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第三話 焼輪、傷紅、そして翡翠

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 昨日の出来事は僕の人生の中でもだいぶ上位に来るくらい最悪なことだったのだが、どうにもその認識を改めなくてはないらないらしい。あんなのは所詮事故でしかなく、双方に罪などなかったのだから僕は大きな心で彼女のその後の態度を許すべきだと考え直したのだ。
 これは決して自暴自棄になったわけではなく、ましてや正気を失ったわけでもない。
 ただ現実逃避をしているだけである。

「ちょっとそこ通りたいんだけど、邪魔しないでよ」
「ああ? だったら這いつくばって懇願しろや」

 一夜明け心機一転、現状にへこたれず今日も頑張っていこうと寮から出てきた僕は教室棟に続く道の途中で二人の男女が僕が何か言い争っている場面に遭遇してしまったのである。
 どうにも穏やかでない様子の二人は周りに威圧感を放ち、多くの生徒たちは足を止め事の成り行きを見守っている。

「……はぁ? 何あんた、やる気?」

 傲慢な態度で立ちはだかる男子生徒にしびれを切らしたのか、冷気でも漂ってきそうな彼女の発言にざわつく観衆。焦りを滲ませる彼らの会話が漏れ聞こえてくる内に僕もだんだんとこの状況の面倒臭さを理解していく。

(なるほど……あの男の方、貴族か)

 ざわめきから拾った彼の名はガルドロフ=バーンリングス、バーンリングス子爵家の三男坊とのこと。よく見れば制服の襟の所に貴族を示す釦が取り付けられている。
 なるほどなぁ、だから誰も手出しをしようとしなかったのか。
 しかし貴族……師匠に聞いた話じゃ魔物との戦いが始まった頃の英雄の子孫ということらしいが、彼を見る限りそんな大層な血筋とはとても思えない。前に見た貴族ってもっとこう、気品に溢れてるという感じだったんだが、こいつはそこらへんのチンピラのように見えてくる。
 というかそれに喧嘩売られてる彼女は一体……何してこんなことになってるんだ?

「やる気? んなことおめぇが言えることかこの卑怯者が。あの時のこと忘れたとは言わせねぇ……!!」
「入学時の手合わせのことを何時までも……ほんと成長しない奴ね」
「なんだとぉっ……!!」

 呆れたような彼女の言葉に顔を赤くさせ強い憤りを見せるガルドロフ、その感情に呼応するように彼の体から赤いものが揺らめいて立ち上る。これには僕も含め周りの生徒全員が泡を食ったように急いで距離を取りはじめる。ちょ、まずいぞこれ。

「あら、魔力の制御が甘いんじゃない? こんなところでそんなに垂れ流すなんて流石は貴族様ってところかしら」
「……もう我慢ならねぇ、今度こそ焼き潰すっ……!!」

 そしてやめたらいいのに更なる煽りをやった結果、ガルドロフの忍耐は遂に限界を迎え――

「――そこまで」
「――ッ!?」

 そして魔法が発動する、いうところで。
 突如地面から現れた鎖が勢いよく掲げられた彼の腕を体ごとに拘束し、この暴挙を強制的に止めてみせたのだった。

「っ……いつの間に!」

 前置きもなくいきなり現れた人物に驚きを隠せない二人、ガルドロフに至っては発動しようとした魔法も霧散してしまっている。逆に自分達に被害が及ぶかもと恐れて逃げようとしていた生徒たちはそうならなかったことで落ち着きを取り戻していた。
 そして彼らは二人のいさかいを食い止めた女性に対して先ほどとは比べ物にならないほどざわつき始める。何故なら彼女はこの学園においてかなりの有名人だったからだ。

「朝のこの時間からおいたとはいけない生徒ですね、ガルドロフ君? 君がこんなことを仕出かしたことで皆の学びの時間を奪うことになっている、そのことを理解できていますか?」
「マリアネッタ=ジェイド……ッ!? 何であんたがここにっ!?」

