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17話(終幕)-めでた し?
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休暇のあいだ、アルザードとともに寝た。いつかのように、勝手に寝台に入りこんでくるそれを、もはや拒む術がわからなかったのである。
私の肌にたつ鳥肌も、心を占める罵倒も、消えてなくなりはしないのに、同時に私のなかにこびりついたものが、理想の(前の生のわたしにとって都合の良い)姉弟の在り方みたいなのをこんこんと諭してくるのだから、どうにかなりそうだ。
いつもどおり、いろのない触れ合い。けども、アルザードのひとみは、以前よりもずっと強かった。
思えば、私はいちどだってアルザードを理解できた試しがない。アルザードが私に触れることに意味があるとは思えなかった。
「あいしてるんですよ、」
彼の言葉に、嘘はないのだろう。けども、あいしているからといって、私とのしあわせを模索したいわけではないらしいから、難儀だと思った。
キスが、ふって。
うけいれるか、うけいれないのかの逡巡。どちらを選んでも私は、現状の自分との乖離に苦しむのだけれど、アルザードが見たいのは、きっとそういうもので、どちらか片方に振り切った私は、たぶんこれの興味の対象にはなりえない。
これを不毛というのだろうし、悪趣味と呼ぶのだろう。
ヒロインに執着が向かうようにと望んでいながら、私は真実、この男をそれに奪われることを、恐れていたのだろうか、と考える。考えたところで正解なんて導き出せるはずもないのだろうなと気付いたら、そんな思考もすぐにほどけてしまった。私はきっと、愚鈍でいた方が、ずっと生きるのが楽になるのだろう。
アイリスに対して、悪いとも思っていない自分がいちばんおそろしい。
愛なんて言葉を、私はうそであっても吐けないし、今後も吐くことはない。ではこの感情は、前の生に植えつけられ、気付いたら自分のものとして抱えてしまっているような、まやかしのこれをなんと呼べばいいのか、私にはわからない。
外は満月だった。月光にかがやくこの男は、ぞっとするほどうつくしい。漆黒の髪が、やわい光までも吸収して、夜空をうつしたかのような瞳が、どろりと欲にまみれているのを見ると、嫌悪と同時に、胸の内が満たされる気すらした。
私の白い髪が、寝台に散った。
「アルザード」
私は、認めていた。胸の内に芽生えているものを。
この感情の正体が、かみさまの気まぐれのせいだったにせよ、それでも私のうちに芽生えたものなのだったら、おのれが責任取るべきなのだろうと思っている。
アルザードが、くちびるを寄せる。あまえた子猫みたいなそぶりだった。
「……私はたぶん、頭がおかしいの」
枕の下に手を差し入れて、それ、を探り当てる。
いつも隠し持っていたおまもり。とりで。あるいは、鎧。
鎧を剥がされたら、その先はひとつしかないと、少なくとも私はそう信じていた。いや、信じている。いまだって。
アルザードは、悟っているだろうか。なにもいわず、組み敷いた私を、見下ろしていた。
かつて私に殺されたいといった、あなたよ。たった数か月前のできごとが、もう幾年も昔のことのように思えた。
これを突き立てたのなら、私は解放される、そんな気がしたのだ。
(ほんとうに、頭がおかしい!)
さけぶのは、私か、わたしの残りかすか。どっちでもいい。
ナイフを、鞘から抜いて、いま!
