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街で話しかけられたら、グゥと鳴る
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旅慣れない俺たちに無理は禁物だ。
普通の旅人が半日で移動する距離を一日かけて歩く、と決めていた。
街道沿いには転々と街があり、その間隔がちょうど半日で移動できる距離になっているらしい。ひとつ目の街で昼休憩をして、ふたつ目の街で宿泊するのが定番だが、俺たちは昼を大分過ぎてから、やっとひとつ目の街にたどり着いた。
「もう、一歩も動けない……」
目に入った木陰に座り込むと、ドッと疲れがあふれ出す。このまま横になって眠りたいほどだった。
「金を作って宿を決めてくるからそこにいろ。知らないやつについていくなよ」
「わかってるよッ」
完全な子ども扱いに顔をしかめ、俺はあさっての方向を向いたが、当のロルガは気にする気配もない。こちらに振り向きもせず、さっさと人混みに消える後ろ姿をにらむ。
俺にキスしたくせに。
恨み言のはずが恥ずかしくてたまらない。
唇に残る感触を消そうと手の甲でこすると、粘膜が生々しい音を立てた。
ちゅ、と唇が離れる瞬間に聞いた音が思い出される。
「うわぁ……」
やっと静まった心臓が再び暴れだす。休憩後からの道中はずっとこの繰り返しだった。
俺だけがおかしい。
ロルガは俺がパニックなのをいいことに、俺の分までパンを食べた上に「もう手はつながなくて良いのか?」と余裕の態度を見せるから腹立たしい。
火照り出した頬を落ち着かせようと手で叩いた。早くしないと、ロルガが帰ってきてしまう。
クォジャさんのところにも置いてきたあの胃腸に効く薬草が、俺たちの旅費になる。薬草を売って現金に変え、宿を予約するのに一体どれくらい時間がかかるかのだろう。
宿——同じ部屋に泊まるのかと思うと余計に頭に血が昇る。一緒に暮らしていたくせに。
「あああ!」
頭をかきむしるが、ちっとも熱は冷めない。
「ねぇ、ちょっと、おにいちゃん、大丈夫かい?」
しゃがれた女性の声に顔をあげると、腰の曲がった白髪の老婆が俺を見ていた。
「あ、はい。大丈夫です」
「そうかい? ずいぶん疲れた顔をしているからどうしたのかと思って。私じゃ何ができるわけでもないけど、このままのたれ死んだら後味が悪いじゃない? それにブンスフォーナが同じくらいの年だから気になってね。あ、孫よ。私はシャドリゥナーボというの」
初対面とは思えない明け透けな話しっぷりにクォジャさんとの出会いを思い出す。聞いているだけで時間が過ぎていくおしゃべりの相手は、余計なことを考えてしまうときには、ありがたい。
「いつもそこで焼き菓子を売ってるのよ。そろそろ帰ろうと思ったんだけど、おにいちゃんがすわりこんでるじゃない。もしかしてお腹すいてる? なら何か持ってきてあげようか? 遠慮しないでいいのよ。このまま一人で帰り道に倒れても困るし。お家の人と一緒に来てるのでしょ?」
しかし、話を聞いているうちに、誤解されていることに気がつく。
また、俺は子どもだと思われてるな?
「あの、しあどるなーぼさん」
「ちがうちがう、シャドリゥナーボ」
「しゃどるなーぼ?」
「ちがうわ、でも大丈夫。そのうち言えるようになるわ」
俺に向けられる慈しみにあふれた笑みが虚しい。一体、何歳だと思っているのだろうか。
「で、いくつ買うかい?」
「へ?」
ずい、と目の前に差し出されるカゴの中には甘い匂いをさせる小さなマフィンのようなものが入っている。
「1つで、3モノ。3つで10モノ。どうするかい?」
「モノ?」
「お金なしに、腹はふくらまないのさ」
親指と人差し指を丸くつなげてこちらに見せる。モノは通貨単位らしい。
ここまできて、やっと俺は押し売りに捕まったことに気がつく。しかし、目の前の焼き菓子はおいしそうだし、おしゃべりのせいで気が晴れた。
「あの、買っても良いけど、あいにくお金がなくて——」
「おい、そこをどけ」
威圧的な声がして、老婆の後ろにロルガが立っていた。
「ひぇ」
「ひぇ」
思わず老婆と同じ声をあげる。逆光で表情が見えない巨大な男に見下ろされたら、誰だって怖い。
「もう一度言う。どけ」
老婆はあっという間に走り去った。曲がっていたはずの腰はまっすぐに伸び、美しいフォームだった。
「もうちょっと優しく言ってもいいと思う」
「お前を騙そうとしてたんだぞ。あんなに小さい菓子、せいぜい1つ1モノにしかならん。しかも3つ買っても安くなるどころか高くなっていた」
「あー、そうだった? ぜんぜん気が付かなかった。おいしそうだったし」
昔、通販で同じように騙されたことがあった。どこに行っても悪い人間はいるものだと思い知る。自分はここでもカモか。
「ナルシィ、腹が減ってるのか?」
「ええ、とっても。誰かさんのせいで」
「じゃあ、先に飯を食いにいくか」
「…………」
嫌味ってものがわからない男は、にらみつけるしかない。眉間にシワを寄せ、思い切り見上げると、ロルガが同じ目線になるまでしゃがみこんだ。
「なんだ、じっと見つめて。寂しかったのか?」
「ち、ちがう!」
大声を出したら、ついでに腹がグゥ、と鳴った。
「……なんでもない。飯、食いに行こ」