 ガチガチに動きを止められたガルドロフが驚愕し名前と共に口にした名前――それはこの学園において有名すぎる名前である。何せこの戦闘系魔法士たちが日々鎬を削り合う学園で教鞭を執る教師たち、その中でかつてこの学園にて最年少で国家公認魔法士の資格を獲得し他にも数々の逸話を残した存在。
 今だ二十代という若さでありながら天才魔法士の名を欲しいままにする、まさに伝説の超絶教師なのだ。
 そんな凄すぎる人の登場に生徒たちが羨望の眼差しを送る中、彼女はその髪色に似た翡翠のような瞳をこの騒動を起こした二人へと向けている。

「さて、どうしてこんなことになったのか説明してもらいたいところだけどこれ以上生徒たちを授業に遅れさせる訳にはいかないわね。
 君たちっ! このは私が責任を持って連れていくから、安心して授業を受けに行ってちょうだい!」

 凛とした声が辺りに響き、それに促されるようにして集まっていた生徒が教室棟へと流れていく。肝を冷やした朝の珍事だったがこれで一件落着と、安心した僕もこの人の波に飲まれるようにして入り口を目指し、

「あ、あんた昨日の」
「へ?」

 ――歩き出そう、としたところで全く予想していない方向から何故か聞き覚えのある声が耳に届いた。思わずその声に反応してしまったのは自分でも分からない。しかし結果として足を止めてしまった僕は波に取り残され。
 しかも、

「げっ」
「ちょっと、げっとはなによげっ、とは」

 そうして呼び止めてきたその相手は先ほどまで貴族の坊っちゃんとバチバチしていた女子生徒のほうだったのだから僕のこの反応も仕方がないことだろう。
 だがなんだろう、最近こんな感じのやり取りをしたような気が……。

「あのー、どこかでお会いしましたかね。生憎呼び止められるような事に覚えがないんですけど」
「はぁ!? 昨日あんな目にあったくせに覚えてないってあんた頭大丈夫?」
「いやすっごい辛辣」

 嘘だろこいつ、ほとんど何も知らないような奴に向かってこんな普通こんなこと言うか?というか昨日昨日ってなに言ってん……ん?
 そう言われて彼女のことを良く見てみれば、何となく見たことのあるような気がしてくる。
 具体的には彼女のその燃えるような赤髪にだ。意思の強そうな紅玉の瞳もさることながら、陽の光を反射して輝くこれは近付くで見ることでより一層目を引き付けられる。
 ガルドロフの焦げたようなそれとは違い、まるで鮮やかな炎そのもののような長髪は一度見れば忘れられないほど印象的だ。
 だというのに何故僕は彼女に見覚えがないのか、そう考えたところでふと見覚えはなくとも聞き覚えはあるかもしれないと記憶が語り掛けてくる。

「まさか……」

 できれば違っていて欲しい。
 そんな思いで眼鏡を外してぼやけた視界で彼女を見るが、そんな僕の願いなどまるで嘲笑うようにその像は記憶の中のそれに合致していく。
 ため息を吐きながら眼鏡を掛け直すと目の前で得意気な表情をしている彼女の顔が鮮明になった視界に映し出されている。

「……君か、昨日の」
「そうよ、やっと思い出した眼鏡君」

 頭の痛くなってきた僕とは違い、あのときのことを何とも思っていない態度の彼女は腰に手を当てて自信満々に言うのだった。

「私はレイシア=スカーレッド。
 やがて世界最強になる魔法士と記憶の一番上に刻んでおきなさい」

 大言壮語を恥ずかしげもなく言い切る胆力に、歓心するよりも先に面倒な奴と面識ができてしまったことへの精神的重圧が勝ってしまう。

「……どうもご丁寧に、僕はネルスと言います。名字はないのでただのネルスと覚えてください」

 思いもよらず出来てしまったこの悪縁が僕にどう影響するのか、それだけがただ心配だった。
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