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番外編2
村へ行く(ロルガ)
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村への到着が昼を過ぎた上に、早く歩けない自分にナルセは歯噛みする。
「今からでも遅くない。抱き上げてやるぞ?」
「お断りします」
丸い目が細く吊り上がる。俺をにらんで威嚇しているつもりだろうが、愛らしい猫にしか見えない。イテテ、と腰をさするのを手伝ってやると、へたり込みそうになったのでもうひと押しかと思ったが、眉が下がり弱々しく首を横に振ったので大人しく引き下がった。
家のある森を抜け、村へと続く道へ出るまでは人目がないからと抱えていたのを下ろさなければよかった。
「エメさん、お腹空かせているかな」
「なぜそうなる?」
「俺の作るパンを食べてみたいって言われたから、今日持っていく約束してたんだ。お昼に食べるって言ってたから——」
「聞いてない」
不機嫌な声で遮ると、ナルセはしまったという顔をする。
生地をこねるのは重労働だからと、最近は俺がパン作りを担当していたが、今朝は珍しくナルセが作った。俺が作るのより柔らかい仕上がりに前の暮らしを思い出し、浮き足立っていた気持ちがささくれ立つ。
「なぜ、あの爺に食わせてやらねばならんのか。お前の作るものは俺のものだ」
「それなら、“狂い豆”も食べなよ」
「う……」
ナルセが作るものは何でも美味しいと思うが、唯一豆を甘く煮たものだけが受け付けない。以前いた世界では普通らしいが、無理だ。少なくともアパクランでは豆は塩味で茹でるか、炒ってスパイスで香ばしく仕上げるのが定番だ。デザートにはならない。
ナルセが時間をかけて豆を柔らかく茹で、大量の砂糖を投入するのを見たときは思わず
「狂ってる」
と言ってしまった。案の定ナルセは怒り、「いいから、おいしいから騙されたと思って食べてみて!」と俺の口に出来上がった豆を突っ込んだ。
よほど自信があったのだろう。俺の眉間のシワが濃くなってもその意味を理解しないままだった。
「ね、おいしいでしょ」
「いや……騙された」
「うそだぁ。もう一口食べなよ」
「断る」
普段、ナルセが無理強いすることはないし、間違えたらすぐに謝る。しかし、このときはなぜか俺にもっと豆を食べさせようとした。
豆が甘いという狂った料理であると同時にナルセがおかしくなってしまうので、“狂い豆”と俺が勝手に名付けた。それをナルセは不名誉だ、と不満に思っている。
「もう持ってきたのだから今回のことはいいが、狂い豆を爺にやるなよ? 驚いて死ぬぞ。いや、それでいいか……」
「良くないって! エメさんにも豆にも失礼すぎる。俺、怒ったからな!」
ピシャリと言い放つとナルセは頬をふくらませ、態度でも怒っていますと表しながら俺の前を歩いた。
機嫌の悪いナルセは辛辣になるし、扱いが難しい。いつもの、のんびり朗らかなナルセしか知らない爺が戸惑うと思うといい気味だった。
「エメさん!」
「ナルル!」
「妙な名前で呼ぶな」
俺の言葉は無視され、ナルセと薬草屋のエメタオ爺は一ヶ月ぶりの再会を喜ぶ。うんざりしながら背負ってきた袋をおろし、店内の奥にある大人が寝られるほど大きなテーブルの上に中身を広げた。
「いつもありがとうございます。今日は大量ですね」
「あぁ、天候が良かったからな」
数ヶ月前に爺が雇った若い見習い、アビカトは手際よく薬草を確認しては伝票に記していく。爺はこちらをチラリとも確認しないで、ナルセにべらべらと何かをまくし立てていた。
「すみませんね。大切な方でしょうに、耄碌の相手をさせてしまって」
