触られたけど、私は『お戯れを』とやんわり制してやり過ごしてきたわ。そうやって我慢したのがいけなかったのでしょうね。今日、とうとう、その……押し倒されそうになってしまって。叫んでも旦那様は既に人払いを済ませていたらしく、誰も来てくれなくて。そこで私は……」
言い淀んで俯いた私を見て、リュオンは顔を曇らせた。
リュオンの心労を解消すべく、顔を上げて白状する。
「私は旦那様の鳩尾《みぞおち》を殴り、うずくまって悶絶する旦那様の頭に回し蹴りをして意識を刈り取りました」
「………………え?」
予想の遥か斜め上をいったであろう展開に、リュオンは唖然としている。
「いくら向こうに非があるとはいえ、やり過ぎたのよねえ……」
遠い目をしながらオムレツをナイフで切り分けて、一口食べる。
「鳩尾を抉り抜いた一撃で止めるべきだったの。でもまだ旦那様の意識があったから、つい反射的にトドメを刺してしまったわ」
「反射的にトドメを……」
棒読みで呟くリュオン。
「やっぱり女性と男性では地力が違うでしょう? 生半可な攻撃では反撃される危険性があるから。やるときは情け容赦なく徹底的に、全力で叩きのめせと護身術の先生から教わったのよ」
「護身術の先生?」
「ええ。実は私、レアノールの伯爵令嬢で、王子の婚約者だったのよ。夫婦生活を拒否したいときや、夫以外の殿方から強引に迫られたときに必要だということで、護身術も学ばされたの」
「どんな淑女教育だよ……」
リュオンは呆れている。
「常日頃から旦那様の問題行動に悩まされていた侍女仲間からは拍手喝采を浴び、よくやったと絶賛されたわ。でも、意識を取り戻した旦那様はそれはもう、怒り心頭で。二度と顔を見せるなと叩き出されたの」
「…………」
リュオンは何かを考え込むように沈黙し、やがてため息をついた。
「……とにかく最悪の事態は免れたようで何よりだ。その富豪の名前を教えてくれ」
「え」
「悪いようにはしない。セラにも侍女たちにも決して迷惑はかけないと誓うから」
リュオンの青い目は真剣そのもの。
瞳孔の周囲で淡く光る金色の輪が綺麗だ。
どうしよう。
信じても大丈夫……かな?
「……西区に住む豪商、ブードゥー・ラビカよ」
迷いを振り切って、私はその名を告げた。
「あいつか……」
「知ってるの?」
尋ねると、リュオンは苦笑した。
「ラビカ商会を知らない人間なんてこの街にはいないよ。ブードゥーはおれの主人とも深い付き合いがあるからな。帰ったら主人と相談してみる。再び被害者が出ることのないよう善処する」
「ありがとう。後に残った侍女仲間のことは心配だったから、そうして貰えると嬉しいわ」
親しかった侍女たちの顔を思い浮かべて、心から言う。
「放ってはおけないからな」
リュオンは微笑み、それからしばらく会話が途切れた。
お昼時の『蝶々亭』はほとんど満席で、客のお喋りが止むことない。
意地悪な義母の話。流行のドレスの話。南の交易都市からラスファルに向かう途中で遭遇した巨大な魔獣の話。子どもの高い笑い声。
耳に入り込んでくるそれらを聞くともなしに聞きながら、私は皿に残っていた料理全てを平らげた。
領主のエンドリーネ伯爵は良く民の声を聞き、過剰に税を取り立てることもせず、基本的に善政を敷いている。
多くの民から慕われる領主に仕えているのが『大魔導師』リュオン・クルーゼ。
リュオンが常時結界を張っているからこの街は魔獣に襲われる心配もなく、街の門番が平和に居眠りすることもできる。
街のそこかしこで栽培されている『ラスファルセージ』はリュオンが伯爵邸の庭で品種改良を重ねて作り出したものらしい。
青緑色の花が美しい上に、その葉が良く効く回復薬《ポーション》の原料になる『ラスファルセージ』はこの街の重要な収入源となっていた。
多くの物や人が集うラスファルには大小様々な飲食店があるけれど、その中でも特に料理人の腕が良いと評判なのが二階に宿屋を併設した大食堂『蝶々亭』。
ふんわりしたオムレツに色とりどりの野菜を使ったサラダ、若鶏のグリル、まろやかな味わいのクリームシチューに焼きたてのパン。
密かに憧れていた人気店で噂に違わぬ絶品料理の数々を堪能していると、テーブルの向かいに座るリュオンが感慨深げに言った。
「まさかセラとまた会えるとは思わなかった」
「私もよ。王都にもその名を轟かせる『ラスファルの魔女』がリュオンのことだったなんて思いもしなかったわ。魔女と言えば普通、女性だと思うもの。てっきりリュオンと同名の女性だとばかり思っていたわ」
クルミの入ったパンをちぎりながら微笑む。
「リュオンと言えば男性名だろう」
「そうなのね。私は外国の出身だから知らなかった」
「とてもそうとは思えないくらい流暢なロドリー語を話すようになったな。訛りもないし、現地人より綺麗な発音だ」
「ふふ、ありがとう。リュオンと会ったとき、言葉が通じなくて歯がゆい思いをしたからね。国に帰った後で猛勉強したのよ。元気そうで良かったわ。ずっと心配してたのよ。妹が怪我を治しても動こうとしないから、何か重い病気なんじゃないかと――」
