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旅が終わったら、新しい生活が始まる

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 どんなに旅慣れても、やっぱり俺は食べすぎるし、筋肉痛になるし(色んな意味で)、やっぱり騙されそうになるけど、ふたりの旅は楽しい。ふたりだから、楽しい。
 それでも終わりはやってくる。

「イフュムスがしたい」
 アパクランの民であるロルガより先に俺が音をあげた。それは俺にとってはもちろん、ロルガにとっても意外なことだったらしい。そして、どうしようもなく嬉しかった、と家が完成し、初めてのイフュムスの終わりに告げられた。

 いろんな街を見たが、結局俺たちが選んだのは、街道沿いの街でも、田舎の集落でもない。あの熊と人だった暮らしをしたような人里離れた森の中だった。アパクランでは一般的な石造りの家ではない木の家を建て、俺のリクエストで浴槽のある風呂場がある。そして、もちろん燻製小屋もある。薪もたっぷりと。
 薬草採集を生業にしている。熊だった時の経験を活かしてロルガが薬草を見つけ、二人で採りに行き、加工して街の薬師へ卸している。
 あるとき、いつものように薬草を売りにいくと面白い話を聞いた。近頃、胃腸に効く薬湯で栄えている村があるのだという。その薬湯の袋には熊と猟師が手をつなぐ絵が描いてあるらしい。
 商売敵に当たるから、と気をつかって薬師は詳しいことは語らなかったが、もちろん俺たちにはすぐクォジャさん、トピアクさんの顔が浮かんだ。
「だから、面倒なことになると言ったんだ」
 ロルガは俺をにらんだが、もちろん冗談だ。
 熊の絵をトレードマークにすることは俺たちも考えたがやめた。それよりもっと俺たちらしいものがあったからだ。

 新しい家に越してすぐに、俺はアパクラン語の読み書きを習い始めた。
 ずっと隠していた文字が読めないことは、あの手配書をめぐる騒動のときに打ち明けた。きっとロルガはもっと早くに気がついていたのだろう。「そうか」と言っただけだった。いつも通りの反応に、俺はホッとした。どうも、ロルガの「そうか」には俺を落ち着かせるこうかがあるらしい。
 ロルガは辛抱強い先生で、覚えの悪い俺を一度も怒ることなく、あれこれ工夫して文字を教えてくれた。燻製小屋の床に汗で文字を綴ったのは楽しい思い出だ。
 アパクラン語の文字を覚えると、どうなるか。そう、日本語を忘れてしまう。この頃には、元の世界のことを口にして眠り込むことはほとんどなかった。それだけ忘れてしまったということだ。
 全てを忘れる前に俺はふたりの名前を書き留めることにした。
 ルルとナルシィ。
 たったそれだけ思い出すのに何時間もかかった。書き終えると俺は力尽き、そのまま数日眠り込んでいたらしい
 そして、目が覚めた時にロルガが教えてくれた。
「これ、同じだな」
 言われるまで、ちっとも気が付かなかった。
 そのときにロルガが書いた初めての『ル』が、俺たちの薬草屋のトレードマークになったが、街の人たちは、左手の指で一を、右手の指で二をあらわしたマークだと思っているらしい。本当の意味を知っているのは、俺たちふたりだけだ。それが何とも言えず嬉しい。

 相変わらず俺はアパクランの早口についていけないが、希少な聞き上手として重宝されている。
 それでもいつかはアパクランの民らしく話したいので、女神の気まぐれを祈って今でも水をたっぷりと飲む。
 この家でもキッチンカウンターに置かれた水の壺は深緑色だ。ロルガは自分は父親に嫌われていたと言うが、俺は疑っている。女神の力が宿る石を詰めた大切な壺が、ロルガの瞳と同じ緑色だったことが偶然だとは思わないから。

 今でもふたりで旅をする。日帰りでも、泊まりがけでも、必ず石を持ち帰る。よく洗って、それを水の壺の中に入れるのだ。あの初めての旅の最中、ロルガがカバンにしまっていた石も、もちろん入っている。
 ロルガにこの石の使い道を教えられたとき、俺は旅先で石を集めるのが、若いカップルばかりだったことを思い出した。
「もしかして、この石集めって新婚旅行のときにやるの?」
「そうだな」
「え、ロルガ、最初からしてたじゃん」
「最終的に夫婦になることはわかっていた」
「う、わぁ……」
 自信家だとは思っていたが、ここまでとは思わなかった。他の人の話だったらきっと引いてしまうが、ロルガの口から聞くと、そうだよなぁ、と素直に納得してしまう。

 営業に出かけたはずが異世界に着いた社畜の俺は、いまも変わらず熊みたいな男と仲良く眠る。

 日々、薬草集め。
 時々、石集め。
 薬草屋の夫婦は末長く幸せに暮らしましたとさ。
 めでたし、めでたし
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