「――ねえさま、」
アルザードは眉を寄せていた。呆れたような、いらだっているような……くちびるまで引き結んで、それをなんと表現すればいいのか、私には検討がつかなかった。
ぽたり、ぽたりと粘ついたしずくが落ちて、シーツを濡らす――驚いた。目を見開く私とは対称に、アルザードはゆるりとかぶりを振って、嘆いた。
「……僕に、どんな傷あとを遺して逝くつもりなのか……」
「……、おまえ、私のこころの内でも読めるの?」
「まあ、姉さまはわかりやすいですから……」
アルザードのてのひらから、一筋、二筋、赤黒いそれが流れている。……切っ先は、私のほうとも、アルザードのほうともつかぬ、互いの胸の間にあるというのに。刀身は平行で、どちらにも寄っていなかったのに、その矛先を、私が自分のほうに向けようとしているのだと、どうして気付くのだろうか。
アルザードは、刀身を、ためらいもなくつかんで、離さない。肉の感触がした。
「……はなして」
「僕に突き立ててくださると、誓える?」
「……」
「誓えないのなら、だめですよ。許すわけないじゃないですか。僕はあなたに死んでほしくなんてない」
「でも、私は。私の気持ちを明確にするには、こうするしかない……。頭のなかの私を、ころさなくては……」
血が。
どちらも離さないものだから、アルザードの血が、持ち手をつかむ私のてのひらにまで伝って、よごれてしまう。――嫌だ。
ころしてやりたいころしてやりたい、しんでしまえと毎夜のぞんでいたのに、こうして、かれが血を流す、それを目にするだけで、頭が白くなり、思考は散っていってしまう。
アルザードはたぶん、私のいっていることを十分の一も理解できていないだろう。だっていうのに、明瞭ではない私の発言に、いつもどおりの言葉を落とす。
「……僕を憎めずとも愛せず、そしてそのまま生きていくしかない、あなた。どうか、苦しんで生きてよ。この先、何十年も、永遠に。死にたくて死にたくてたまらないという顔を見せながら、生きて。僕のために」
「……きもちわるい……」
私は、柄を離した。敵わないと思った。胸の内を占めたのは、安堵だった。意趣返しをすることすらできないなんて、ほんとう、どこまでいってもわずらわしい。
アルザードのくちびるが、目元におちる。肉厚の舌が、なにかを掬う。
「ほら、姉さまのこれは、やはり甘露ですね」
そこでようやく、私は自分の目元から、しずくをこぼれさせていることをしった。
刀身に傷つけられて、痛まぬはずがないのに、かれは、わらっている。いとおしいと、雰囲気で、言葉の響きで、表情で、すべてで告げている。
私たちに流れる血が、私の頬を濡らす。くらがりのなか、アルザードは、私の頬にそれを塗りこめ、くちびるに紅をひいた。アルザードのそれが、口内に入りこむ。血潮が、私の身に入り、ああ、つまりこれがひとつになるということなのだろうか。
「姉さま、僕のこれは、性欲にまみれたものではない。あなたをそういう目で見たことは、いちどだってないんです。だってあなたはうつくしい。けがせない。……でも、けがしたい。いまは、とくに」
けがしたいという願望は、性欲ではないのか。性欲ではないのなら、なんだというのか。
私は、なにを言うべきなのか考えていた。この歪んでしまった男に、歪めてしまった子どもに、どうしたら私の想いがまっすぐに伝わるのだろうかと。
鉄の味が、口に広がる。
「うけいれてよ、姉さま。僕のためだけに、けがれてほしい」
「……おまえのため……?」
そういわれて、うなずく私なんだろうか。
我ながら、わからない。ナイフはいつの間にか取り払われ、床の下に投げ入れられていた。砦を奪い取られて、思考もまた、にぶくなる。
「……おまえのことが、きらい」
「ええ」
「嫌いなのよ……」
うそじゃないのよ、それは。
全部見透かしたようにうなずいて、私を囲う、それ。半分の血のつながりのある、おとうと。
いまだって、罵倒なんて浴びせようと思えば、いくらだって口にできる。触らないで。口付けなんてしないで。きらい。にくい。私を見つめないで。愛なんてささやかないで。
