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番外編2

宿の部屋で(ナルセ)

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 夕暮れの中、エメさんの甥っ子がやっているという宿を訪ねた。
 あいにく本人は不在だったが、エメさんから話が伝わっていたようで、すでに部屋の用意がされていた。
「今日は貸切なので、おくつろぎいただけると思いますよ」
 目尻のシワが優しい印象の女性従業員に先導され、施設の説明を受ける。
 石造りの平屋は円形をしていて、中央の庭を取り囲むように客室が並ぶ。建物はもちろんインテリアにもこだわりが光り、独特の雰囲気があった。
 普段通りだったら思わぬ旅行気分にはしゃいだかもしれないが、もうくたくただった。今日はいろんなことがあり過ぎた。本当はすぐにでも家に帰りたいが、エメさんの清算も済んでいないので無理な話だ。
 貸切の家族風呂があるというので予約し、部屋で待つことにした。
 案内されたのは大きなベッドが一つあるだけのシンプルな部屋で、身の置き場に困る。
 実はアビカトと別れて以来、ずっとロルガと目を合わせていなかった。もちろん言葉も最低限しか交わしていない。
 夢中だったとはいえ、他人に向かって大きな声をあげてまくしたてるなんて、自分らしくない行動をした。
 時間の経過と共に冷静になり、不安が押し寄せてくる。あの時の自分を見てロルガはどう思ったのか。気になるが、知りたくない。ロルガから記憶を消してしまいたいとさえ思っている。あんなことしなければ良かったんじゃないか、と考えていた。
 どんな顔でロルガと向き合えば良いかわからず、迷った末にロルガに背を向けベッドに座った。
「ナルシィ」
「なに?」
 返事をしたのにロルガは何も言わない。
 こんなことは珍しい。普段から目的もなく俺を呼ぶことはないし、ロルガは言葉をためらうこともない。気になってこっそり様子をうかがうと、ロルガは俺に背を向けてベッドの反対側に腰掛けていた。
 広い背中に続く首は太く、ずっと髪に覆われていたせいか、やけに白い耳が目を引いた。
 同じ部屋にいたって、離れているのは落ち着かない。そっとベッドの上に乗り、広い背中に顔を埋めた。
「ルル、なに?」
 一日歩き回ったせいでロルガの香りが濃い。目を閉じ呼吸を繰り返すと家に帰ったような気分になる。
「来るな。見るな。お前はそう言ったが、そればっかりは約束できないぞ」
 床屋でのことを思い出していたのか、静かな声でロルガは言った。
 何でもないふりをしているが、きっとロルガは感情を隠している。それがどうしようもなく悲しかった。
 布越しの体温では我慢できず、膝立ちになって首筋に頬を寄せる。
「ごめんね、ルル」
 言葉にした後で、伝えたいのはこれじゃないと気がつく。勇気が欲しくて、日に焼けた首筋に唇を押し当てた。
「俺、ルルじゃなきゃダメだから、あんまりかっこ良くならないでね。……好きだよ、ルル」
 ロルガの腕が背中に周り、俺の腕を掴むと自分の体に巻き付けるように這わせた。分厚い体を抱きしめるには俺の腕は足りないが、体を強く背中に押し付け隙間をなくす。
「俺だって、お前じゃなきゃダメだ。ナルシィ。それなのにお前は誰にでも可愛い顔を見せる」
「……いや、それはないよ。この髪型だし」
 そもそもおかっぱ頭にならなければ、床屋を飛び出すこともなかったし、アビカトとベンチで話すこともなかった。床屋に行きたいなんて言わなきゃよかった、とそんなことまで後悔を始める。
「前髪が短くなって輝く丸い目がよく見えるようになったし、耳のすぐ下で揃えた毛先が揺れると目で追ってしまう。なによりうなじがあらわになったことがどうしようもなく扇情的だ。なぜ早く床屋へ連れて行かなかったのかと悔やんだが、不揃いな毛先から瞳が見え隠れするのも良かったと思うと複雑だ——」
 早口でたくさんしゃべるロルガは珍しい。やっぱりアパクランの民なのだなぁと感心するが、本当はそれどころじゃない。とにかく言っている内容が恥ずかしくてむずむずする。
「ルル、熱ある?」
「お前に対してはずっとのぼせ上がっている」
「……なんかおかしいよ」
「あぁ。自覚はある。さっきお前が言った熱烈な言葉に舞い上がってる。必死に抑えているが上手くいかないな」
 ロルガがいつものようにククッと喉を鳴らす音が、へばりついた背中を通して俺の全身に響いた。
 ロルガがおかしいのなら、俺も一緒におかしくなって、らしくないことでも言ってみようかという気になる。
「ルルが来る前に二人で話してて、どれだけルルが好きかって聞かされたんだけど、他の人みたいだった。確かに堂々として、風格があって、瞳の色がきれいでってわかるんだけど、俺の好きなルルはそういうんじゃないんだよな」
「どういうのだ? 聞いてみたいものだ」
「怒らないと約束するならいいよ」
「約束する」
 ロルガの柔らかい声から伝わる振動は気持ち良く、ずっとこのまま話していたくなる。
「食いしん坊で、独り占めしたがって、わがままで、思い通りにならないと不機嫌になって邪魔してくる」
「悪口か」
「まだまだ、最後まで聞いて」
 少し拗ねた声が可愛くて笑ってしまう。
「でも、俺のことが好きだからそうなっちゃうんでしょ。良いところだけじゃなくて全部見せてくれるルルが好きだよ。もちろん優しいところも、カッコ良いところも好き」
「そうか」
「今日はね……髪切ったのがカッコ良すぎてドキドキした。それなのに俺はこんな髪型だし。それで、見てられなくて、来ないで、見ないでって言った。説明しないで逃げてごめん、ね」
 今日の清算がやっと済んだ気がした。ホッと力を抜いた途端、振り返ったロルガにベッドの上へ転がされた。
「俺はお前の新しい髪型を気に入っている」
「なら、いいんだけど…………ルルのもかっこいい」
「じゃあ、じっくり見てもらわないとな」
 俺の頬を両手で包み込むと顔を近づけた。いつもだったらそのままキスをするのに、今日はじっと見つめられるだけだ。
 広い額とアゴのラインがあらわになったロルガは野生的な魅力が強くなる。それなのに俺を映す緑の瞳はどうしようもなく甘く、優しい。
「これ以上は多分、死ぬ……」
 そう言ったときには、もう心臓の音しか聞こえないほどうるさくて、全身が熱を持っていた。
「それは困るな。どうしたらいい?」
 いつもだったらロルガの手を払い、逃げ出していたかもしれない。だけど、どうしても欲しかった。
「……キスして」
 次の瞬間には唇を強く吸われていた。甘い刺激にうめいた隙に熱い舌が侵入し、すっかり感じやすくなった粘膜を刺激された。頬をなでる指が時折耳をかすめ、体の熱が高まっていく。
 もっと近くに、もっと強くロルガを感じたくて、両手で頭を抱え込んだ。俺よりずっと立派な骨格に触れ、短くなった髪をつかむ。ロルガを真似て耳に触れると、熱い吐息が口の中に吹き込まれた。
 互いの興奮が長い夜を始めようとしていたが、扉をノックする音が響く。
「ご予約いただいた浴室の準備が整いましたのでどうぞ!」
「……わかった」
 足音が完全に聞こえなくなるまで、なんとなく息を潜めていた。どちらからともなく共犯者の微笑みを交わし、体を起こす。
「お風呂行こう」
「そうだな」
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