35 / 56
一緒に目覚めたら、一緒に汗をかく
しおりを挟む
いつも通りベッドの上で寄り添い寒さをしのぐ。ロルガが寝息を立てる前に俺は尋ねた。
「さっき、暖炉の前で何を考えてた?」
「……いろいろと」
「たとえば?」
「さぁな。お前との別れとか?」
「別れ、か……」
自分で口にしてみると、その響きの冷たさに気持ちが重くなった。
それを察したのか、ロルガは大袈裟にすすり泣く真似をし、俺の頭に顔をすりつける。思わず笑うと、ロルガの手が繰り返し俺の髪を梳いた。
——別れ
考えもしなかった言葉につられて、俺もロルガとの別れを想像してみるが、何も思い浮かばない。
一日中、すぐそばにロルガがいる。それ以外の暮らし方がまるでわからなかった。共に過ごした時間を思い出し、そこからロルガを消してみるが、どうやってもうまくいかない。
規則正しい寝息が聞こえてくる。耳をくすぐる吐息がくすぐったくて身じろげば、体に巻き付いた腕に力がこもった。もう毛皮なんてないのに、俺はすっかりここで寝ることを気に入ってしまった、なんてロルガは信じるだろうか。俺だって信じられない。
目覚めてすぐにホッとしたのは視界が白くなかったからだ。
まだロルガが一緒に寝ていることに安心して再び目を閉じる。珍しく早く目覚めたが、すでに眠気はない。頭はすっきりと冴え渡り、すぐにでも動き出せそうだったが、もう少し自分以外の体温を感じていたかった。ロルガの肌をなでると、応えるように大きな手が俺の髪を梳く。
「起きたか」
「うん」
その後は、お互いにしばらく黙っていた。
会話も何もせず、ただ一緒に横たわっているのはこれが初めてだと気がついたのは、ベッドルームを出てからだった。いつもそうだ。俺は大切なことに気がつくのが遅い。
ぼんやりとしていると、隣でパンをこね始めたロルガが声をかけてきた。
「来客が待ち遠しいか? 早く髪を整えないと、来てしまうぞ」
からかわれても怒る気にはならない。むしろ今日は誰にも会いたくないと思っていた。しかし、この家では居留守も使えない。
「……カーテンがあればいいのに」
「なぜだ」
「中をのぞかれないように。他人にイフュムスを邪魔されたくない」
独り言のつもりが聞かれてしまったので、口にするつもりのなかった理由も言ってしまう。
サウナに入るだけでなく、それに関連すること全てを総称した名前がイフュムスだから、事前の食事の準備も、小屋が温まるのを待つのも、大切な手順な気がした。久しぶりにふたりで小屋に入ると思うと、全てをふたりきりでしたい。誰にも入ってきてほしくない。
てっきりまた、ロルガはいやらしい男だとでも言うと思ったら、無言で食糧庫へ行ってしまった。
戻ってきた手には黒い布がある。根菜類の上にかけてあったものだ。そのまま窓のところに行き、ガタガタと何かをやったかと思うと、部屋が薄暗くなる。
「これなら見えないだろ」
こちらを振り返ったロルガは得意げな顔をした。隙間に布を押し込んだのか、窓の全面が黒い布で覆われている。
「一体中で何してるんだ?! って、噂になっちゃうね。怪しい」
「とっくに噂だろ。伝説の最強猟師殿は幼い、熊殺し。おまけに男好きだからいやらしいカーテンをつけても怪しくはない」
「その言い方は……でも、そこまで誤解されるとちっとも自分のことだと思えないからいいや」
なんだか愉快な気持ちになってきて、シャツが汚れるのも気にせず、ロルガが途中で放り出したパン生地をこねた。
どうせ、小屋に入る時には脱ぐのだ。
それを見たロルガは軽く眉を持ち上げただけで、何も言わなかった。隣でベーコンを角切りにし、ハムを薄く削ぐように切る。お馴染みの料理が次々に出来ていった。
前より気温が上がっているから小屋の準備が整うのも早い。ロルガが俺を呼びにきたのは、まだ洗面所でシャツを洗っている最中だった。
「すぐ行くから、先に行ってて」
「わかった」
本当はあとは絞るだけだったが、久しぶりに腰布一枚になった姿をまじまじと見られるのが恥ずかしくて、後から行くことにした。
