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54:『宝物』
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その後、リナリアはイレーネに「王子の妃になることは諦めて、《花冠の聖女》としてマナリス聖都市に来てくれないか。他の聖女たちはもちろん、枢機卿や信者たちは歓呼の叫びを上げて君を迎えるだろう。待遇は保証する」と言われた。
聖女であるためには清らかな乙女でいなければならない。
異性と深い関係を持った場合、《光の花》は消え失せてしまう。
神懸かりの力を失った聖女はただの女性となり、止まっていた老化も進行していく。
フルーベル王国に留まり、聖女の資格を捨てて誰かの妻となるか。
それともマナリス聖都市に行って万人から崇められる聖女となるか。
リナリアは迷うことなく前者を選んだ。
即答を聞いたイレーネは「そうか。勧誘は失敗した。残念だ」と、ちっとも残念ではなさそうな口調で言い、フローラと退室した。
もう夜も遅いが、一秒でも早いほうが良いだろうということで、これからフローラはイザークの手を借りて長距離転移魔法でバークレイン公爵邸へ行き、セレンを治癒してくれるらしい。
図々しいのは承知の上で「できれば、公爵邸で働いているクロエという侍女の傷痕も治してもらえないか」と尋ねると、彼女は快く引き受けてくれた。
イレーネとフローラ。
二人の聖女の温かい心に触れたことで、リナリアはふと考えた。
二百年前の聖女だって、そもそも好きでフルーベル王国の王に誓約書を書かせたわけではないのではないだろうか。二百年前は聖女よりも枢機卿や司教といった立場のほうが強く、命令されて嫌々ながら、仕方なく……といったことだってありえるのだ。少なくとも、聖職者たち全員が同じ考えだったわけがない。中には強く異を唱えたものだっていたはずだ。
そんなことを考えながら、イスカと一緒に部屋を出ようとしたときだった。
「父上」
イスカは何かを決意したような表情で、扉の前からテオドシウスの前へと移動した。
テオドシウスは何も言わず、目の前にいる息子を見つめた。
「……今日は話せて良かったです。父上はセレンを見捨てることなく助けてくれた。その事実だけで、あなたに抱いていた負の感情は全て消えました」
イスカは姿勢を正し、頭を下げた。
「セレンを……おれの弟を助けてくださり、本当にありがとうございました」
テオドシウスはこみ上げる感情を堪えるように、唇を引き結んだ。
「……礼を言うのか。余は十七年もお前を牢に閉じ込めたのだぞ」
「それはおれを疎んじていたからではなく、そうする他なかったからでしょう。あなたは確かにおれを愛してくれていた。ですから、もう良いのです」
イスカはすっきりとした表情で笑った。
「…………」
テオドシウスは静かに目を閉じた。
それから、目を開き、窺うように言った。
「……触れても良いか?」
「え? はい……どうぞ」
戸惑いながらもイスカが了承すると、テオドシウスはイスカの頭に手を置いた。
不器用な手つきで、軽く頭を撫でる。まるで壊れ物を扱うような慎重さ。
「……これからもセレンと二人、互いに助け合いながら生きていくように。決して憎んだり、争い合ったりするな。お前を弟と偽って幽閉したのは余だ。あの子は何も悪くない」
「わかっています。過去にはあいつを憎んだこともありましたが、それはあくまで過去の話です。いまはおれの……」
いったん言葉を切って、イスカは微笑んだ。
「大事な『兄』ですから。失っては生きていけないくらい、おれはあいつを愛しているんです」
「……そうか。それを聞いて安心した」
テオドシウスはイスカの頭から手を離し、言った。
「ダリアはお前にも名をつけていた。アルカ。古代語で《宝物》という意味だ」
「アルカ……」
わずかに目を見開き、どこか呆然とした様子でイスカは復唱した。
「ようやく真の名を伝えることができた。これからはそう名乗れ、アルカ」
そう言って、テオドシウスはイスカに――アルカに背中を向けた。
「下がって良い」
「はい。失礼致します」