雇い主を声も潜めず耄碌と言うとは。二十歳になったかどうかの若者は意外と食えないやつなのかもしれない。
アビカトは長い薄茶の髪が落ちないように自分の頭を布で包むと、薄紙を開き薬草を秤に乗せた。メモリを読む目は茶だと思っていたが、良く見るとエメラルドグリーンが点々と散っていることに気がつく。王都を離れると珍しい色彩だ。
「大切? 足りないな。俺の唯一だ」
「それはすごい」
興味のなさそうな声だったが、作業が落ち着くと顔をあげて俺を見た。
「じゃあ、あなたは彼の唯一?」
「……ッ」
言葉に詰まった俺を見てわずかに目を細めた。狡猾な老猫を思わせる目に俺は不快感を覚えるが、アビカトは素知らぬ顔で声を張りあげる。
「今日は木札がないのですねー?」
爺の相手をしていたが、ナルセはこちらを見ていた。
「あ、うん……ちょっと時間がなくてね。書き終える前に寝ちゃったんだ」
「なんと、珍しい。その割には寝不足に見えるが……? さては単調な手習いに飽きたか。それならワシと手紙の交換でもしようじゃ——」
「だめだ」
ナルセの代わりにろくでもない提案をはねのけるが、爺は聞こえないふりをする。都合の良いときだけ遠くなる地獄耳は厄介だ。
「難しいことは書かなくて良いのでな。何を食べた。どんな夢を見た。ナルルの楽しいと思ったことを書いてくれれば良い。それだけでじじいの生きる希望になる」
「う、ん。そのうち、ね……」
ナルセが頷かなかったことに満足し、俺は立ち上がる。
「ゆっくり計算しておいてくれ。明日の朝にまたくる」
「ほ、珍しい。泊まるのかいね」
「爺の甥っ子の宿に泊まってやるから、せいぜい色をつけるんだな」
「はぁ? なんか言ったかいの? ナルル、うちは部屋が空いとるで——」
爺のことは無視して、アビカトに後は頼んだと視線で釘を指す。ナルセの腹の虫が小さく鳴いたおかげで緊張がゆるみ、それ以上の言い争いはせずに店をあとにした。
「今からでも遅くない。抱き上げてやるぞ?」
「お断りします」
丸い目が細く吊り上がる。俺をにらんで威嚇しているつもりだろうが、愛らしい猫にしか見えない。イテテ、と腰をさするのを手伝ってやると、へたり込みそうになったのでもうひと押しかと思ったが、眉が下がり弱々しく首を横に振ったので大人しく引き下がった。
家のある森を抜け、村へと続く道へ出るまでは人目がないからと抱えていたのを下ろさなければよかった。
「エメさん、お腹空かせているかな」
「なぜそうなる?」
「俺の作るパンを食べてみたいって言われたから、今日持っていく約束してたんだ。お昼に食べるって言ってたから——」
「聞いてない」
不機嫌な声で遮ると、ナルセはしまったという顔をする。
生地をこねるのは重労働だからと、最近は俺がパン作りを担当していたが、今朝は珍しくナルセが作った。俺が作るのより柔らかい仕上がりに前の暮らしを思い出し、浮き足立っていた気持ちがささくれ立つ。
「なぜ、あの爺に食わせてやらねばならんのか。お前の作るものは俺のものだ」
「それなら、“狂い豆”も食べなよ」
「う……」
ナルセが作るものは何でも美味しいと思うが、唯一豆を甘く煮たものだけが受け付けない。以前いた世界では普通らしいが、無理だ。少なくともアパクランでは豆は塩味で茹でるか、炒ってスパイスで香ばしく仕上げるのが定番だ。デザートにはならない。
ナルセが時間をかけて豆を柔らかく茹で、大量の砂糖を投入するのを見たときは思わず
「狂ってる」
と言ってしまった。案の定ナルセは怒り、「いいから、おいしいから騙されたと思って食べてみて!」と俺の口に出来上がった豆を突っ込んだ。