食糧庫を抜け、小屋へと続く引き戸を開ける。あいにくの曇り空に腰布一枚で向かうには肌寒いが、もう行手を阻む雪はない。それでも、一歩を踏み出すには勇気が必要だった。この緊張の理由はきっとこのイフュムスでわかる。そんな気がした。
何度燻製小屋に入っても、ドアを開けた瞬間は息が止まる。襲いかかってくるような熱い空気に全身が包まれるが、薄暗い視界でも進む足に迷いはない。
最上段に座るロルガは腰布を巻いた姿で床に汗をこぼしていた。二つの浅い呼吸が重なる。俺が中段にゴロリと仰向けになると、ロルガは覗き込むように自分の腕を枕に横向きに寝転がった。会話をするには熱すぎるから視線を合わせるだけだ。それでもロルガが喜んでいることは伝わってくる。どうして自分は恥ずかしがって一緒に入るのをやめたんだろうと悔やむほど、満たされた表情だった。
今日は限界を迎えるのが早い。
あっという間に頭熱くなり、うまく呼吸が整えられなくなる。
立ち上がった俺の手をロルガがつかんだので、身振りで水を飲んでくると伝え外に出た。小屋の前にあるベンチに置かれたピッチャーの水を飲む。目を閉じて風に吹かれているとロルガが出てきた。
「今日はやけに熱く感じる」
「ルルも? 俺もそうだ」
持っていた椀に水を注いで差し出すと、俺の手ごと掴んで口をつけた。
「ふふ、慌てなくても大丈夫。水は逃げないよ」
「ナルシィは?」
「俺は——」
冗談かと思ったら、俺を見つめるロルガの目は不安を宿しているように見えた。
「俺は逃げない。そばにいるよ」
「さっき、暖炉の前で何を考えてた?」
「……いろいろと」
「たとえば?」
「さぁな。お前との別れとか?」
「別れ、か……」
自分で口にしてみると、その響きの冷たさに気持ちが重くなった。
それを察したのか、ロルガは大袈裟にすすり泣く真似をし、俺の頭に顔をすりつける。思わず笑うと、ロルガの手が繰り返し俺の髪を梳いた。
——別れ
考えもしなかった言葉につられて、俺もロルガとの別れを想像してみるが、何も思い浮かばない。
一日中、すぐそばにロルガがいる。それ以外の暮らし方がまるでわからなかった。共に過ごした時間を思い出し、そこからロルガを消してみるが、どうやってもうまくいかない。
規則正しい寝息が聞こえてくる。耳をくすぐる吐息がくすぐったくて身じろげば、体に巻き付いた腕に力がこもった。もう毛皮なんてないのに、俺はすっかりここで寝ることを気に入ってしまった、なんてロルガは信じるだろうか。俺だって信じられない。
目覚めてすぐにホッとしたのは視界が白くなかったからだ。
まだロルガが一緒に寝ていることに安心して再び目を閉じる。珍しく早く目覚めたが、すでに眠気はない。頭はすっきりと冴え渡り、すぐにでも動き出せそうだったが、もう少し自分以外の体温を感じていたかった。ロルガの肌をなでると、応えるように大きな手が俺の髪を梳く。
「起きたか」
「うん」
その後は、お互いにしばらく黙っていた。
会話も何もせず、ただ一緒に横たわっているのはこれが初めてだと気がついたのは、ベッドルームを出てからだった。いつもそうだ。俺は大切なことに気がつくのが遅い。
ぼんやりとしていると、隣でパンをこね始めたロルガが声をかけてきた。
「来客が待ち遠しいか? 早く髪を整えないと、来てしまうぞ」
からかわれても怒る気にはならない。むしろ今日は誰にも会いたくないと思っていた。しかし、この家では居留守も使えない。
「……カーテンがあればいいのに」
「なぜだ」
「中をのぞかれないように。他人にイフュムスを邪魔されたくない」
独り言のつもりが聞かれてしまったので、口にするつもりのなかった理由も言ってしまう。
サウナに入るだけでなく、それに関連すること全てを総称した名前がイフュムスだから、事前の食事の準備も、小屋が温まるのを待つのも、大切な手順な気がした。久しぶりにふたりで小屋に入ると思うと、全てをふたりきりでしたい。誰にも入ってきてほしくない。
てっきりまた、ロルガはいやらしい男だとでも言うと思ったら、無言で食糧庫へ行ってしまった。
戻ってきた手には黒い布がある。根菜類の上にかけてあったものだ。そのまま窓のところに行き、ガタガタと何かをやったかと思うと、部屋が薄暗くなる。