「あぁ、宿の主人に串焼き肉がうまい店を聞いた」
再び俺の腹が鳴る。
もう俺しゃべらなくてもいいんじゃないか。
普通の旅人が半日で移動する距離を一日かけて歩く、と決めていた。
街道沿いには転々と街があり、その間隔がちょうど半日で移動できる距離になっているらしい。ひとつ目の街で昼休憩をして、ふたつ目の街で宿泊するのが定番だが、俺たちは昼を大分過ぎてから、やっとひとつ目の街にたどり着いた。
「もう、一歩も動けない……」
目に入った木陰に座り込むと、ドッと疲れがあふれ出す。このまま横になって眠りたいほどだった。
「金を作って宿を決めてくるからそこにいろ。知らないやつについていくなよ」
「わかってるよッ」
完全な子ども扱いに顔をしかめ、俺はあさっての方向を向いたが、当のロルガは気にする気配もない。こちらに振り向きもせず、さっさと人混みに消える後ろ姿をにらむ。
俺にキスしたくせに。
恨み言のはずが恥ずかしくてたまらない。
唇に残る感触を消そうと手の甲でこすると、粘膜が生々しい音を立てた。
ちゅ、と唇が離れる瞬間に聞いた音が思い出される。
「うわぁ……」
やっと静まった心臓が再び暴れだす。休憩後からの道中はずっとこの繰り返しだった。
俺だけがおかしい。
ロルガは俺がパニックなのをいいことに、俺の分までパンを食べた上に「もう手はつながなくて良いのか?」と余裕の態度を見せるから腹立たしい。
火照り出した頬を落ち着かせようと手で叩いた。早くしないと、ロルガが帰ってきてしまう。
クォジャさんのところにも置いてきたあの胃腸に効く薬草が、俺たちの旅費になる。薬草を売って現金に変え、宿を予約するのに一体どれくらい時間がかかるかのだろう。
宿——同じ部屋に泊まるのかと思うと余計に頭に血が昇る。一緒に暮らしていたくせに。
「あああ!」
頭をかきむしるが、ちっとも熱は冷めない。
「ねぇ、ちょっと、おにいちゃん、大丈夫かい?」
しゃがれた女性の声に顔をあげると、腰の曲がった白髪の老婆が俺を見ていた。
「あ、はい。大丈夫です」
「そうかい? ずいぶん疲れた顔をしているからどうしたのかと思って。私じゃ何ができるわけでもないけど、このままのたれ死んだら後味が悪いじゃない? それにブンスフォーナが同じくらいの年だから気になってね。あ、孫よ。私はシャドリゥナーボというの」
初対面とは思えない明け透けな話しっぷりにクォジャさんとの出会いを思い出す。聞いているだけで時間が過ぎていくおしゃべりの相手は、余計なことを考えてしまうときには、ありがたい。
「いつもそこで焼き菓子を売ってるのよ。そろそろ帰ろうと思ったんだけど、おにいちゃんがすわりこんでるじゃない。もしかしてお腹すいてる? なら何か持ってきてあげようか? 遠慮しないでいいのよ。このまま一人で帰り道に倒れても困るし。お家の人と一緒に来てるのでしょ?」
しかし、話を聞いているうちに、誤解されていることに気がつく。
また、俺は子どもだと思われてるな?
「あの、しあどるなーぼさん」
「ちがうちがう、シャドリゥナーボ」
「しゃどるなーぼ?」
「ちがうわ、でも大丈夫。そのうち言えるようになるわ」
俺に向けられる慈しみにあふれた笑みが虚しい。一体、何歳だと思っているのだろうか。
「で、いくつ買うかい?」
「へ?」
ずい、と目の前に差し出されるカゴの中には甘い匂いをさせる小さなマフィンのようなものが入っている。
「1つで、3モノ。3つで10モノ。どうするかい?」
「モノ?」
「お金なしに、腹はふくらまないのさ」
親指と人差し指を丸くつなげてこちらに見せる。モノは通貨単位らしい。
ここまできて、やっと俺は押し売りに捕まったことに気がつく。しかし、目の前の焼き菓子はおいしそうだし、おしゃべりのせいで気が晴れた。
「あの、買っても良いけど、あいにくお金がなくて——」
「おい、そこをどけ」
威圧的な声がして、老婆の後ろにロルガが立っていた。
「ひぇ」
「ひぇ」
思わず老婆と同じ声をあげる。逆光で表情が見えない巨大な男に見下ろされたら、誰だって怖い。
「もう一度言う。どけ」
老婆はあっという間に走り去った。曲がっていたはずの腰はまっすぐに伸び、美しいフォームだった。
「もうちょっと優しく言ってもいいと思う」
「お前を騙そうとしてたんだぞ。あんなに小さい菓子、せいぜい1つ1モノにしかならん。しかも3つ買っても安くなるどころか高くなっていた」
「あー、そうだった? ぜんぜん気が付かなかった。おいしそうだったし」
昔、通販で同じように騙されたことがあった。どこに行っても悪い人間はいるものだと思い知る。自分はここでもカモか。
「ナルシィ、腹が減ってるのか?」
「ええ、とっても。誰かさんのせいで」
「じゃあ、先に飯を食いにいくか」
「…………」
嫌味ってものがわからない男は、にらみつけるしかない。眉間にシワを寄せ、思い切り見上げると、ロルガが同じ目線になるまでしゃがみこんだ。
「なんだ、じっと見つめて。寂しかったのか?」
「ち、ちがう!」
大声を出したら、ついでに腹がグゥ、と鳴った。
「……なんでもない。飯、食いに行こ」
「あぁ、宿の主人に串焼き肉がうまい店を聞いた」
再び俺の腹が鳴る。
もう俺しゃべらなくてもいいんじゃないか。
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