「ああ、それなんだけど。あのときおれはただ腹が減って動けなかっただけなんだよ」
彼は氷の浮かんだ果実水を飲みながら、あっさりと私が知らなかった八年前の真実を暴露した。
「…………私は勘違いで余計なことをしてしまったのね」
あのときリュオンが必要としていたのは治療ではなく栄養たっぷりの食事だったのか。
怪我人や病人ではなく、お腹を空かせている子どもを連れ込まれて、診療所の医師もさぞかし困惑したことだろう。
「いや、助かったよ。セラがあのときおれを診療所に連れて行ってくれたから、エンドリーネ伯爵に仕える縁ができたんだ」
「そうなの?」
温かいオムレツを食べながら、私は銀色の目をぱちくりさせた。
「ああ。診療所にいた医師は偶然にもエンドリーネ伯爵の友人でな。おれの目を見て魔女だと知り、伯爵に紹介してくれたんだ。おれは伯爵の支援を受けて魔法学園に通わせてもらった。貧しい孤児だったおれがいまこうして裕福な生活を送れているのはセラのおかげだ。ありがとう。感謝してる」
「そんな、私は大したことはしてないわよ」
慌てて手を振ると、リュオンは笑んだ。
「そう言い切れるのがセラの魅力だな。道端で死にかけてた他国の貧民を気にかけて、背負って診療所に連れて行くお人好しなんてそうはいない。イノーラの反応のほうが普通だよ」
どう答えたものか迷っているうちに、リュオンは話題を変えた。
「ところで、セラはなんでここにいるんだ? あのとき話してたのはミドナ語だろう? 出身はどこなんだ?」
「レアノールだけど……色々あって国を出たのよ」
私は曖昧に誤魔化した。
「二か月ほど前からラスファルのとある富豪の家で侍女として働いていたの。旦那様は優しい方で、給金も弾んでくださったわ。働き始めたばかりの頃は最高の職場だと思ってた」
「過去形で話すってことは、そうじゃなかったんだな?」
「……ええ。その……旦那様は女性が大好きな好色家だったのよ」
子どももいる賑やかな食堂で話すような内容ではないため、私は小声で言った。
「何度か身体を触られたけど、私は『お戯れを』とやんわり制してやり過ごしてきたわ。そうやって我慢したのがいけなかったのでしょうね。今日、とうとう、その……押し倒されそうになってしまって。叫んでも旦那様は既に人払いを済ませていたらしく、誰も来てくれなくて。そこで私は……」
言い淀んで俯いた私を見て、リュオンは顔を曇らせた。
リュオンの心労を解消すべく、顔を上げて白状する。
「私は旦那様の鳩尾《みぞおち》を殴り、うずくまって悶絶する旦那様の頭に回し蹴りをして意識を刈り取りました」
「………………え?」
予想の遥か斜め上をいったであろう展開に、リュオンは唖然としている。
「いくら向こうに非があるとはいえ、やり過ぎたのよねえ……」
遠い目をしながらオムレツをナイフで切り分けて、一口食べる。
「鳩尾を抉り抜いた一撃で止めるべきだったの。でもまだ旦那様の意識があったから、つい反射的にトドメを刺してしまったわ」
「反射的にトドメを……」
棒読みで呟くリュオン。
「やっぱり女性と男性では地力が違うでしょう? 生半可な攻撃では反撃される危険性があるから。やるときは情け容赦なく徹底的に、全力で叩きのめせと護身術の先生から教わったのよ」
「護身術の先生?」
「ええ。実は私、レアノールの伯爵令嬢で、王子の婚約者だったのよ。夫婦生活を拒否したいときや、夫以外の殿方から強引に迫られたときに必要だということで、護身術も学ばされたの」
「どんな淑女教育だよ……」
リュオンは呆れている。
「常日頃から旦那様の問題行動に悩まされていた侍女仲間からは拍手喝采を浴び、よくやったと絶賛されたわ。でも、意識を取り戻した旦那様はそれはもう、怒り心頭で。二度と顔を見せるなと叩き出されたの」
「…………」
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「……とにかく最悪の事態は免れたようで何よりだ。その富豪の名前を教えてくれ」
「え」
「悪いようにはしない。セラにも侍女たちにも決して迷惑はかけないと誓うから」
リュオンの青い目は真剣そのもの。
瞳孔の周囲で淡く光る金色の輪が綺麗だ。
どうしよう。
信じても大丈夫……かな?
「……西区に住む豪商、ブードゥー・ラビカよ」
迷いを振り切って、私はその名を告げた。
「あいつか……」
「知ってるの?」
尋ねると、リュオンは苦笑した。
「ラビカ商会を知らない人間なんてこの街にはいないよ。ブードゥーはおれの主人とも深い付き合いがあるからな。帰ったら主人と相談してみる。再び被害者が出ることのないよう善処する」
「ありがとう。後に残った侍女仲間のことは心配だったから、そうして貰えると嬉しいわ」
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