上 下
54 / 58

54:『宝物』

しおりを挟む
 その後、リナリアはイレーネに「王子の妃になることは諦めて、《花冠の聖女》としてマナリス聖都市に来てくれないか。他の聖女たちはもちろん、枢機卿や信者たちは歓呼の叫びを上げて君を迎えるだろう。待遇は保証する」と言われた。

 聖女であるためには清らかな乙女でいなければならない。
 異性と深い関係を持った場合、《光の花》は消え失せてしまう。
 神懸かりの力を失った聖女はただの女性となり、止まっていた老化も進行していく。

 フルーベル王国に留まり、聖女の資格を捨てて誰かの妻となるか。
 それともマナリス聖都市に行って万人から崇められる聖女となるか。

 リナリアは迷うことなく前者を選んだ。
 即答を聞いたイレーネは「そうか。勧誘は失敗した。残念だ」と、ちっとも残念ではなさそうな口調で言い、フローラと退室した。

 もう夜も遅いが、一秒でも早いほうが良いだろうということで、これからフローラはイザークの手を借りて長距離転移魔法でバークレイン公爵邸へ行き、セレンを治癒してくれるらしい。

 図々しいのは承知の上で「できれば、公爵邸で働いているクロエという侍女の傷痕も治してもらえないか」と尋ねると、彼女は快く引き受けてくれた。

 イレーネとフローラ。
 二人の聖女の温かい心に触れたことで、リナリアはふと考えた。

 二百年前の聖女だって、そもそも好きでフルーベル王国の王に誓約書を書かせたわけではないのではないだろうか。二百年前は聖女よりも枢機卿や司教といった立場のほうが強く、命令されて嫌々ながら、仕方なく……といったことだってありえるのだ。少なくとも、聖職者たち全員が同じ考えだったわけがない。中には強く異を唱えたものだっていたはずだ。

 そんなことを考えながら、イスカと一緒に部屋を出ようとしたときだった。

「父上」
 イスカは何かを決意したような表情で、扉の前からテオドシウスの前へと移動した。
 テオドシウスは何も言わず、目の前にいる息子を見つめた。

「……今日は話せて良かったです。父上はセレンを見捨てることなく助けてくれた。その事実だけで、あなたに抱いていた負の感情は全て消えました」
 イスカは姿勢を正し、頭を下げた。

「セレンを……おれの弟を助けてくださり、本当にありがとうございました」

 テオドシウスはこみ上げる感情を堪えるように、唇を引き結んだ。

「……礼を言うのか。余は十七年もお前を牢に閉じ込めたのだぞ」
「それはおれを疎んじていたからではなく、そうする他なかったからでしょう。あなたは確かにおれを愛してくれていた。ですから、もう良いのです」
 イスカはすっきりとした表情で笑った。

「…………」
 テオドシウスは静かに目を閉じた。
 それから、目を開き、窺うように言った。

「……触れても良いか?」
「え? はい……どうぞ」
 戸惑いながらもイスカが了承すると、テオドシウスはイスカの頭に手を置いた。
 不器用な手つきで、軽く頭を撫でる。まるで壊れ物を扱うような慎重さ。

「……これからもセレンと二人、互いに助け合いながら生きていくように。決して憎んだり、争い合ったりするな。お前を弟と偽って幽閉したのは余だ。あの子は何も悪くない」
「わかっています。過去にはあいつを憎んだこともありましたが、それはあくまで過去の話です。いまはおれの……」
 いったん言葉を切って、イスカは微笑んだ。

「大事な『兄』ですから。失っては生きていけないくらい、おれはあいつを愛しているんです」
「……そうか。それを聞いて安心した」
 テオドシウスはイスカの頭から手を離し、言った。

「ダリアはお前にも名をつけていた。アルカ。古代語で《宝物》という意味だ」
「アルカ……」
 わずかに目を見開き、どこか呆然とした様子でイスカは復唱した。

「ようやく真の名を伝えることができた。これからはそう名乗れ、アルカ」
 そう言って、テオドシウスはイスカに――アルカに背中を向けた。

「下がって良い」
「はい。失礼致します」
 もう一度頭を下げて、アルカは退室した。

 リナリアはアルカと廊下を歩きながら、一度だけ部屋を振り返った。
 閉まった扉の向こうで、テオドシウスは泣いていたりするのだろうか。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

そろそろ前世は忘れませんか。旦那様?

氷雨そら
恋愛
 結婚式で私のベールをめくった瞬間、旦那様は固まった。たぶん、旦那様は記憶を取り戻してしまったのだ。前世の私の名前を呼んでしまったのがその証拠。  そしておそらく旦那様は理解した。  私が前世にこっぴどく裏切った旦那様の幼馴染だってこと。  ――――でも、それだって理由はある。  前世、旦那様は15歳のあの日、魔力の才能を開花した。そして私が開花したのは、相手の魔力を奪う魔眼だった。  しかも、その魔眼を今世まで持ち越しで受け継いでしまっている。 「どれだけ俺を弄んだら気が済むの」とか「悪い女」という癖に、旦那様は私を離してくれない。  そして二人で眠った次の朝から、なぜかかつての幼馴染のように、冷酷だった旦那様は豹変した。私を溺愛する人間へと。  お願い旦那様。もう前世のことは忘れてください!  かつての幼馴染は、今度こそ絶対幸せになる。そんな幼馴染推しによる幼馴染推しのための物語。  小説家になろうにも掲載しています。

将来を誓い合った王子様は聖女と結ばれるそうです

きぬがやあきら
恋愛
「聖女になれなかったなりそこない。こんなところまで追って来るとはな。そんなに俺を忘れられないなら、一度くらい抱いてやろうか?」 5歳のオリヴィエは、神殿で出会ったアルディアの皇太子、ルーカスと恋に落ちた。アルディア王国では、皇太子が代々聖女を妻に迎える慣わしだ。しかし、13歳の選別式を迎えたオリヴィエは、聖女を落選してしまった。 その上盲目の知恵者オルガノに、若くして命を落とすと予言されたオリヴィエは、せめてルーカスの傍にいたいと、ルーカスが団長を務める聖騎士への道へと足を踏み入れる。しかし、やっとの思いで再開したルーカスは、昔の約束を忘れてしまったのではと錯覚するほど冷たい対応で――?

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

【完結】身を引いたつもりが逆効果でした

風見ゆうみ
恋愛
6年前に別れの言葉もなく、あたしの前から姿を消した彼と再会したのは、王子の婚約パレードの時だった。 一緒に遊んでいた頃には知らなかったけれど、彼は実は王子だったらしい。しかもあたしの親友と彼の弟も幼い頃に将来の約束をしていたようで・・・・・。 平民と王族ではつりあわない、そう思い、身を引こうとしたのだけど、なぜか逃してくれません! というか、婚約者にされそうです!

砕けた愛は、戻らない。

豆狸
恋愛
「殿下からお前に伝言がある。もう殿下のことを見るな、とのことだ」 なろう様でも公開中です。

記憶がないので離縁します。今更謝られても困りますからね。

せいめ
恋愛
 メイドにいじめられ、頭をぶつけた私は、前世の記憶を思い出す。前世では兄2人と取っ組み合いの喧嘩をするくらい気の強かった私が、メイドにいじめられているなんて…。どれ、やり返してやるか!まずは邸の使用人を教育しよう。その後は、顔も知らない旦那様と離婚して、平民として自由に生きていこう。  頭をぶつけて現世記憶を失ったけど、前世の記憶で逞しく生きて行く、侯爵夫人のお話。   ご都合主義です。誤字脱字お許しください。

「白い結婚最高!」と喜んでいたのに、花の香りを纏った美形旦那様がなぜか私を溺愛してくる【完結】

清澄 セイ
恋愛
フィリア・マグシフォンは子爵令嬢らしからぬのんびりやの自由人。自然の中でぐうたらすることと、美味しいものを食べることが大好きな恋を知らないお子様。 そんな彼女も18歳となり、強烈な母親に婚約相手を選べと毎日のようにせっつかれるが、選び方など分からない。 「どちらにしようかな、天の神様の言う通り。はい、決めた!」 こんな具合に決めた相手が、なんと偶然にもフィリアより先に結婚の申し込みをしてきたのだ。相手は王都から遠く離れた場所に膨大な領地を有する辺境伯の一人息子で、顔を合わせる前からフィリアに「これは白い結婚だ」と失礼な手紙を送りつけてくる癖者。 けれど、彼女にとってはこの上ない条件の相手だった。 「白い結婚?王都から離れた田舎?全部全部、最高だわ!」 夫となるオズベルトにはある秘密があり、それゆえ女性不信で態度も酷い。しかも彼は「結婚相手はサイコロで適当に決めただけ」と、面と向かってフィリアに言い放つが。 「まぁ、偶然!私も、そんな感じで選びました!」 彼女には、まったく通用しなかった。 「なぁ、フィリア。僕は君をもっと知りたいと……」 「好きなお肉の種類ですか?やっぱり牛でしょうか!」 「い、いや。そうではなく……」 呆気なくフィリアに初恋(?)をしてしまった拗らせ男は、鈍感な妻に不器用ながらも愛を伝えるが、彼女はそんなことは夢にも思わず。 ──旦那様が真実の愛を見つけたらさくっと離婚すればいい。それまでは田舎ライフをエンジョイするのよ! と、呑気に蟻の巣をつついて暮らしているのだった。 ※他サイトにも掲載中。

「お前を愛するつもりはない」な仮面の騎士様と結婚しました~でも白い結婚のはずなのに溺愛してきます!~

卯月ミント
恋愛
「お前を愛するつもりはない」 絵を描くのが趣味の侯爵令嬢ソールーナは、仮面の英雄騎士リュクレスと結婚した。 だが初夜で「お前を愛するつもりはない」なんて言われてしまい……。 ソールーナだって好きでもないのにした結婚である。二人はお互いカタチだけの夫婦となろう、とその夜は取り決めたのだが。 なのに「キスしないと出られない部屋」に閉じ込められて!? 「目を閉じてくれるか?」「えっ?」「仮面とるから……」 書き溜めがある内は、1日1~話更新します それ以降の更新は、ある程度書き溜めてからの投稿となります *仮面の俺様ナルシスト騎士×絵描き熱中令嬢の溺愛ラブコメです。 *ゆるふわ異世界ファンタジー設定です。 *コメディ強めです。 *hotランキング14位行きました!お読みいただき&お気に入り登録していただきまして、本当にありがとうございます!

処理中です...