もう一度頭を下げて、アルカは退室した。
リナリアはアルカと廊下を歩きながら、一度だけ部屋を振り返った。
閉まった扉の向こうで、テオドシウスは泣いていたりするのだろうか。
聖女であるためには清らかな乙女でいなければならない。
異性と深い関係を持った場合、《光の花》は消え失せてしまう。
神懸かりの力を失った聖女はただの女性となり、止まっていた老化も進行していく。
フルーベル王国に留まり、聖女の資格を捨てて誰かの妻となるか。
それともマナリス聖都市に行って万人から崇められる聖女となるか。
リナリアは迷うことなく前者を選んだ。
即答を聞いたイレーネは「そうか。勧誘は失敗した。残念だ」と、ちっとも残念ではなさそうな口調で言い、フローラと退室した。
もう夜も遅いが、一秒でも早いほうが良いだろうということで、これからフローラはイザークの手を借りて長距離転移魔法でバークレイン公爵邸へ行き、セレンを治癒してくれるらしい。
図々しいのは承知の上で「できれば、公爵邸で働いているクロエという侍女の傷痕も治してもらえないか」と尋ねると、彼女は快く引き受けてくれた。
イレーネとフローラ。
二人の聖女の温かい心に触れたことで、リナリアはふと考えた。
二百年前の聖女だって、そもそも好きでフルーベル王国の王に誓約書を書かせたわけではないのではないだろうか。二百年前は聖女よりも枢機卿や司教といった立場のほうが強く、命令されて嫌々ながら、仕方なく……といったことだってありえるのだ。少なくとも、聖職者たち全員が同じ考えだったわけがない。中には強く異を唱えたものだっていたはずだ。
そんなことを考えながら、イスカと一緒に部屋を出ようとしたときだった。
「父上」
イスカは何かを決意したような表情で、扉の前からテオドシウスの前へと移動した。
テオドシウスは何も言わず、目の前にいる息子を見つめた。
「……今日は話せて良かったです。父上はセレンを見捨てることなく助けてくれた。その事実だけで、あなたに抱いていた負の感情は全て消えました」
イスカは姿勢を正し、頭を下げた。
「セレンを……おれの弟を助けてくださり、本当にありがとうございました」
テオドシウスはこみ上げる感情を堪えるように、唇を引き結んだ。
「……礼を言うのか。余は十七年もお前を牢に閉じ込めたのだぞ」
「それはおれを疎んじていたからではなく、そうする他なかったからでしょう。あなたは確かにおれを愛してくれていた。ですから、もう良いのです」
イスカはすっきりとした表情で笑った。
「…………」
テオドシウスは静かに目を閉じた。
それから、目を開き、窺うように言った。
「……触れても良いか?」
「え? はい……どうぞ」
戸惑いながらもイスカが了承すると、テオドシウスはイスカの頭に手を置いた。
不器用な手つきで、軽く頭を撫でる。まるで壊れ物を扱うような慎重さ。
「……これからもセレンと二人、互いに助け合いながら生きていくように。決して憎んだり、争い合ったりするな。お前を弟と偽って幽閉したのは余だ。あの子は何も悪くない」
「わかっています。過去にはあいつを憎んだこともありましたが、それはあくまで過去の話です。いまはおれの……」
いったん言葉を切って、イスカは微笑んだ。
「大事な『兄』ですから。失っては生きていけないくらい、おれはあいつを愛しているんです」
「……そうか。それを聞いて安心した」
テオドシウスはイスカの頭から手を離し、言った。
「ダリアはお前にも名をつけていた。アルカ。古代語で《宝物》という意味だ」
「アルカ……」
わずかに目を見開き、どこか呆然とした様子でイスカは復唱した。
「ようやく真の名を伝えることができた。これからはそう名乗れ、アルカ」
そう言って、テオドシウスはイスカに――アルカに背中を向けた。
「下がって良い」
「はい。失礼致します」
もう一度頭を下げて、アルカは退室した。
リナリアはアルカと廊下を歩きながら、一度だけ部屋を振り返った。
閉まった扉の向こうで、テオドシウスは泣いていたりするのだろうか。
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