「これなら見えないだろ」
こちらを振り返ったロルガは得意げな顔をした。隙間に布を押し込んだのか、窓の全面が黒い布で覆われている。
「一体中で何してるんだ?! って、噂になっちゃうね。怪しい」
「とっくに噂だろ。伝説の最強猟師殿は幼い、熊殺し。おまけに男好きだからいやらしいカーテンをつけても怪しくはない」
「その言い方は……でも、そこまで誤解されるとちっとも自分のことだと思えないからいいや」
なんだか愉快な気持ちになってきて、シャツが汚れるのも気にせず、ロルガが途中で放り出したパン生地をこねた。
どうせ、小屋に入る時には脱ぐのだ。
それを見たロルガは軽く眉を持ち上げただけで、何も言わなかった。隣でベーコンを角切りにし、ハムを薄く削ぐように切る。お馴染みの料理が次々に出来ていった。
前より気温が上がっているから小屋の準備が整うのも早い。ロルガが俺を呼びにきたのは、まだ洗面所でシャツを洗っている最中だった。
「すぐ行くから、先に行ってて」
「わかった」
本当はあとは絞るだけだったが、久しぶりに腰布一枚になった姿をまじまじと見られるのが恥ずかしくて、後から行くことにした。
食糧庫を抜け、小屋へと続く引き戸を開ける。あいにくの曇り空に腰布一枚で向かうには肌寒いが、もう行手を阻む雪はない。それでも、一歩を踏み出すには勇気が必要だった。この緊張の理由はきっとこのイフュムスでわかる。そんな気がした。
何度燻製小屋に入っても、ドアを開けた瞬間は息が止まる。襲いかかってくるような熱い空気に全身が包まれるが、薄暗い視界でも進む足に迷いはない。
最上段に座るロルガは腰布を巻いた姿で床に汗をこぼしていた。二つの浅い呼吸が重なる。俺が中段にゴロリと仰向けになると、ロルガは覗き込むように自分の腕を枕に横向きに寝転がった。会話をするには熱すぎるから視線を合わせるだけだ。それでもロルガが喜んでいることは伝わってくる。どうして自分は恥ずかしがって一緒に入るのをやめたんだろうと悔やむほど、満たされた表情だった。
今日は限界を迎えるのが早い。
あっという間に頭熱くなり、うまく呼吸が整えられなくなる。
立ち上がった俺の手をロルガがつかんだので、身振りで水を飲んでくると伝え外に出た。小屋の前にあるベンチに置かれたピッチャーの水を飲む。目を閉じて風に吹かれているとロルガが出てきた。
「今日はやけに熱く感じる」
「ルルも? 俺もそうだ」
持っていた椀に水を注いで差し出すと、俺の手ごと掴んで口をつけた。
「ふふ、慌てなくても大丈夫。水は逃げないよ」
「ナルシィは?」
「俺は——」
冗談かと思ったら、俺を見つめるロルガの目は不安を宿しているように見えた。
「俺は逃げない。そばにいるよ」
18
お気に入りに追加
95
あなたにおすすめの小説
祝福という名の厄介なモノがあるんですけど
野犬 猫兄
BL
魔導研究員のディルカには悩みがあった。
愛し愛される二人の証しとして、同じ場所に同じアザが発現するという『花祝紋』が独り身のディルカの身体にいつの間にか現れていたのだ。
それは女神の祝福とまでいわれるアザで、そんな大層なもの誰にも見せられるわけがない。
ディルカは、そんなアザがあるものだから、誰とも恋愛できずにいた。
イチャイチャ……イチャイチャしたいんですけど?!
□■
少しでも楽しんでいただけたら嬉しいです!
完結しました。
応援していただきありがとうございます!
□■
第11回BL大賞では、ポイントを入れてくださった皆様、またお読みくださった皆様、どうもありがとうございましたm(__)m
社畜だけど異世界では推し騎士の伴侶になってます⁈
めがねあざらし
BL
気がつくと、そこはゲーム『クレセント・ナイツ』の世界だった。
しかも俺は、推しキャラ・レイ=エヴァンスの“伴侶”になっていて……⁈
記憶喪失の俺に課されたのは、彼と共に“世界を救う鍵”として戦う使命。
しかし、レイとの誓いに隠された真実や、迫りくる敵の陰謀が俺たちを追い詰める――。
異世界で見つけた愛〜推し騎士との奇跡の絆!