けれども、それらすべてが真実であると同時に、反対の意味が込められていると、そう悟っているこれに、いまさらそれを浴びせさせてなんになるというのか。
「嫌いでも、いいんですよ。ただ、うけいれてよ、姉さま」
「……是と言ったとして、おまえは、私の言葉を、信じれるというの」
どうでしょう、とかれはいった。言葉など、簡単にゆがめられますからね。
アルザードは、信用など必要ないといいたげだった。その時々でかわる価値観にゆだねて、なんになると。
けども私は信じられないのはごめんだったし、勝手に私の在り方を定められるのもいやだった。例えそれが的を射ていようとも、妄想であったとしてもだ。
私は、今後も永劫、変わらぬ意味を持つ言葉を、ささげたかった。
だったらそれは、いま、ふさわしい言葉は、この世でひとつしかないだろうと思った。
「……アルザード」
呼び慣れていない、どこか他人行儀にも聞こえてしまいそうなそれに、かれは、はい、とうなずいた。幼いころに見たそれよりもどんなにか無邪気で、そして、満足そうな笑顔だった。
私の肌にたつ鳥肌も、心を占める罵倒も、消えてなくなりはしないのに、同時に私のなかにこびりついたものが、理想の(前の生のわたしにとって都合の良い)姉弟の在り方みたいなのをこんこんと諭してくるのだから、どうにかなりそうだ。
いつもどおり、いろのない触れ合い。けども、アルザードのひとみは、以前よりもずっと強かった。
思えば、私はいちどだってアルザードを理解できた試しがない。アルザードが私に触れることに意味があるとは思えなかった。
「あいしてるんですよ、」
彼の言葉に、嘘はないのだろう。けども、あいしているからといって、私とのしあわせを模索したいわけではないらしいから、難儀だと思った。
キスが、ふって。
うけいれるか、うけいれないのかの逡巡。どちらを選んでも私は、現状の自分との乖離に苦しむのだけれど、アルザードが見たいのは、きっとそういうもので、どちらか片方に振り切った私は、たぶんこれの興味の対象にはなりえない。
これを不毛というのだろうし、悪趣味と呼ぶのだろう。
ヒロインに執着が向かうようにと望んでいながら、私は真実、この男をそれに奪われることを、恐れていたのだろうか、と考える。考えたところで正解なんて導き出せるはずもないのだろうなと気付いたら、そんな思考もすぐにほどけてしまった。私はきっと、愚鈍でいた方が、ずっと生きるのが楽になるのだろう。
アイリスに対して、悪いとも思っていない自分がいちばんおそろしい。
愛なんて言葉を、私はうそであっても吐けないし、今後も吐くことはない。ではこの感情は、前の生に植えつけられ、気付いたら自分のものとして抱えてしまっているような、まやかしのこれをなんと呼べばいいのか、私にはわからない。
外は満月だった。月光にかがやくこの男は、ぞっとするほどうつくしい。漆黒の髪が、やわい光までも吸収して、夜空をうつしたかのような瞳が、どろりと欲にまみれているのを見ると、嫌悪と同時に、胸の内が満たされる気すらした。
私の白い髪が、寝台に散った。
「アルザード」
私は、認めていた。胸の内に芽生えているものを。
この感情の正体が、かみさまの気まぐれのせいだったにせよ、それでも私のうちに芽生えたものなのだったら、おのれが責任取るべきなのだろうと思っている。
アルザードが、くちびるを寄せる。あまえた子猫みたいなそぶりだった。
「……私はたぶん、頭がおかしいの」
枕の下に手を差し入れて、それ、を探り当てる。
いつも隠し持っていたおまもり。とりで。あるいは、鎧。
鎧を剥がされたら、その先はひとつしかないと、少なくとも私はそう信じていた。いや、信じている。いまだって。
アルザードは、悟っているだろうか。なにもいわず、組み敷いた私を、見下ろしていた。
かつて私に殺されたいといった、あなたよ。たった数か月前のできごとが、もう幾年も昔のことのように思えた。
これを突き立てたのなら、私は解放される、そんな気がしたのだ。
(ほんとうに、頭がおかしい!)
さけぶのは、私か、わたしの残りかすか。どっちでもいい。
ナイフを、鞘から抜いて、いま!
「――ねえさま、」
アルザードは眉を寄せていた。呆れたような、いらだっているような……くちびるまで引き結んで、それをなんと表現すればいいのか、私には検討がつかなかった。
ぽたり、ぽたりと粘ついたしずくが落ちて、シーツを濡らす――驚いた。目を見開く私とは対称に、アルザードはゆるりとかぶりを振って、嘆いた。
「……僕に、どんな傷あとを遺して逝くつもりなのか……」
「……、おまえ、私のこころの内でも読めるの?」
「まあ、姉さまはわかりやすいですから……」
アルザードのてのひらから、一筋、二筋、赤黒いそれが流れている。……切っ先は、私のほうとも、アルザードのほうともつかぬ、互いの胸の間にあるというのに。刀身は平行で、どちらにも寄っていなかったのに、その矛先を、私が自分のほうに向けようとしているのだと、どうして気付くのだろうか。
アルザードは、刀身を、ためらいもなくつかんで、離さない。肉の感触がした。
「……はなして」
「僕に突き立ててくださると、誓える?」
「……」
「誓えないのなら、だめですよ。許すわけないじゃないですか。僕はあなたに死んでほしくなんてない」
「でも、私は。私の気持ちを明確にするには、こうするしかない……。頭のなかの私を、ころさなくては……」
血が。
どちらも離さないものだから、アルザードの血が、持ち手をつかむ私のてのひらにまで伝って、よごれてしまう。――嫌だ。
ころしてやりたいころしてやりたい、しんでしまえと毎夜のぞんでいたのに、こうして、かれが血を流す、それを目にするだけで、頭が白くなり、思考は散っていってしまう。
アルザードはたぶん、私のいっていることを十分の一も理解できていないだろう。だっていうのに、明瞭ではない私の発言に、いつもどおりの言葉を落とす。
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「……きもちわるい……」
私は、柄を離した。敵わないと思った。胸の内を占めたのは、安堵だった。意趣返しをすることすらできないなんて、ほんとう、どこまでいってもわずらわしい。
アルザードのくちびるが、目元におちる。肉厚の舌が、なにかを掬う。
「ほら、姉さまのこれは、やはり甘露ですね」
そこでようやく、私は自分の目元から、しずくをこぼれさせていることをしった。
刀身に傷つけられて、痛まぬはずがないのに、かれは、わらっている。いとおしいと、雰囲気で、言葉の響きで、表情で、すべてで告げている。
私たちに流れる血が、私の頬を濡らす。くらがりのなか、アルザードは、私の頬にそれを塗りこめ、くちびるに紅をひいた。アルザードのそれが、口内に入りこむ。血潮が、私の身に入り、ああ、つまりこれがひとつになるということなのだろうか。
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私は、なにを言うべきなのか考えていた。この歪んでしまった男に、歪めてしまった子どもに、どうしたら私の想いがまっすぐに伝わるのだろうかと。
鉄の味が、口に広がる。
「うけいれてよ、姉さま。僕のためだけに、けがれてほしい」
「……おまえのため……?」
そういわれて、うなずく私なんだろうか。
我ながら、わからない。ナイフはいつの間にか取り払われ、床の下に投げ入れられていた。砦を奪い取られて、思考もまた、にぶくなる。
「……おまえのことが、きらい」
「ええ」
「嫌いなのよ……」
うそじゃないのよ、それは。
全部見透かしたようにうなずいて、私を囲う、それ。半分の血のつながりのある、おとうと。
いまだって、罵倒なんて浴びせようと思えば、いくらだって口にできる。触らないで。口付けなんてしないで。きらい。にくい。私を見つめないで。愛なんてささやかないで。
けれども、それらすべてが真実であると同時に、反対の意味が込められていると、そう悟っているこれに、いまさらそれを浴びせさせてなんになるというのか。
「嫌いでも、いいんですよ。ただ、うけいれてよ、姉さま」
「……是と言ったとして、おまえは、私の言葉を、信じれるというの」
どうでしょう、とかれはいった。言葉など、簡単にゆがめられますからね。
アルザードは、信用など必要ないといいたげだった。その時々でかわる価値観にゆだねて、なんになると。
けども私は信じられないのはごめんだったし、勝手に私の在り方を定められるのもいやだった。例えそれが的を射ていようとも、妄想であったとしてもだ。
私は、今後も永劫、変わらぬ意味を持つ言葉を、ささげたかった。
だったらそれは、いま、ふさわしい言葉は、この世でひとつしかないだろうと思った。
「……アルザード」
呼び慣れていない、どこか他人行儀にも聞こえてしまいそうなそれに、かれは、はい、とうなずいた。幼いころに見たそれよりもどんなにか無邪気で、そして、満足そうな笑顔だった。
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