よほど自信があったのだろう。俺の眉間のシワが濃くなってもその意味を理解しないままだった。
「ね、おいしいでしょ」
「いや……騙された」
「うそだぁ。もう一口食べなよ」
「断る」
普段、ナルセが無理強いすることはないし、間違えたらすぐに謝る。しかし、このときはなぜか俺にもっと豆を食べさせようとした。
豆が甘いという狂った料理であると同時にナルセがおかしくなってしまうので、“狂い豆”と俺が勝手に名付けた。それをナルセは不名誉だ、と不満に思っている。
「もう持ってきたのだから今回のことはいいが、狂い豆を爺にやるなよ? 驚いて死ぬぞ。いや、それでいいか……」
「良くないって! エメさんにも豆にも失礼すぎる。俺、怒ったからな!」
ピシャリと言い放つとナルセは頬をふくらませ、態度でも怒っていますと表しながら俺の前を歩いた。
機嫌の悪いナルセは辛辣になるし、扱いが難しい。いつもの、のんびり朗らかなナルセしか知らない爺が戸惑うと思うといい気味だった。
「エメさん!」
「ナルル!」
「妙な名前で呼ぶな」
俺の言葉は無視され、ナルセと薬草屋のエメタオ爺は一ヶ月ぶりの再会を喜ぶ。うんざりしながら背負ってきた袋をおろし、店内の奥にある大人が寝られるほど大きなテーブルの上に中身を広げた。
「いつもありがとうございます。今日は大量ですね」
「あぁ、天候が良かったからな」
数ヶ月前に爺が雇った若い見習い、アビカトは手際よく薬草を確認しては伝票に記していく。爺はこちらをチラリとも確認しないで、ナルセにべらべらと何かをまくし立てていた。
「すみませんね。大切な方でしょうに、耄碌の相手をさせてしまって」
雇い主を声も潜めず耄碌と言うとは。二十歳になったかどうかの若者は意外と食えないやつなのかもしれない。
アビカトは長い薄茶の髪が落ちないように自分の頭を布で包むと、薄紙を開き薬草を秤に乗せた。メモリを読む目は茶だと思っていたが、良く見るとエメラルドグリーンが点々と散っていることに気がつく。王都を離れると珍しい色彩だ。
「大切? 足りないな。俺の唯一だ」
「それはすごい」
興味のなさそうな声だったが、作業が落ち着くと顔をあげて俺を見た。
「じゃあ、あなたは彼の唯一?」
「……ッ」
言葉に詰まった俺を見てわずかに目を細めた。狡猾な老猫を思わせる目に俺は不快感を覚えるが、アビカトは素知らぬ顔で声を張りあげる。
「今日は木札がないのですねー?」
爺の相手をしていたが、ナルセはこちらを見ていた。
「あ、うん……ちょっと時間がなくてね。書き終える前に寝ちゃったんだ」
「なんと、珍しい。その割には寝不足に見えるが……? さては単調な手習いに飽きたか。それならワシと手紙の交換でもしようじゃ——」
「だめだ」
ナルセの代わりにろくでもない提案をはねのけるが、爺は聞こえないふりをする。都合の良いときだけ遠くなる地獄耳は厄介だ。
「難しいことは書かなくて良いのでな。何を食べた。どんな夢を見た。ナルルの楽しいと思ったことを書いてくれれば良い。それだけでじじいの生きる希望になる」
「う、ん。そのうち、ね……」
ナルセが頷かなかったことに満足し、俺は立ち上がる。
「ゆっくり計算しておいてくれ。明日の朝にまたくる」
「ほ、珍しい。泊まるのかいね」
「爺の甥っ子の宿に泊まってやるから、せいぜい色をつけるんだな」
「はぁ? なんか言ったかいの? ナルル、うちは部屋が空いとるで——」
爺のことは無視して、アビカトに後は頼んだと視線で釘を指す。ナルセの腹の虫が小さく鳴いたおかげで緊張がゆるみ、それ以上の言い争いはせずに店をあとにした。
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