推しとの距離が近すぎる、命懸けの異世界ラブファンタジー、ここに開幕!
精霊の港 飛ばされたリーマン、体格のいい男たちに囲まれる
風見鶏ーKazamidoriー
BL
秋津ミナトは、うだつのあがらないサラリーマン。これといった特徴もなく、体力の衰えを感じてスポーツジムへ通うお年ごろ。
ある日帰り道で奇妙な精霊と出会い、追いかけた先は見たこともない場所。湊(ミナト)の前へ現れたのは黄金色にかがやく瞳をした美しい男だった。ロマス帝国という古代ローマに似た巨大な国が支配する世界で妖精に出会い、帝国の片鱗に触れてさらにはドラゴンまで、サラリーマンだった湊の人生は激変し異なる世界の動乱へ巻きこまれてゆく物語。
※この物語に登場する人物、名、団体、場所はすべてフィクションです。
転移したらなぜかコワモテ騎士団長に俺だけ子供扱いされてる
塩チーズ
BL
平々凡々が似合うちょっと中性的で童顔なだけの成人男性。転移して拾ってもらった家の息子がコワモテ騎士団長だった!
特に何も無く平凡な日常を過ごすが、騎士団長の妙な噂を耳にしてある悩みが出来てしまう。
魔王様が子供化したので勇者の俺が責任持って育てたらいつの間にか溺愛されてるみたい
カミヤルイ
BL
顔だけが取り柄の勇者の血を引くジェイミーは、民衆を苦しめていると噂の魔王の討伐を指示され、嫌々家を出た。
ジェイミーの住む村には実害が無い為、噂だけだろうと思っていた魔王は実在し、ジェイミーは為すすべなく倒れそうになる。しかし絶体絶命の瞬間、雷が魔王の身体を貫き、目の前で倒れた。
それでも剣でとどめを刺せない気弱なジェイミーは、魔王の森に来る途中に買った怪しい薬を魔王に使う。
……あれ?小さくなっちゃった!このまま放っておけないよ!
そんなわけで、魔王様が子供化したので子育てスキル0の勇者が連れて帰って育てることになりました。
でも、いろいろありながらも成長していく魔王はなんだかジェイミーへの態度がおかしくて……。
時々シリアスですが、ふわふわんなご都合設定のお話です。
こちらは2021年に創作したものを掲載しています。
初めてのファンタジーで右往左往していたので、設定が甘いですが、ご容赦ください
素敵な表紙は漫画家さんのミミさんにお願いしました。
@Nd1KsPcwB6l90ko
転生悪役令息、雌落ち回避で溺愛地獄!?義兄がラスボスです!
めがねあざらし
BL
人気BLゲーム『ノエル』の悪役令息リアムに転生した俺。
ゲームの中では「雌落ちエンド」しか用意されていない絶望的な未来が待っている。
兄の過剰な溺愛をかわしながらフラグを回避しようと奮闘する俺だが、いつしか兄の目に奇妙な影が──。
義兄の溺愛が執着へと変わり、ついには「ラスボス化」!?
このままじゃゲームオーバー確定!?俺は義兄を救い、ハッピーエンドを迎えられるのか……。
※タイトル変更(2024/11/27)
目が覚めたら異世界でした!~病弱だけど、心優しい人達に出会えました。なので現代の知識で恩返ししながら元気に頑張って生きていきます!〜
楠ノ木雫
恋愛
病院に入院中だった私、奥村菖は知らず知らずに異世界へ続く穴に落っこちていたらしく、目が覚めたら知らない屋敷のベッドにいた。倒れていた菖を保護してくれたのはこの国の公爵家。彼女達からは、地球には帰れないと言われてしまった。
病気を患っている私はこのままでは死んでしまうのではないだろうかと悟ってしまったその時、いきなり目の前に〝妖精〟が現れた。その妖精達が持っていたものは幻の薬草と呼ばれるもので、自分の病気が治る事が発覚。治療を始めてどんどん元気になった。
元気になり、この国の公爵家にも歓迎されて。だから、恩返しの為に現代の知識をフル活用して頑張って元気に生きたいと思います!
でも、あれ? この世界には私の知る食材はないはずなのに、どうして食事にこの四角くて白い〝コレ〟が出てきたの……!?
※他の投稿サイトにも掲載しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる